スペ先輩と帰りたい

寿々喜節句

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第十一話 スぺ先輩に教えたい

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 今日はスぺ派特別勉強メニューを受講のために、学校が終わってから砂川先輩の家に来ている。
 ローテーブルに筆記用具と昨日清瀬の図書館で解いた模擬問題を広げる。
 砂川先輩が教科書と赤ペンを持って向かいに座る。
「さあ、始めよう」
「はーい」
 先輩は模擬問題の解説を始めた。
「あ、先輩、私そこ自分で調べました」
「ん? そうなのか?」
 昨日の図書館での特訓はすぐに終わってしまったので、帰ってから勉強をした。
 親が「テスト期間じゃないのか?」とか言ってきたのもあるけれど、思っていたよりあっけなくて不安だったというのもある。
 模擬問題を自己採点して間違っていたら正解で埋めた。
 勉強ってどこから手を付けていいかわからないけれど、模擬問題のおかげでいつもよりはるかに捗った。
「はい、一応全部やってます」
「そうか。それじゃあそれが合っているか小花さんが解説してみてくれ」
「わ、私がですか?」
「うん。間違って覚えていたら大変だからな」
「たしかにそうですね」
「それじゃあ小花さんの苦手な社会のこの問題から」
「はーい。えーっと、そこはですね……」
 それから私の解説をして、先輩が「うんうん」とうなずく。
 砂川先輩は眼鏡をまだ中学校の時のものを代用しているので、うなずく度にずり落ちて、その都度くいっと上げている。
 先輩が「合っている」とか「そうだ」とかリアクションをくれると、少しうれしくなって私の解説も調子に乗ってくる。勉強ができているかも、と錯覚してしまう。
 キーンコーンカーンコーン
 私の解説の途中で、突然チャイムが鳴った。
「よし、休憩にしよう」
 先輩がスマホをいじるとチャイムの音色が止まった。先輩がアラームをかけていたようだ。
 いや、わざわざチャイムにしなくてよくない!? 学校外で学校を思い出させないでよ!
 時計を見ると、解説を始めて九十分くらい経ったころだった。集中していたけれど、少し疲れてきたなと思っていたので、実際はありがたかった。
「はぁ疲れた」
 私は指を組んで腕を上げ、体を伸ばす。
「それにしても自分で勉強したなんて偉いな」
 先輩がコーヒーを一口飲んで言った。
「いやいや、今までのテストだって一応自分でしてましから」
「それもそうか。じゃあ偉くはないな」
 無表情で言う。というより基本無表情。
「うーん、一度偉いって言われたのを訂正されると悲しいですね」
「まあでもよくやっているとは思う。大体合っているし」
「ありがとうございます。めちゃくちゃ教科書を捲りました」
「色んな参考書があったりするが、結局教科書に書いてあることを覚えればいいだけだ」
「それが出来たら苦労しませんよ」
「そんなことはない」
「私は先輩とは違うんですから」
「違うのは当たり前だ。個体として同じものはないし、細胞分裂を繰り返しているのだから、僕自身だって毎日ちょっとずつ違う」
「あーそういうスケールじゃないです」
 急になんでスぺる? スぺスイッチどこ?
「なんにせよ、誰でもできる」
 できませんよ、と言おうと思った時、聞きたくない音色が再び聞こえた。
 キーンコーンカーンコーン
「さあ、特訓再開だ。解説の続きをしてもらおう」
「はーい。えーっと、ここからですね。これは……」
 気持ちを切り替える。
 なんだか先輩に解説して教えていくのが楽しくなってきた。


