もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第三十五話 爽やかな休日?

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「……景君、これは、どういうことかな……?」
 やけに落ち着いたよもぎさんの声は、震え上がるぐらいの迫力が有った。
 今の状況、再確認。深夜に耳を撫でに貰いに来た白狐の都季とき灯詠ひよみが、何故か俺の体の上にまたがっていて……。
 ……どこから、見られていた? 分からないけど、非常に良くない事態になっていることだけは確かだ。
 いや、それどころかこれって、詰んでる……?
「い、いえ、これはですね、その……」
「……十徹とうてつ君」
 蓬さんは俺の命乞いを待たずに、極めて冷静な声で十徹さんに合図をする。
「……」
 無言で頷いて、竹刀を持って部屋に入って来る十徹さん。
「ち、ちが、これは誤解なんですって……!!」
「……天誅」
 ゴッ。鈍い音がして、再び俺は夢の世界へ……。


 ―――。
「景君、昨日は本当にごめん!」
 翌日。朝食の後、台所で。
 じゃぶじゃぶと皿を洗いながら、蓬さんが申し訳無さそうに頭を下げた。
「まさか、私達の誤解だったなんてね……」
 昨日の深夜、十徹さんの一撃によって俺は気を失って、ずっと眠っていた。
 十徹さんは手加減をしてくれていたらしく体には痛みは無いし傷も残ってないので、多分緊張とショックで倒れてしまったんだけど……。
 とにかく、明け方になってようやく目覚めた俺は、必死に蓬さんと十徹さんに状況を説明した。そりゃあもう、なりふり構わずに。泣きそうになりながら、懺悔する勢いで。
 だけど、俺が眠っている間に子狐達がちゃんと事情を説明してくれたらしく……結果、俺は全くの無罪と理解してもらえて、ロリコンの烙印を押される事態は免れることができたのだった。
「………………すまなかった」
 十徹さんも皿を洗う手を止めて謝った。昨日の事件が有ったからか、十徹さんも今日は朝から、食事の準備や皿洗いなどの家事を手伝っているのだ。
「い、いえ、本当に大丈夫です。気にしていませんって!」
 俺は慌てて二人に声を掛ける。誤解が晴れた後に一度謝ってくれた十徹さんと蓬さんを、これ以上責める気は少しも無かった。そもそもあんな怪しい状況だと、蓬さんと十徹さんが誤解するのも当然だ。
 深夜だったし、それに加えて子狐達のテンションも何かおかしかったし……。
 ……まあ、何はともあれ、無事に済んで良かった。本当に良かった。あのまま誤解され続けていたらきっと俺は、見捨てられていたに違いない。危なかった……。
「私はてっきり、景君が妙な気を起こして都季ちゃんと灯詠ちゃんに――」
 すると蓬さんが、さらっと、とんでもないことを言い掛ける。
「だから違いますって!」
「ごめんごめん。冗談だよ、冗談」
 明るく笑う蓬さんと、そんな感じの話をしていると……。
 くすっ、と隣から小さな笑い声が聞こえてきて。
「本当に、良かったです。都季ちゃんと灯詠ちゃんの様子が元に戻って……」
 心の底からそう思っている口調で、ちよさんは言った。表情も、晴れ晴れとしていて。
 きっと、昨日の子狐達の異変を誰よりも心配していたんだろう……。ずっと不安げだったちよさんも、今日は落ち着いて、ほっとした様子だった。
「ちょっと元気過ぎる気もしますけどね……」
 今朝の子狐達の様子を思い出して、俺は苦笑する。
 耳を撫でて貰いに行ったことが皆にバレたからか、二人は茶の間にやって来ても、恥ずかしそうに柱の陰に体を隠していたけれど。いざ朝食が始まるとあいつらは不敵に笑って、俺が楽しみにしていただし巻き卵を全て奪うというとんでもない悪行に走ったのだった。……油断ならない。
「でもまあ、子供は元気が肝心だよ」
 良かった良かった、と蓬さんが目を閉じて頷いている。
「そうですかねえ」
 疑わしげな口調で言うけれど、思っていることは俺も完全に一緒だった。
 耳を撫でて貰いたかっただけだったなんて、笑ってしまう様な理由だけど……深刻な問題を抱えているよりも、そっちの方が遥かに良い。子狐達に何も無くて、本当に良かった。
 ……ふと、隣に座っているちよさんと目が合う。するとちよさんは『良かったですね』、と伝える様にほのかに微笑んでくれて。俺も笑って、喜びを分かち合ったのだった。


