スペ先輩と帰りたい

寿々喜節句

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第七話 くりくりまると散歩したい

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「ありがとうございましたぁ。次の方どうぞぉ」
 レジ対応を次から次へとこなしていく。
 高校入学とともに始めたコンビニでのアルバイト。もう慣れたものだ。
 最初はシフトに振り回されていたけれど、それも減っているし、遊びとバイトと学業をバランスよく出来ている。いや、学業は出来ていないかもしれない。
 今日は土曜日。朝からバイトに勤しんでいる。
 入店の音楽が流れる。反射的に声が出る。
「いらっしゃいませぇええ!?」
 レジの波が終わり、お客さんも途切れたコンビニに、一人来店したのは砂川先輩だった。
「あれ? 小花さん?」
 私に気が付いた先輩は、驚いたような表情をしていった。
 いつかはこういうことがあるんじゃないかと思っていた。少しくらいは覚悟していた。
 というのも、私の住んでいるのは東村山市なんだけど、地元の友達に会いたくないという思いがあり、バイト先に選んだのは砂川先輩の住む隣の清瀬市だったから。
 バイトを始めた当時はそんなことは知らなかったのだけれど、砂川先輩が清瀬に住んでいると聞いたときから、もしかしたらお店に来ちゃうかも、という不安は持っていた。
「え、あ、はい。ここでバイトしています」
 観念するしかない。ここで言い逃れができるわけがない。それに言い逃れたところで意味はない。
 バイト中を見られるのって恥ずかしい。別になんでもないんだけれど、そう思ってしまう。
「なになに? 金井さんの彼氏?」
 バックヤードにいたはずの店長が話に入ってきた。話し声を聞きつけてきたのだろう。
 店長はそういうところがある。他のバイトの子と、嫌だよねって話をしている。
「ち、違います!」
 すぐさま否定する。本当にやめてほしい。
「ええ、違います」
 先輩も否定する。
 私たちはそういう関係じゃない。付き合っているわけではないのだ。
「僕はただの同じ高校の先輩です。砂川という名前ですが、スぺって呼ぶ人もいます」
 先輩がぺこりと頭を下げている。
 いや、それ、自分で言うんかいッ!
「スぺ?」
 首をかしげる店長。
「はい。スペシャルのスぺです」
 眼鏡をくいっと中指で上げる先輩。
 え、気に入ってんの? 先輩ってスぺ呼び気に入ってんの?
「ふーん」
 目を細めながら砂川先輩を見る店長。興味をなくしたのだろうか、まだ疑っているのだろうか。どちらにしてもお客さんに対する態度ではない。
「ここはもういいですから、店長は仕事に戻ってください。ほらまたシフト作成でミスしますよ?」
 店長をバックヤードに押し込む。ドアを閉めるときに「ごゆっくりぃ」とかふざけたことを言ってきたので、本当にウザいなって思った。
「賑やかな職場だね」
「良く言えばそうですけれど、現状はストレスのたまる職場です」
「うん。人には相性ってあるからな。ああいう店長のような性格は小花さんには合いそうにない」
 全くもって言えている。むしろ店長と気の合う人なんているのだろうか。
 それより私と相性の合う人ってどんな人だろう? 会話が楽しくて、いつもキュンキュンさせてくれて、頭が良くて、冷静な人かな。あ、それに年上が良い。でもそんな人、全然見当たらないな。
 おっといけない、いけない。妄想を膨らませすぎていた。今は仕事中だった。
「先輩は何しに来たのですか?」
「コーヒーを飲もうと思ってね」
「へー、自販機使わないんですね」
「淹れたてがいいし、ポイントを溜めたいからな」
 そう言うと先輩はドリップのアイスコーヒーのSサイズを注文した。
「ポイントはお貯めしますか? 今一万三千ポイントありますが」
 いや、溜め過ぎじゃね? 使わないのか?
「そのままで」
 先輩はお会計を済ませると、コーヒーマシンを操作する。
「先輩は何してたんですか?」
 私は暇なので、カウンター越しに先輩に声をかける。
「犬の散歩をしてたんだ」
 そう言って先輩はガラスの向こう側を指さす。
 その先には舌を出して尻尾を振って待機しているワンちゃんがいて、こちらを見ていた。
「かわいい! あの子、先輩のラインのアイコンのワンちゃんですか?」
「ああ、そうだ。メスの柴犬で、くりくりまるだ」
「くりくりまる?」
 え、それ名前? ん? 聞き間違えた? 聞き馴染みが全然ない語感だ。
「うん。小さい頃はもっとくりくりしていて丸っこかったから、僕が名付けた」
「なかなか珍しい名前ですね」
 やはり名前だったようだ。でもかなり独特なネーミングだ。たぶん他にいないと思う。つまりあの子はスペられた犬だ。
「ただ家族を含め、みんなくりまるって呼ぶんだけど」
 先輩は心外なのだろうか。でも何となく、くりまるって呼びたくなるのもわかる。それじゃあ私はフルネームで呼んであげよう。
 待ちくたびれているのか、くりくりまるは地面にぺたりと座っている。
「それにしても、くりくりまるかわいいですね」
 変なネーミングセンスだけれど、可愛いことには変わりはない。これはたぶんスペかわいいというのだろう。
「うん、犬っていうのはかわいいな。言葉が通じない分、愛情をたくさん注ぎたくなる」
「わかります、わかります。私の家、マンションなので動物飼えないんですよ。ああ、いいなぁ」
「それは残念だな。ペットというのは癒しになるし、飼う方もたくさん気づきがあって成長できる」
「今度触らせてくださいよぉ。くりくりまる」
「ああ、くりくりまるでよかったら。それじゃあ今日のバイトは何時に終わる?」
「え? バイトですか? 夕方です。十七時ですけど」
「ちょうどいい。夕方にもう一度散歩をするから、もし小花さんに十七時以降の予定がなかったら、ここに寄ろう」
 コーヒーが出来上がったようだ。先輩はコーヒーカップに蓋をしてストローを挿した。
 ブラックで飲むようだ。私は美味しいとは思えない。
「特に予定はないです。わかりました。バイト終わりにまたくりくりまるを連れて来てください」
「わかった。じゃあまた後ほど」
 先輩はそう言って出て行った。
 それと同時に数人のお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませぇ」
 そう言いながら、先輩とくりくりまるの様子を見る。
 くりくりまるは先輩を見つけて近づこうとするけれど、リードのせいで前に進めぜず、後ろ足で立っている。
 かわいい!! ああ早くバイト終わらないかなぁ。
 そんなことを思いながら、接客をしていた。


