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17 使用人たちの懸念
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懸命に頭を回転させて、ナンシーへの返事をしぼり出す。
「えっと……部屋がボロボロになる、夢よ」
私は嘘をついた。部屋がボロボロだったのは本当だけれど、あれはおそらく夢じゃないから。
「あら、大変! 窓が割れたり、タンスが倒れたり?」
「そ、そうね。そんな感じだった」
「それはそれは……暴漢が暴れ回ったあとみたいですわね」
ナンシーの言葉に、私はハッとした。
たしかにそうだ。なぜ気付かなかったのだろう。
アレンの言葉には、おかしな点がある。
そもそも、あの世界は夢じゃない。なぜかはわからないけれど、私は過去へ行ったのだ。天使の木彫り人形が、その証拠。
それなら、超人的な力を持つ子どももいないだろう。だから、
『オスカーが悪いんだ』
という言葉は変だ。あんなに部屋をボロボロにするなんて、たった7歳の子どもにできるわけがない。
(アレンが嘘をついたのかしら)
アレンへの疑いが、かすかに生まれる。
対して、オスカーへの疑念は薄れていた。ナンシーが口にした「暴漢」という言葉は、彼にはまるで似合わない。
朝食をすませ、支度を終え、オスカーの仕事部屋を訪れたあとも、「オスカーは暴れたりなんかしない」という考えは変わらなかった。むしろ強まったくらいだ。
「アリス、今日もよろしく頼む」
そう言って書類を差し出した腕は、庭師や馬丁、料理長よりもひと回りは細い。
こんな腕で家具を倒すのは、相当骨が折れるに違いない。
男性にしては華奢なその手から、書類を受け取る。昨日と同じように作業を進めていると、ふいにため息が聞こえた。
私は書類から目を上げた。まぶたを伏せたオスカーが、椅子の背にもたれている。
「お疲れでございますね。一旦、ご休憩なさっては?」
微笑むジェイクが、優しい声でオスカーに話しかける。老執事の気遣いに、オスカーは首を振った。
「別に平気だ。アリスも気にしないでくれ」
オスカーを見ていたことに気付かれていた──恥ずかしくて、とっさに視線を書類へ戻した。
けれど、ジェイクは引き下がらない。にこやかにオスカーへ尋ねている。
「お茶を淹れてまいりましょうか?」
「いや、いい」
「ですが、少しご休憩なさった方がよろしいのでは?」
「ここでじっとしているなんて、時間の無駄だ」
「では、いいお天気ですし、奥様とお散歩なさってはいかがでしょう?」
「……お前、なんだって今日はそんなにしつこいんだ」
と、オスカーがいら立たしげに言ったのと、私が再び顔を上げたのは同時だった。
オスカーは、不機嫌そうに顔をしかめていた。けれど、すぐさま不可解そうに眉を寄せた。
きっと、ジェイクが予想外のものを見ていたからだ。
ジェイクが見ていたのは、仕事部屋の奥にある簡易ベッド。「とりあえず置きました」とでもいうように、不自然な存在感を放っている。
今はオスカーが使っているらしい。……寝室を、私と別にしたから。
私はモヤモヤとしながらも、ジェイクの気持ちを察した。たぶん、オスカーにもわかっただろう。
──屋敷を改装するほどに愛する奥様と、なぜ寝室を別にするのですか──
ジェイクの目は、そう言っていた。
思い返せば、今朝はナンシーも何か言いたげだった。
寝言騒ぎでうやむやになってしまったけれど、朝食後、私の髪を結っている間、
『旦那様は、三つ編みはお好きじゃありませんでしたかねえ』
と、呟いていた。私が1人で眠った、大きなベッドをちらちらと横目で見ながら。
このままでは、使用人のみんなに心配をかけてしまう。手を打った方がいい。
私はできるだけ晴れやかな笑顔をつくって、オスカーに近付いた。
