上 下
20 / 26
第二章【神社の神様?白トカゲVS黒トカゲ】

【9】不思議な黒トカゲ

しおりを挟む
【9】



目の前の小さな段ボールを前にして、ごくりと小さく息を呑む。


……死んでいたら………どうしよう。


この地球上、生きとして生ける生物に必ず訪れる決して逃れられない『死』

ましてトカゲのような小さな生き物などは、少しのケガでも致命傷になるくらい儚い命だ。しかも あんなに弱っていて、いつ死んでしまっても おかしくはない状態だった。

昔、長年飼っていた愛猫を病気で失くして以来、生き物が目の前で死んでいくのを見るのが嫌で、なるべく そういう事から目を背けていたのに、まさか自ら進んで そういう状況を作ってしまうとはーーー

けれど、目の前で弱っていく小さな命を見て見ぬふりは さすがに出来きず、こうして自宅まで連れ帰ってきてしまった。しかも苦手なはずのちゅうるいであるトカゲを。

とはいっても、保護したトカゲは自分の知りうるトカゲとは違い、とても印象的な綺麗なトカゲであったから連れて帰る気になったのかもしれない。

もし これがイボイボだったり変な色のまだらようだったりしたら、自分の良心に自信が持てない。


しばらく段ボールを見つめていると、箱の中からカサリと微かに音がするーーえ、もしや?


そっと段ボールの蓋を開くと、黒トカゲの綺麗な紫色の目と視線が合った。


「『クロ』! 目が覚めた?」


そんな黒トカゲが動いているのを見てホッと安堵する。もう死んでしまっているんじゃないかと、気が気じゃなかったので尚更だ。


「もう、ホントに心配したんだから。大丈夫? どこか痛くない?」


到底、言葉など通じるはずもないのに、ついつい、どこか痛い? などと話し掛けてしまう。

一方の黒トカゲは その場に固まったまま視線だけを私に向けて、じぃーっと見つめている。

黒トカゲの その宝石のアメジストのような綺麗な目を再び見る事が出来て本当に良かった。

見れば見るほど吸い込まれそうなくらいに見惚れる色だ。黒い体も艶やかな漆黒色で、人間でいうところの なかなかの美人である。

思わず こちらを見つめたまま動かない黒トカゲを触ろうとして手を伸ばしかけた自分にハッと我に返ると、慌てて その手を引っ込めた。


ーーし、信じられない。私、今、トカゲを触ろうとした? だって爬虫類だよ? もしかしたら噛まれたりだってするかもしれないのに。

だけど あまりに綺麗なトカゲだし、その綺麗な紫色の目を見ていたら、何故か自然に手が伸びてーー

や、やばい。私の無意識の欲望か? よく美しい宝石に魅せられるとか聞くじゃない。しかも紫色って なんかこう、無意識に惹き寄せられるというか、いわば『魔性』の色って感じなのかな。

ーーう~ん。『黒』ずっと こっちを見ているから生きているはずなんだけど、それにしては全然動かないな。まさか、目を開けたまま死んでるなんて事ないよね?


なので割り箸か何かで突っついてみようかと周囲に視線を向けると、ようやく黒トカゲの体が動く。

そして水を飲み始めた。水が飲めるという事は取り敢えず命の危機はなさそうだ。

私は黒トカゲの餌で少し干からびてしまった果物を取り替えるべく、すぐ冷蔵庫からあらかじめ黒トカゲが食べやすいサイズに切ってあったリンゴやバナナ、キュウリやキャベツなどが入っている保存パックを取り出して持ってくる。


「ほら、『クロ』これも食べなさい? 傷を早く直すには栄養をつけるのが一番よ。う~ん、どれが好きかなあ。さすがに昆虫は私が無理だから、そこは勘弁して?」


そう言いながら輪切りにして小さく切ったリンゴをためしに黒トカゲの口元に恐る恐る近付けると、黒トカゲは匂いを確認するように鼻先をちょこんとくっつけ、リンゴをパクリと咥えた。 

