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23 悪意のない裏切り
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難なく言葉が通じるのだから、きっとここは国内だ。だけど学校がないということは、都会じゃない。
しかも、谷間や森の奥など、孤立した環境にあるのだろう。
(宗教観が、かなり独特だもの)
天使とは、その名の通り天からの使者だ。肉体を持つ生き物じゃない。
けれど、この村で天使といえば、まったく別物の《天使》を指すらしい。
アレンは、「《天使》が時々生まれる」と言った。つまり彼の周りには、《天使》と呼ばれる動物がいるのだ。いや、もしかしたら人間かも……。
頭の中で考えをめぐらせていると、アレンはまた話し出した。
「おれも《天使》になりたいなあ。おればっかり、畑の草引きとか牛の餌やりとかやらされるんだよ。だから、昼間はずっと外! オスカーとは正反対」
オスカーと聞いた私は、反射的に床へ膝をつき、毛布越しにアレンの肩をつかんだ。
「ど、どうしたの? アリス」
「ねえ、アレン。オスカーは正反対ってどういうこと?」
「どうって……あいつはおれと違って、昼間はずっと家にいるんだよ。だって《天使》だもん」
「オスカーが《天使》……」
すると、急にアレンは不機嫌そうに顔をしかめて、ぼそっと言った。
「おれ、あいつ大っ嫌いだ」
「えっ……どうして?」
私は驚いて聞き返した。アレンの言い方は、子どものものとは思えないほど刺々しかった。
私の質問を待っていたのか、アレンは堰を切ったように話し始めた。
──オスカーは、おれのごはんとか服を盗むんだ。丸1日、何も食べられなかった時もある。
──あいつは気に入らないことがあると、虫の翅をもいでバラバラにしてるよ。ネズミに物を投げつけて殺して、死骸をナイフでめった刺しにしたりもする。
──おれにもろうそくの火を向けてきたり、ナイフを持って追いかけてきたり……「やめて!」って叫んだら、あいつ、ゲラゲラ笑ってた。
── やり返すなんて、怖くてできないよ。一度、追いかけてくるオスカーを突き飛ばしたら、父さんがおれを殴ったんだ。何回も、何回も。顔が腫れて、しばらく目を開けられなかった。
──母さんも毎日、「オスカー、オスカー」。最近は、全然おれの名前を呼んでくれない。
──オスカーは服とかごはんだけじゃなくて、父さんと母さんも取っちゃったんだ。
アレンの話を聞きながら、私はただ相づちを打つことしかできなかった。
「そんなことがあったの……」
「そうなんだよ! それからね、オスカーの奴、冬なのに『さくらんぼが食べたい』って言ったこともあるんだ」
それを聞いた両親は服を着込み、アレンにも上着を着せた。それから3人で外へ出ると、
『お前は町の青果店を見てきなさい』
と、アレンに言いつけた。アレンは雪が降りしきる中、半日かけて町へ走ったという。ありもしないさくらんぼを探し求めて。
「馬鹿みたいでしょ。だけど、しょうがないんだよ。走ってないと寒いんだもん。1人で家に戻ったらオスカーが暴れるし。町に行ってないってばれたら、また父さんに殴られるし」
「……」
私は、ついに何も言えなくなった。
自分は両親からないがしろにされていると、そう思ってきた。
だけど、アレンはその比じゃない。彼の受けた仕打ちは、親が子に与えるものとは思えない。
(アレンのお父さんたちは、そんなにオスカーが大事なのかしら。自分の子どもよりも……)
それとも、アレンとオスカーは兄弟なのだろうか。だとしたら、アレンの両親がオスカーを大切にする気持ちは、わからなくはない。
ただ、程度が行きすぎている。アレンを死ぬような目にあわせても、オスカーを優先させるなんて。
そんな両親の影響なのか、この世界のオスカーまで、アレンにきつく当たるようだ。それどころか、ナイフを持って追いかけ回したり……アレンを同じ人間だと思っていないのだろうか。
(だけど、あのオスカーがそんな子どもだったなんて信じられない)
あの人が、夜会で私を助けてくれたことは夢じゃない。「ほかに愛する人がいる」と言いながら、私を迎える準備をしてくれたことは、嘘じゃない。
「オスカーにも、事情があったのよ……」
ふと、ひとりごとを漏らした。それを聞き取ったアレンの顔が、見る間に青ざめていく。
「アリスまで、そんなこと言うの……?」
消え入りそうな呟きが、小さな唇からこぼれた。私は頬を張られたような心地だった。
今の自分の発言は、アレンの話を疑ったも同然だった。
彼は傷ついたはずだ。裏切られたと思ったはずだ。
私は、愕然とするアレンの肩をさすって、急いで謝った。
「ごめんね、今のは違うの。そんなつもりじゃなくて……あっ、そうだ! 絵本を読んでって言ってたよね」
彼を元気づけようと、落ちている絵本に駆け寄る。
すばやく拾い上げようとして、慌てて手を引っ込めた。
黒い汚れがこびりついた表紙から、何枚かのページがはみ出している。綴じ糸から外れたのだろう。
バラバラに崩れないように、おそるおそる手を伸ばした時──。
(そんな……!)
