婚約者に裏切られた「魔女」ですが、辺境伯閣下の「聖女」になりました

山河 枝

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2章 「聖女」が辺境伯を救うまで

99 逆転の始まり(シドニー視点)

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  ◇

 馬車の中、向かいの席に座る母上が、ふうっと息をついた。

「ねえ、シドニー。そろそろ辺境伯の城が落ちる頃じゃないかしら」

 侍女に汗を拭かせる母上は、布地たっぷりの重たいドレスを着ている。
 湿った空気のせいで、余計に蒸し暑いのだろう。

 ここはアルヴィンの城からかなり北の方で、豪雨に降られることはなかったが、それなりに影響はあった。

「そうですね。雨で軍の足が止まっていましたが、雲が晴れてきたようですし。まもなく兵士がアルヴィンを捕えて、帰ってくるでしょう。アルヴィンは、首から下がないかもしれませんが」

「まあ……ふふふ」
 
 俺と母上は、笑みを交わした。

 逃げ道は塞いでいないが、アルヴィンは脱出しないだろう。
 あいつは地下室の呪術の跡を隠すため、必死に抵抗するに違いない。

 だが、もはやアルヴィンの敗北は時間の問題だ。

 奴を捕えるために城へ突撃したら、兵たちが呪術師どもを斬る手筈になっている。
 そうすれば呪術師どもの死体が、辺境伯の城に転がる。
 そして、地下室には呪術の痕。

 さらに、呪術の代償に使った罪人は、辺境伯領で捕らえたという記録が残っている。
 あの優柔不断な国王でさえ、「アルヴィンは禁忌に手を出した大罪人だ」と考えるはず。

 大罪人を打ち倒せば、俺は英雄。
 英雄の望みに反対する者はいるまい。

 シャーウッド辺境伯領と聖女を手にするまで、あと少しだ。

(まったく……ケチな父上のせいで、苦労する羽目になった。前妻の子の兄上には王位を譲ったくせに、俺にはわずかな領地しか遺さないなんて。母上は王太后だぞ。俺が国王でもいいくらいなのに)

 内心で愚痴をこぼしていると、不機嫌が顔に出てしまったのか、母上が気遣わしげに尋ねてきた。

「どうしたの、シドニー。あなたも疲れたの? 兵士がモタモタしているからね。もっと急ぐように、前線へ伝令をやりましょう」

 母上はパンパン!と手を叩いた。
 馬車の扉が、すぐに開く。
 
 そして現れた兵士は、母上の護衛ではなかった。

 全身、汗と泥まみれ。
 しかも、ひたいから血を流している。

「な、なんだお前は! 離れろ、馬車が汚れるだろうが!」

 俺はそいつを怒鳴りつけたが、相手は俺ではなく、別の何かに怯えるように叫んだ。
 
「大公閣下、前線より報告です! 我が軍は劣勢、拠点まで押し戻されています!」

「劣勢って……何を言ってる? もうすぐアルヴィンの城を落とせるんだろう⁉︎」

 俺は兵士を突き飛ばし、馬車の外へ出た。
 ついさっきまで、陥落は目前だった。
 この目で見なければ信じられない。

 小雨が降る中、アルヴィンの城の方を、じっと見つめる。
 兵士の言った通り、敵味方全体が、こちらへ移動しているのがわかった。

 俺と母上の軍が、押されているのだ。
 
「なぜ……なぜだ! 何が起きてる⁉︎」

「狼の群れです!」

 泥まみれの兵士が、俺に向かって喚いた。

「およそ千匹もの黒い狼が、突然城から飛び出してきたのです! 奴らは兵士に襲いかかり、我が軍を押し返しています!」

「お、狼がなんだ! 呪術はどうした⁉︎ 罪人がいなければ負傷兵を使え!」

「呪術も効きません! すばやく動き回るので、剣や弓矢では捉えられず……馬は怯えており、騎兵は使いものになりません! もう、打つ手がないのです!」

「何だと……⁉︎」

 なぜだ。
 なぜ、こうなった。

 混乱する頭に浮かぶのは、とにかく逃げなくては、ということだけ。
 俺は馬車へ逃げ込み、「早く大公領へ戻れ」と御者を急かした。
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