REBIRTH〜国を追われ、名を捨てて〜

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第十四話

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 二度の強烈な打撃を喰った、ジャックが身を預ける樹は耐えられなかった。
 根本からメキメキッという悲鳴をあげると、樹上高くに乗せた筋肉質のジャックの重量というアンバランスさも仇となったのだろう、はじめはゆっくりと、しかしすぐに加速して向こう側の地面へと激突した。
 千切れた葉が舞い、折れた枝が跳ねて飛び散る。
 飛び降りる間もなく硬い大地に叩きつけられたジャックは、ピクリともしていないように見えた。
——まさか!——
 嫌な予感がした。
「ジャック!!」
 ふたたび俺は叫び、駆け寄ろうとする。
 そこへジャックの腕が力なく上がり、左右にゆらゆらと振られる。
 その仕草を、『来るな! 俺は平気だ』という合図として俺は受け取った。
 それはジャックの精一杯の強がりかもしれない。
 が、いずれにせよ黒い怪物熊をどうにかしなければ手当のしようもない。
——無事ならばッ!——
 ジャックの方から視線を切ると、すべての槍を使い切った俺は剣を抜き放つ。
 すると時を同じくして奴の方もまた、残るもう一人の敵である俺を見た。
 うるさい敵をはたき落とした野獣の瞳は、次の標的である俺への怒りに燃えて輝く。
 しかし、いくら怪物といえど、いまや手負い。
 向かってくる獣に恐れずジャックが放ち続けた矢が、無数に刺さったままだった。
 ジャックに追い討ちをかけず、俺に向かってくるならかえって都合がいい。
 なりふり構わず追い討ちされれば、ジャックの命は消えていたはずだ。
 傷んでいるとはいえ、長年の愛用武器を手にした俺は、「なれぬ槍より、馴染んだ剣」と独りつぶやく。
 怪物は二本の後脚で立ち上がり、俺を威嚇してみせた。
 眼前を埋め尽くさんばかりに広がる黒い影は、いまにも覆い被さって俺を下敷きにせんという迫力。
 敵の圧力を振り払うべく、こちらから踏み出し、駆けた。
 獣の真正面へと走り込み、もう一息で斬り込める直前で進路をわずかに切り替える。
 俺が真っ直ぐに走り込むはずだった場所に、黒く太い巨木のような腕が振り下ろされた。
 すでにその気配を感じて方向を変えていた俺は、振り下ろされた左腕をかいくぐるようにして獣の脇、足元を駆け抜けた。
 駆け抜けざまに払うように鋭く斬りつけ、大地に根を張るうしろ脚に切り込みを入れてやった。
 そのまま背後に回り込んだ俺を追うように、怪物の巨体もその場で後ろへと回る。
 斬りこみ、飛び退き、フェイントを仕掛け、空振りを誘う。
 常に先手を取って、同じことを二度繰り返す。
 回る方向も、駆け抜ける位置も同じ。
 俺の剣が都合三度、横一文字の線を引く。
 斬り払う場所は寸分違わず同じ場所。
 一度傷つけた表皮は、黒光りする艶やかな毛の守りも失われている。
 その傷の上を正確に、なぞるように抉り、深く深く、肉の奥へと刃を刻み込む。
 一度で折れぬ巨木であっても、何度も繰り返し斧を打ち込まれれば、いずれは倒れる。
 それは生きた獣であっても、同じこと。
 とうとう壁のような巨体はその背を低くした。
 都合三度斬りつけられた彼の左足は、もはや自重を支えきれなかったのだ。
 二本で支えられないなら、支えを増やすしかない。
 必然として、黒い巨体は前脚をついた。
 思わず笑みがこぼれる。
 こうなればもう、勝ったも同じだ。
 ボロボロで疲れ切っていた前回の俺でも、この獣の耳を削ぎ、鼻を切り、恐れを刻みこんで引き下がらせていたのだ。
 こいつもそれを忘れてはいないだろう。
 人ではない獣に恐怖があるかどうかなど、俺は知らない。
 知らないが、奴は一声吠えると逃げようとした。
「させるかよ!」
 俺に背を向け、傷を負ったうしろ脚を無防備に晒した時点で勝負はついた。
 背後から渾身の一撃を叩き込み、その太い脚を付け根から跳ね飛ばした。
 そこからは一方的だった。
 とたんに動きの鈍った巨体へと、斬撃を叩き込んでいく。
 全身を覆う黒い毛皮には、流れる血で無数の赤く光る川ができていた。
 そうして怒りに燃えた瞳は輝きを失った。
 完全に戦意を失い、逃げるだけの気力も体力なくなったようだった。
 念を入れて逆脚にも深く切り込むと、トドメはいつでも刺せるとジャックの元へと向かった。

