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Ⅵ 決意
6.アドルファス
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「私は、牢には入りません」
ルカの声はかすれていた。体を土に擦りつけるようにして起き上がる。
もとより痛みはなかった。ただ、これほどの憎悪を受けてなお死ねないことが、本当に哀しい。
「何、を」
アドルファスが後ずさった。ルカは近づいた。
「……私が自分を軽んじると、悲しむ方がいます。女神様もきっと、私の愚かさに心を痛めておられた。だから私を憐れんで、私のために泣く方を遣わしてくださった」
ジェイルはきっと怒るだろう。だがルカは、たとえ淫蕩な忌み子だったとしても、修道士だった。
「不甲斐なく思います。もっと早くこの歪みに気づくべきだった。私はいつも自分のことばかりで、周りの人のことなどちっとも考えなかった。傷つかない私が、傷つく方にこれ以上の犠牲を払わせるわけにはいきません。叔父上」
ジェイルの言葉は正しかったと、ルカは実感する。
ルカはずっと心のどこかでアドルファスを憐れんでいた。
ルカは、震える指でアドルファスを指さした。
「牢に入るのは、あなただ」
「何、を」
「誇りを捨て、民を害し、国境を帝国の恣にさせた。そんなことができてしまうあなたは、初めから王などではなかった」
「黙れ。寄るなッ化け物!」
「あなたは私が恐ろしいのだ。私がナタリア様によく似ているから。あなたは父と双子だったから」
管理された花園は一切の異物を許さない。すべてがアドルファスの意のままになる美しい世界だ。
ルカは間違ってそこにいた。自分の存在のほうが間違っていると思いたかった。
秩序ある王の庭は夢のように美しい。現実はもっと混沌としていて、醜い。
「あなたは片割れの犯した罪を死に物狂いで雪ごうとしておられる。その実、私を見ると何が罪なのかわからなくなるのでしょう。私の存在を罪たらしめるために、あなたは国境という、より大きな犠牲を払いさえした。結局、あなたは貴族に扇動されただけで、本当は、誰のことも――」
「ほざけッ毒虫が!」
口角泡を飛ばして、両手で首を絞めに来るアドルファスを、ルカは避けなかった。
二人の間に鋭く槍が穿たれた。
王の手からルカを守ったのはジェイルだった。ルカを自分に引き寄せ、槍を抜く。
「……もう、十分だろう」
苛立ちを隠そうともせず、頬の血を手で拭ってくれる。
アドルファスは突然の闖入者に腰を抜かしていた。
彼は、ルカとジェイルの向こうにもう一人の人影を見ていた。
「ナタリア……」
「お父様。娘として残念に思います」
彼女が手に握る扇子は、力が入りすぎて、今にも折れそうに見えた。
「コパがすべて教えてくれました。わたくしは信じたくなかった。王が、自ら国を危険に晒すなど……」
ナタリアの言葉にアドルファスの口は歪み、やがて氷のような笑みを形づくった。
「ああ、ナタリア。おまえは正しい。ただ、物を知らないだけだ。緑の民とルテニアは、永遠に相容れぬ」
ナタリアは静かに王へ向かい立った。
「永遠を語るなど、わたくしには過ぎたことです。どうか、お恨みください、お父様」
彼女は扇を振るって、王の庭を守る衛兵に命じた。
「逆賊アドルファスを捕らえよ。鮮緑の雷筒の行方を吐かせねばならぬ」
兵たちはナタリアに従う。王であるアドルファスを庇う者は、庭に一人もいなかった。
いたとしても、美しい庭を血に汚すことを、アドルファスは許さなかっただろう。
予め計画されていた無血のクーデターに、力なき王が抗う術はなかった。
「ふん……」
縄をかけられたアドルファスは二人並んだ娘と甥を睥睨する。
彼の氷のような瞳は、かすかに揺らいだかに見えた。
「忌々しいほど、よく似ておるわ……」
ルカの声はかすれていた。体を土に擦りつけるようにして起き上がる。
もとより痛みはなかった。ただ、これほどの憎悪を受けてなお死ねないことが、本当に哀しい。
「何、を」
アドルファスが後ずさった。ルカは近づいた。
「……私が自分を軽んじると、悲しむ方がいます。女神様もきっと、私の愚かさに心を痛めておられた。だから私を憐れんで、私のために泣く方を遣わしてくださった」
ジェイルはきっと怒るだろう。だがルカは、たとえ淫蕩な忌み子だったとしても、修道士だった。
「不甲斐なく思います。もっと早くこの歪みに気づくべきだった。私はいつも自分のことばかりで、周りの人のことなどちっとも考えなかった。傷つかない私が、傷つく方にこれ以上の犠牲を払わせるわけにはいきません。叔父上」
ジェイルの言葉は正しかったと、ルカは実感する。
ルカはずっと心のどこかでアドルファスを憐れんでいた。
ルカは、震える指でアドルファスを指さした。
「牢に入るのは、あなただ」
「何、を」
「誇りを捨て、民を害し、国境を帝国の恣にさせた。そんなことができてしまうあなたは、初めから王などではなかった」
「黙れ。寄るなッ化け物!」
「あなたは私が恐ろしいのだ。私がナタリア様によく似ているから。あなたは父と双子だったから」
管理された花園は一切の異物を許さない。すべてがアドルファスの意のままになる美しい世界だ。
ルカは間違ってそこにいた。自分の存在のほうが間違っていると思いたかった。
秩序ある王の庭は夢のように美しい。現実はもっと混沌としていて、醜い。
「あなたは片割れの犯した罪を死に物狂いで雪ごうとしておられる。その実、私を見ると何が罪なのかわからなくなるのでしょう。私の存在を罪たらしめるために、あなたは国境という、より大きな犠牲を払いさえした。結局、あなたは貴族に扇動されただけで、本当は、誰のことも――」
「ほざけッ毒虫が!」
口角泡を飛ばして、両手で首を絞めに来るアドルファスを、ルカは避けなかった。
二人の間に鋭く槍が穿たれた。
王の手からルカを守ったのはジェイルだった。ルカを自分に引き寄せ、槍を抜く。
「……もう、十分だろう」
苛立ちを隠そうともせず、頬の血を手で拭ってくれる。
アドルファスは突然の闖入者に腰を抜かしていた。
彼は、ルカとジェイルの向こうにもう一人の人影を見ていた。
「ナタリア……」
「お父様。娘として残念に思います」
彼女が手に握る扇子は、力が入りすぎて、今にも折れそうに見えた。
「コパがすべて教えてくれました。わたくしは信じたくなかった。王が、自ら国を危険に晒すなど……」
ナタリアの言葉にアドルファスの口は歪み、やがて氷のような笑みを形づくった。
「ああ、ナタリア。おまえは正しい。ただ、物を知らないだけだ。緑の民とルテニアは、永遠に相容れぬ」
ナタリアは静かに王へ向かい立った。
「永遠を語るなど、わたくしには過ぎたことです。どうか、お恨みください、お父様」
彼女は扇を振るって、王の庭を守る衛兵に命じた。
「逆賊アドルファスを捕らえよ。鮮緑の雷筒の行方を吐かせねばならぬ」
兵たちはナタリアに従う。王であるアドルファスを庇う者は、庭に一人もいなかった。
いたとしても、美しい庭を血に汚すことを、アドルファスは許さなかっただろう。
予め計画されていた無血のクーデターに、力なき王が抗う術はなかった。
「ふん……」
縄をかけられたアドルファスは二人並んだ娘と甥を睥睨する。
彼の氷のような瞳は、かすかに揺らいだかに見えた。
「忌々しいほど、よく似ておるわ……」
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