スペ先輩と帰りたい

寿々喜節句

文字の大きさ
上 下
10 / 20

第十話 スぺ先輩は教えたい

しおりを挟む
 砂川先輩の家の玄関前の犬小屋でくりくりまるが寝ていた。声をかけると小屋から出てきてあくびを一つして、伸びをした後、私に飛びついてきた。
 なでなでしていると先輩が「また後でな、くりくりまる」と言って私に上がるよう促した。
「またね、くりくりまる」
 私がそう言うと、くりくりまるは寂しそうな顔をして、小屋に戻っていった。
 私は靴を脱ぎ、「おじゃまします」と言ってお家に上がる。そして二階に上がり砂川先輩の部屋に入る。
 ご両親はいないようだ。
 男子の部屋に入るのは初めての経験。緊張ですごいドキドキだ。
 けれど……。
「いらっしゃい小花さん。さあこれからスぺ派特別勉強メニューの特訓を開始する」
 砂川先輩の言葉と、机やテーブルに並べられた大量の問題用紙や参考書のせいで、ロマンチックな雰囲気は微塵も感じられなかった。


  □◇■◆


 明日の木曜日からがテスト一週間前なのだけれど、勉強は早い方がいいということで、一日前にもかかわらず、特訓が始まってしまった。
 砂川先輩がテニス部に入ってしまうのも、私が道連れに入部させられるのも避けたかったので、渋々承諾した形だ。
 最初は図書館で実施しようと砂川先輩が提案したけれど、質問とか解説とかで話せないのは困ると気が付き、先輩の家での実施が決まった。
 私の部屋は来られたらいろいろと嫌なので、最初から提案しなかった。
 ファミレスでもよかったけれど、毎回だとお金もかかるし、くりくりまるにも会いたかったので、こうして学校終わりにそのまま砂川先輩の家にやって来た。
 私は犬の形をした座布団に腰を下ろし、ローテーブルに筆記用具を広げた。
「まずは小花さんがどれくらいの学力があるのか見たいから、基礎科目の模擬問題を解いてみてくれ」
 そう言って分厚いプリントを私の前に置いた。
「これ全部ですか?」
「ああ。一時間で出来るところまででいい」
 砂川先輩はストップウォッチを持っていた。なんかすごく嫌だけれど、腹をくくったわけだし、やるしかない。
「はぁ。わかりました」
 私は覚悟を決めて取り掛かった。


