スペ先輩と帰りたい

寿々喜節句

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第八話 スぺ先輩を帰したい

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 帰りのホームルームの時間にスマホが揺れた。
 画面を確認すると、砂川先輩の名前が表示されていた。
 別に何かのやり取りをしていたわけではない。それなのに先輩からラインがあるというのは珍しい。
 急用かも知れない。机の下で隠しながらスマホを確認する。
――今日はバイトがあるか?
――ありません。どうしました?
 そう送るとすぐに返信があった。
――非常に申し訳ないが、一緒に帰ってほしい。
――いいですよ。よく帰ってるんですから、そんないい方しなくても大丈夫ですよ。
――助かる。じゃあまた放課後。
 助かる? 何だか言い回しが変だけれど、まあ放課後に会えばわかることだ。
 私はスマホをしまって、帰りのホームルームを聞いているふりをして過ごした。


  □◇■◆


 新は部活、みーちゃんはバイトと、スケジュールがしっかりしている二人は足早に教室を出ていった。
 私は二人に急かされることなくのんびりと帰る準備を済ませた。
 準備と言ってもノート数冊や体操服を鞄に入れるだけなんだけれど。なぜに私は遅いのか。隣の席の友達と話をしたりしているからだろうか。
 砂川先輩だったらてきぱきとするのだろう。そんな先輩はもうとっくにいつもの場所にいるかもしれない。
 私なりに急いで校舎の入り口まで向かった。
 案の定、先輩は先に到着していた。
 でもいつもと違った。砂川先輩の隣には上級生の女の人がいた。砂川先輩とはまた別の独特な雰囲気を持つきれいな人だ。
「お待たせしました……」
 少し様子を窺うように声をかける。
「ああ、その声は小花さんだね」
 砂川先輩が頭を抱えている。
「あなたが小花さんね。私は二年の窪(くぼ)ケレン。来てくれて助かるわ。どうもありがとう」
 砂川先輩の隣にいた、窪という先輩が私に気が付きニコッと笑って「サンキュ」と付け加えた。
「何かあったんですか?」
 全くもって状況がつかめない。
「ええ、大変なことがあったのよ。砂川君が体育の授業で眼鏡を割っちゃったの」
 ハリウッド女優よろしく、窪先輩は両手を広げ、大げさなポーズを取る。
 砂川先輩に目をやると「不甲斐ない」と言いながら頭を抱えていた手をどける。
 たしかに眼鏡をしていない。よく見えないのか、眉間にしわを寄せ、目を細めて周りを見ている。
 悲しい出来事だとは思うけれど、眼鏡をかけていない砂川先輩は新鮮だった。
「た、大変ですね……」
「ほんと、予備の眼鏡くらい持っておいてほしいわ。まあでも今そんなことを言ってもしょうがないわね。そこで小花さんにお願いがあるの」
「は、はい。なんでしょう?」
「砂川君を連れて帰ってほしいのよ」
 窪先輩がそう言うと、砂川先輩は「本当に申し訳ない」と頭を下げる。
「つ、連れて帰る!?」
「そう。あなたくらいしかいないのよ。小平駅までなら私も同じだからいいのだけれど、そこからは逆方向だし、それに今日は予定があるの」
 窪先輩は首をすくめる。
「そ、そうなんですか……」
 先輩は「すまない」と小さな声で言っている。
「それじゃあ私も次があるし、駅まで向かいましょう」
 私と窪先輩が前を歩き、砂川先輩が窪先輩の鞄をつかんで歩く。
 裏門のところで「段差があるから気を付けて」と窪先輩が言う。
 介助する人とされる人、そしてそれを見ている人、という図式だ。
「砂川君は今まで話しかけられる人って言ったら私くらいしかいなかったのよ」
 窪先輩が不意に話し出した
「そ、そうなんですか……」
「前に友達と思っている人がいると言っただろう。それがケレンだ」
 窪先輩はふふふと微笑んで、「私のことは下の名前で呼んでいいわよ」と私に言いウインクをした。
 誰にでもケレンと呼ばせているのだろう。
「ケレン先輩は、砂川先輩と仲がいいのですか?」
 二人の雰囲気になんとなく違和感がある。普通の友達同士という感じではない。
