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第九幕 勉強会

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「でもでも、私たちが北原先輩の気持ちを伝えられなかったら?」
寂たる階段を上りかけ、四階では部室の方から話声が耳に届く。その続きの言葉が発される前に扉を開ける、
「その心配はない、ちゃんと伝えた。」
「あまねじゃん、お帰り。」
「雨谷君、お疲れ様です。」
「あら、ヒーローが凱旋したわ。」
「っぬ、その言い方は勘弁してくれ。」
「なら、ご主人様お帰りませ、とでも言ってほしいのかしら。」
「ご主人様の名において、これ以上からかうな。」
 四十川にしては、普段の様子とギャップがありそうで、すこし聞きたいかもしれない。でもここで「聞きたい」なんて言ったら、返ってくるのは「ご主人様」ではなく、「ご囚人様」に決まっている。俺はそこまで先が読めないバカではない。
「どうだったの、あの二人はどうなった?」
「まあ、成功と言えば伝わるかな。」
「そうですか、よかったです。」
「周くんの武勇伝聞きたいな~」
 そんなどうでもいい話を無視して、俺は話を切り替える、
「ところで、部活動紹介はどうなった。」
「はい、一応決まりました。当日は会長と副会長に、一年生の前で私たち送心部を一言ほめさせるのです。できれば私たちの紹介を一番最後にしてもらえば、より印象に残れると思います。」
「私たちがいくら部の持ち味をアピールしても、あの二人の発言の影響力には及ばないでしょう。」
「なるほど、確かにいい手だ。じゃそうするか。」
「じゃあ、部長のあたしが頼んでくる。」
 鼻高々、胸も高々として、彼女は部長らしい言葉を言う。
「では、篠崎さんにお願いしましょう。」
「ですね、周くんは行きたくなさそうな顔をしてる、しね。」
「不自然な話の切り方はやめろ、俺マジで死んじゃうぞ。」
 その穏やかな笑顔を見ると余計心が傷つく、ていうか最初の「です」ですでに死んでるんだから、二回目は死なないぞ。俺はゾンビか。
「あ、思い付いた。」
「またか、今度は何だよ。」
「勉強会しようよ、明日土曜日だし。」
「勉強会か……確かに再来週くらいからテストだもんな。」
「雨谷君はまだテストの勉強始めてませんよね。」
「最近はいろいろありすぎて、勉強どころじゃないんだ。」
「周くんはそろそろ勉強しないとだめよ、私までバカになるつもりはないんだから。」
「バカ前提かよ。」
「やっぱり勉強会だよ。今なら、あたしでも教えられる気がするし。」
「すまん、それはない。せめて花本さんだ。」
「あるし!」
 いやいや、一年寝てても、お前よりはできる気しかしない。根っこからバカであるお前と俺とは、次元が違いすぎて話どころか、同じ画風にもならんぞ。少しいい過ぎたかも、心の中でもちゃんと謝ろう。ペコリ。
「あ・ま・が・い君?」
「ごめんなさい、奏様。」
「そこまで言わなくても……」
 俺の謝罪が効いたらしく、花本さんは怒りをおさめ、逆に俺に対して罪悪感まで感じている。これはなかなかいい手かもしれないが、少し彼女には申し訳ない気がする。
「奄美くん、人の名前で遊ぶなと教えられたことがないのかしら。」
「お前こそ、遊んでんじゃねぇか。てか、それもう俺じゃないよね、ね、四万十川さん?」
「奄美君は私の名前を読み間違えるほどのバカではないと思っていたのだが……あなたを見損ねた私の失敗ですわ、ごめんなさい。」
「花にもおまえにも謝るから、もう奄美はやめてくれ、俺の親がかわいそうになってくる。」
「なら許してあげてもいいわ、これからは四十川様と呼びなさい。」
「はあ?」
「奄美大島くんは嫌なのかしら。」
「はい分かりました、四十川様、もう勘弁してください。」
 彼女は勝ち誇った表情で俺から少し距離をとって、詩乃に問いかける
「詩乃さんはどこでやるつもりですか。」
「あ、あたし?あたしはどこでもいいし。花はどこがいい?」
