「君とは契りを結ばない」と言った夫は、悲しい秘密を持っていた

山河 枝

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22 夢の少年③

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 足元には、お決まりのように毛布の小山。

「アレン」

 呼びかけると、ゆっくりと毛布が持ち上がる。青い瞳が私をとらえた──と思った途端、アレンは毛布を跳ね飛ばして、私のもとへまっしぐらに突進してきた。

「アリスっ!」
「きゃっ⁉︎」

 軽い衝撃に足がよろめく。
 お互いに体勢を立て直すと、アレンは私の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きついてきた。

「よかった。この前も急にいなくなったから、どうしたのかと思った」
「あ……ごめんね、びっくりしたよね」

 自分ではどうしようもないことだけれど、私は謝った。「体が勝手に元の世界へ戻ってしまうの」とアレンに言っても、信じないだろうから。

「ねえ、どうしていきなり帰っちゃったの?」
「えっと……ちょっと、急ぎの用事を思い出して」

 早くオスカーのことを聞きたくて、適当な嘘を口にする。すると、アレンはぐりぐりと頭をこすりつけてきた。
 少しほつれた黒髪が、私の鎖骨をくすぐる。

(寂しかったのかな?)

 慰めるように、やわらかく頭をなでてやる。
 そうしていると、アレンは満足したのか、私を解放してくれた。そして、嬉しそうにこっちを見上げてきた。

「今日は、急ぎの用事はない?」
「えっと……どうだったかしら」
「ないなら遊ぼうよ。かくれんぼしよ?」
「えっ……」

 焦りから、つい眉をひそめてしまった。
 少しでもオスカーの話を聞きたいのに。いつ現実に戻ってしまうかわからないのだ。

「わ、私は大人だから、この部屋で隠れるのは難しいと思うな」

 18にしては背が低いけれど、アレンよりは頭一つ大きい。アレンは私をじっと見つめ、次に部屋を見回した。それで納得したのか残念そうに「そっかあ」と口を尖らせた。
 チクリ、と罪悪感が胸を刺す。だけど、今はとにかくオスカーの話だ。

「それより私、話を──」
「そうだね! お話でも楽しいよね。そこの絵本、読んでよ」

 アレンが振り向いた先には、絵本が散乱している。私はチクチクとした胸の痛みにさいなまれながら、

「だけど、もう何度も読んだんじゃないの? 私が読むのを聞いたって、つまらないわよ」

 と、苦笑してみせた。すると、アレンの表情が明らかに陰った。

「……読んだことない」
「どうして?」
「父さんと母さんは、おれには絵本を読んでくれないし。字も教えてくれないから」

 アレンは拳を握り、うつむいた。
 伏せた目の向こうに、寂しさが揺れているのがわかった。

 どうして、という問いを、私は喉から出せなかった。
 この間、「おうちの人は部屋を片付けないの?」と尋ねた時、彼はあまり話したくないようだった。こっちから、あれこれ聞かない方がいいかもしれない。

「そうなのね……だけどそれなら、学校とか教会は? 勉強を教えてくれるでしょう?」

 特に教会は、貧しい子どもに対しても、慈善で読み書きを教えているはずだ。
 私の質問に、アレンは弱々しくかぶりを振った。

「学校って町にあるんでしょ? そんな遠いところ、先生を目指す人しか行けないよ。今はそういう人もいないから、教会にハンナ先生が来てるけど」
「ハンナ先生?」
「うん、新しい先生。この村で生まれて町で勉強した人じゃなくて、最初から町にいたんだって。そんな人が村へ来るのは、初めてらしいよ……おれは、話したことないけどさ」
「どうして?」
「先生は、『《天使》なんかいない』って言うから。先生としゃべろうとしたら、母さんが『あの娘は頭がおかしい、関わるんじゃないよ』って怒るんだ。だからおれ、先生と話したことはないし、字も教われないんだよ」
「天使?」

 脈絡なしに出たその単語を、私はくり返した。

「そうだよ。アリスの村でも、時々生まれるでしょ?」
「天使が⁉︎」
「うん、《天使》が」
「い、いいえ。私は見たことはないわ」
「そうなの?」
 
 アレンはびっくりしたように眉を上げたが、驚いたのは私の方だ。
 天使が生まれることを、当たり前のように言うなんて。

 頭の中は疑問だらけだ。けれど、何から聞けばいいのだろう。
 ひとまずぼんやりと見えてきたのは、この家がどんな場所にあるのか、ということくらいだ。
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