「仲がいいかどうかか? 難しいところだな」
 砂川先輩が言う。
「そうね。別に一緒に遊んだりする仲ではないわ」
 ケレン先輩も同意する。
「そうなんですね。なんかどういう間柄なのかなって思いまして」
「そういう意味だったら、私たちは毎回テストで学年一位を争う間柄ってところね」
 なるほど。そういう繋がりなのか。
「勝率で言ったら僕の方が高い」
「ふんっ。そんなの今のうちだけよ」
 ここで論争が始まった。「僕の方が学力は上だ」と砂川先輩が言えば、「学校生活という集団の中では天と地の差よ」とケレン先輩が言い返す。私が口をはさむ余地は一ミリもない。
 聞くに、英語に関してはケレン先輩の全勝らしい。名前や言動から何となくそう思っていたけれど、お父さんがアメリカ人で、幼い頃は海外で生活していたこともあり、英語が堪能。美しさもそれに由来するのだろう。羨ましい限りです。
 数学と理科は砂川先輩の方が得意で、国語と社会で合計点の二人の順位が決まってくる。
 もう少ししたら残念ながら一学期の期末試験がある。今から二人はバチバチとやり合っているようだ。お互い認め合っているということにしておこう。
「それにしても砂川君。少し変わったわね」
 小平駅の改札前に着いたとき、ケレン先輩が話題を変えた。
「別に何も変わっていない」
「ううん。なんだか明るくなったわ」
 ケレン先輩はそう言うと、私の耳元に顔を寄せ「あなたのおかげかもね」とささやくように付け加えた。
「ちょ、ちょっとなんですかっ!?」
「うふふ。それじゃあ砂川君をよろしくね」
 きれいな髪をなびかせてケレン先輩は改札を抜けていった。
 まったく、何を言い残していくんだ。
「ケレンは最後なんて言ったんだ?」
「え? いや、べ、別に何も言っていませんよ」
 聞くなよ先輩。答えたくない。
「そうか? まあいいや。ところで、すまないが僕を誘導してくれないか」
 先輩が申し訳なさそうに頭を下げる。
「そうでした。しょうがないですね。じゃあ鞄を掴んでください」
 先輩はありがとうと言って遠慮がちに鞄をつまんだ。
「砂川先輩? ケレン先輩のときと同じようにしていいですよ」
 そう伝えると先輩は「ありがとう」と言って鞄を掴んだ。
「ケレン先輩がやってたことなら、私もできると思っていいですからね」
「感謝する」
 ケレン先輩が特段変わったことをしていたようには思えない。私にもできるはずだ。
 先輩を誘導して普段使わないエレベーターでホームへ移動する。
 電車が来たらホームと電車の間に気を付けるようにと伝える。
 所沢駅での乗り換えでも同じことを繰り返す。
 出来ていたことが出来なくなるというのは本当に困る。健康は大切だと改めて思った。
 介助しながらの下校だったので、時間がずれ、ありがたいことにだいぶ電車が空いていた。
 二人でシートに座る。
 私は所沢駅の次の秋津駅で下車。でも先輩は帰れるのだろうか。
「先輩、清瀬駅からどう帰るのですか?」
「うん、そこが一番の問題だ。まだ答えは出ていない」
「ご両親は?」
「共働きだからこの時間は家にいない」
 これは困ったことになった。
 車内アナウンスが「次は秋津」と伝える。もう少しで到着してしまう。
 どうしたものかと考えていると先輩が何かを決心したように言った。
「あの、その、小花さん。大変申し訳ないが、家まで送ってくれないだろうか」
 先輩は腿に手をついて、かしこまったように頭を下げる。
 たしかに言いにくいことだろう。年下の女子に送ってくれなんて。
 私たちのやり取りを周りの乗客が変な目で見てくるけれど、気にしている時間はない。
「一つ質問しますね」
「質問?」
「ケレン先輩は砂川先輩の家に行ったことありますか?」
 電車が秋津駅に到着した。
 数人が下車する。
「いや、ない。それがどうした?」
 先輩は即答した。
 何人かが乗車する。
「いえ、なんとなくです。じゃあまあ送ってもいいでしょう。くりくりまるにも会いたいし」
「そうか。くりくりまるも喜ぶだろう」
 先輩は「ありがとう」と言って眼鏡を中指でくいっと上げようとしたけれど、そこに眼鏡はなく、空振りに終わった。
 私達を乗せた電車はドアを閉めると、再び走り出した。