 一人増えた四人だと、皿洗いは普段よりも更に捗って、あっという間に終わってしまった。
 桶の水を捨て終わった裏庭で、伸びをする。今日も雲一つない、爽やかな良い天気だ。
 この世界の暦と俺が元居た世界の暦は、完全に同じではないんだろうけど……少なくとも、五月の下旬、ほんの少しだけ夏の気配がするこの感じは一緒だ。爽やかで涼しい、過ごしやすい時期。
「今日はどこを掃除すれば良いですか?」
 何はともあれ、掃除日和なことは間違いない。俺は、皿洗いに使った大きな桶を壁に立てかけていた蓬さんに話しかけた。 
 昨日は子狐達のことが頭から離れなくて、暗い気分を引きずったままだったけれど……その反動か、今日は気分はすっきりとしていて、何でもできる気がした。
「ああ、景君、そのことなんだけど」
 けれど蓬さんは、額を拭って笑った。
「今日はお仕事はお休みだから、ゆっくり休憩してね」
「えっ……でも……」
 体の痛みは全く無いし、疲れてもいなかった。それに、俺が休んだらその分、蓬さんとちよさんが……。
「まあまあ。元々今日は皆、仕事の殆ど無い日だからね」
 そんな俺の考えをすぐに読んだ蓬さんが、説明してくれる。
「御珠様も十徹君もお休みなんだよ。だから心置きなく休んで」
 皆が一斉に休むということは、日曜日とか休日の様なものかな……?
「あ、そう言えば……」
 御珠様の名前が出て、思いだす。蓬さんに一つ訊きたいことが有ったことを。
「うん。何でも言ってごらん?」
「御珠様は普段、どんな仕事をなさっているんですか……?」
 蓬さんとちよさんは主に家事。十徹さんはお屋敷の警備。都季と灯詠は……遊ぶこと。
 このお屋敷に来て数日経って、大体誰がどの役割を分担しているかが大体把握できた。
 だけど……一番肝心な御珠様の仕事が、未だに把握できずにいる。
「うーん、そうだねえ……御珠様のお仕事か」
 蓬さんが口元に指先を当てて、考える仕草をする。
「この街の『流れ』を司るとは、聞いているんですけど……」
 人の流れ、天候の流れ、物の流れ。あらゆる『流れ』を管理していると御珠様は説明していた。そして、実際に二階で何かの儀式をしているらしい。けれど……それが具体的にどういう仕事なのかが、さっぱりイメージできなかった。
 気になってはいたものの、仕事を邪魔しては悪いと思っていたので、今まで本人に聞きそびれてしまっていたのだ。
「『流れ』……ね。確かに、そうかも」
 蓬さんは御珠様の説明に納得が言った様に、頷いた。
「私の知ってる限りで大まかに説明すると、御珠様の仕事は……街の大きな会合をまとめたりとか、大きな取引の仲介したりとか、その辺りかな。それから、新しい建物の着工前と完成後に、安全祈願の御祓いをしたりとか」
 御祓い。確かに御珠様は、巫女さんの一族の出身とか、子狐達が言ってたっけ……。
「それ以外の仕事も色々やっていて……、例えば、二階では妖術を使って取引のタイミングを見たりとか、作物や商品の取れ高を調べたり。見回りに使う狐火も作っているんだよ」
「そんなに沢山の種類をこなせるなんて……凄いですね」
 感嘆の言葉が、素直に出てくる。
 つまり、この街に関わることを全てひっくるめて、御珠様は『流れ』と表していたのだ。
 飄々としていて、だらしない人だなあ……とばっかり今まで思っていたけれど。
 それだけ多くの仕事をこなしているなんて……本当に、立派だと思う。
「だけど、疲れたまま儀式をして失敗したら、街の安全に影響が出ちゃうからね。御珠様も、休む時はしっかり休まなきゃ駄目なんだよ」
 『休み過ぎの時も多いけどね……』と付け加えてから蓬さんは、今度は俺の肩にぽんと手を置いた。
「景君も同じだよ。このお屋敷に来たばかりで、疲れも溜まってるだろうから……今日は、のんびりね」
 そんな蓬さんの優しい言葉に、思わず目頭が熱くなる。
「あ、ありがとうございます……!」
「それに、今日は私とちよちゃんものんびりする日だからね! お昼ごはんは塩むすび! 自分達で自由に作ってね!」
 蓬さんが元気に笑って、それにつられて俺も笑った。
「それじゃ私は自分の部屋にいるから、何か困ったことが有ったら、いつでも言いに来てね!」
 そして蓬さんは手を振って、裏庭に有る縁側へと上がって家の中に入ろうとした。
「あっ……そうだ」
 けれど、不意にぴたりと立ち止まって、振り返る。
「御珠様で、思い出したんだけど……」
 縁側から降りて再び俺の前に立った蓬さんの表情はどんよりとしていて、太いしっぽもしゅんと垂れていて……。
「は、はい、何でしょうか……」
 今さっきまでとは明らかに異なる蓬さんの様子に、戸惑いながら返事をする。一体、何を思い出したんだろう。
「ごめんね、景君にどうしても頼みたい仕事が、一つだけ有ったんだ……。もう他に、託せる人がいなくて……」
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