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第一章 お屋敷編
第九話 猫と月明り
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銀色のがかったグレーと、白色の毛。ふわっとしていて、しなやかで長いしっぽ。
一目見ただけでもすぐに分かった。間違いない。俺を助けてくれた、猫の女の子。
これでようやく、ちゃんとお礼が言える。
「あの、さっきは本当に、ありがとうございます」
再会できたことに喜びを感じながら、俺は声を掛ける。
けれど、その背中が、びくりと震えて。
そして女の子は、恐る恐るゆっくりと、こっちを振り向いて、その表情はこわばっていて……。
「い、いえ、その……」
小さくそう呟いて女の子はペコリと頭を下げ、ささっとすぐに廊下の向こうへと、遠ざかって見えなくなってしまう。
「あ……」
呼び止めることなんて当然できずに、呆然としてただその場に俺は突っ立っている。
女の子の全身の毛は少し逆立っていて、しっぽや耳も垂れていて。
……明らかに、怖がられていた。
仕方がないとはいえ流石に、これはショックで……胸を締め付けられるような感覚がする。
動悸と目眩を感じながらも、動き出した狐火に続く……。
もう少し歩くと、ある部屋の前でぴたりと狐火が止まった。
見上げれば、ふすまの上には『水無月』という筆文字の躍った表札が掲げられている。
ここが、俺の部屋か。ようやく辿り着いた。
ただ屋敷の中を歩いていただけなのに、長旅を終えた時の様な気分だ。
「ありがとな」
狐火にお礼を言ってから、早速ふすまを開ける。
どれどれ。
「おお……」
もっと悲惨な場所だと想像していたけれど……そのふすまの向こうは意外にも広い部屋で、良い意味で期待を裏切られる。
一、二……八畳も有った。元の世界の俺の部屋は四畳半だったから、かなりのグレードアップ。これは素直に嬉しかった。
置いてある家具は、木製の濃い茶色の大きなタンスと、本の詰め込まれた背の高い本棚が一つと、同じく木製の長方形で背の低いちゃぶ台。それから座椅子が二つに、小物入れとして使えそうな箱が二つ。
「ふう……」
部屋の中央にゆっくりと腰を下ろし、黒い学ランを脱ぐ。
一旦座ってしまえば、全身に重くのしかかっていた疲れが畳に吸い取られていく。体が部屋の中に溶けていくみたいだ。
自分が今入って来たふすまに背を向けて、部屋の中をぐるりと見まわす。
左右にもそれぞれふすまが有って、正面には障子。つまりこの部屋は四方が扉に囲まれていた。
やっぱり好奇心には勝てない。
俺は立ち上がって、まずは障子に向かって右側のふすまを開けてみる。
中は普通の押入れで、上段にはいくつもの布団と枕が積まれ、下段には薄いシーツの様なものが畳まれてある。
ふすまを閉じてから、今度は障子に向かって左側のふすまに手を掛けた。
「あ」
だけど今度は少し引いただけで、慌ててすぐに閉めてしまう。
どうやら隣は誰かの部屋らしい。机に筆や紙が置いてあることや、家具の感じから、間違いない。
幸いにも部屋の主はおらず、気まずくならずに済んだ……。ほっと胸をなで下ろす。
さて、と。
残るは正面の、障子だけ。
からりと、慎重に開けてみれば。
青白い明かりを湛えて夜空に浮かぶ満月が、視界に飛び込んでくる。
障子の外は、長い縁側と繋がっていて。目の前には、お屋敷の庭の草木や、干された洗濯物が夜風に揺らめていてる風景が広がっている。
「……」
俺は縁側にそっと腰を下ろして、広々とした庭とその背景の月を一緒に眺める。
「ふわ……」
つい気が緩み、欠伸が出てしまう。体も心も想像以上に疲れてるんだろう。当然だ。
――どこに居ようと、月は変わらない。
その美しさに心を奪われながら、しみじみと考える。
御珠様の説明を聞いた後でも、やっぱり分からないものは分からない。
だけど、これだけは一つ言えそうだ。
獣人と言えばよく、野蛮で凶暴なイメージを抱かれることが多いし、実際俺も今までそんな風に思っていたけれど……。
この世界の獣人たちは、どうやらそうではないらしい、そんな気がする。
確かに俺は、街で獣人達に囲まれはした。でも、獣人達はただ驚いているだけで、そこに傷つけようという感情は無かった気がするし、結局追手も、来なかったし……。
……だけど。
例え危害を加えられないとしても、あのまま街の中で一人で居たら、俺は確実に気が動転して気絶しまっていただろう。極度の緊張が続いたせいで、心が折れてしまっていたかもしれない。
そんな状態の俺を、見ず知らずの人間を……あの女の子は、助けてくれたんだ。
勇気を出して、手を差し伸べてくれたんだ……。
いくら感謝しても、し切れない。紛れもなく、恩人だ……。
………。
……不意に、さっき廊下でばったり出会った時の、女の子の怯えた表情を思い出す。
仕方ないこととはいえ……怖がられるのは、やっぱり、少し、辛い。
嫌われたり、茶化されたりする方がまだマシかもしれない……。
どうすれば良いんだろうか。簡単に、答えが出るはずもない。
「はあ……」
それと、俺の頭を悩ませる問題がもう一つ。
ある意味もっと大切なこと。超重要なこと。
御珠様は、まぐわうために俺をこの獣人の世界に連れて来たって言っていたけれど……。
もし本当にそうなら、一度でもしてしまえば……その目的を果たしたことになるんじゃないか?