「ごめんなさい、明日は兄さんの試合を見に行きますので、参加できません。」
「お兄さんいたの?!」
「そうですか、私にはかわいい妹が一人いますよ。」
「妹さんいたの!?」
「俺は姉が一人いるぞ。」
「しってるし、ていうか何いまさら。」
 っぬ。俺の時だけなんかリアクションおかしくない、ね、詩乃さん?男尊女卑の時代からだんだん男女平等の時代になってるけど、そのうち女尊男卑が来るのは見え見えで、現にこの部室がそうなっている。俺は時代の先駆者として、いち早くこれの打破杏、じゃなくて、打破案を見つけ出さなければいけない。
「天馬呼んでいいか。」
 弱弱しく提案を申し上げる。俺は一人で行きたくない、ならこの苦痛を分かち合うには、仲間を増やさなけらばいけない。
「楽山君なら、兄さんと一緒に試合に出ますよ。」
 これ犯罪ね、仲間を見捨てるなんて親友にあるまじき行為。
「なら私の家でしませんか。」
「おまえの家この近くじゃないだろう。」
「学校の近くに引っ越してきたよ、周くんのためにね~」
「はいはい、冗談はそこまで。でもほんとにいいのか。」
「もちろんよ。」
「じゃあ、学校で集合しよ、そして一緒に杏ちゃんの家に!」
「明日の十時くらい正門で待ってます。」
 俺と詩乃と四十川。
まあ、確かに勉強しないと留年もあり得る話だ、ならここは勉強できそうな四十川に教えてもらった方が効率いいだろう。なら言葉に甘え……その前に、
「詩乃、これは遊びじゃないから、勉強道具以外持ってくるなよ。」
「知ってるし、持ってこないし。」
 俺が言いたいことを分かっているようだ。
中学の時、俺の家で勉強会する、と言い出した彼女張本人がお菓子と本の比率が九対一のカバンを持ってきて、十分おきに休憩でトランプやったり、昔の写真を眺めたりして、結局一ページも進まずその日は終わった。だから事前に警告だけはしておく。どうせ持ってくるけど……
「じゃあ、あたし生徒会室に行ってくる。」
「「行ってらしゃい。」」
 とにもかくにも、四十川の家に行けるのはいい知らせだ。別に変なことをするつもりない、ていうか相手は凶暴な四万十川の化け物だぞ、俺がどうこうしようとする前にはすでに川底にうめられているに違いない。
 俺が彼女に持ついろいろな疑問の答えが、なんとなく彼女に家にある気がしただけだ。

 今日が、俺と女子二人の地獄勉強会である。
昨日までの俺ならきっとそう思っていた。でも今朝起きたてよくよく考えたら、巨乳幼馴染と美人転校生と一つの屋根の下で勉強するなんて、ラブコメ主人公でもない限りまずない展開だ。これは男子高校生の恋が始まる予兆ではないか、と俺はひらめき、そのせいで少し気持ちが浮かれて、二十分前に学校に着いてしまった。
「あら、早いね。周くんは全然楽しみにしてないと思ってたのに。」
「そういうおまえこそ、こんな早く来てどうする。」
「周くんが私に会えなくて寂しそうにしてるのが見えたのよ。」
「どこで見たんだよ。てか、俺を女子と勉強するのが楽しみでしょうがなくて、アラームを早く設定しすぎたかわいそうなやつと同類にしないでほしい。」
「そんなはっきり言うとは思ってなかったわ。」
「例えだ、例え。」
 そういって四十川は、ゆっくり近づきながら、俺の隣で立つ。
 淡青のボルドーワンピースに高い位置の白いサッシュベルト、鮮やか過ぎずちょうど陽気な彼女には似合ってる服装だった。後ろで一つにまとめた高いボニーテールは、彼女の首の細さを強調する。
 やはりイチゴシャンプーだった。かわいいやつめ。
「あまね、杏、おっはよ~」
「詩乃さん、おはよう。」
 遠くから詩乃が手を振ってくる。黒のスカートにオレンジ色のニットセーター、茶髪が後ろからはみ出すようにかぶる亜麻色のベレー帽。それに結構デカいカバン。これまで見てこなかった詩乃のその着方に俺は少し不思議に思って、彼女に返事もせずにボウと眺めていた。そして四十川が俺に話しかける、
「周くんは詩乃さんの可愛らしさに見とれて、会話能力を失ったのかしら。」