「オスカー、ジェイクもこう言っていますし、ちょっとだけ休憩しませんか?」
オスカーは私の顔を見て、小さく息をのんだ。けれど、すぐに目をそらして、なぜか赤面しながらモゴモゴと呟いた。
「急ぎの仕事なんだ。風邪でもひいたならともかく、疲れ程度じゃ休めない」
「少しくらいなら大丈夫ですよ」
私はオスカーの耳元に口を寄せた。
「ア、アリス、近いよ!」
「オスカー、静かに。……私たちが不仲だと、使用人の仕事に支障が出るかもしれません」
そうささやくと、顔を赤らめたオスカーも、小声で聞き返してくる。
「どういうことだ?」
「みんな、あなたが結婚したことをとても喜んでいるんですよ。なのに、本当は愛のない結婚だと知ったら、少なからず動揺すると思いませんか?」
「それは……そうかもしれないが。まさか、そんなことで」
「若いメイドはどうでしょう?」
私が顔を火照らせただけで、歓声を上げてはしゃいでいた。彼女らが真実を知ったら、かなりショックを受けそうだ。
そのショックは、オスカーへの反感に繋がりかねない。「私たちの主人は、世間知らずの令嬢をたぶらかした不届き者だ」と。
同じ光景をオスカーも想像したらしい。机にひじをつき、ひたいを押さえている。
「うちの使用人は、半分がメイドなんだ……」
ひとりごとのようにうめくと、オスカーはゆっくり立ち上がった。
「ジェイク、少し歩いてくるよ……アリスと2人で」
「はい、ぜひ行ってらっしゃいませ!」
しわだらけの顔をさらにしわくちゃにしたジェイクに、心の中で苦笑する。そんな私の肩を、オスカーが叩いた。
「でも、暇じゃないのは本当なんだ。だから、街を散策する時間は取れない。代わりに屋敷を案内するよ。それでいいかな?」
「はい、ありがとうございます」
オスカーを言い負かしたような後ろめたさはあったけれど、仕事以外の時間も彼と過ごせるのだと思うと、心が浮き立つのを止められなかった。
(なんだか、仲のいい夫婦みたい)
勝手にゆるんでいく頬を、叱るように小さく叩き、オスカーのあとに続いて仕事部屋を出た。
「えっと……部屋がボロボロになる、夢よ」
私は嘘をついた。部屋がボロボロだったのは本当だけれど、あれはおそらく夢じゃないから。
「あら、大変! 窓が割れたり、タンスが倒れたり?」
「そ、そうね。そんな感じだった」
「それはそれは……暴漢が暴れ回ったあとみたいですわね」
ナンシーの言葉に、私はハッとした。
たしかにそうだ。なぜ気付かなかったのだろう。
アレンの言葉には、おかしな点がある。
そもそも、あの世界は夢じゃない。なぜかはわからないけれど、私は過去へ行ったのだ。天使の木彫り人形が、その証拠。
それなら、超人的な力を持つ子どももいないだろう。だから、
『オスカーが悪いんだ』
という言葉は変だ。あんなに部屋をボロボロにするなんて、たった7歳の子どもにできるわけがない。
(アレンが嘘をついたのかしら)
アレンへの疑いが、かすかに生まれる。
対して、オスカーへの疑念は薄れていた。ナンシーが口にした「暴漢」という言葉は、彼にはまるで似合わない。
朝食をすませ、支度を終え、オスカーの仕事部屋を訪れたあとも、「オスカーは暴れたりなんかしない」という考えは変わらなかった。むしろ強まったくらいだ。
「アリス、今日もよろしく頼む」
そう言って書類を差し出した腕は、庭師や馬丁、料理長よりもひと回りは細い。
こんな腕で家具を倒すのは、相当骨が折れるに違いない。
男性にしては華奢なその手から、書類を受け取る。昨日と同じように作業を進めていると、ふいにため息が聞こえた。
私は書類から目を上げた。まぶたを伏せたオスカーが、椅子の背にもたれている。
「お疲れでございますね。一旦、ご休憩なさっては?」
微笑むジェイクが、優しい声でオスカーに話しかける。老執事の気遣いに、オスカーは首を振った。
「別に平気だ。アリスも気にしないでくれ」
