婚約者に裏切られた「魔女」ですが、辺境伯閣下の「聖女」になりました

山河 枝

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1章 「魔女」が辺境伯の「聖女」になるまで

49 王宮舞踏会(3/3)

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「何ですか~? 契約書のようですが~」

「ええ、そうですわ」

 母は、笑顔でしっかりと頷いた。

「娘とのご縁と一緒に、我が家の事業ともご縁を結んでくださらない? 辺境の方はたくさんお召し上がりになりますでしょ?」

 私は、書かれている内容を読んでみた。
 そして再び倒れそうになった。

「母様!さすがにこれは図々しいわよ!」

 契約書の内容は──シャーウッド辺境伯領へ優先的に食物を売る。その代わり、他領へ売る際の倍額で買い取れ──というものだった。

 私は母を睨んでみせたが、母はどこ吹く風でアルヴィン様に微笑みかけた。

「ソフィアへのお気持ちが本物なら、我が領地を優遇すべきですわよね? 私や夫が貧しい暮らしをしていたら、ソフィアが悲しみますものね?」

「……わかった。持ち帰って署名しておこう。後日、ローグ子爵領へ送る」

「ありがとうございます! あ、契約書は何枚でもご用意できますので。紛失なさったら、おっしゃってくださいませ!」

「母様! もういい──」

 私の訴えは、またもや止められた。
 ただし、口をふさいだのは母ではなくアルヴィン様だった。

 母は少し驚いた様子を見せ、それからまた笑顔になった。

「それでは、私どもは失礼いたしますわ。閣下、ソフィアと舞踏会をお楽しみください。ソ・フィ・ア・と!」

 母は念のこもった声で繰り返すと、父を振り返った。

「あなた、元の場所に戻るわよ!」

「わ、わかった……あの、閣下。妻が、その……申し訳ございません。それで、娘をよろしく……」

「行くわよったら!」

 母は父の襟首をつかむと、そのままズルズルと引っ張り、広間の隅へと去っていった。

 そこでようやくアルヴィン様は、私の口から手を離した。
 私は急いでアルヴィン様に向き直った。

「アルヴィン様、母が失礼を──」

「いや、義理の親になる相手だからな。優遇するのは当然だ。それに、この場でローグ子爵家を軽視すれば、彼らは社交界で見下されてしまう。もちろん、君も」

 だからアルヴィン様は、母に怒ろうとする私を止めたらしい。

「ですが、私は……」

 偽物の婚約者なのに。

 言外の意思が伝わったのか、伝わっていないのか。
 アルヴィン様は私を安心させるように微笑み、口を開いた。

「ローグ子爵夫人は、君を守るために傍若無人な振る舞いをしたんだろうな」 

「え?」

「母君は、大声で婚約合意書を読み上げただろう? 俺が内容を伝えていたにも関わらず」

「はい……怒りに任せてあんなことをするなんて。お恥ずかしいです……」

「そうじゃない。婚約解消には手順が必要だと、この場の全員に知らしめてくれたんだ。もう噂を広める必要はない。君の命は、即日保障された」

「あっ……」

「それに、俺と子爵家の繋がりを強調しておけば、婚約に説得力が増す。貴族の疑念も消えたはずだ」

「疑念? もしかして……私たちの婚約は、仮初かりそめだと疑われていたのですか?」

「おそらくな。国王陛下ですら、『偽装ではないのか』とお尋ねになったくらいだ」

 そうだったのか、と私は目を丸くした。
 そして、離れた場所にいる母を、感謝を込めて見つめた。

 母はいつもの笑顔で、小さく手を振り返した。

「そろそろ、ダンスが始まる頃だ」

 アルヴィン様が周囲を見回し、呟いた。

 王宮の舞踏会では、国王陛下と王妃殿下のダンスで始まる。
 この時間は、有力貴族が共に踊ることになっている。

 今までは、私は両親と広間の隅にいた。
 作物の出来具合について、小声で話し合ったりしていた。

 しかし、今は──

「ソフィア、来なさい」

 有力貴族の筆頭であるアルヴィン様が、私に手を差し伸べている。

「はい……でも私、ダンスはあまり上手ではなくて」

「俺もだ。社交の場は胃が痛くなる。だから」

 アルヴィン様は一歩踏み出し、私の手を取った。

「祝福を持つ君が、触れていてくれ」

「……はい、アルヴィン様」

 私は、アルヴィン様の手を握り返した。
 そのままダンスの輪に引き入れられる。

 お互いに洗練された動きとは言えない。
 けれど、アルヴィン様がしっかりと支えてくれるので、軽やかに体が回る。
 風に舞う花びらになったみたいだ。

「ふふ、楽しい」

 思わず心の声がこぼれた。
 アルヴィン様の緊張した面持ちがほころぶ。

「俺もだ」

「アルヴィン様も?」

「ああ、君とだからだろうな」

 そう言われてドキッとしたけれど、私ではなく「祝福」のことだ、と思い直す。
 ダンスの輪にほかの貴族も加わり、動きが緩やかになったのを見計らって、私は口を開いた。

「癒しの力のおかげでしょうか。アルヴィン様のお役に立ててよかったです」

 まだステップは単調だ。
 なのにアルヴィン様は黙っている。
 
「アルヴィン様?」

「……なんだ?」

「具合がお悪いのですか?」

「まさか。君の祝福のおかげで、何の問題もない」

「ですが、アルヴィン様。お顔が曇っていらっしゃるような……」

「ソフィア」

 暗い表情に、困ったような笑みが差す。

「なぜ、そんなに俺の名前を呼ぶんだ」

「それは……口を慣らしているんです。『閣下』と間違ってお呼びしないように」

 本当は名残惜しいから。
 私はもうすぐ彼の城を出て、修道院へ戻る。

 いや、「シャーウッド辺境伯の婚約者」になった今なら、大手を振って社交場に出られる。
 実家に帰っても問題はない。

 そして、時機を見て婚約を破棄する。
 本当の辺境伯夫人のために。

(でも、それまでは……)

 恋人のふりをしていたい。

「アルヴィン様」

「なんだ?」

「もう少し、体を寄せてもよろしいですか? その方が仲睦まじく見えますから」

「ああ、そうだな。そうしよう」

「アルヴィン様」

「なんだ?」

「……やっぱり、何でもありません」

 そう答えると、アルヴィン様の唇からかすかな笑い声がこぼれた。
 私は、彼の胸元に頬を寄せながら、そっと顔を伏せた。
 顔を見ていると離れがたくなってしまう。

 その代わり、いつか呼べなくなる名前を心で呼んだ。

(アルヴィン様。アルヴィン様。アルヴィン様……)

 過ぎていく時間のすべてを覚えていられるように、アルヴィン様の動作に、声に、意識を集中させる。
 息づかいさえ聞き逃さないようにしていた、だから。

 彼が、ほかの女性のことを考えていたなんて、思いもしなかった。

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