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70 あいしてる
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「私、あなたが好きよ。役に立たなくても、傷つけられても、失敗ばかりでも、あなたが大好き」
オスカーは、短く息を吸い込んだ。それからしばらく動かなかった。身じろぎもせず、呼吸さえ止めているように見えた。
「オスカー?」
どうしたのだろう。心配して彼を呼ぶと、その声に反応したように、オスカーの背中が跳ねた。
1回、2回……3回。それからさらに、4回。
オスカーの体は、しゃっくりをする時みたいに、跳ねては震え、不規則に揺れている。
ふいにオスカーの足元へ、ぽつりと雫が落ちた。彼の顔を覆う、骨張った指の隙間から、涙がしたたり落ちていく。
「アリス」
かすれた声が、私を呼んだ。
「おれもだよ。君が好きだ。君を、あいしてる……あいしてる」
オスカーは涙声をこらえて、必死に言葉を絞り出している。苦痛に耐えているみたいだ、と思ったのは、間違いじゃないのかもしれない。
25年という人生の中で、癒される暇がないくらいに、彼は何度も傷つけられてきた。
けれど今、彼を脅かすものはない。生まれて初めて、安堵を感じているのだろう。
その安堵は、同時に痛みを生むに違いない。
冷えきった体を湯につけた時、ひどく熱く感じるのと同じで、安心感が傷口へしみ込む時も、ひりつくように痛むはず──。
私は思い切り腕を伸ばして、オスカーの肩をかき抱いた。《オスカー》を恐れていた彼が、安らぎまで怖がることがないようにと、祈りを込めて言葉を紡いだ。
「私もよ。大好きよ、オスカー。あいしてる」
あいしてる。あいしてる。
こだまが掛け合うように、私たちはくり返した。
いつの間にかオスカーは、私の膝へ顔を埋めて、すすり泣いていた。
まるで、8歳の子どもに戻ったみたいだった。
✳︎
『おれもすぐに、屋敷へ帰るから』
そう言ったオスカーを置いて、ナンシーの待つ馬車へ乗り込んだ。
ナンシーが御者へ声をかけると、馬車がゆっくりと動き出す。
「それで」
ナンシーが私の肩を、つん、とつついた。
「ご離婚の件は、どうなったんです?」
「申し立てをやめるって。別宅へ持ってきた仕事を片付けたら、屋敷に戻るって言ってたわ」
「まあ……そうですか。よかったですわ、本当によかった……」
ナンシーはしみじみと語っていたけれど、突然、パチンと手を叩いた。
「でしたら、お屋敷を大掃除をしなくちゃ!」
「大掃除?」
「だって、もう魔除けは必要ないんですもの! レモンに馬蹄、塩も片付けませんと」
「あ……そうか、そうよね」
そうだ。もう「《オスカー》は天へ戻った」んだ。
「ええ。空いたところには何を飾ろうかしら。奥様は、何がいいと思われます?」
「うーん……本棚なんてどうかしら。お仕事のものだけじゃなくて、小説とか、画集とか。使用人のみんなも読めるように」
「まあ、素敵!」
「あとは絵画とか」
「そうですわね。お仕事部屋には落ち着いた色の絵を飾って……そうそう、あそこのベッドも捨てましょう」
「ベッド? 仕事部屋の?」
「ええ。だってあのベッドは、もう邪魔なだけですもの」
それじゃあオスカーはどこで寝るの、と言いかけた私は、ナンシーの満面の笑みからすべてを察した。
窓に映る自分の顔が、りんごみたいに真っ赤なのは、たぶん夕陽のせいじゃない。
そこへナンシーが、
「本棚には絵本も置きましょうよ。数年後には、きっと必要になっているでしょうから」
と、さらに追い打ちをかけたのだった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
お読みいただきありがとうございました、お疲れさまでした。
お城が動く某アニメ映画を見ていた時に、思い浮かんだ話でした。SF的要因による男女のすれ違い(?)っていいなあ、と。
次の番外編は、オスカー視点の後日談です。アリスとアレンが交わした約束が、1つだけ果たされていないので、それを解消する話です。