  □◇■◆


「お疲れ様でしたぁ」
 店長と、夕方からのバイト仲間に挨拶をして、コンビニを出る。
 コンビニの角に先輩がくりくりまると一緒に待ってくれていた。
「あ、先輩。わざわざありがとうございます」
「小花さん、バイトお疲れ様。いや、どちらにしても散歩はあったから別に構わない」
 先輩はそう言って眼鏡をくいっと上げた。
「これどうぞ。差し入れです」
 本当はいけないことらしいけれど、店長は賞味期限が切れそうなドリンクを、自己責任なら持って帰っていいと言って、バイトに持って帰らせてくれる。
 今日はペットボトルのお茶を二本もらってきた。先輩と私の分だ。
 先輩は手に水の入ったペットボトルを持っていたけれど、「ありがとう」と言ってそのお茶を受け取ると。すぐに飲んでいた。
 私はこの隙に、しゃがんでくりくりまるを撫でる。
 先輩とは違って人懐っこい性格をしているようだ。
 私の膝にくりくりまるが前足を乗っけてきたり、手をぺろぺろなめたりする。
「くりくりまるは僕みたいに人懐っこいだろう?」
 先輩が言った。
「え? 本気で言っています?」
 聞き捨てならなかったので、くりくりまるを抱えながら立ち上がりツッコミを入れる。
「僕が冗談を言ったことがあったか?」
「ないですね。今日が初めてということですか?」
「だとしたら今日は記念日になるな」
「なんですかその記念日!?」
「知らない。僕が冗談を言ったとしたら記念日になるということだ」
「え、じゃあやっぱり本気で人懐っこいと思っているんですか?」
「認識のずれがあるようだな」
「そうですね。相当大きなずれですね」
「逆に僕が人懐っこくないと思う理由はなんだ?」
「あまり友達といないってことですかね」
「それは関係あるのか? それはただ顔が広いってことじゃないか?」
「でも自然と友達が増えるんじゃないですか?」
「それは社交性のことだろう」
「社交性ですか?」
「ああ。積極的に話しかけたりする社交性が高いなら、友だちは増えるだろう。僕はそれはない」
「あ、それは自覚があるんですね」
「もちろん。だけど、こうやって小花さんに話しかけられてから続いているだろう? 自分から大塚さんや狭山さんにも話しかけられたけれど、悪い印象を与えたようでもないし。だから人懐っこさはあると思う」
「うーん。まあそう言われると、そうなのかもしれないですけど……」
 私としては人懐っこい気はしないけれど、まあ先輩が自分でそう思っているならそれでいいか。
「そろそろくりくりまるのトイレの時間もある。散歩に行きたいんだけれど、一緒に歩くか?」
「はい。ぜひ」
 先輩にちょっと待ってもらって、自転車を持ってきた。
 家から少し離れているので、自転車でバイト先まで来ている。だから雨の日は辛い。
 先輩が歩き出す。くりくりまるが隣を歩いている。
 私がその後ろを自転車を押して歩く。
「くりくりまる偉いですね」
「まあお利口な方だとは思う」
「私もリードを引いてみたいです」
「構わない。じゃあ僕が自転車を押して歩こう」
 先輩とバトンタッチをする。
 そう言えば砂川先輩の私服って初めて見た。
 先輩ってジーパン履くんだ。
 あれ? ってことは私も先輩に私服を見せるのは初めてだ。やば、大丈夫かな? 変じゃないかな?
