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 気づくと、俺は知らない場所にいた。

 コンクリート打ちっぱなしの六畳くらいの部屋。真ん中にゴザが敷かれ、その上に俺は寝かされている。部屋に窓は無く、サビだらけのドアが一つあるだけだ。

「うぅ……」

 床が硬いせいで身体が痛い。

「俺、確か車にひかれたハズだけど……夢だったのか?」

 そう独りごちる俺の最後の記憶は、ノラ猫を助けようとして真っ赤でスポーティーな車にはねられ宙を舞う、というものだ。

 いやぁ舞った、舞った。八回転半はしたかな? フィギュアスケーターもびっくりだ。

 アイツは仕事帰りに時々エサをやっている、思い入れのあるノラ猫だったから……ちゃんと助かっただろうか。

 それが何故こんな所に? 当惑していると、キィィィィェギッチェィ! と軋む音がしてドアが開いた。どんだけ建て付けが悪いんだよ。

「おっ、目覚めたか」

 入って来たのは俺より一回り上くらい、つまり五十代くらいの作業着姿のおっさん。彼はパソコンらしき物を脇に挟んで俺の前の床に腰を下ろした。

 作業着はあちこち毛羽立ったり小さく破れたりしているし、頬には汚らしい無精髭はあるしで、中肉中背なのになんだか貧相に見える。加齢臭みたいな臭いも漂ってくる。

 まぁ貧相なのは俺も同じなので文句は言えないが。

「す、すみません……ここどこですか?」

 情けないことに噛んでしまう。俺は極度のコミュ障なのだ。

「私は神だ」

 場所を聞いたはずのに、おっさんはそう名乗った。

 あぁ、ヤバい奴だ。きつめの勧誘来るな。つまりここは信仰宗教の支部か何かで、俺は拉致られたってわけか。

 潰れかけの小企業の、せいぜい係長クラスにしか見えないこのおっさんがまさかの教祖様?

 でも車にひかれた記憶は何だったのか……?

 一瞬のうちに脳内を様々な考えが飛び交い、身構えた俺に男は言った。

「まあこれを」

 冴えないおっさんは分厚いパソコンをカチャカチャ言わせ、画面をこちらに向けた。

 何かの動画のようだが、やけに動きが遅い。意味不明の状況にもかかわらず訳の分からない待ち時間を与えられイライラしていると──

「アンアンアンアン!」

 やっと動き出した画面の中では限りなく肌色に近い方々が絡み合って喘ぎ声をあげていた。

「なんじゃこりゃぁ!」

 何が悲しくてしょぼくれたおっさんと二人でアダルトビデオを視聴しなければいけないんだよ。コミュ障にもかかわらず、ツッコまざるを得ない。

「すまん間違えた」

 唖然としている俺を前におっさんは頭を掻き、「えーと確かここら辺に……」とか呟きながらマウスを動かしている。やがて、

「あったあった。とりあえずこれを見なさい」

と再び差し出されたノートパソコンに映し出されたのは、はるか上空からの小さな交差点の映像である。俺らしき人物が赤いスポーツカーにはねられる瞬間がばっちり映っていた。

「いやぁ舞った、舞った。八回転半はしてるよこれ! フィギュアスケーターもびっくりだねぇ~!」

「他人に言われると腹立つんですけど……」

 はねられた痛みを思い出し思わず目を覆う。

「この通り私の息子がはねちゃったみたいでさ。ゴメンちゃい!」

 顔を覆った手をどけると、おっさんは拳をこめかみに当てて目をギュッと閉じる、いわゆる「イッケネ!」のポーズを取っている。

「ゴメンねぇ。うちの息子、出来が悪くてさぁ。下界で外車を乗り回したいって言うから買ってやったら、さっそくやらかしちゃったみたいで……」

 こんな軽く言う?

「つ、つまり俺は神であるあんたの息子に殺されてここに連れてこられた……」

 俺は回転不良の頭で意味不明の状況を整理して言った。

「そういうこと」

 加害者の親にもかかわらず、何故か「神」は余裕こいて笑っている。

「神とやらがこんないい加減なわけないだろ! 信じられっか! 帰る!」

 俺は立ち上がりドアに向かった……はずなのに、いつの間にかドアは消えている。

「出せ! ここから出せぇ!」

「普通あんな決定的瞬間の映像持ってるわけないでしょ。信じなさいよ」

 壁を叩き始めた俺と対照的に「神」は冷静で、それにも腹が立った。

「ドローンか何かでたまたま撮ってただけかもしれないだろ!」

 すると、壁を叩き続ける背後でまたパソコンのカチャカチャが聞こえたと思ったら、

「『嗚呼ああmy angel 愛しのマユコ 俺の女神ヴィーナス 高値のマユコ』……おい『高値』じゃなくて『高嶺』だろうがよ」

おっさんが高らかに厨二的ポエムを読み上げるものだからたまらない。

 これはアレだ。中二の授業中に、結局片想いに終わったマユコを盗み見しながらセッセと書き溜めていた黒歴史漆黒・ヒストリーではないか!

