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第十三話

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 漂う白いもやを切り裂いて、樹上から矢が放たれた。
 一筋の放物線。
 それは雨上がりの虹ではない。

 ついに決戦の幕が切って落とされた。
 それまで静かに息を殺して隠れ潜んでいた俺は、一気に飛び出す。
 全力で走り揺れる視界の中で、ジャックの放った矢は確実に巨体をとらえた。
 もとより止まっている的を外すようなジャックではない。
 素早く連続して矢が放たれ、大きな的へと次々に吸い込まれていく。
 それまでの安眠から強制的に叩き起こされた黒い巨体は、怒りの唸りを轟かせた。
 山が揺らぐ。
 危険を感じたのだろう、どこにいたのかと思うほどに無数の鳥たちが、一斉に飛び立つ。
 たちまちのうちに上空は無数の鳥たちで埋め尽くされ、一瞬暗くなったほど。
 悲鳴のような鳥たちの甲高い鳴き声の下、奴はすぐさま自分を襲った敵、ジャックを見つけ出してそちらへと向く。
 そうなれば必然、俺の方に背を晒し無防備になった。
 奴は怒りによる興奮のせいか、すでに駆け出している俺の気配に一切気づいていない。
 この機を逃さずに踏み切ってジャンプ、全体重を槍の先端に乗せるように突き下ろした!
 槍の先端は厚い毛皮を貫き、肉をえぐり、地面にまで突き刺さる。
 しかし怪物もジャックの方へと動き出していたことにより、わずかに狙いがずれてしまった。
 会心の刺突とはならず、浅く引っ掛けたように地に刺さった槍は、怪物の力により引きちぎられて折れた。
 何事もなかったかのようにジャックの方へと向かう相手に驚きつつも、慌てはしない。
——うしろをとっているうち!——
 俺は気にせず次の槍を取り出し、すぐさま追いかけて突き出す。
 今度はしっかりと肉へ刺さった感触が両手に伝わる。
 怪物は叫びをあげ、二足で立ち上がると今度こそ俺へと振り向いた。
 向かい合った敵へとさらに攻めるべく、背中から次の槍を取り出す。
 その刹那、斜め上から剛腕が弧を描いた。
 のけぞるように顔を背けて身をかわすと、巻き起こった風が頬をかすめていく。
 紙一重で打撃は避けたが、かわりに槍が叩き落とされてしまう。
 すんでのところで槍をあきらめ、手放す決断をしたから、俺へのダメージはない。
 すぐに奴の追撃に備え、一歩、二歩と下がって距離をとる。
 早くも最後となった背中の槍に手をかけ、向き合って相手を見る。
 見つめ合う時間ができたせいか、いまさら頬をかすめた風の感触がよみがえり、肌がざわついた。
——正面からあの剛腕をまともに受ければ、終わる。かいくぐって横に回り、柔らかい腹へ打撃を与えたい——
 瞬時にいくつか先を読み、攻撃を組み立てる。
 狙うは奴の攻撃後だ。
 空振りさせた、そのあとを狙う。
 しかし、待ち望むはずの次の一撃がなかなかやってこなかった。
 睨み合いはさほどの時間ではないだろうが、焦れる。
 こちらから誘い水となる一撃を入れるかどうかを迷っていると、突如、黒い怪物は身を翻した。
 四つ足で一目散に駆け出す。
——まずい!——
 彼が向かう先は一直線、ジャックのいる樹だった。
 最初に眠りを邪魔したジャックのことが、槍を突き入れた俺を上回って憎らしいようだ。
 奴を追うべく慌てて俺も駆け出し、ついでに叩き落とされた槍を拾いあげた。
 敵は巨体の割に、恐るべき速さ。
 追いつくことはおろか、距離さえも詰められない。
「ジャック!! 行ったぞ、逃げろ!」
——逃げろって、樹の上でどこに!——、思わず心中で自分の叫びに突っ込みを入れつつ、必死に追う。
 逃げ場のないジャックは、迫る怪物を前にしてひるんだ様子をおくびにも出さず、樹上より矢を放ち迎え撃つ。
 降り注ぐ矢を前にしても、巨体はとどまることなく走り続けた。
 背後から見る巨体の背は針山のよう。
 すでにジャックがこれまでに放った無数の矢が刺さり、怪物をさらに威圧感のある不気味な姿へと飾りつけていた。
 野獣の怒りは止まらない。
 ついにジャックのいる木へと、体ごとぶち当たった。
 ミシリと幹がひび割れるような音があたりに響いた。
 枝が激しく揺れ、遅れてあとから複数の葉がゆらゆらと舞い落ちていく。
 これではもう攻撃どころではない。
 ジャックはただひたすらに振り落とされぬよう、幹にしがみつくばかりだった。
 地面に叩き落とされてしまえば、ジャックの命は風前の灯火に等しい。
 一刻も早く助けなければと、俺は追いつくのも待てず、手に持った槍を投げつけた。
 放った槍は奴に当たったものの、厚い皮を貫くこと叶わず、虚しく表面を撫で落ちるだけだった。
 それでもようやく追いついた俺は、怪物のジャックへの興味を引き剥がそうと、「おまえの相手はこちらだ!」と叫び、走る勢いのままに真っ直ぐ突き出す。
 手持ちの最後の槍は尻のあたりに深々と刺さり、巨体が悶えた。
 痛みに暴れた巨体が『ドン!』と木にぶつかり、再度大きく揺らされる。
 しがみつきこらえていたジャックだが、もうどうにもならない。
 その姿が傾きはじめるや否や、あっという間に途中から幹が折れ、横倒しになった。
「ジャック!」
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