「君とは契りを結ばない」と言った夫は、悲しい秘密を持っていた

山河 枝

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50 オスカーの帰宅

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 ただ、黒ずんだ懐中時計と木彫りの天使は、いちばん大きな引き出しに入っていた。
 天使に絡まった鎖をほどいて、そっと懐中時計を持ち上げる。

(これは、オスカーが忘れていったものなのかしら)

 私があげたものを、十数年もの間、ずっと持ち続けていたのだろうか。そして、この寝室で過ごした結婚初夜、ベッドの中に落としてしまったのだろうか。

(でも、オスカーは『大ぶりの首飾りを探してる』って言ってたわ。どうしてそんな間違い……あ!)

 私は、時計の蓋を開けようとしてみた。以前と同じくビクともしない。

(火事の時、熱で金具が溶けたのかも。元からこうだと思い込んでしまったら、首飾りだと勘違いしても仕方ないか)

 考えながら、時計をなでる。汚れているように見えたけれど、手はちっとも黒くならない。
 普段から丁寧に磨かれていたのだろう。

(本当に、大切にしていてくれたのね)

 温かい湯のようなものが、全身に広がっていく。時計を胸に当て、白く光る窓を見つめ、オスカーのことを思う。
 夜はすっかり明けた。もうすぐ、彼が帰ってくる。やっと会える。

 なのに、階下からはまだ使用人たちのざわめきが聞こえてくる。それどころか、さらに騒々しくなった気がする。
 手伝いたいけれど、私が下手に手を出すと、また気を遣わせてしまう。ここで大人しくしていた方が──。

「アリスっ‼︎」

 あまりにも突然で、心臓が止まるかと思った。ドアの方を振り向くと、誰かが寝室へ駆け込んできたところだった。

「オ、オスカー?」

 1階が騒がしいと思ったら、主人が帰宅したせいだったらしい。
 オスカーは私の傍まで走ってくると、がしっと肩をつかんできた。

「無事なのか⁉︎ どこか、怪我は?」

 言いながら私の体を揺さぶる彼は、恐ろしい怪物から逃げてきた人みたいだ。青ざめた唇はわななき、目は恐怖に揺れている。

「あの、大丈夫、大丈夫です。私は平気だから、安心してください」
「でも、さっき厨房で火事があったと聞いた。君も消火に当たったと。火傷をしたんじゃないか?」
「いえ、私は……あっ」
 
 そういえばジェイクに、「ネグリジェが煤で汚れてしまった」と嘘をついたのだった。オスカーはその話を聞いたのかもしれない。

 こんなに彼が動揺するなら、別の言い訳を考えればよかった。
 だけど、言ってしまったものは仕方ない。なんとかごまかさなくては。

「オスカー、大丈夫ですよ。私の服が汚れたのは、たぶん壁が汚れていたせいでしょう」
「壁? 厨房の壁が汚れていたのか? それで、どうして君の服まで汚れる?」
「厨房に、使用人のみんなが集まってくれたんです。そうしたら中が狭くなるでしょう? 人とすれ違う時に、服が壁に当たってしまったの」
「……それだけ? 本当に?」
「ええ。心配かけてごめんなさい」

 オスカーの体から、ふうっと力が抜ける。私の肩をつかむ手が、ゆるゆると下りていく。

 かと思うと、彼はまた顔をこわばらせた。

「君、それ……」

 オスカーは、私が手にする懐中時計を、食い入るように見つめていた。
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