「ほっとけ、それよりも早く行こう。」
「え?二人なんて言ってたの。」
「周くんが速く私の家に入りたいらしいです。」
「そうだけど、なんか違う。」
 どこまでも事実を曲げたがるやつだから、俺はその度に訂正してあげなけらば行けない、と俺のプライドがそう告げるのだ。
「じゃあ早く行こう、あたし久しぶり勉強する、じゃなくてね、勉強会に行くの、だからすごく楽しみ。」
「そうですね、では行きましょうか。」
 はあ、恥ずかしい。同級生に見られたらリア充爆発しろだの、ケツに爆竹を突っ込む刑に処するだの、そう言うに違いない。少しは俺のこの恥ずかしい気分になってみてほしいものだ。
 でも正直のところ、まんざらでもない。
 楽しげに話しあう二人の後ろについていく。
 四十川は、学校近くのマンション九階で一人暮らしを始めたばかりと言っている。1DKの部屋はまだ生活感がなく、開封されてない段ボールで埋められている。
 彼女はお茶を用意するらしく、俺たちに適当に座ってと言って、冷蔵庫の方へ向かったが、開けられたその冷蔵庫の中身は寂しかった。
 そう言われても座るような椅子はなく、俺と詩乃は円卓の近くに腰かける。洋室の襖は閉まっていて、中の様子は見えない。イチゴの絵柄付きのベットじゃないかなと一人でついつい妄想し始めた。
「ごめなさいね、水しかなくて。」
 四十川さんはプレートに紙コップ三つと二リットルミネラルウォータをもってきて、俺らと視線の高さを合わせた。
「いいよ、あたし買ってくるし。」
「いや、別にいいだろう、勉強するんだから。」
「でもなんかほしい!」
「子供かよ。」
「じゃ行ってくるよ。」
 まてまて、まだ勉強の用具も出してないのに、先に喉が渇くとかあるの?
 カチャッと扉の施錠音が聞こえてくる。
「かわいい子ね。」
「いやいや、いくら頭悪そうだからって……詩乃はおまえと同年代だ。」
「周くんもかわいいって言ってもいいんだよ、私は嫉妬しないわ。」
「もういい、勉強する。あ、その……悪いな、引っ越してきたばかりのおまえのところで勉強会するなんて。」
「家はにぎわってる方がいいのよ。」
「それでもなんか申し訳ない気分だ。後で引っ越しの手伝いするよ、お前ひとりじゃ大変だろう。」
「そうね、一人じゃ大変ね。じゃお願いするわ。」
「任せろ。」
 最後だけはすごく素直で大変よろしい。
 正直に言っただけだ。場所を借りてくれるだけでなく、勉強の面倒まで見てくれるのだ、引越しの手伝いくらいはさせてくれないと、俺としてはバツが悪すぎる。
俺は女子じゃないし、引っ越したこともないから、そこまで詳しくないのだが、この量の段ボールはどう見ても女子の一人暮らしにしては、多すぎる気がする。
「四十川、これらに何が入ってるの。」
「あら、気になるのかしら。」
「ただ多いなと思って。」
「本よ。」
「本?」
「私本好きなのよ、中にも特に物理に関する本が好きよ。」
「なんとなくわかってたが、でもこの量は多すぎないか。」
「後はぬいぐるみがほとんど、私寝るとき抱いてないと寝れないのよ。」
「はあ?」
「その驚き方は失礼ね、私も女の子よ。」
 いやいや、ギャップありすぎだろう。
俺はなんとなく自分の問いに対する答えが「後は私がこれまで集めてきた男たちの首輪よ、私寝るとき抱いてないと寝れないのよ。」と思ってのだが、ぬいぐるみは正直思いつかなかった。でも彼女がイチゴシャンプーを使ってることからして、ぬいぐるみもギリギリセーフかもしれない。どんな線引きだよ。
「おまえもその……かわいいな、寝るときぬいぐるみ抱くなんて。」
「周くんはギャップ萌え女の子が好きなのかしら。」
「好きも何も……かわいいって言っただけだろう。」
「あら、少々残念だわ。まさか周くんは、ぬいぐるみを抱いて寝る女の子に欲情するなんて、私が見損ねたわ、ごめんなさい。」
「俺がほんとにそういうやつに聞こえるからマジでやめてほしい。」
「では、私のような人はタイプではないのかしら。」
「いや、そういうわけじゃ。」
