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其の弐 桃日絆希と篠懸才児のケース
切なくも儚い、一秋の思い出
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煤けた灰色のビルの階段を上がり、相変わらず人気のないテナント達を横切って見慣れた木製のドアにたどり着く。ここから、私と篠懸さんの長いようで短い奇妙な関係が始まった。そして今日、それも終わりを迎える。
コン、コン
ドアをノックすると、「どうぞ」と聞き慣れた声が聞こえた。
「失礼します」
事務所に入ると、篠懸さんは窓の近くにある自分のデスクに座って書類を眺めていた。その光景に、なんだか懐かしさを覚えて嬉しいような、寂しいような...。
「フフッ」
「…何か面白いことでもあったのか?」
「い~え、別に! 先に座ってますね」
「ああ、ちょっと待ってろ」
篠懸さんが作業をしているうちに、来客用のソファに腰掛けて事務所の中を改めて見回す。部屋の真ん中には横長のソファと長方形の机、対面に篠懸さん用の椅子、窓際には篠懸さんのデスクがあって、壁際の鍵がかけられた戸棚にはファイルや資料がぎっしり。あ、あのホワイトボードはよく使ったなぁ。あの棒は! …あんまり思い出したくないや。
そうこうしているうちに、作業を終えた篠懸さんがこちらへ来て対面の椅子に腰掛けた。
「すまん、待たせたな…ん?」
「どうかしたんですか?」
「どうかしたのはお前の方だ。泣いてるのか?」
「え? …あっ」
私の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。篠懸さんに言われるまで全く気づいていなかったのだから驚きだ。最近泣きすぎだなぁ、私。
「す、すみません! なんでだろ、別に悲しい訳じゃないのに...」
「…気にするな。人間、生きてりゃそういう時もあるだろ」
篠懸さんは「少し待ってろ」と言って立ち上がる。私が瞳をこすって涙を拭っていると、部屋の隅からコーヒーの良い香りが漂ってきた。篠懸さんがティーカップを持ってこちらに戻ってくる。
「篠懸さん...」
「これを飲め。心が落ち着くぞ」
コト、と私の前にお皿にのったティーカップが置かれる。両手でカップを持ってコーヒーをひとすすりすると、独特の苦味と香ばしさが口内に広がった。やっぱり、おいしい。
「どうだ、少しはマシになったか?」
「はい、ありがとうございます。なんか...」
「なんだよ」
「初めて会った時のこと、思い出しませんか?」
「……ハッ、確かあの時もお前が泣き出して、俺がコーヒーを淹れてやったっけか」
「そうです。それから、わたしの話を聞いてもらって...」
「そうだったな。お前の持ってきた依頼のせいで、俺はとんでもないものを見せられる事になったんだぞ?」
「それは…ご愁傷様です」
篠懸さんとのとりとめもないやり取りも、尊いものに思えてならない。私の依頼は、今日で終わり。篠懸さんとは、明日からはもう他人なのだ。
「……ハハッ…はぁ、モモヒキ、そろそろ」
「…はい。分かってます」
篠懸さんは一枚の封筒を私に差し出した。中には、A4サイズの紙が入っている。それは、私の依頼が正式に終了したことを示す書類だった。
「これで、お前の持ってきた依頼は終了だ。問題や疑問は、無いな」
「はい。篠懸さん」
「ん?」
「本当に、ありがとうございました!!!」
私は、立ち上がって精一杯頭を下げた。篠懸さんには、どれだけ感謝をしてもし切れない。彼がいたから、私は想代香の死の理由を知ることができたし、何より、この世界で私はちっぽけな存在で、だからこそ色々な人を頼っていかなければならないのだと、身をもって知ることができた。
「気にするな。俺は俺の仕事をしたまでだからな」
そう言って私に背を向ける篠懸さん。私も大人になったら、彼のように困っている人を助けられるような仕事をしたいな。
私も篠懸さんに背を向けて、事務所のドアへ歩を進める。
今回の事は、きっと一生忘れることはないだろう。この切なくも儚い思い出を胸に、私はこれからの人生を...
「ちょっと待て」
生きていこうと...うん? 〆のエピローグの最中、篠懸さんが私を呼び止めてきた。
「何ですか? 」
「そういえば、お前に渡し忘れていたものがあった。これだ」
「はぁ、なんでしょう」
手渡されたそれは先程のものより小さい、小切手なんかが入るサイズの封筒だった。中には、長方形の紙が入っている。これは……領収書?
