ワキガ少女が異世界へ転生したところ、異世界人は皆ワキガフェチだったため、少女は女王として征服することに決めました

佐久間 譲司

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第四章 原住民ロイ・エクトール

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 はっと目が覚める。草木の青い匂いが、鼻腔をつく。明るい光が、矢のように晴香の目を刺激した。

 雑草と固い土の感触が、制服越しに伝わってくる。

 晴香は、地面から体を起こした。

 周囲を見回す。ここは先ほどの不思議な空間とは違い、野外だとはっきりわかった。青々とした雑草が地面から生え、暖かい風が覆い茂った木々をざわめかせている。

 どうやら森の中にいるようだ。太陽はちょうど頂点に達し、枝の間から煌々とした光を晴香へ投げかけている。

 晴香は、ゆっくりと立ち上がった。体を見下ろす。女神と会った時と――正確に言えば、屋上から飛び降りた時と――同じ格好だ。高校の制服にローファー。一部分が破れたスカート。

 ポケットには何も入っていない。そう言えば、ポケットに入れていたはずのスマートフォンも、どこかにいってしまっていた。

 晴香の額に、薄っすらと汗が滲み出ていた。少し暑い。初夏くらいの気温だ。季節も向こうの世界とはズレがあるらしい。

 晴香は、額の汗をブレザーの袖で拭うと、改めて周囲の状況を確認した。

 ここは森の中のようだが、おそらく、エリエルと名乗った女神が言ったように、異世界なのだろう。感覚的には、前いた世界とほとんど変わらないが……。そして、人間や、他の生き物の姿は、現時点では確認できていなかった。

 晴香はしばし、思案する。転生する直前に考えたように、自殺を決行するつもりだった。だが、問題はその方法だ。校舎の屋上のような高いところはなさそうだし、首を吊るにしても、ロープの類は一切所持していなかった。

 どうしたものか。できる限り、誰かと出会う前に逝きたかった。人間と出会えば、また屈辱的な思いをすることだろう。現在、暑さのせいでワキガ臭も強くなっているはずだ。デオドラントスプレーの類はないし、代えの服もない。悲惨な状態である。僅かでも人と接触すれば、相手は鼻柱を歪めるに違いなかった。

 考えた末、少し周囲を探索することにした。もしかすると、崖が見つかるかもしれない。あるいは、他に自殺するいい場所が見つかるかもしれない。今のところ、人がいる気配はないため、多少動き回っても問題はないはずだ。

 そう決心した晴香は、足を前に踏み出した。



 どれくらい時間が経ったのだろう。晴香は自分の考えが甘かったことを痛感した。最初この森を見た感覚では、さほど深い印象を持たなかったのだが、行けども行けども木々の群生は途切れることなく、ジャングルのように延々と晴香の眼前に広がり続けるばかりだった。おまけにローファーでは歩き辛く、歩の進みも遅かった。

 いまだ崖はおろか、川や洞窟の類も発見できていない。自殺に適したポイントなど見つからなかった。

 晴香は立ち止まり、空を見上げる。梢の間にあった太陽はとうに傾き、森の向こう側に姿を消していた。周囲は薄暗くなり、夜の帳が降りようとしていることがわかる。夜になると、この一帯は真の闇に覆われることだろう。

 晴香は顔を元に戻し、こめかみを流れる汗を拭った。日が傾いたとはいえ、依然蒸し暑さは顕在である。歩き続けたことによる体温上昇もあり、体育の授業をしている時のように、全身に汗をかいていた。

 晴香は、ブレザーを脱ぎ、自分の脇をチェックする。シャツは黄ばみが増し、とても汚い状態だ。自分でもわかるほど体臭もひどくなっている。シャワーを浴びたかったが、当然、そんな機会は訪れるはずもなかった。