  □◇■◆


「ずいぶん遅かったなもう十時だぞ?」
「すみません。片づけをしていたので」
 昨日、先輩の家で勉強をしたとき、土日の今日明日の特訓メニューは自宅でのリモートだと聞かされた。しかも朝から。
 だからカメラに写っていいものとダメなものを片付けていた。
 砂川先輩に勉強したことを解説して教えたかったから、少し残念だ。
「あれか? 小花さんは勉強を始めようと思うと机を片付けるタイプか?」
「うーん、あまり否定はできませんが、そういうことじゃないです」
 わかる。そういうときがある。いざ勉強をしようと思うと、なぜか掃除をしたりしちゃうことがある。あれなんでだろう?
「じゃああれか? 片付けている最中に見つけた懐かしいものを見てたら時間が経っていた、というやつか?」
「そういうときもありますが、今日は違います」
 めっちゃわかるけど、何で急にあるあるネタぶち込んでくるんだ?
「そうか。僕はそういうことがないから、そういう場面に遭遇してみたかったんだ」
 画面の向こう側で、先輩が残念がっている。
 どんな知的好奇心だよ。それに遭遇したって何の意味もない。スぺ奇心だ、これは。
「それで今日はどんな勉強なんですか?」
「自習だ」
「え? 自習?」
「自分の自に学習の習と書いて自習だ。他人に指導してもらうということではなく、自分で勉強をすることを自習と言う」
「あ、いや、意味は分かってます。意味が分からなくて聞き返したわけではないです」
「そうだったのか? テレビ電話は初めてだから難しいな」
 別にテレビ電話のせいではないだろう。
 でもたしかにテレビ電話は初めてだ。いつかしましょうとは言っていたけれど、それが勉強のためとは思わなかった。
「意味じゃなくて意図ですね。どうしてリモートで自習なのか意図が知りたいです」
「僕も僕の勉強をしなくちゃいけない。でも小花さんの勉強も見る必要がある。だったら各自勉強しているがわからないときは聞ける、という体制があればいい。それでリモートだ」
「なるほど」
 たしかに先輩自身の勉強も必要だ。私ばかり見てもらっていては先輩がケレン先輩に負けてしまう。
「それに昨日、土日の分の模擬問題をわたしておいただろう? それを中心にやればいい」
「わかりました」
 なんだかんだ考えてくれている。私も自分でできるようにして点数で応えたい。
「それじゃあ始めよう」
「はーい」
 久しぶりに午前中から自分の机に向かっている。リモートではなく完全に自習だったら、もしかしたらサボっていたかもしれない。
 リモート自習は、お昼をはさんで九十分おきのチャイム休憩を取りながら夕方まで続いた。


  □◇■◆


 月曜日の昼休み。
「小花ちゃん、みーちゃん、今日は教室じゃなくて他のところで食べよ?」
 私とみーちゃんがお弁当を持って教室のいつもの角っこに腰を下ろしたら、新がきょろきょろしながら言ってきた。
「え、なんで? どうしたの?」
「なんか新、変じゃない?」
 新の言っている意味が分からない。みーちゃんも同じ様子。
「いや、なんていうか、ちょっとここじゃ都合が悪いって言うか……」
 新がしどろもどろしていると、教室の扉が勢いよく開かれた。
「新さん! お昼ご飯は私と一緒に特訓をしながら、って昨日言ったでしょ!?」
 スタイルの良いケレン先輩が、モデルウォークで私たちのところにやってきた。
「ウ、ウル先輩! い、今行こうと思ってたところっす!」
「そう? それならいいわ。さあ行くわよ」
 ケレン先輩が新の腕を掴む。そして私を見てニコッと笑った。
「スぺ派はずいぶんのんびりしてるじゃない? 知識はいつでも頭に入るのよ? ご飯を食べる時だって。一分一秒も無駄にしない私たちがこの勝負に勝つわ」
 そう言い残すと、ケレン先輩は肩を落とした新を連れて教室を出て行った。
 咄嗟のことだったというのもあったけれど、言い返すことが出来なかった。
 それにたしかにウル派に比べてのんびりしているとは思う。そういう意味でも言い返せなかった。
「なんか綺麗な人なのに、なんかもったいなくない?」
 この件に関与していないみーちゃんが、だし巻き卵を食べながら言った。
 いつの間にお弁当を広げていたのだろうか。
 ケレン先輩の挑発に少しムッとしたけれど、そんなマイペースなみーちゃんの言葉でなんだかスカッとした。