「やはりタイプ?」
「しつこいぞ、勉強するんじゃないのかよ。」
「それは残念。私はいまから外出て詩乃さんを迎えるわ、たぶん彼女道に迷うから。」
「よくわかってるな。」
「友達だもの。」
 彼女は立ち上がって、そのまま扉のほうへ向かう。声もかけられず、ただボーとそんな彼女の後姿を眺めていた。
 再び扉が閉まる音が鼓膜をたたく。
「友達か。」
 はたして幼馴染は友達の範疇に入るだろうか。
幼馴染という単語は、俺と詩乃の二人の関係性というより、むしろ俺たち二人のこれまでの繋がりを示すもののように思えた。
 ただの隣人で、ただの同じ学校の生徒で、ただの幼馴染。
もっと俺と詩乃の関係性を示せるほかの何かがないのだろうか。
世におかしな目で見られ、困っている人と、その人に報いを求めず優しく手を差し伸べる人。そんな二人の関係を表せるものはないのだろうか。
俺はこれまで、これからも、彼女とはただの幼馴染でいいと思っている。それ以上も、それ以下も、俺がなろうとしてはいけない。それは傲慢すぎて、恩知らずすぎる。
「数学やるか。」
 頭を働かせたくないときは体を動かす。だとしたら数学は間違った選択肢であることに気づき、俺は立ち上がって家を見て回ることにした。少しイチゴベットも興味ある。
 襖を開けると、中は絵もがらもなく、真っ白な布団が隅にきれいにたたまれている畳の部屋だった。ほかにも段ボールがいくつも隅に積み上げられている。
 そして俺の視線は、布団の近くで止まった。そこには一冊の本、ではなく、ホッチキスで止められた書類みたいなものが置いてあった。興味本位でそれに手を付け、一ページ目を開く、
「三月十五日 
 俺は意識を取り戻した。
 二人の声が耳に伝わるだけで、それ以外は何もわからなかった。

三月十六日
再び意識を取り戻した。今回は目の前にあるものをきちんと認識できた。
母が横で寝ていた。
母と一緒に家に戻った。
家ではほどんど誰とも話さず、ずっとベットで横になっていた。
夜はお風呂入って、十時に寝た。

三月十七日
 今日はアメリカにいる姉が帰ってきた。
すごく心配そうに俺に抱きついた。
 家で久しぶりに家族揃って食事をした。
 夜はいつもより少し遅く、十一時半に寝た。」
 口が開いたまま閉じらないとは、このことだな、と俺は驚きのあまり無言のまま薄暗い部屋の中で立ち尽くしてしまった。
 そこに書いてある内容は、ぴったり当たっている。
 もしやほんとに四十川は俺のストーカーかもしれないと自分を落ち着かせながらも、その先のページを見る、
「三月二十日
 今朝早く姉が飛行に乗ってアメリカに帰った。
 俺は空港の帰りで、コンビニの十八禁コーナーに寄った。
 ……」
次のページ、
「四月一日
 夢で、ある男が土間で手紙をもってうろうろするのが見えた。
 始業式のため朝は六時に起きた。
 校門前で挨拶されるのがうれしくて、歩調を緩めた。
 土間で一枚の部活動の紙を拾う。それは篠崎が書いたものだった。
 ……」
さらに次、
「四月二日
 夢で、自分が生徒会室から散々な顔で出てくるのと、俺の姿を見てにやにやする速水会長が見えた。
 朝早く学校に行き、速水会長と手紙のことを話す。
 夢がほんとに現実になった。
 教室の前で、花本さんと詩乃と天馬と会話。
 四十川というすごく美人な転校生が来る。
 ……」
……次、
「四月三日
 今日、俺を詩乃と四十川と勉強するのが楽しみでしょうがなくて、アラームを早く設定しすぎたせいで、予定よりも二十分早く学校についた。
 四十川は、本だけではなく、ぬいぐるみ大好きな、普通な女の子だった。かわいかった。
 俺は、彼女の洋室に置かれたホッチキスで止められた書類を見た。
 中身は
「「三月十五日 
 俺は意識を取り戻した。
 二人の声が耳に伝わるだけで、それ以外は何もわからなかった。
 ……」」

「ただいま。」
 詩乃と四十川が戻ってきた。だが俺はその施錠音にさえ気づかないまま、手元のものを見て鳥肌を立てていた。