 そろそろ自殺を決行したいのだが、そのよすががない。このままでは夜の闇の恐怖に怯えることになる。自殺するとはいえ、わざわざ余計な苦痛を受けるのは嫌だった。

 一刻も早く、死ぬ場所を見つけないと。

 脱いだブレザーを小脇に抱え、再び歩き出す。その時だった。晴香の耳に、木々のざわめきが聞こえてきた。

 それまで耳にしていた風によるざわめきではない。もっと別の、大きな『何か』が木々を揺らす音。それは以前、テレビで見た野生のツキノワグマが、森を闊歩する際に生じる音を想起させた。

 晴香は、とっさにそちらに顔を向ける。それから硬直した。視線の向こう、五十メートルほど先にある木立の間を『何か』が歩いていた。薄闇に覆われているため、シルエットがかっているが、前の世界の知識には一切存在しない『異形』であることが確実にわかった。

 トカゲのような生き物。だが、信じられないことに、それは二足歩行をしていた。ツキノワグマよりも大きい体を揺らしながら、枯木を踏み鳴らし、木々をざわめかせつつ、悠然と歩行している。

 初めて出会う、異世界の生物だ。

 晴香は口を手で押さえ、じっとしていた。足が震え、瞬きもできない。

 やがてその『異形』は、晴香に気がつくことなく、木立の向こうへと姿を消した。
 晴香はそれを確認すると、脱いだばかりのブレザーを着て、逆方向へ足を踏み出した。それから早歩きでその場を離れた。

 震えが止まらない。心臓が波打ち、冷や汗も滲み出てきている。自殺を決意しているにもかかわらず、『異形』への恐怖により、勝手に体が逃げる動きを取っていた。

 これは本能的なものである。

 何度も何度も背後を振り返りながら、晴香は歩き続けた。結構な時間が経った後、晴香は立ち止まった。

 太陽が没し、視界が完全に失われたからだ。すでに、木々の輪郭すら見えないほど真っ暗である。

 夜が訪れたのだ。

 晴香は悄然と立ち尽くす。明かりもないこの状況では、もう一歩も動けなかった。
 漆黒の闇が、晴香を包んでいる。恐怖が波のように押し寄せてきた。

 暗闇は、生物が元来備える危機的意識を刺激する。こちらがどのような感情を抱えていようと、お構いなしに恐怖を植えつけてくるのだ。それが見知らぬ深い森の中で、かつ『異形』の生物を目撃した後では、なおさら尋常な水準には留まらないだろう。

 晴香は畏怖する。今にも先ほどの『異形』が暗闇から襲ってきそうだった。死にたいのだから、実際、野生動物の類に襲われるのは本望だといえるのだが、本能的な恐怖がその願望を上回っていた。それに、奇妙な生物に殺されるのではなく、自分の手で、自分の好きな方法で死にたかった。