  □◇■◆


「はい、そこまで」
 砂川先輩の声で緊張が解かれた。
「ふぅ」
 私は後ろに手をつき、頭を上にして体を伸ばした。
「お疲れ様。ほら、カフェオレを用意した。飲めるか?」
「あ、好きです。ありがとうございます」
 テスト中に先輩が部屋を出て行ったけれど、このカフェオレを作ってきてくれたのだろう。
「美味しいです」
「そうか、それはよかった。それじゃあ採点するから、その間は休憩だ」
「はーい」
 先輩が机に向かって私の答案用紙に赤いペンを入れている。
 私は手持無沙汰になったので、先輩の部屋を探索してみる。
 本棚には何やら難しい本が並んでいる。五輪書、武士道、孫子の兵法など、手に取ってみたけれど、よくわからないものばかりだ。読む気にすらなれない。
 色々な資格や検定の本も並んでいる。壁には資格の表彰状みたいなものも飾ってあるので、学校以外の勉強もしているようだ。
 小説もいくつかあった。でも私が知っているのはハリーポッターくらいだった。
 そしてベッドの枕元には鏡の国のアリスの文庫本が置いてあった。しおりが挟んであるので、寝る前に読んでいるのだろう。
 アリスについては、名前を聞いたことがあるくらいで内容は知らない。今度貸してもらおうかな。
 テレビにはゲーム機が繋がっているけれど、私の興味のないゲームソフトばかりだ。信長の野望や三国志など。無双シリーズだったら好き。
 全体的にこざっぱりとしていて生活感はあまりない。リモコンの配置やくりくりまるの写真立てなんかも全てきちっとしている。直角ばっかりの部屋って感じ。おそらくこれをスぺ部屋と呼ぶのだろう。
「よし、終わった」
 そう言うと砂川先輩が立ち上がったので、私は急いで元の席に戻る。
「どうでしたか?」
 砂川先輩は「うん、そうだな」とつぶやき私の斜め前に座ると、答案用紙を見せて言った。
「中の中だな」
「突きつけられると悲しいですね」
「そうか? 特訓をするにはちょうどいいだろう」
「そうですか?」
「変に知識があると覚えにくかったりするらしいからな。僕にはよくわからないけれど」
「先輩はそうでしょうね……」
「何にせよ後は特訓するしかない。覚えなきゃいけないものは覚える。慣れなきゃいけないものは慣れる。それだけだ」
「それが難しいんですよ」
「そんなことはない。僕のスぺ派特別勉強メニューをもってすれば簡単なはずだ」
「誰かに教えたことはあるのですか?」
「いや、ない」
「大丈夫なんですか?」
「きっと大丈夫だ。自信はある。一週間のスぺメソッドを使えば小花さんの成績も上がるはずだ。もちろん小花さん自身の頑張りも必要だがな」
「そうですね。結局私の頑張りも重要ですよね。やれるだけやります」
「よし、それじゃあ早速、レッスンワンだ!」
 そういうと、さっきのテストの解答用紙の不正解問題を基に先輩は解説を始めた。
 いつもと違う先輩のテンションに少し戸惑いながらも、先輩の言葉をノートに書いていった。


  □◇■◆


 木曜日。
 いつものようにみーちゃんと新と三人でお弁当を食べる。
「小花ちゃんはスぺに勉強教えてもらうの?」
「え、うん。まあね」
「へーそうなんだ」
 新がぎこちなく聞いてきた。
 今日からテスト一週間前になる。もしかしたらこれはケレン先輩の指示かも知れない。スぺ派の動きをウル派は把握したいのだろう。
 しかし今の新の発言を考えると、まだ新はケレン先輩から教えてもらっていないと考えられる。教えてもらっていたら「教えてもらってるの?」という質問になるのではないだろうか。
 砂川先輩の指導法は、「本質を見ろ」というものだった。暗記教科だと思っていた社会も、世の中の仕組みの本質を見れば簡単に覚えらると解説してくれて、短時間で苦手意識が消えた。
 そんな砂川先輩の影響なのか、今の新の発言も本質は何を言いたいのか、と考えてしまった。疑って、探ってしまう。もしかしたらスぺメソッドはスぺ脳大量生産プロジェクトなのかもしれない。
「新はケレン先輩に教えてもらうの?」
「うん。ウル派成績アップコースっていうウルプログラムを作ってくれてるらしい」
 砂川先輩と似たようなことを考えてるんだな。頭が良いとそうなっちゃうのかな?
 となると、やはりまだ特訓は始まっていないということか。いや、これも作戦のうちで、実は始まっているのかもしれない。
「なんか小花、難しい顔してるじゃん」
 みーちゃんが私の腕にタッチしていった。
「え、あ、ほんと? いやあ、テストで勝負ってなかなか緊張するしね」
 いけない。考えすぎていた。
「あ、そうそう、朝スぺに声かけられたんだけど、小花ちゃんが負けた場合、スぺと同時に小花ちゃんもテニス部に入部させてほしいって言われた」
 新が思い出しとように言う。
「え? そんなこと言ってたの!?」
 先輩、早速やりやがったな。これで私も本気の本気を出さなくちゃいけない。
「マジなんかウケるだけど。小花がテニス部とかなんかウケる」
「いやいや、まだ負けてないから。勝てばテニス部に入らないから」
「私としては別に小花ちゃんにはテニス部に入ってもらわなくてもいいんだけどね」
「いや、それはそれで嫌だな。そう言われるのはちょっと嫌だな」
 私がそう言うと三人で笑った。


