「君とは契りを結ばない」と言った夫は、悲しい秘密を持っていた

山河 枝

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49 騒動を離れて

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 そうだった。オスカーが帰るまでに、厨房へ運び込んだ土を、再び外へ出さなくてはならない。
 ぐったりしていた使用人のみんなは、慌てて立ち上がっていく。

(私も手伝おう)

 と、腕まくりをしようとした時、大変なことに気付いた。
 ネグリジェのをみんなに知られたら、説明のしようがない。

 急いでごまかさなくては──厨房の外にいた私は、中へ飛び込んだ。袖をまくり、裾をまとめ、おけを使って土をすくうと。

「お、奥様! おやめください!」

 ジェイクが、焦ったように駆け寄ってきた。私は顔を上げて、微笑んでみせた。

「大丈夫よ。ネグリジェがもう、すすで汚れているもの。この上から土がついたって、洗濯の手間は変わらないわ」

 そう。私の服は、胸元から裾、肩口から袖、まんべんなく汚れてしまっていた。
 手のひらや足の裏も、黒くなっている。もしかしたら顔も。

 ぼや騒ぎのせいじゃない。ほとんど厨房へ入っていないのだから。
 過去の世界で、燃え盛る家の中を歩き回り、煤にまみれたアレンに抱きついた。その時に、汚れがついてしまったのだ。

 が、ジェイクが注目したのは、汚れではなく私の服そのものだった。

「そ、そんな格好でお部屋を出ていらっしゃったのですか! 私としたことが、気付かなかったなんて……ナンシー! 奥様のお召し替えを!」
「待って、待って。私なら平気よ」
「とんでもございません! 寝間着姿の奥様を、使用人たちの目にこれ以上触れさせるなど……それでもこちらに留まられるのでしたら、このジェイク、責任を取って旦那様においとまをちょうだいいたします!」
「そんな、暇って……もう、わかったわ! わかったから!」

 ここまで言われては、引き下がるしかない。とはいえ、ナンシーを連れて行っては駄目だ。

 今のメイド長は、ついこの間までメイドの1人。指示を仰ぐ立場だった。
 この慌ただしい中で、メイド全員の統率を、一手に担わせるのは酷だろう。

 「せめて着替えは自分でさせて」とジェイクを説得して、1人で寝室へ戻った。
 持ってきた濡れ布巾で体をぬぐい、煤だらけのネグリジェから、若草色のワンピースに着替える。

 騒動から離れ、しん、と静かなところにいると、今度はアレンのことが気になってくる。

(あれから、どうしたのかしら……)

 こちらの世界でオスカーが生きているのだから、命は助かったのだろう。
 けれど、大怪我は負ったはずだ。オスカーの左頬に広がる、紫の火傷跡。あれは、火事の時についたに違いない。

(私をかばったせいで……)

 思い出すと、するどく胸が痛んだ。
 その痛みをしずめるように、心臓のあたりをなでた時、ハッとあることを思い出す。

(懐中時計!)

 過去の世界で、首から外してアレンに託した。ということは、もしかして。
 私は戸棚を開けて、水色の小物入れをあさった。

 最後に懐中時計を出した時、手に持ったものすべてをめちゃくちゃに突っ込んだので、どこへ何を入れたか見当もつかない。
 そこで、すべての引き出しを開けてみたけれど。

「……ない」

 綺麗な方の懐中時計が、なくなっている。
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