 悪意のように周囲から押し寄せる深い闇の中、晴香は恐慌状態になりかけていた。体が震え、息も過呼吸のように荒くなっている。全身、汗をかいていた。

 晴香は思わずしゃがみ込んだ。そして拗ねた子供のように、足の間に顔を伏せ、手で頭を抱え込む。

 このままこの状態で、朝まで過ごそうと思った。もう暗闇は見ていられない。気が狂いそうだった。

 顔を伏せたまま晴香は、前の世界で何度も行ったように、自身の運命を嘆いた。

 どうして転生してまで、こんな恐怖に見舞われなければならないのだろう。せっかく、自殺したのに、安らかに眠らせてもらえず、不本意に生を与えられ、妙な場所に送られた。

 一体、どんな罰なのか。

 晴香は、すすり泣いた。暗闇の恐怖だけではなく、己の不幸を、これまで身に降りかかった不条理について、涙した。

 随分時間が経ったと思う。涙も枯れ果て、身動き一つできないまま、顔を伏せて晴香はじっとしていた。

 その時である。茂みが擦れ合う音が耳に届いた。風などではなく、明らかに生き物が動いた影響で発生した音だ。

 恐怖が押し寄せ、晴香はとっさに顔を上げた。瞬間、眩い光が目に飛び込んでくる。晴香は目を細めた。

 「あなたは誰? どうしてこんなところに?」

 男の声だ。日本語である。真正面から当たる光ではっきりとは見えないが、どうやらライトのような光源を手にした人間の男が、目の前にいるようだ。

 男は、向けていた光を晴香から外し、横向きにする。少し間を置くと、周囲の光景が見えるようになってきた。

 目の前に、驚いた顔をした二十代ほどの若い男がいた。農作業の時に着るような、オーバーオール風の服を身に纏っている。西洋人と東洋人のハーフのような、彫りの深い顔立ちだ。

 晴香は、初めて出会った人間に、心底安堵した。勢いよく立ち上がる。

 すると、目の前の男が、鼻を啜ったことがわかった。彼の表情が変化する。

 それを見て、晴香の中に生まれた安堵が瞬時に吹き飛び、不安に包まれた。

 今、自分の体はひどく臭うだろう。ワキガの体質で汗を大量にかき、長時間そのままの状態で服も着替えていないのだから。

 男の表情が変化したことで、晴香は男が嫌悪の表情を浮かべると思った。晴香を前に、ワキガ臭を嗅いだ人がよく見せる顔。常に晴香を打ちのめすきっかけとなる事象。

 だが、目の前の男は違った。突如、何かに取り憑かれたような、恍惚とした表情を浮かべたのだ。まるで、降臨した女神を前にした宗教家のような様子で。

 男は、感極まった口調で言う。

 「なんて素敵な香りを放つ人なんだ。あなたは」

 そして、男はその場で跪き、頭を垂れた。

 「何なりとお申し付けください」

 まるで女王へ謁見した下僕のように、男は恭しくそう言った。

 晴香は、目の前での出来事を、唖然として見つめる他なかった。



 晴香と遭遇した男は、自分の名前をロイ・エクトールと名乗った。近くの村で農夫をしているらしい。

 昼間、森に仕掛けた罠の様子を確認し忘れたため、この時間に森へ入ったところ、晴香を発見したようだ。

 ロイ曰く、少し離れたところからでも、『素敵な香り』が漂っていたとのこと。だから広大な森でも、ピンポイントで晴香を発見できたようだ。ただ、ロイはさほど奥深くまで入ってきていないらしく、どうやら晴香自身、自力で森の出口付近までは辿り着いていたようだ。

 ロイから自己紹介と説明を聞いたものの、晴香はいまだ状況が飲み込めず、混乱したままだ。とりあえず、平伏しているロイを立たせる。

 立ち上がった彼は、かしこまったように直立した姿勢を取った。そしてロイは晴香へ頭を下げ、質問を行う。

 「お聞かせ願えますか? どうしてあなたのような素敵な香りの方が、こんな時間に、こんな場所にいるのか」

 晴香は戸惑う。ロイが先ほどから言う『素敵な香り』の意味もわからないし、彼がなぜ、ここまで恭しいのも不明だ。だが、まずは自分のような人間がここにいることの説明は必要だろうと思った。向こうはおそらく、この世界の現地人だ。

 少し思案した末、晴香は自己紹介と共に、一部を除き正直に話すことにした。自分が別世界の人間で、命を失った後、この世界に転生したこと。森で迷い、立ち往生していたこと。

 晴香の説明を聞き終えたロイは、顎に手を当て、考え深けに小さく唸る。ハーフっぽい彫りの深い眉根に、皺が寄った。

 間があった後、ロイは口を開く。

 「前に聞いたことがあります。どこか別の世界からこの世界へ転生した者の話」

 ロイは手にしたライトを弄りながら言う。ロイが持っているライトは、前の世界にあった照明道具とは少し違い、先端に取り付けた石のような物自体が発光しているようであった。