そして器用に前足でリンゴを押さえるとモグモグと食べ始める。その仕草のあまりの可愛さに思いの外、胸がキューンとしてしまう。


「かっ、可愛いぃ。なに? トカゲって、こんなに可愛い生き物だったっけ? しかも小っちゃな お手々で掴んでモグモグしてるのが、また可愛いぃぃ………」


そんな黒トカゲを見て衝撃を受けた私は次にキャベツを差し出すと、黒トカゲは匂いを嗅いで お口をパッカン開いて、また前足を使い、パリパリと音をたてて食べている。


「か、可愛い。しかもパリパリとか音してるし。この子、すごく お行儀よく食べるなあ。なんか想像していたのと全然違う。

外見も すごく綺麗なトカゲだし、そもそも育ちがいいのかなあ。ああ、いや、トカゲに育ちがいいっていうのもおかしいんだけど」


ほんわりと笑みを浮かべながら、今度は輪切りバナナをあげてみると、匂いを嗅いでからパクリと咥える。

すると好みに合わなかったのかバナナを食べるのをやめて、プイっと顔を背けてしまう。その姿が またなんとも可愛らしい。


「あはは、バナナは嫌いだったみたいだね。もしかしてバナナの柔らかい食感がダメだった? それじゃあ、こっちのキュウリはどうかな?」


私の爬虫類の苦手意識は どこへいったやら、この黒トカゲの反応が楽しくて、噛まれるかもという思考すら、どこかに すっ飛んでしまったらしい。

黒トカゲの口元に手掴みで せっせと給餌を続ける。すると黒トカゲはキュウリをパクリと食べ始めた。


「ふふっ、どうやらキュウリは好きみたいだね。良かった。なんとか果物や野菜は食べられそうで安心したよ。それがダメだったら最後の手段。考えたくないけど虫の捕獲しにいかなきゃって思ってたからさ」


ホッと胸を撫で下ろしながら、しばらく黒トカゲの食事風景を眺めていたが、ふとテレビの時刻を見て慌てる。


「あ、もう こんな時間だ。 早く仕事に行く支度しないと!」


食事中の黒トカゲの様子を見て安心した私は、仕事に行く支度をバタバタと慌ただしく始め、家を出る時にもう一度黒トカゲの様子を確認すると、どうやら再び眠っているようだったので、そっと段ボールの蓋を閉めて自宅を後にした。


******


それから数日、黒トカゲは少しづつ傷も回復して元気になっていった。なんといっても私の介護の賜物だ。そして今日は金曜日の夜。

私は仕事帰りにスーパーで黒トカゲが特に好んで食べていたブドウの王様、高級シャインマスカットを購入し、黒トカゲが喜ぶ姿を想像しながら意気揚々と帰宅する。

不思議な事に、黒トカゲと生活し始めてからというもの驚く事に仕事も順調で、さいな事ではあるが小さなラッキーが続き、仕事に失敗しそうな時も事前に解決したり、さすがに宝くじの高額当選とはいかないものの、

スクラッチを買うと少額ではあるが当たりが必ず出るようになったりと、自分でも怖いくらいに人生のツキが周り始めた。


それに最近、よく行くドラッグストアーに好みのタイプでドストライクの お兄さん店員が入ったので、  

私はまるで女子中、高校生に戻ったかのように、アイドルを追っかけるがごとく今まで以上に足繁く お店に通い、青春時代の淡い心のトキメキを充電しているせいか、  

最近の私は会社でも10歳は若返ったと周りから言われているくらいに元気ハツラツだ。

そして今日も仕事帰りにドラッグストアーに行くと、そのお兄さん店員の勤務の日で、

しかもレジの順番を待つ私に「お待ちの お客様、こちらにどうぞ?」と優しく声を掛けてくれ、

爽やかな笑顔で「いらっしゃいませ」「ポイントカードはお持ちですか?」「買い物袋は ご入り用ですか?」「ありがとうございました」と、レジ当番でのみ会話が出来る唯一のラッキーデイに当たった。

至近距離で恥ずかしくて お兄さんの顔をまともに見られないのがなんともヘタレではあるが、
 
それでも週の終わりに そんなラッキーがあると、もう嬉しくて舞い上がりそうだ。

つい頬の筋肉が緩んでにやけてしまいそうになるのを必死にこらえて、お店の外の駐車場に止めてある自分の車に乗り込むと、

いそいそとバッグから手帳を取り出し今日のカレンダーにお兄さんがレジ番だった花丸マークを書き入れる。


「きゃ~  嬉しいな。今日は久々に お兄さんのレジに当たっちゃった。週末に お兄さんの声と笑顔で癒されるなんて、超幸せすぎる! 

もしかして、これもみんな『黒』のおかげなのかも? よぉし!今日は『黒』が大好きなシャインマスカットを買って帰ろう! 『黒』も喜ぶぞ~」


あの神社で黒トカゲを保護してからというもの、こうして良い事ずくめなのは、

もしかすると、あの黒トカゲこそ『神様』なのではなかろうか? だから あの時、黒トカゲを助けた私に ご利益を授けてくれたのかも? 

でも、どちらかと言えば、あそこにいた白トカゲの方が見るからに神々しいオーラが全身から出ていて神様っぽかったんだけども。


そういえば、あの白トカゲ、元気にしてるかなあ。他の人間に捕まってなきゃいいけど。でも実際『黒』を傷つけたのもあの白トカゲだからなあ~

う~ん。とはいえ、あの様子からして悪いトカゲじゃないような気もするけど、それなら、なんであの時『黒』と喧嘩をしていたんだろ? 