  □◇■◆


 その日の特訓は先輩の家とのことだったので、所沢駅でウル派にばれないように集合して移動した。
 だけどなぜか先輩は私を家にあげてくれず、玄関で待つように言われた。
 先輩が家から出てくると「今日の特訓は散歩に変更だ」と言って、犬小屋で寝ていたくりくりまるを起こしリードにつないだ。
「特訓が散歩ですか?」
「そうだ」
 先輩は自信満々に言うけれど、実はケレン先輩の言葉が頭に残っていて、今の特訓になんだかもやもやがあった。
 本当にこの特訓でいいのだろうか、という疑問が頭に浮かんでしまっている。
 そんな私の気持ちもつゆ知らず、くりくりまるは散歩にテンションが上がっている。
「先輩、あのですね、実は今日の昼休みにケレン先輩が私の教室に来たんです……」
 私はお昼の出来事を先輩に伝えた。でもみーちゃんの発言は言わなかった。
「なるほど、そんなことがあったのか」
「それで、なんだか私、わからなくなっちゃって……。これでいいのかなって」
「ケレンもなかなかやるな。あれはそうやって焦らせる作戦だろう」
「そうなんですか?」
「意図しているかはわからないが、結果的には挑発が成功しているからな」
「たしかに。でもどうなんですか? この特訓でいいんですか?」
「当たり前だ。スぺメソッドに間違いはない」
「そうは言っても……」
「それじゃあ今日の特訓を始める」
 先輩は私の疑問が解消されていないにもかかわらず、強引に進める。
「だから、これでいいのかまだわかってないんですって」
「第一問、太平洋赤道付近で海水温度が高くなることを何て言う?」
「え? エルニーニョ? 急に何ですか」
「正解。それじゃあその反対に低くなることは?」
「ラニーニャでしょ。だから特訓がこれでいいのかって」
 先輩が淡々と問題を出してくる。
「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約の名前とその採択された年は?」
「ワシントン条約。一九七三年。ってまだ話は終わってないんです」
「覚えているじゃないか。苦手な社会」
「え? あ、たしかに」
 無意識だったけれど、しっかり答えられていた。
「不本意だけれど、ネタバラシをしよう」
「ネタバラシ?」
 先輩が「僕のお気に入りの公園だ」と言ってくりくりまると進んでいく。
 秋津駅と清瀬駅の間に位置する西武池袋線沿いの小さな公園だった。
「お気に入りなんですか?」
「うん。天気のいい日にたまにくりくりまるを連れてきたり、一人になりたいときにここにきて本を読んでいる」
 そう言ってベンチに座ったので、私も隣に腰を下ろす。
「それで、ネタバラシって?」
「その前に謝っておこう。不安にさせて申し訳ない」
「え、あ、いや、私も冷静じゃなかったです。ごめんなさい」
 私も謝る。ちゃんと考えてくれていたはずなのに、先輩を疑り過ぎた。
「じゃあ説明しよう。まず一日目に――」
 先輩が説明を始めたとき、公園の隣を電車が通り始めた。
 すごいうるさい。先輩の声が聞こえない。
 くりくりまるが電車に向かって吠えている。
 先輩は口を閉じ、電車が通り過ぎるのを待つ。
 いや、何でここを選んだ!? 説明するには不向きじゃね?
「まず一日目に僕の家で勉強をしたのは、小花さんの学力を知るためにテストをするためだった」
 電車が去ると、何事もなかったかのように先輩が話し出す。
「ええ、そうでした。中の中でした」
「そうだ。中の中だった」
「繰り返さなくていいです」
「そして次は図書館で勉強をした。あの日は小花さんの集中力の持続を測った。九十分だった」
「あ、だからアラームが九十分おきだったんですか?」
 あのチャイムのアラーム。聞きたくないやつ。
「ああそうだ。そしてあの日はあっさり解散した。それは採点していない模擬問題を自己採点させるためだ」
「どういうことですか?」
「あっさりしすぎて物足りなさを感じただろう? だから帰ってから勉強をするはずだと思った。だから採点していない解答を持って帰らせた」