「大丈夫か? ジャック」
「心配いらんよ。なに、ちょっと横になって、サボっていただけさ。これほど大仕掛けの見世物は、田舎の村じゃ見られないからな」
「そうかい、楽しめたならよかった。けど、サボりは感心しないな、ジャニスに怒られるぞ」
「言うなよ、あれはクソ真面目だからな」
 ジャックと俺は笑いあう。
 まだ横になったままではあるが、心配するほどの大怪我もしていないらしい。
 一安心した俺はその場に片膝を突き、ジャックと二人で狩った黒い怪物を眺めた。
「……奴とのケリはついた。俺の役目は終わりか?」
「役目、な」
「はじめから俺に、あれを討たせるつもりだったんだろ」
「そういう計算があった。それは認めよう。村の奴らじゃ、束になっても勝てんからな」
「どうかな? あんたが五人いれば勝てる。外した矢はわずか数本だろう」
「あいにく俺は一人だよ。俺ぐらいできる奴がこんなクソ田舎に何人もいてたまるか。俺は狩人を廃業しなきゃならなくなるぜ。しかし、おまえも人が悪いな。どうして俺がここに寝そべっているかをわかってて、それを言うとはな。ウッド、おまえは悪い奴に違いない」
俺は笑って、「三人ジャックが死んで、二人ジャックが生き残る。そんな計算かな」と言ってやった。
「これで借りが二つできたな。ジャニスを助けてくれたこと。その相手、黒い怪物熊を仕留めたこと。あんたが俺たちの村に住み着いても、これでもう誰も文句は言えんし、言わせん。……ウッド、村に来い」
 俺は何度も小さくうなずいた。
 言っていることはわかる。
 たしかにそうだろう。
 だが……
「……あのボロ家に住ませてもらって、飯までもらった。細々とした面倒もみてもらってる。それで差し引きゼロだ」
「フン、かたくなだな……
 まあいい、山小屋がよければ、そこにいろ。あれを持ち帰れば、祭りになるぞ。シャーウッドの村にとって大きな脅威だったからな。そこへは顔を出せ。でかいことをやってのけたんだ。きちんと祝うのは大事なことだぞ。それに酒や肉、魚、踊りに女…… あ、おい、聞いてるのか!」

 ジャックの話を適当に聞き流し、ジャックのもとから倒れた怪物の方へと向かう。
 俺が奴の顔のすぐ前へと無遠慮に近寄り、見下ろすようにしても、すでに抵抗するそぶりは一切ない。
——こいつに初めて会ったとき、俺は死にかけていたはず。いや、気持ちの上では死んでいた。それがどうだ? いまは……、これから確実に死ぬのはこいつで、俺は明日も生き延びていく——
「俺が生き残り、おまえが死ぬ。なあ、俺とおまえ、何が違う?」
 待てども、そこに答えが返ってくるはずもなかった。
——早く楽にしてやることがせめてもの礼儀か……——
 俺は目を閉じ、トドメを刺した。



 ジャニスと出会うきっかけになった、黒い巨体。
 あのときは、苦戦した。
 しかしそれは、俺の状態がひどいものだったからだ。
 慢性的な空腹。
 裏切りの果てに追われ続ける、精神的な落ち込み。
 わずかな物音で飛び起きてしまうなど、眠れないことによる疲労感。
 そんなドン底のとき、ジャニスが俺の方へと逃げてきた。
 坂の下という位置的な不利があっても、うしろにジャニスがいた。
 だから悪い条件であっても、その場で耐え忍び、彼女を守らなければならなかった。
 ジャックとジャニスによって体力と気力を取り戻しつつあった俺には、もはや敵ではなかった。
 ジャックの応援まであればなおさらのこと。
 身を挺して庇うべきものもなく、一度対峙した経験まであった。
 そんなものに、俺が負けるはずがなかった。

 怪物を討ち果たしてしばらく。
 変わったことがある。
 誘いを受けて、村へ移ったわけではない。
 移ったわけではないが……
 ジャックとジャニス以外の村人と、森で行き合うケースが出てきたのだ。
 あとで知ったことだが、ジャニスが襲われて以降、村人たちが山へ入らぬよう禁止令が出ていたらしい。
 ジャックが『山中に危険あり』と、村長に掛け合ったのだ。
 俺が二人以外の誰にも会わなかった理由は、そういうことらしかった。
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