 ロイは続ける。

 「転生した異世界人は、強大な力を持っており、いくつかの村や街を支配したそうです」

 「強大な力?」

 晴香は、首を傾げながら質問する。

 ロイは頷いた。

 「私も詳しくは知らないのですが、異世界人のみが使う不思議な力があるそうです」

 完全には理解できないが、異世界人がかつて、この世界に存在したことは確かのようだ。

 「もっとも、その異世界人は、結局戦争に負け、死亡したようですが」

 例の女神の話が頭に蘇る。女神の説明によれば、この世界で命を失うと、もう転生も何もできなくなるらしい。つまり、その異世界人はすでに消滅したことになる。

 ロイは説明を終えると、ライトを茂みの奥へ向けた。

 「とりあえず、あなたを私の村へ案内します。この森は危険だ。レザールもうろついている」

 「レザール?」

 「二足歩行する大型のトカゲです」

 晴香の脳裏に、記憶が明滅した。あれがレザールか。

 ロイは、真剣な面持ちで言う。

 「安心して下さい。私はナイフが使えます。あなたのような素敵な香りの人を傷付けはさせません。必ずあなたを守ります」

 ロイの過剰なほどの善意に困惑しながらも、晴香は頷いた。

 「それでは行きましょう。足元に注意して」

 ロイは、前に立ち、晴香を先導し始める。晴香は大人しく従った。

 ロイの後ろを付いて歩きながら、晴香は気になっていたことを質問する。

 「あの、先ほどから私のことを良い匂いだとおっしゃってますけど、どういう意味でしょうか?」

 ロイは前を歩きながら、顔をこちらへチラリと向けた後、答える。

 「そのままの意味です。晴香の体から漂う香りがとても素敵なのです。頭の芯が痺れ、体が震えるほどに。あなたの香りを嗅ぐだけで、何でも言うことを聞きたくなるくらい幸福を感じます。今も同じです」

 ロイは、顔を横に向け、鼻腔を膨らませた。どうやらこちらの体臭を嗅いでいるようだ。

 晴香は赤面する。屋外にも関わらず、前を歩く人間に自分の体臭が届いているのも恥ずかしいが、それを堂々と嗅がれるのは、もっと恥ずかしかった。

 しかし、不思議に思う。これだけ臭うということは、自分のワキガ臭が発生している証だが、悪臭として認識されていないのだろうか。これまでの人生、自分のワキガを良い匂いだと言う人間は一人もいなかった。

 晴香は、以前、インターネットでワキガについて調べた際、知った情報を思い出す。世の中には、ワキガに対し、興奮を覚える『ワキガフェチ』の人間が存在するらしいのだ。性癖の一種で、女性の足や胸に性的魅力を感じることと同じように、ワキガに魅力を感じてしまう人種。

 目の前のロイが、そうなのだろうか。つまり『ワキガフェチ』の異世界人。ということか。しかし、仮にそうでも、その反応が過剰な気がした。それとも『ワキガフェチ』とは、このようなものなのか。

 それからしばらく、森の中をロイの後ろに付いて歩いた。ロイは時折、こちらを振り返えり、ちゃんと自分の後を着いて来ているかどうか確認してくれていた。同時に、彼がこちらの臭いを鼻腔一杯に吸い込んでいることもわかった。ロイは臭いを嗅ぐと、薬物でも摂取したような、多幸感に包まれたような顔を見せていた。

 ワキガについて他者から中傷や拒絶を受けるのも辛いが、これはこれで複雑な気分になる。晴香は、無言のままロイの後ろを歩き続けた。

 やがて、唐突に森が途切れ、視界が開けた。空からは、三日月が晴香とロイを見下ろしている。前の世界の月と変わらないように見えた。

 「あれが私の村です」

 ロイが指を差した先には、集落のように、明かりが漏れる家が複数あった。ファンタジー映画に出てきそうな、中世風の民家である。

 「あなたを村の皆へ紹介します」

 ロイはそう言うと、村へと向かって足を踏み出した。
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