お互い珍しいトカゲ同士なんだし仲良くすればいいのに。それともトカゲの世界も人間関係が大変なんかねぇ………


あれから近所の神社には足を踏み入れていないので、なにげに あの時の白トカゲを思い出すも、今の私は黒トカゲの飼い主みたいなものなので、白トカゲへの関心はすぐに消えてしまう。

しかも あれだけ喧嘩も強くて賢いトカゲだから、きっと なんとか上手くやっているに違いない。

私は自宅のアパートに帰宅すると、真っ先に黒トカゲの入っている段ボールを覗き込む。


「クロ~、ただいま! 今日もお利口さんで お留守番 出来て偉い偉い!」


そう言いながら黒トカゲの頭を指で撫でると『黒』は気持ちよさそうに大人しく頭を撫でられている。

なんと、自分でも想定外な事だが、ここ数日で私と黒トカゲの関係は大きく変化していた。


今や私は あれだけ苦手だった爬虫類のトカゲをなんと素手で触っているのだ。

意識の戻った黒トカゲと生活するようになってから分かったのは、

この黒トカゲは大変大人しく、しかも賢くて、どうやら人間の言葉を理解しているようだった。それこそあの時の神社で遭遇した白トカゲと同じだ。

黒トカゲに話しかけると、私が言った言葉に対しての反応が返ってくる。まるで犬や猫のように意思の疎通が出来るとは驚きである。

他のトカゲの知識は全く無いので普通がどうなのかは分からないが、少なくともこの黒トカゲが私に従順であり、

手を入れても攻撃するどころか、人懐っこく擦り寄って来るので、私の苦手意識もすっかり払拭されて、

昔飼っていた愛猫との生活を思い出したかのように、今では黒トカゲが可愛くて仕方ない。


「ふふっ、ねえねえ『黒』聞いてくれる? 今日はね~  すっごく良い事があったんだ~ 

なんと薬局の お兄さんのレジに当たったんだよ! お兄さんに「いらっしゃいませ」って笑顔で言われたから、私も心の中で「いらっしゃいました! あなたに会いに♡」って言っちゃった。

今日も お兄さん爽やかでカッコ良かったな~ おかげで今日の仕事の疲れも一気に吹っ飛んじゃったよ~」


端から見ればトカゲに話しかける人間など異様に見えるだろうが、ここは独り暮らしの自宅であり他人の目を気にしなくてもいいので、なにも問題はない。

それに独り暮らしなだけに話し相手がいるのは良い事だ。そうでなくても一人で家にいると、時々日本語を忘れそうになる。


すると黒トカゲは その紫色の目で私をジッと見ながら怒っているように口を開けて空気の抜ける鳴き声を上げると、私の手をすり抜けて段ボールの端に移動する。そして体を小さく丸めると無視を決め込んでいる。

私がいくら呼んでも一向に反応しない。その様子を見て私のニヤニヤが止まらない。

そう、これは私がお兄さんの話をすると黒トカゲは忽ち機嫌が悪くなり、思いっきり拗ねてしまうのだ。つまり“ヤキモチ”である。


この黒トカゲは『男の子』である。

トカゲの性別など一般人には分からないものだが、この黒トカゲが人間の言葉を理解しているっぽいので、なにげに性別を聞いてみると、雌には全く反応せず雄の方に反応を示した。

だから私が他の人間の話をすると面白くないらしく、特に異姓に対して好意的な発言をすると、それがテレビの中の人間であっても、このように不機嫌をアピールしてくる。

それがまた可愛くて、ついつい その反応見たさに意地悪してしまう。


そんな相手はトカゲなのに、何をやっているんだと言われそうだが、勿論、誰も見ていないので問題は全くない。

私は笑顔で黒トカゲに声を掛けた。


「『黒』、『ク~ロ』? 『黒』ちゃん? ごめんごめん、機嫌直して? お兄さんは あくまでお店の人ってだけだから。

私の中では『黒』が一番カッコいいよ。それに『黒』は容姿端麗で、その透き通るような綺麗な紫色の目がミステリアスで すっごく素敵。

私は『黒』が どんな動物よりも一番カッコ良くて可愛いと思ってるからね?」


そんな私の言葉に黒トカゲは丸まっていた体を伸ばすと私の方に戻ってきたので、

私は笑いながら「『黒』は本当に可愛い。すごく綺麗でカッコいい」と声を掛けながら再び手を伸ばして黒トカゲの頭を撫でようとすると、その手に黒トカゲが甘えるように自分の頭を擦り付けてくる。


ーーか、可愛いぃぃ!!


私は黒トカゲの反応の可愛いさに、空いている片手で自分の腰をバンバンと叩いて身悶えながら、ご機嫌を直す取って置きのアイテムを取り出した。


「ほら、これ なぁ~んだ? 『黒』の大好きなシャインマスカットだよ。可愛い『黒』の為に特別に大きいやつ買ってきたんだから。これから毎日食べれるからね~」


手に取ったシャインマスカットの粒を房から外して、更に爪で小さく果肉を千切り黒トカゲの前に差し出すと、

黒トカゲの紫色の目が一際大きく見開き、今度は嬉しそうな鳴き声を上げて果肉に かぶりつく。

どうやら ご機嫌は すっかり治ったみたいだ。その様子にクスッと笑いながら残りの果肉も小さく千切って黒トカゲの側に置くと、


「残りは後で一緒に食べようね。今日は週末だから私の晩酌に付き合って?」


と言い残して、さっそく お風呂の準備に取り掛かるのだった。




【9ー続】
しおりを挟む

処理中です...