「うわぁあああぁぁぁあ!! やめろぉおぉぉぉぉ!!」

 俺は床の上をのたうち回った。あのポエム集は実家を出る時に確かに燃やしたはず……。

「『その双眸ピュア・アイズに俺の姿を映す日がくるのはnever no 俺の胸の痛みを君はnever know……oh……すこぶるデンジャラス・ガール』無理やり韻を踏むなよ文法間違ってるぞ」

「うおぉぉぁおぉぉ!! いいからやめろって!!」

 ところがおっさんは悶え苦しむ俺に構わず朗読を続けるのだ。

「『翼をもがれてしまったのは イケナイ恋をしてしまったから 燃え盛る我が嫉妬心マイ ジェラス……誰か消防車を……呼んでくれ……oh……110番をさぁ早くクイックリ……』消防は119だろうがよ!」

「やめろやめろやめろやめろぉおぉぉぉぉ!!」

 何この罰ゲーム。なんで殺された上に辱めを受けなきゃいけないの?

「『今日のマユコチャンは授業中に寝ちゃってたネ!(^_-) 昨日夜ふかししちゃったのカナ? 小生の晩ごはんは皿うどんだったヨ! マユコチャンは太麺派カナ? 細麺派カナ?(^o^)』なんで後半おじさん構文になってんのよ! ヒィーッ」

「神」は床を叩いて大笑いしている。

「これ以上俺の古傷をえぐらないでくれよ! わかった信じる! 信じるから!!」

 俺はパソコンに飛びついて叩きつけるようにそれを閉じた。

「それならよろしい。ほら私って小汚いじゃん? なかなか神だと信じてもらえないんだけど、黒歴史を朗読して差し上げたらみんな即効で信じてくれるんだ。ウケるよね。これだから神はやめられない」

 まだ腹を抱えて笑っている神の姿を地球上の全人類に見せてみたいものだ。ありとあらゆる宗教が解散となるに違いない。

「まぁこんなのが神なら、世間の世知辛さも納得いくけどな」

「私は神養成学校時代に赤点だらけだったし出席日数もギリギリ。最下位で神試験に合格した底辺の神だからな」

 神は俺の精一杯の皮肉も華麗に受け流してニヤリと片方の口角を上げる。

「ちなみに私以外の優秀な神々の作った星では、戦争も疫病も災害も少子化もポテサラ論争も9060問題も8020運動もなく超平和だからくれぐれも神というものを誤解しないように」

「クッソ……親ガチャならぬ星ガチャ外れかよ」

 しかも神の息子に殺されるとは運が悪すぎる。俺は床に手をつきうなだれた。

「いっそ死んでしまいたい……あ、死んでるのか」

 もう泣きそう。

「まぁまぁそう気を落とすな。さすがに息子が善良な市民を死なせちゃったのは悪かったから、お前に3回だけチャンスを与えよう」

「チャンス?」

 俺は顔を上げて神を見た。

「やり残したことは何だ?」

「挿入だ」

 俺は即答した。

「かわいい女の子を毎日でも抱きたい……」

「なんだお前、童貞か?」

 神はほくそ笑んでいる。さっきから笑われてばかりでムカつくが、願いを叶えてくれるとなると話は別だ。

「悪いか! 俺はルックスもスタイルも中の下だしコミュ障だし……もし俺がイケメンだったら存在するだけでいつでもどこでも360度女の子に囲まれてるはずなんだ! 全部顔のせいなんだ!」

 俺の魂の叫びは狭苦しい部屋に反響した。

「わかった。お前をそうだな……高倉健と北大路欣也を足して2で割った感じのイケメンにして転生させてやろう」

 なんでチョイスが昭和の名優なんだよ。

「いいか? 今のお前の年齢、35歳までに目的を果たせなければ、もしくは死んでしまったならば、自動的にチャンスは持ち越しとなる」

「いいから早くイケメンにしてくれ! 一刻も早く挿入だ! ……あっ、そう言えばアイツどうなった?! 俺の助けたノラ猫!」

「あぁあの薄汚いキジ猫ね。待ちなさい今探すから」

 再び開かれ操作されたパソコンからは甲高い声が溢れてきた。

「ふぎゃぁぁぁああ゛ぉ! ふぎゃぁぁぁああ゛~~~ぉ!」

 そこにはメス猫と交尾しているノラ猫の姿……。

 チクショウ、人の気も知らないで我が世の春を謳歌してやがる……。

 猫の交尾を見つめながら俺は誓った。

「地球上の穴という穴、全てに挿入するぜ!!」
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