オスカーを見ていたことに気付かれていた──恥ずかしくて、とっさに視線を書類へ戻した。
けれど、ジェイクは引き下がらない。にこやかにオスカーへ尋ねている。
「お茶を淹れてまいりましょうか?」
「いや、いい」
「ですが、少しご休憩なさった方がよろしいのでは?」
「ここでじっとしているなんて、時間の無駄だ」
「では、いいお天気ですし、奥様とお散歩なさってはいかがでしょう?」
「……お前、なんだって今日はそんなにしつこいんだ」
と、オスカーがいら立たしげに言ったのと、私が再び顔を上げたのは同時だった。
オスカーは、不機嫌そうに顔をしかめていた。けれど、すぐさま不可解そうに眉を寄せた。
きっと、ジェイクが予想外のものを見ていたからだ。
ジェイクが見ていたのは、仕事部屋の奥にある簡易ベッド。「とりあえず置きました」とでもいうように、不自然な存在感を放っている。
今はオスカーが使っているらしい。……寝室を、私と別にしたから。
私はモヤモヤとしながらも、ジェイクの気持ちを察した。たぶん、オスカーにもわかっただろう。
──屋敷を改装するほどに愛する奥様と、なぜ寝室を別にするのですか──
ジェイクの目は、そう言っていた。
思い返せば、今朝はナンシーも何か言いたげだった。
寝言騒ぎでうやむやになってしまったけれど、朝食後、私の髪を結っている間、
『旦那様は、三つ編みはお好きじゃありませんでしたかねえ』
と、呟いていた。私が1人で眠った、大きなベッドをちらちらと横目で見ながら。
このままでは、使用人のみんなに心配をかけてしまう。手を打った方がいい。
私はできるだけ晴れやかな笑顔をつくって、オスカーに近付いた。
「オスカー、ジェイクもこう言っていますし、ちょっとだけ休憩しませんか?」
オスカーは私の顔を見て、小さく息をのんだ。けれど、すぐに目をそらして、なぜか赤面しながらモゴモゴと呟いた。
「急ぎの仕事なんだ。風邪でもひいたならともかく、疲れ程度じゃ休めない」
「少しくらいなら大丈夫ですよ」
私はオスカーの耳元に口を寄せた。
「ア、アリス、近いよ!」
「オスカー、静かに。……私たちが不仲だと、使用人の仕事に支障が出るかもしれません」
そうささやくと、顔を赤らめたオスカーも、小声で聞き返してくる。
「どういうことだ?」
「みんな、あなたが結婚したことをとても喜んでいるんですよ。なのに、本当は愛のない結婚だと知ったら、少なからず動揺すると思いませんか?」
「それは……そうかもしれないが。まさか、そんなことで」
「若いメイドはどうでしょう?」
私が顔を火照らせただけで、歓声を上げてはしゃいでいた。彼女らが真実を知ったら、かなりショックを受けそうだ。
そのショックは、オスカーへの反感に繋がりかねない。「私たちの主人は、世間知らずの令嬢をたぶらかした不届き者だ」と。
同じ光景をオスカーも想像したらしい。机にひじをつき、ひたいを押さえている。
「うちの使用人は、半分がメイドなんだ……」
ひとりごとのようにうめくと、オスカーはゆっくり立ち上がった。
「ジェイク、少し歩いてくるよ……アリスと2人で」
「はい、ぜひ行ってらっしゃいませ!」
しわだらけの顔をさらにしわくちゃにしたジェイクに、心の中で苦笑する。そんな私の肩を、オスカーが叩いた。
「でも、暇じゃないのは本当なんだ。だから、街を散策する時間は取れない。代わりに屋敷を案内するよ。それでいいかな?」
「はい、ありがとうございます」
オスカーを言い負かしたような後ろめたさはあったけれど、仕事以外の時間も彼と過ごせるのだと思うと、心が浮き立つのを止められなかった。
(なんだか、仲のいい夫婦みたい)
勝手にゆるんでいく頬を、叱るように小さく叩き、オスカーのあとに続いて仕事部屋を出た。
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