 二人は俺のいるところへ近づく。
「あまね、勝手に杏ちゃんの部屋に入っちゃだめだよ。」
 俺はまだ状況をつかめず、立ち尽くしたままだった。
「あまね、大丈夫?顔死んでるよ。」
「その先は読まないでもらえるかしら。」
 四十川は俺が持っているものに気づき、無表情のまま俺に問いかけた、いや、命令した。
 ここに書いてある内容は、自分が病院から覚めた後のことだった。毎日、すべての行動が記録されている。というより、むしろ俺自身が書いたもののように見える。どれもドンピシャに現実に当てはまる、それも恐ろしいくらいに。
 俺は前、母から聞いた話を思い出した。
「「データ」」
 もしこれが、四十川夫婦が俺の夢をデータ化して、可視化したものだとしたら、この先に書いてあるものは、俺が夢で見たその先であり、俺がこれから歩むであろう未来であるのだ。
 彼女、四十川が俺たちの部が人数不足に困っているのを知ったのは、たぶんこの内容を見たからだろう。だとしたら、彼女はどれくらい先まで見たのか、明日までか、それとも全部か。そもそもこれには終わりがあるのか。
 俺はとんでもないことを知ってしまったかもしれない。
「なあ、四十川、これは何だ。」
「あなたが一年間寝てた時の夢の記録よ。」
「なんでお前が持ってる。」
「親が渡してくれたの。」
「何のために。」
「あなたの夢がほんとに実現するのかどうかを確認するためかしら。」
「二人何話してんの、夢って何?」
「詩乃、すまないがここは俺と四十川だけにしてくれるか。」
「わ......わかった。」
 詩乃が部屋を出た。
「なら、お前はこれのどこまで読んだ。」
「言ったじゃない、確認のためだから、私が目にできる周くんの行動だけよ。」
「つまり、学校でおまえが見たことだけを確認するために、この冊子を読んでるのか。」
「そうね。その先も、これまでの周くんの私生活も、私は見てないつもりよ。」
「何のためだ、夢の研究か。」
「それに近いのかもしれない。」
 彼女は、最初から俺のことを実験対象をしか見ていない。彼女と彼女の親のための実験のために、自ら転校してきて、送心部に入って、俺と仲よくなった。すべてが、夢がほんとに実現するかどうか、を確認するため。
「最後に一つだけ聞く、この内容はどれくらいあるのだ。」
「一年分よ。」
 一年、一年、どうして一年だ。
「なぜ一年だ。」
「あら、最後じゃないのかしら。」
「いいから、早く答えてくれ。」
「見てわかるように、そのデータの量は膨大だ。周くんがその日に見たこと、あったこと、思ったことをすべて記している。そんな大量な情報が出来上がるには、あなたが見る夢と現実が同時進行する必要があるのよ。」
 同時進行。
「夢で見た一日は、現実の一日と同じく長いってことか。」
「そうね。」
「一年間寝てたから、見れた夢も一年分ってことか。」
「そういうことになるね。」
 四十川は、俺の落ち込んでいる様子を見てかわいそうだの、知られて申し訳ないだの、そういう表情一つも作らず、いつもの口調で俺と会話をしている。まるで俺はほんとにただの実験台のようで、彼女は俺に対して何の感情も持たなかった。ほんとにそうだとしたら、俺は少し辛く思うかもしれない。俺はずっと彼女を、クラスメイト、部員の一員、友達としてみてきたのだ、
「おまえは、俺のことどう思っているのだ。」
「どうって、興味はあるよ。」
「興味か……」
「周くんは、私がどう思ってた、と思ってるのかしら。」
 友達。
その言葉が肺のところでつまり、俺を呼吸できなくさせるのだ、いくら言葉を発しようと口を開けても、全身を循環した酸素が肺で止まり、声帯を鼓動させる空気は出なかった。
そしてうつろな目をした俺は無言のまま部屋を出た。
「あまね、大丈夫?顔色悪いよ。」
「二人で勉強してくれ、俺はもう帰る。」
 それ以上口を利かず、俺はエレベータに乗り込み、一階ボタンを何回も何回も押した。
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