 □◇■◆


 清瀬駅を利用するのは久しぶりだ。
 去年の夏にお祭りに行くのに下車した以来だ。
 今年も清瀬の夏祭りはあるのだろうか。花火が上がるから毎年楽しみなのだ。
「先輩はどっち口なのですか?」
「北口だ」
 お祭り会場とは逆方向なので、こちらは降りたことがない。
「道が全然わかりませんから、案内してください」
「わかった」
 清瀬駅北口はシンプルなロータリーだった。
 先輩は駅までは自転車らしいけれど、今は無理なのでバスを使って帰ることにした。
 清瀬駅発のバスについては全然わからないので、先輩に言われたとおり案内した。
 先輩の家の最寄りのバス停は三角山というらしい。童話に出てくる山の名前みたいでかわいいなって思った。
「僕の一家は二年前に今の家に引っ越してきたんだ」
 バスに揺られながら先輩が話し出した。
「そうなんですか。先輩は元々はどこにいたんですか?」
「山梨だ。小学生までは山梨にいた。それから中学になったとき父の転勤で池袋に引っ越して、高校に入るタイミングで今の家になった」
「お父さんは転勤族なんですか?」
「そこまで転勤族って程でもないんじゃないかな」
「そうなんですか。もう引っ越しはしないですか?」
「たぶんな。だから親も家を買ったんだと思う」
「そっか。それはよかったです」
「うん。高校二三年での引っ越しとかは受験に響きそうだしな」
「あ、いや、そういうわけじゃないです。まあ、でももうそれでもいいです」
「ん? そうか?」
「他に何か話題はないですか?」
 私は話しを変えたくなった。
 先輩は「そうだな」と少し考えてから、話しを始めた。
「僕の今の家は中古物件だったんだけれど、前に住んでいた人は事故死したらしい」
「え、なんで怖い話するんですか?」
 どういう神経してんの? 怖いわぁ。スぺ怖いわぁ。ほんと勘弁してくれぇ。
「怖いか?」
「怖いでしょ」
 私の答えに先輩は不思議そうにしている。
 たぶんこの人は怖いという感情を持っていないのかもしれない。
「でも息子と娘はもう大人になって家を出ていたから、亡くなったのはご夫婦二人だけだったらしい」
「人数の問題じゃないです。一家全員だったらアウトで、ご夫婦二人だったらセーフとかないです」
「それに家で死んでいたわけではない。出先で死んだらしい」
「まあそれだったら家は安心かな……でもなんか違うんだよな。問題はそこじゃないんですよ」
「うん、交通事故らしいから、交通ルールや運転手の不注意とかが問題だろうな。改善策を検討してほしいものだ」
「あーだめだ。もう全然違うわ」
 これはもう埒が明かない。この会話はスぺの最上級、スぺストだ。スぺ、スペアー、スぺストのスぺスト。いや待てよ、これは私がスぺってるわ。混乱しているかも。
 でもこんないきなり怖い話をされたのに、なぜだか嫌いにはならない。スぺが故だろう。
「もうそういう怖い話……って言っても先輩には怖くないのか。だからその、死とかについての話はタブーでお願いします」
「そうか。まあたしかにそういう話が苦手な人もいるか。すまない。配慮が足りなかった」
 そんな話をしている間に、バスは目的地の三角山に到着する。
 先輩を引いて下車する。
 道沿いに川が流れている、のどかなところだった。
 東村山市民が言うことではないけれど、清瀬市は本当に東京都なのだろうか。
 先輩があっちだこっちだ言いながら、私が先導して歩く。