  □◇■◆


 テスト一週間前の今日からは、部活動は基本的に停止になる。基本的というのは、参加したい人は参加していいという緩やかなものだから。
 完全に部活動停止となるのはテスト三日前から。公式試合が近くある場合は停止にならないけれど、テニス部はそうではないらしい。
 新はどうするのだろうか。
 ホームルームが終わってからの新の行動を注視している。
 早々に荷物をまとめている。机の横に掛けているテニスラケットを肩に担ぎ、教室を出ようとしている。
 これは部活に行く気だ。さすがスポーツ女子。新からスポーツを引いたら、ただのかわいい子しか残らない。
「ちょっと新さん? 肩に持っているのは何かしら?」
 いつの間に来ていたのか、教室のドアのところで新を立ちふさぐケレン先輩。
「ウ、ウル先輩!? お、お疲れ様っす」
「それはラケットよね? どうして持っているの?」
 新の肩に指を差しケレン先輩が訪ねる。
 言動が大げさなので、かなり威圧的に感じられる。
「えーっとっすね。あの、その、そう、しばらく使わないので、持って帰ろうって思ったんっすよ」
「なるほど。それは悪くない考えだわ。それじゃあ一緒にこれから図書室でウル派成績アップメニューの特訓をしましょう」
「は、はい……」
 新はガックシと肩を落としている。
「あら小花さん、こんにちは」
 ケレン先輩は私を見つけ声をかけてきた。
「こ、こんにちは……」
「お互いに頑張りましょうね」
 表情は笑っているが、目は笑っていない。
 ライバル心をめらめらと燃やしているのが伝わってくる。
「は、はい……」
 私は返事をするのでやっとだった。
「それじゃあ新さん、私たちはのんびりなスぺ派とは違うから早速、勉強に取り掛かりましょう」
「そ、そうっすね、ウル先輩」
 胸を張って堂々と歩くケレン先輩と、肩を落とし猫背気味の新の二人は図書室に向かって行った。


  □◇■◆


「なるほど。思惑通り、ウル派には僕たちスぺ派がのんびりしていると映っているんだな」
「そういうことだと思います」
 所沢駅の改札階で待ち合わせした私たちは、とこてらすという駅ナカの広場でお茶をしていた。
 砂川先輩の指示で、一緒にいるところを見られないようにして、必死に勉強していると思わせない、というのが狙いだ。
「それにしてもウル派のやり方はやはりケレンっぽいな」
 先輩はタリーズで買ったアイスコーヒーを飲みながら言う。
 ちなみに私はほうじ茶リスタを選んだ。
「そうなのですか?」
「ああ、頭ごなしに勉強勉強ってやらせている感じがな。僕に生徒会に入れって言ってくるのと同じで、自分の思う行動を強制的に取らせようとするところがある」
「はい、そう見えますね」
「だろう? 教えることの本質を分かっていないからそうなるんだ」
 でた、先輩の本質って言葉。 まあそんなことはいいか。
「でも先輩は私に勉強を強制的にさせないのですか?」
「勉強はやってほしいが、現実的に考えれば強制的は無理だろう。それは小花さんの自由意思決定だからな」
「たしかにそうですね」
「そこを踏まえた上で、特訓メニューは組まないといけない。それがスぺメソッドだ」
 スぺが付いたら逆に胡散臭くなるような気がしなくもないけれど、それは黙っていた。
「なるほど。そうなのですね。ちょっとわかりませんが」
 実際、スぺメソッドの実感はない。
「そのうちわかるようになる。それじゃあそろそろ行くか」
 先輩はアイスコーヒーを飲み干すとごみ箱に捨てた。
「そうですね」
 私のほうじ茶リスタはまだ残っていたので、手にカップを持って立ち上がる。
「今日は図書館で勉強だ」
「あれ? 先輩の家じゃないんですか?」
 池袋方面行きのホームに向かいながら先輩と話す。
「今日は図書館だ。解説はしない。ただ問題集を解くだけだ。そして明日は僕の家で今日の問題の解説をする。明後日のことはまた明日伝える」
「毎回違うのですか?」
「あまりバリエーションはないけれど、工夫をするつもりだ」
「そういうの嬉しいです。勉強に前向きになれるかも」
「それはよかった」
 先輩と私はホームにちょうど来た池袋行きの各駅停車に乗り、二つ先の清瀬気に向かった。