 先輩の策略だったというのか?
「でももし私が勉強しなかったらどうするつもりだったんですか?」
「次の日僕が解説するつもりだった。だからコピーを取った」
 たしかにコピーを取っていた。そういうことだったのか。
「別に私が自己採点していたって先輩が解説してもよかったじゃないですか」
「それは違う。他人に説明できるということは理解しているということ。小花さんが解説することに意味がある」
「私が理解をしているか試したのですか?」
「それもあるけれど、理解を深めて知識にするためだ。アウトプットするとインプットにつながる」
 悔しいけれど、たしかに解説していると、勉強ができた気になるし、解説したいと思ってたくさん知ろうとしてしまう。
「じゃあリモート自習の意図は何ですか?」
「小花さんの自習を見るためだ」
「どういうことですか? ストーキング的な意味ですか?」
 ちょっとぞっとした。
「いや違う。いいか? ここからがスぺメソッドの優れた点だ」
「スぺメソッドの優れた点?」
 何が言いたいのだろうか?
「放課後にケレンが狭山さんを連れて行ったという話を聞いた時、教えることの根本がわかっていないと言っただろう?」
「所沢駅で言っていましたね」
「僕は今回のこの特訓を通して小花さんに、自分で勉強する力を身につけてほしかったんだ」
「自分で勉強する力?」
 先輩の言葉を反芻する。
「そう。僕はケレンと違って強制的ではなく、自主的に勉強をしてほしいと考えた。そこで今回スぺメソッドを作る際に勉強の教え方や勉強が苦手な人たちについてたくさん調べた。その時、どう勉強していいかわからない、というのがたくさんヒットした」
「あ、それ私もそうです。勉強しても勉強法が合ってるかとか考えるとわからなくなります」
「そういう人がいるようだな。勉強なんて簡単だ。教科書を徹底的に読み込めばいい」
「それが出来たら苦労しないんですよ」
 砂川先輩はスぺだからそれができる。私はスぺではない。
「だから模擬問題を作ったんじゃないか。あれは教科書に書いてあることしか書いていない。わからなければ教科書を引くことになる」
「え? そのための模擬問題だったんですか?」
「そうだ。本屋に売っている問題集は答えが付いてくる。だから答え合わせは教科書を引かずに解答を見てしまう。それではだめだ。教科書を読み込むことが大事なんだ」
「そんなことを考えてくれていたんですか?」
「まあな。テストが終わったらネタバラシをして、今後は本屋の問題集と教科書で勉強するようにと伝えようと思っていたが、ケレンのせいでこのタイミングになってしまった。まあ自習をしているところを見せてもらった限りでは、大体身についているようだったし、今話しても特段支障はないはずだ」
「今回の勝負の後も、私が勉強を出来るようにスぺメソッドを作ったということですか?」
「ああそういうことだ。お腹が空いている人に魚を与えるのではなく釣り方を教える。それがスぺメソッ――」
 先輩が言い切る直前で、電車が公園の隣を勢いよく通り始めた。
 会話が一旦停止する。
 今回は上りと下り、どっちも来ているようで、なんだか長い。
 くりくりまるも長いこと電車に向かって吠えている。
 電車が通り過ぎ、風になびいていた私の髪も落ち着いた。
「それがスぺメソッドの神髄だ」
 いや、残念ッ! それが言いたかったのか。敗因は会場選びですね。
「そうだったんですね。なんか疑ってすみません」
「いや、僕の説明不足だった。申し訳ない」
 お互いに頭を下げる。
 なぜかくりくりまるも頭を下げていた。真似をしているのだろうか。
「よかった。安心しました。それじゃあ散歩特訓の続きをしてください」
「わかった。さあくりくりまる、散歩の続きだ。では次の問題……」
 そう言って立ち上がると、私たちは散歩をしながら出題と解答を繰り返した。
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