「小花さん? どうした?」
「え、あ、いや。何でもないです」
 自分の服のチェックをしていたら先輩に変に映ったようだ。服は変じゃなさそうだけれど、行動は変だったかもしれない。
「犬の散歩は慣れていないのかな?」
「はい。リードを引くの初めてです」
 小さい頃、お母さんに泣いてねだったけれど飼えなかったワンちゃん。
 少し緊張しながらリードを引く私を、くりくりまるがかわいい瞳で見ている。
 私は断然犬派。長年の夢がかなったようだ。
「大丈夫。そんな感じで歩いていれば」
 先輩は後ろから私の自転車を押して、見ながら歩いてくれている。
 くりくりまるの散歩は家族で順番にしているらしい。先輩のときはルートは決めず、歩いたことのない道を選ぶ。それでたまたま私のコンビニに来店したとのこと。偶然って怖いな。
 散歩中の先輩との会話はそれくらいしかなくて、私はずっとくりくりまるに声をかけながら歩いた。
 先輩からもらったおやつをくりくりまるにあげると飛んで喜んでいた。すごいかわいい。
 途中、くりくりまるがうんちをしたけれど、先輩がなれた手つきで処理していた。持っていた水のペットボトルは、うんちのあとを流すためのものだったようだ。
 うんちをした後のくりくりまるはドヤ顔をしていた。それを先輩が「いい子だ」と言って撫でていた。
 犬の世話をする先輩は意外だった。犬とか猫とか、ペットとかそういうものに興味がないんじゃないかと思い込んでいた。
「先輩って動物が好きなんですね」
「ああ。小さい頃はよく動物園に連れて行ってもらっていた」
「そうなんですね」
「小花さんは好きじゃないのか?」
「私も好きですよ。でもほら、マンションだから」
「言っていたな。じゃあくりくりまるとたまに散歩したらいい」
「いいんですか?」
「くりくりまるに聞いてみたらいい」
 私はしゃがんでくりくりまるを抱えた。
「ねえくりくりまる? また散歩してくれる?」
 私がそう聞くと「うん、いいよ」と頭上から変な高い声が聞こえた。
「え? 先輩?」
 先輩を見上げる。
「ん? 何か聞こえたか?」
 とぼけたふりをしている砂川先輩。ぎこちなく眼鏡をくいっと上げている。
「いえ、くりくりまるがまた散歩してもいいよって言ってくれました」
「そうか。じゃあまた散歩してやってくれ」
「はい、散歩させてください」
「それじゃあそろそろくりくりまるも疲れてくるだろうから、解散としようか」
 時刻はもう十八時になろうとしていた。
「そうしましょう。ありがとうございました。じゃあねくりくりまる」
 頭を撫でるとくりくりまるは私に飛びついて別れを惜しんでくれた。でもその時は変な高い声は聞こえなかった。
 先輩の家は反対方向にあるらしく、くりくりまると逆方向に帰っていった。
 私は二人を見送ると、自転車にまたがり、帰路についた。
 自転車をこぎながらくりくりまるの「うん、いいよ」という言葉を思い出す。
 先輩って冗談言えるんだな。もしかしたら初めて冗談を聞いたかもしれない。
 しょうがない。覚えておいてあげるか。
 先輩の冗談記念日を。
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