  □◇■◆


 清瀬駅からペデストリアンデッキで直通の西友の四階に、清瀬市立駅前図書館があった。
「それじゃあ小花さん、この模擬問題集をやってくれ」
 先輩はプリントの束を差し出しながら小さい声で言った。
 図書館の学習スペースは運よく二人分の席が空いていた。
「はーい」
 私も小声で返事をする。
 先輩から教科書は持ってこなくていいと言われていたので、プリントを用意してくれているのだろうと予想はしていた。
 昨日先輩の家でやったように机に向かって問題を解いている。
 今回も基礎科目の問題だった。
 十数枚のプリントを終えたあたりで先輩を見てみる。
 向かいで先輩は参考書を使って黙々と勉強をしている。塾や予備校には通わずに成績を維持しているのはこういう真面目な素質のせいだろう、なんて先輩を見ながら考えていたら、先輩がこっちを向いた。
「集中力が切れたか?」
「少し疲れました」
「そうか、それじゃあ十分間休憩にしよう」
 意外にもあっさり休憩時間になった。
 先輩もペンを置き、参考書を閉じた。
「先輩も休むんですか?」
「ああ、丁度トイレに行きたかったしな。貴重品だけ忘れないようにすれば少しは席を空けても問題ない。小花さんも自販機でドリンクを買って休んでてもいいからな」
 そう言うと、先輩は立ち上がり、図書室を出て行った。
 時計を確認すると午後五時半過ぎだった。図書館に着いたのは四時過ぎだったので、大体一時間半くらい勉強したことになる。
 私は別にのどは乾いていなかったので、スマホをいじって時間を潰した。
「さあ、再開しよう」
 しばらくしたら先輩が戻ってきて、再び二人向かい合って黙って机に向かった。
 砂川先輩の解説は上手で、昨日先輩のお家で教えてもらったことが頭に入っていたので、今までよりも解けている気がする。
 そんなことを思いながら解答欄に答えを記入する。
 清瀬市立駅前図書館は閉館時間が午後八時までと長く空いている。
 先輩の最寄り駅に近いということもあるだろうけれど、それもここを利用する理由だろう。
 おっと、集中力が切れてしまったようだ。関係ないことを考えてしまった。
 でももうすぐで用意してもらった模擬問題が終わる。ちょっとだけ頑張ろう。
「ふう、終わりました」
 先輩の模擬問題を全て終えて達成感に浸る。
「そうか。それじゃあ終わろう」
 そう言うと先輩は鞄に参考書やノートを片付け始めた。
「え? 終わりですか?」
「ああ終わりだ」
 時刻は六時半頃。勉強を始めて二時間くらい。私にとったら長いけれど、スぺ派特別勉強メニューと聞いていたので、もう少し過酷なものを覚悟していた。
 先輩は私から模擬問題を受け取ると、コピー機で私の解答をコピーして、原本をかえしてくれた。
 私も片づけをする。
 館内では大きな声は出せないので、図書館を出てから私は先輩に質問をした。
「この後は?」
「解散だ」
 清瀬駅に向かいながら話をする。
「え? 本当に終わりですか?」
「そんなに勉強が好きだったか?」
「いや、別に、そういうわけではないですが……」
「だろう? 今日はもう用意した模擬問題も終えている。それで十分だ」
「そうなんですね。わかりました」
 清瀬駅に着く。
「それじゃあ気を付けて」
「はい。先輩も」
 時間も時間だしファミレスに寄ってもいいかなって思ったけれど、それは言わなかった。
 私は物足りなさを感じながら帰路についた。
しおりを挟む

処理中です...