 バス停からは近く、すぐに家についた。
「これが先輩の家ですか」
「ああ。助かったよ。ちょっと待っててくれ」
 そう言うと先輩は家に入っていった。
 玄関前に犬小屋があり、その中でくりくりまるが寝ていた。
 近くに行ってスマホで写真を撮ったら、シャッター音で起きてしまった。
「ごめんね」
 声をかけるとくりくりまるはゆっくり犬小屋を出てきた。あくびを一つしたら、次に伸びをした。
 そしてぶるぶると身体を揺らし毛並みを整えたら私に飛びついてきた。
 くりくりまるのモーニングルーティンなのだろう。
「ひさしぶりー。くりくりまるー」
 ロープのおもちゃがあったので、それでくりくりまると遊ぶ。
 たまに本気でロープを噛んでいて、野生を感じた。動物ってかわいくてもそういう一面をたまに見せてくる。いや、むしろこういう一面がかわいいのだ。
「悪い、待たせた」
 そう言いながら先輩が家から出てきた。
 見慣れないフレームの眼鏡をかけている。
「予備の眼鏡ですか?」
「予備ではない。中学の頃に使っていたものだ。度数があっていないけれど、ないより断然ましだ」
 久し振りにかけた眼鏡に違和感があるのか、頻繁に眼鏡をくいっと上げている。
「新しいの買わなきゃですね」
「そうだな」
「選んであげましょうか?」
「誰かに眼鏡を選んでもらうという発想はなかった。それを買うかはわからないが、僕の眼鏡に小花さんがどんなものを選択するか興味が湧いた」
「なんかやっぱやめようかな」
 スぺられた気分だ。そこはすんなり「よろしく」とかでいいじゃんか。
「え、なんで?」
「いえ、なんでも」
「いや、なんで?」
 あー出てしまった。先輩の疑問に思うと解消するまで聞き続ける癖が。地雷踏んだー。
「わかりましたわかりました。選びますから、もういいでしょ」
「え、あ、そう? ありがとう」
 私が諦めると、先輩の悪い癖は収まった。
「それじゃあ私、帰りますね」
「うん、送ろう」
「え、いいですよ。たぶん帰れます」
「いや、くりくりまるの散歩もあるし、お礼も兼ねて送らせてくれ。もちろん家まではいかない。最寄りのコンビニとかでいい」
「別に住所の特定とかは気にしていませんよ。先輩に知られたって嫌じゃないです」
 律儀だな、まったく。
「そうか。それはよかった」
「じゃあ私にリードを引かせてくれますか?」
「ああ、それはもちろん」
 先輩はくりくりまるに「散歩の時間だ」と伝える。
 くりくりまるは、散歩という言葉に反応したのか、妙にテンションが上がった。
 手際よく首輪にリードをつけ散歩に出発する。
 くりくりまるはよほど散歩がしたかったのか、急いで進もうとするので、リードを引くのが大変だ。
 先輩も「くりくりまる、今日はゆっくり行くぞ」と言って、一緒にリードを握ってくれた。
 しばらく歩くとくりくりまるも落ち着いてきて、私一人でリードを持てるようになった。
「ちゃんとしたお礼は後日させてもらう」
 先輩が言う。
「そんな大げさな。気にしなくていいですよ」
「いや、僕の気が済まない」
「そうですか。じゃあそれは勝手にどうぞ」
 日が傾いていた。夕日がきれいだった。
 先輩が帰る頃には暗くなっているだろう。
 くりくりまるを挟んで二人で夕日を背に歩いた。
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