かなしいことやなんて、なんにもあらしまへん〜衆道刃傷物語

諸田押利(もろたのおしとし)

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十三才 春 初めての夜の、初めてやないこと。 前

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 天正4年4月──。

「ほれ、月丸」
「はい、村正様」
 膝を叩いて、武士は稚児の名を呼んだ。
 屋敷の庭は、桜がまさに満開であった。

 数えで十三(満年齢で十一歳)になる稚児が、嬉しそうに主人に駆け寄る。その武士の名は、鹿鳴瀬かなせ 川船衆頭かわぶなしゅうがしら 村正むらまさ。齢三十四。紀伊の山奥を領地とする大名であった。
「村正様。本日の軍議はどないでおましたか」
 鹿鳴瀬村正の稚児、月丸は、目を輝かせて主人の顔を覗いた。
「大したことあれへん。弓矢の数は足るかとか、兵糧の具合はどうやとか、そんくらいや。面白おもろないやろ」
「いえ、大変面白おもろう御座います」
 月丸は、村正の話を聞くのがなによりも楽しみだった。仕事の話、茶のみの話、剣の話。ただ、村正の家族の話には少し、ほんの少し、嫉妬と寂しさを覚えた。
 村正は月丸の腰に手を伸ばした。若く細いその身体は、骨が浮いていて、それでいて柔らかさがあった。村正の手に導かれるよう、月丸は村正の膝の上に乗った。
 主人の胸元に、月丸が顔を埋める。そして、上目遣いで村正の顔を覗いた。
 村正が軍議のあいだ稽古をしていたのだろうか、月丸は少し汗ばんでいた。湿って肌に貼りついた黒髪。上気して赤く染まった頬。首筋から胸元にかけて垂れる汗……。
「どうかしはりましたか」
 月丸は首を傾げて尋ねた。昼下がりの陽が、稚児の瞳を黒曜石のように輝かせた。
「……いや、なんもあれへん。どうや、稽古でもつけてやろか」
 言ってから、月丸が稽古の直後であることに気がつく。
「はい、お願いいたします」
 しかし、月丸は食い気味に返事をした。数日ぶりの主人との稽古に、月丸の心は躍っていた。

 鹿鳴瀬家の屋敷に、木刀の打ち合う音が鳴り響く。カン、カン、と乾いた音が続き、少し止んだかと思えば、また鳴る。屋敷で働く女中はその音に少し手を止め、微笑んでから、また掃除に戻った。

 村正は片肩をはだけて木刀を構えていた。その顔は汗一つなく、涼しげであった。短いひげをさすって、月丸と向き合う。
 一方の月丸は、すでに息が上がっていた。肩を上下させ、両手で木刀を握る。
「力いれすぎや。水んように流しい」
「はいっ」
 力強く返事をする。
 額を垂れる汗を、裾で拭いてから、月丸は着物をずらして肩を出した。木刀を持ち替えながら両腕を着物から抜いて、彼は上半身をさらした。春の穏やかな風が、火照った身体を冷やす。
 村正はわずかに喉を鳴らして月丸の身体を注視した。年端もいかぬ彼の肌は、絹のように白くきめ細やかで、陽の光を眩しいほどに反射させた。腹は引き締まり、あばら骨がかすかに浮き出ている。淡い桃色の乳は、まるで生娘のようで、ツンと尖ったその先端はとても可愛らしく……。
 月丸は髪をかき上げる。汗が細かく飛び散り、きらきらと光る。村正はつい柄を握る力を強め、腕に青筋が浮き出た。
「月丸」
 名を呼ばれ、顔を綻ばせる。
「なんで御座いましょう」
「今夜は……儂の部屋にやんか」
 朝顔が花開くように、月丸の顔が明るくなる。
「はいっ。よろしおましょうか」

 ◇

 月丸が村正のもとへ来たのは、ほんの一年前のことだった。村正が京から大坂へ下る道中、宿場町で月丸に出会ったのがきっかけだ。村正の申し出に、月丸の両親は快く返事をした。もとより「宿」に売ろうとしていた子、容色にだけは恵まれていて、男でも女でも客を取れるだろうと考えていたから、稚児として村正に相場よりも高く引き取られ、月丸の両親は上機嫌だった。
 下心がなかったと言えば嘘になる。見目の麗しさに村正は惹かれたのだ。ただ、それは欲の捌け口にしようというわけではなく、月丸の心を洗われるような美しさに、当時家を継いだばかりで溜まっていた心労が霧散し、この子を傍に置きたいと切に願ったゆえの身請けだった。

 ◇

 山盛りの米を箸で掬って頬張り、月丸は目を細めた。
「村正様とこうしてお食事できるのはほんに久しぶりで御座います」
 米を咀嚼する口にたくあんを放り込む。
「淋しい思いをさせてもうたのう」
 酒を啜って村正は答える。
「滅相もありまへん。村正様とのお時間をいただけるだけで、月丸は幸せで御座いますゆえ」
 そう言いながら、茶碗を盆に置く。
 月丸の小さな口に、食事が吸い込まれていくのを、村正は興味深そうに眺めた。
 立膝に肘をついてこちらを見る村正に気づき、月丸は頬に米粒を付けたまま頬を赤らめる。
「なにを見てはるんですか」
「月丸が幸せそうにしてるのが、何よりも嬉しゅうて。少し気がかりやったんや、無理に連れてきてもうたんやないか」
 月丸は少し目を落としてから、また村正の目を見て「はじめは驚きました。でも、村正様は他の人とちゃいましてん。なんていうか、優しそうといいますか……。ほんで、こん御人やったら安心や思たんです」
 片口からお猪口に酒を注いで、村正は微笑んだ。
「ほな、よかったわ」
 “他の人とちごうて”……。言葉とは裏腹に、村正は思案した。ほんまに、儂はせやろか。月丸のことを真っ直ぐに見れてるやろうか。
 気づけばお猪口の酒は全て喉を通り過ぎていた。
「儂はな……」
 口にしたとき、月丸の椀は空になっていて、そこに月丸は居なかった。
 ひと……、と右手に触れる感触がある。ひんやりとしていて、白魚のような指が肌触りだけで分かった。
「よろしおます、村正様」
 耳元で囁く稚児の声。
「大切に思ってくれてはるのは分かっとります」
 村正の、武士らしい、節くれ立った手に、月丸の指が絡みつく。
「せやから、村正様の望むとおりにしていただいて構いまへん」
 腿にも月丸の掌が添えられる。酔いのためか、その感触は信じられないほど鮮明に感じられた。
「月丸が村正様をお慕いする気持ちは変わらしまへんゆえ」
 鼻先が耳に触れる。月丸の微かな息も分かる。
 村正は月丸の方へ振り向いた。目を細めて笑う月丸の目尻は、なぜか少し湿っていた。
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