あっさりと元の世界に戻れたりして。
……でもなあ……。
さっき自分から御珠様の誘いを断ってしまった以上、自分から頼みに行くのは物凄くハードルが高かった。というか、無理だ。絶対無理……!
情けないけれど、そんな度胸有るはず無い。
そもそも俺に、本番をするための心の準備ができるかどうかも怪しいのだ。
頼みに行ったところまでは良いものの、またさっきの様なチキン精神が働かないとも限らない。
今度、中断したら流石に超失礼だ。それこそ御珠様に本気で呪われるかもしれない……。
それじゃあ、一体どうすれば良いのやら……。
……問題が問題なだけに、どうしても踏ん切りがつかない。
……でもまあ、そんなに急ぐ必要もないのかもしれない。
考え無しに行動して失敗するのは、もうごめんだった。
とにかく、この世界でも生きてはいけるみたいだし……。
ひとまず、今は、考えるよりも、それよりも、……。
…………眠い……。
涼しい夜風が頬を撫でる。
瞼は重くなってきて……。
「……zzz」
………。
――こうして、俺のお屋敷生活は幕を開けたのだった。
一目見ただけでもすぐに分かった。間違いない。俺を助けてくれた、猫の女の子。
これでようやく、ちゃんとお礼が言える。
「あの、さっきは本当に、ありがとうございます」
再会できたことに喜びを感じながら、俺は声を掛ける。
けれど、その背中が、びくりと震えて。
そして女の子は、恐る恐るゆっくりと、こっちを振り向いて、その表情はこわばっていて……。
「い、いえ、その……」
小さくそう呟いて女の子はペコリと頭を下げ、ささっとすぐに廊下の向こうへと、遠ざかって見えなくなってしまう。
「あ……」
呼び止めることなんて当然できずに、呆然としてただその場に俺は突っ立っている。
女の子の全身の毛は少し逆立っていて、しっぽや耳も垂れていて。
……明らかに、怖がられていた。
仕方がないとはいえ流石に、これはショックで……胸を締め付けられるような感覚がする。
動悸と目眩を感じながらも、動き出した狐火に続く……。
もう少し歩くと、ある部屋の前でぴたりと狐火が止まった。
見上げれば、ふすまの上には『水無月』という筆文字の躍った表札が掲げられている。
ここが、俺の部屋か。ようやく辿り着いた。
ただ屋敷の中を歩いていただけなのに、長旅を終えた時の様な気分だ。
「ありがとな」
狐火にお礼を言ってから、早速ふすまを開ける。
どれどれ。
「おお……」
もっと悲惨な場所だと想像していたけれど……そのふすまの向こうは意外にも広い部屋で、良い意味で期待を裏切られる。
一、二……八畳も有った。元の世界の俺の部屋は四畳半だったから、かなりのグレードアップ。これは素直に嬉しかった。
置いてある家具は、木製の濃い茶色の大きなタンスと、本の詰め込まれた背の高い本棚が一つと、同じく木製の長方形で背の低いちゃぶ台。それから座椅子が二つに、小物入れとして使えそうな箱が二つ。
「ふう……」
部屋の中央にゆっくりと腰を下ろし、黒い学ランを脱ぐ。
一旦座ってしまえば、全身に重くのしかかっていた疲れが畳に吸い取られていく。体が部屋の中に溶けていくみたいだ。
自分が今入って来たふすまに背を向けて、部屋の中をぐるりと見まわす。
左右にもそれぞれふすまが有って、正面には障子。つまりこの部屋は四方が扉に囲まれていた。
やっぱり好奇心には勝てない。
俺は立ち上がって、まずは障子に向かって右側のふすまを開けてみる。
中は普通の押入れで、上段にはいくつもの布団と枕が積まれ、下段には薄いシーツの様なものが畳まれてある。
ふすまを閉じてから、今度は障子に向かって左側のふすまに手を掛けた。
「あ」