いくつかに分けて、2~3日に1度投稿する予定です。
オスカーは、短く息を吸い込んだ。それからしばらく動かなかった。身じろぎもせず、呼吸さえ止めているように見えた。
「オスカー?」
どうしたのだろう。心配して彼を呼ぶと、その声に反応したように、オスカーの背中が跳ねた。
1回、2回……3回。それからさらに、4回。
オスカーの体は、しゃっくりをする時みたいに、跳ねては震え、不規則に揺れている。
ふいにオスカーの足元へ、ぽつりと雫が落ちた。彼の顔を覆う、骨張った指の隙間から、涙がしたたり落ちていく。
「アリス」
かすれた声が、私を呼んだ。
「おれもだよ。君が好きだ。君を、あいしてる……あいしてる」
オスカーは涙声をこらえて、必死に言葉を絞り出している。苦痛に耐えているみたいだ、と思ったのは、間違いじゃないのかもしれない。
25年という人生の中で、癒される暇がないくらいに、彼は何度も傷つけられてきた。
けれど今、彼を脅かすものはない。生まれて初めて、安堵を感じているのだろう。
その安堵は、同時に痛みを生むに違いない。
冷えきった体を湯につけた時、ひどく熱く感じるのと同じで、安心感が傷口へしみ込む時も、ひりつくように痛むはず──。
私は思い切り腕を伸ばして、オスカーの肩をかき抱いた。《オスカー》を恐れていた彼が、安らぎまで怖がることがないようにと、祈りを込めて言葉を紡いだ。
「私もよ。大好きよ、オスカー。あいしてる」
あいしてる。あいしてる。
こだまが掛け合うように、私たちはくり返した。
いつの間にかオスカーは、私の膝へ顔を埋めて、すすり泣いていた。
まるで、8歳の子どもに戻ったみたいだった。
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『おれもすぐに、屋敷へ帰るから』
そう言ったオスカーを置いて、ナンシーの待つ馬車へ乗り込んだ。
ナンシーが御者へ声をかけると、馬車がゆっくりと動き出す。
「それで」
ナンシーが私の肩を、つん、とつついた。
「ご離婚の件は、どうなったんです?」
「申し立てをやめるって。別宅へ持ってきた仕事を片付けたら、屋敷に戻るって言ってたわ」
「まあ……そうですか。よかったですわ、本当によかった……」
ナンシーはしみじみと語っていたけれど、突然、パチンと手を叩いた。
「でしたら、お屋敷を大掃除をしなくちゃ!」
「大掃除?」
「だって、もう魔除けは必要ないんですもの! レモンに馬蹄、塩も片付けませんと」
「あ……そうか、そうよね」
そうだ。もう「《オスカー》は天へ戻った」んだ。
「ええ。空いたところには何を飾ろうかしら。奥様は、何がいいと思われます?」
「うーん……本棚なんてどうかしら。お仕事のものだけじゃなくて、小説とか、画集とか。使用人のみんなも読めるように」
「まあ、素敵!」
「あとは絵画とか」
「そうですわね。お仕事部屋には落ち着いた色の絵を飾って……そうそう、あそこのベッドも捨てましょう」
「ベッド? 仕事部屋の?」
「ええ。だってあのベッドは、もう邪魔なだけですもの」
それじゃあオスカーはどこで寝るの、と言いかけた私は、ナンシーの満面の笑みからすべてを察した。
窓に映る自分の顔が、りんごみたいに真っ赤なのは、たぶん夕陽のせいじゃない。
そこへナンシーが、
「本棚には絵本も置きましょうよ。数年後には、きっと必要になっているでしょうから」
と、さらに追い打ちをかけたのだった。
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お読みいただきありがとうございました、お疲れさまでした。
お城が動く某アニメ映画を見ていた時に、思い浮かんだ話でした。SF的要因による男女のすれ違い(?)っていいなあ、と。
次の番外編は、オスカー視点の後日談です。アリスとアレンが交わした約束が、1つだけ果たされていないので、それを解消する話です。
いくつかに分けて、2~3日に1度投稿する予定です。
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