ぐるりと回った視界が、じわじわと闇に食われていく。
待って、待って。あともう少し。このままじゃアレンがかわいそう。せめて本を読んであげたい。
祈りも虚しく、いつの間にか私は、広々としたベッドに横たわっていた。
しかも、谷間や森の奥など、孤立した環境にあるのだろう。
(宗教観が、かなり独特だもの)
天使とは、その名の通り天からの使者だ。肉体を持つ生き物じゃない。
けれど、この村で天使といえば、まったく別物の《天使》を指すらしい。
アレンは、「《天使》が時々生まれる」と言った。つまり彼の周りには、《天使》と呼ばれる動物がいるのだ。いや、もしかしたら人間かも……。
頭の中で考えをめぐらせていると、アレンはまた話し出した。
「おれも《天使》になりたいなあ。おればっかり、畑の草引きとか牛の餌やりとかやらされるんだよ。だから、昼間はずっと外! オスカーとは正反対」
オスカーと聞いた私は、反射的に床へ膝をつき、毛布越しにアレンの肩をつかんだ。
「ど、どうしたの? アリス」
「ねえ、アレン。オスカーは正反対ってどういうこと?」
「どうって……あいつはおれと違って、昼間はずっと家にいるんだよ。だって《天使》だもん」
「オスカーが《天使》……」
すると、急にアレンは不機嫌そうに顔をしかめて、ぼそっと言った。
「おれ、あいつ大っ嫌いだ」
「えっ……どうして?」
私は驚いて聞き返した。アレンの言い方は、子どものものとは思えないほど刺々しかった。
私の質問を待っていたのか、アレンは堰を切ったように話し始めた。
──オスカーは、おれのごはんとか服を盗むんだ。丸1日、何も食べられなかった時もある。
──あいつは気に入らないことがあると、虫の翅をもいでバラバラにしてるよ。ネズミに物を投げつけて殺して、死骸をナイフでめった刺しにしたりもする。
──おれにもろうそくの火を向けてきたり、ナイフを持って追いかけてきたり……「やめて!」って叫んだら、あいつ、ゲラゲラ笑ってた。
── やり返すなんて、怖くてできないよ。一度、追いかけてくるオスカーを突き飛ばしたら、父さんがおれを殴ったんだ。何回も、何回も。顔が腫れて、しばらく目を開けられなかった。
──母さんも毎日、「オスカー、オスカー」。最近は、全然おれの名前を呼んでくれない。
──オスカーは服とかごはんだけじゃなくて、父さんと母さんも取っちゃったんだ。
アレンの話を聞きながら、私はただ相づちを打つことしかできなかった。
「そんなことがあったの……」
「そうなんだよ! それからね、オスカーの奴、冬なのに『さくらんぼが食べたい』って言ったこともあるんだ」
それを聞いた両親は服を着込み、アレンにも上着を着せた。それから3人で外へ出ると、
『お前は町の青果店を見てきなさい』
と、アレンに言いつけた。アレンは雪が降りしきる中、半日かけて町へ走ったという。ありもしないさくらんぼを探し求めて。
「馬鹿みたいでしょ。だけど、しょうがないんだよ。走ってないと寒いんだもん。1人で家に戻ったらオスカーが暴れるし。町に行ってないってばれたら、また父さんに殴られるし」
「……」
私は、ついに何も言えなくなった。
自分は両親からないがしろにされていると、そう思ってきた。
だけど、アレンはその比じゃない。彼の受けた仕打ちは、親が子に与えるものとは思えない。
(アレンのお父さんたちは、そんなにオスカーが大事なのかしら。自分の子どもよりも……)
それとも、アレンとオスカーは兄弟なのだろうか。だとしたら、アレンの両親がオスカーを大切にする気持ちは、わからなくはない。
ただ、程度が行きすぎている。アレンを死ぬような目にあわせても、オスカーを優先させるなんて。
そんな両親の影響なのか、この世界のオスカーまで、アレンにきつく当たるようだ。それどころか、ナイフを持って追いかけ回したり……アレンを同じ人間だと思っていないのだろうか。
(だけど、あのオスカーがそんな子どもだったなんて信じられない)
あの人が、夜会で私を助けてくれたことは夢じゃない。「ほかに愛する人がいる」と言いながら、私を迎える準備をしてくれたことは、嘘じゃない。
「オスカーにも、事情があったのよ……」
ふと、ひとりごとを漏らした。それを聞き取ったアレンの顔が、見る間に青ざめていく。
「アリスまで、そんなこと言うの……?」
消え入りそうな呟きが、小さな唇からこぼれた。私は頬を張られたような心地だった。
今の自分の発言は、アレンの話を疑ったも同然だった。
彼は傷ついたはずだ。裏切られたと思ったはずだ。
私は、愕然とするアレンの肩をさすって、急いで謝った。
「ごめんね、今のは違うの。そんなつもりじゃなくて……あっ、そうだ! 絵本を読んでって言ってたよね」
彼を元気づけようと、落ちている絵本に駆け寄る。
すばやく拾い上げようとして、慌てて手を引っ込めた。
黒い汚れがこびりついた表紙から、何枚かのページがはみ出している。綴じ糸から外れたのだろう。
バラバラに崩れないように、おそるおそる手を伸ばした時──。
(そんな……!)
ぐるりと回った視界が、じわじわと闇に食われていく。
待って、待って。あともう少し。このままじゃアレンがかわいそう。せめて本を読んであげたい。
祈りも虚しく、いつの間にか私は、広々としたベッドに横たわっていた。
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