だけど今度は少し引いただけで、慌ててすぐに閉めてしまう。
どうやら隣は誰かの部屋らしい。机に筆や紙が置いてあることや、家具の感じから、間違いない。
幸いにも部屋の主はおらず、気まずくならずに済んだ……。ほっと胸をなで下ろす。
さて、と。
残るは正面の、障子だけ。
からりと、慎重に開けてみれば。
青白い明かりを湛えて夜空に浮かぶ満月が、視界に飛び込んでくる。
障子の外は、長い縁側と繋がっていて。目の前には、お屋敷の庭の草木や、干された洗濯物が夜風に揺らめていてる風景が広がっている。
「……」
俺は縁側にそっと腰を下ろして、広々とした庭とその背景の月を一緒に眺める。
「ふわ……」
つい気が緩み、欠伸が出てしまう。体も心も想像以上に疲れてるんだろう。当然だ。
――どこに居ようと、月は変わらない。
その美しさに心を奪われながら、しみじみと考える。
御珠様の説明を聞いた後でも、やっぱり分からないものは分からない。
だけど、これだけは一つ言えそうだ。
獣人と言えばよく、野蛮で凶暴なイメージを抱かれることが多いし、実際俺も今までそんな風に思っていたけれど……。
この世界の獣人たちは、どうやらそうではないらしい、そんな気がする。
確かに俺は、街で獣人達に囲まれはした。でも、獣人達はただ驚いているだけで、そこに傷つけようという感情は無かった気がするし、結局追手も、来なかったし……。
……だけど。
例え危害を加えられないとしても、あのまま街の中で一人で居たら、俺は確実に気が動転して気絶しまっていただろう。極度の緊張が続いたせいで、心が折れてしまっていたかもしれない。
そんな状態の俺を、見ず知らずの人間を……あの女の子は、助けてくれたんだ。
勇気を出して、手を差し伸べてくれたんだ……。
いくら感謝しても、し切れない。紛れもなく、恩人だ……。
………。
……不意に、さっき廊下でばったり出会った時の、女の子の怯えた表情を思い出す。
仕方ないこととはいえ……怖がられるのは、やっぱり、少し、辛い。
嫌われたり、茶化されたりする方がまだマシかもしれない……。
どうすれば良いんだろうか。簡単に、答えが出るはずもない。
「はあ……」
それと、俺の頭を悩ませる問題がもう一つ。
ある意味もっと大切なこと。超重要なこと。
御珠様は、まぐわうために俺をこの獣人の世界に連れて来たって言っていたけれど……。
もし本当にそうなら、一度でもしてしまえば……その目的を果たしたことになるんじゃないか?
あっさりと元の世界に戻れたりして。
……でもなあ……。
さっき自分から御珠様の誘いを断ってしまった以上、自分から頼みに行くのは物凄くハードルが高かった。というか、無理だ。絶対無理……!
情けないけれど、そんな度胸有るはず無い。
そもそも俺に、本番をするための心の準備ができるかどうかも怪しいのだ。
頼みに行ったところまでは良いものの、またさっきの様なチキン精神が働かないとも限らない。
今度、中断したら流石に超失礼だ。それこそ御珠様に本気で呪われるかもしれない……。
それじゃあ、一体どうすれば良いのやら……。
……問題が問題なだけに、どうしても踏ん切りがつかない。
……でもまあ、そんなに急ぐ必要もないのかもしれない。
考え無しに行動して失敗するのは、もうごめんだった。
とにかく、この世界でも生きてはいけるみたいだし……。
ひとまず、今は、考えるよりも、それよりも、……。
…………眠い……。
涼しい夜風が頬を撫でる。
瞼は重くなってきて……。
「……zzz」
………。
――こうして、俺のお屋敷生活は幕を開けたのだった。
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