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第十幕 未来が見えてもいいことはない

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 もう春というのに、心なしか顔に当たる風が冷たい。
「お帰り、勉強会じゃないの?」
「忘れ物した。」
「そう。」
 俺は自分の部屋に入り、扉のところで佇んだ。
 四十川の部屋で見たものが、いまだに脳裏に鮮明に浮かび上がる。俺が目にした最後の一文は、俺のその時の行動そのものだった。なんとなく自分の未来が書かれているとは思っていたが、まさかここまで正確だと、もはや監視されているようだ。
 俺が目にしたその次に書いてあるのは、俺がうつろな目で家に帰って、自分の部屋の前で考え事をする、というものだろう。
 息を吸って、吐いて、俺は呼吸を整えた。
 落ち着いて整理した方がいいだろう、ただその事実に驚いてるだけでは、物事は何も進まない。別に今すぐ俺自身に何かが起きるわけではない、なら焦る必要もない。
 カバンを置いて、ベットに座る。
 まずはあの冊子から考えよう。
 あれは、間違いなく、俺が寝込んだ一年間に見た夢の内容である。それも未来がすべて反映される夢。厚さからして、一年分くらいはあるだろう。
 四十川が言うように、内容が膨大過ぎるのだ。そして詳細で、正しい。
 そんな夢が一日二日では出来上がれない。
 だからその夢は、現実と「同時進行」する。
 母が口にしたその言葉の意味を、俺は今やっと理解できた。
 もし夢で、俺が学校の宿題を一時間かけてやり遂げたとすると、現実の俺もベットの上で一時間寝ていることになる。俺が手を動かすのも、瞬きするのも、すべてリアルタイムで実行される。二つの事象は、並行するのだ。
 あの冊子の始まりは、俺が事故から覚めた後、つまり今この時である。
 現実のベットで一年間夢を見たのなら、その冊子の終わりは、現実の今からの一年後、俺が三年に上がるときだろう。そして、夢が覚めれば、俺の未来もそこで打ち切られる。
 だとしたら、俺は果たして三年生になることができるだろうか。
 夢がこの一年間なら、現実も一年間しかないということにならないか。
 俺は今、夢の中にいる。
 その冊子の内容がほんとなら、俺が夢から覚めて、部活に入って、そしてこれらの事実を知る、そのらすべてがまた夢ということになる。俺が現に今こうやって考え事をしているのも、次の冊子に書かれるであろう夢になる。
 そして一年後に、俺は何も覚えてない状態で、またベットから目を覚まして、この同じ一年間を過ごすのだ。そしてまた覚めて、また一年を過ごす、そしてまた覚める……永遠にその繰り返しである。
 俺はこの一年を何回繰り返しているのだろうか、何百回、何千回、それとも何万回、何億回。そしてこれからも、無限に繰り返していくのだ
そんな終わりのない、永遠のループに、俺は今立っている。
 ということだ。
 このことを、俺の親も、四十川の親も、四十川も、知らないだろう。
 俺以外の人間は未来の夢を見ないから、別に人生をループしなくてもいいのだ。
 彼らにとってみれば、この一年間は長い人生の中の一部分にすぎない。でも俺にとってはすべてである。
 おかしな話だ、自分でも笑えてくる。
 予知夢さえあれば、俺は宝くじに頼っても生活できると思っていたが、まさかこの結末とは、夢にも見なかった。
 全部理解してしまえば、逆にすっきりした気分になる。
 こんな面白い人間がいれば、四十川のような好奇心強いやつも集まってくるわけだ。彼女が俺をただの実験対象としか見てないのも、よくわかる。
 もし俺の夢が、ほんとに未来を予知できるのなら、これは世界を驚かせるビックニュースになるだろうし、タイムマシンなどもそのうち実現するかもしれない。
 彼女は何もおかしな行動をとってないのだ。別に転校してくるのも、電話番号を教えてくれるのも、下の名前で呼ぶのも、全部彼女の興味に過ぎない。なのに俺は一方的に、仲良くなったかもしれない、と甘たるい妄想をしていた。
俺は自分の勘違いにすら気づかず、四十川に、彼女の態度に苛立ったふりを見せたり、真実に傷つけられた姿を詩乃に見せたりした。
全部、俺自身が悪いのだ。
夢を見たのも俺、事故にあったのも俺、無限ループに入ったのも俺自身のせいだった。
彼女は悪くない。彼女は何も知らないのだ。
たぶん親から予知夢の話を聞いて、ただ興味本位で俺に近づいただけだ。親しい行為はすべて実験対象への興味のせいだ。
なら、勝手に勘違いした俺に彼女を責める権利はない。
好意に自分のために開いてくれた勉強会を台無しにしたんだ、勝手に逃げ出したのは謝った方がいいだろう。
そして俺は四十川の電話番号を呼び出した、
「……」
「……」
「四十川か?」
「あま……」
 四十川の声は、いつもより小さく、儚い。
「先勝手に逃げ出して悪かった。」
「雨谷くん……」
「四十川?」
「……ごめんなさい……あなたを傷つけてしまったわ。」
「あの冊子のことならいいよ、別におまえのせいじゃないだろう。」
「私のせいよ、事故……私のせいだったの。」
「それはおまえと関係ないだろう、おまえの親がやったのだし。」
「私が忘れ物を急いで届けてほしいって言ったから、お父さんがあなたにぶつかったの。」
「だとしても、おまえのせいじゃない。」
「いいえ、全部……私が悪いのよ。」
「勝手に勘違いすんな、俺は別に事故のことでおまえに謝らせるつもりはない!」
 ついつい声が荒れてしまった。
 彼女はたぶん親に聞いたのだろう、俺のことを。そして、事故のことを知って、それが自分のせいだと思いこんでるのだ。
彼女は悪くない、しいて言うなら彼女の親が悪い。彼女は別に俺に対して罪悪感も、申し訳なさも、感じなくていいのだ。
「お前が親から何を聞いたか知はらんが、俺自身が起こした問題は俺自身で何とかする、勝手に自分のものにするな。」
「あなたは今夢のことで、私のことで、苦しんでるのがわかるわ。」
「知った風な。」
「あなたがこの一年間をループするのも分かっている。」
「だから何だよ、お前には関係ないだろう。」
「あなたを助ける……全部、私が悪いもの。」
「俺はただお前の実験対象でしかない、おまえは実験を続ければいい。お前のせいでも何でもないから、勝手に勘違いすんな。」
「実験……ごめんなさい、私……」
 俺はその続きの言葉を聞きたくなかった、だから聞かなかった。
「「私が悪いのよ」」
 別に彼女のせいではない、事故にあったのは俺の不注意で、彼女のお父さんの不注意だった。データを取ろうとしたのも、実験のためで、別に悪気はなかったはずだ。俺がこの一年間をループするのは、だれも予測できなかった、なら彼女のせいでもない。
 それでも彼女は自分のせいにして、その責任を負おうとしているのは、すごくこちらからして気に食わない、むしろ、苛立たしい。
 助けるなんて、図々しい。
 彼女は今どんな気持ちでいるのか、たやすく想像できた。
 自分がからかっていた相手が、自分のせいで入院させた張本人だったと知れば、申し訳なさや、罪悪感を感じられずにはいられないだろう。そして自分の罪悪感を消すために、俺を助けようとする。自分が公明正大に生きていくためにも、俺を助けなければいけないと、彼女は思っているだろう。
 だが、彼女がそうしたいのなら、そうでないと気が済まないのなら、俺はそれに手を出すべきではない。自分が助かりたい、だから俺を助けようとする彼女のためにも、俺はされるがままに、助けられるべきだ。
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