「ごじゅうななまんにしぇんえん...」
「お前から受けた依頼の料金だ。必ず支払ってもらうからな」
「…こんな大金、持ち合わせていません!!」
「これでも割引を効かせた方だぞ! 大体、いくらでも払うって言ったのはお前だからな! 契約書にもちゃんと書いてあるぞ!」
「う゛っ...。卑怯です。大人のやり口は汚いです」
「ひどい言われ様だな...」
高校二年生にしてとんでもない借金をこしらえてしまった私の未来は、決して明るいとは言えなさそうだ。バイト、増やさなきゃ...。アハハ...。
「わ、わたしはこれにて失礼します!」
「あっ、おい!」
このままここにいたら、何を言われるか分からない。今日のところは退散するとしよう。
「篠懸さん!!」
「何だ、モモヒキ」
「また、ここに来てもいいですよね?」
篠懸さんは、一瞬困ったような表情を見せたあと、「やれやれ」と言って薄く微笑んだ。
「当然だ。来なかったらこっちから引っ捕まえに行くぞ」
私もにっこり微笑むと、ドアを開けて事務所を後にした。
今回の事は、きっと一生忘れることはないだろう。この切なくも儚い思い出を胸に、私はこれからの人生を精一杯生きていこうと思う。
了
コン、コン
ドアをノックすると、「どうぞ」と聞き慣れた声が聞こえた。
「失礼します」
事務所に入ると、篠懸さんは窓の近くにある自分のデスクに座って書類を眺めていた。その光景に、なんだか懐かしさを覚えて嬉しいような、寂しいような...。
「フフッ」
「…何か面白いことでもあったのか?」
「い~え、別に! 先に座ってますね」
「ああ、ちょっと待ってろ」
篠懸さんが作業をしているうちに、来客用のソファに腰掛けて事務所の中を改めて見回す。部屋の真ん中には横長のソファと長方形の机、対面に篠懸さん用の椅子、窓際には篠懸さんのデスクがあって、壁際の鍵がかけられた戸棚にはファイルや資料がぎっしり。あ、あのホワイトボードはよく使ったなぁ。あの棒は! …あんまり思い出したくないや。
そうこうしているうちに、作業を終えた篠懸さんがこちらへ来て対面の椅子に腰掛けた。
「すまん、待たせたな…ん?」
「どうかしたんですか?」
「どうかしたのはお前の方だ。泣いてるのか?」
「え? …あっ」
私の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。篠懸さんに言われるまで全く気づいていなかったのだから驚きだ。最近泣きすぎだなぁ、私。
「す、すみません! なんでだろ、別に悲しい訳じゃないのに...」
「…気にするな。人間、生きてりゃそういう時もあるだろ」
篠懸さんは「少し待ってろ」と言って立ち上がる。私が瞳をこすって涙を拭っていると、部屋の隅からコーヒーの良い香りが漂ってきた。篠懸さんがティーカップを持ってこちらに戻ってくる。
「篠懸さん...」
「これを飲め。心が落ち着くぞ」
コト、と私の前にお皿にのったティーカップが置かれる。両手でカップを持ってコーヒーをひとすすりすると、独特の苦味と香ばしさが口内に広がった。やっぱり、おいしい。
「どうだ、少しはマシになったか?」
「はい、ありがとうございます。なんか...」
「なんだよ」
「初めて会った時のこと、思い出しませんか?」
「……ハッ、確かあの時もお前が泣き出して、俺がコーヒーを淹れてやったっけか」
「そうです。それから、わたしの話を聞いてもらって...」
「そうだったな。お前の持ってきた依頼のせいで、俺はとんでもないものを見せられる事になったんだぞ?」
「それは…ご愁傷様です」
篠懸さんとのとりとめもないやり取りも、尊いものに思えてならない。私の依頼は、今日で終わり。篠懸さんとは、明日からはもう他人なのだ。
「……ハハッ…はぁ、モモヒキ、そろそろ」
「…はい。分かってます」
篠懸さんは一枚の封筒を私に差し出した。中には、A4サイズの紙が入っている。それは、私の依頼が正式に終了したことを示す書類だった。
「これで、お前の持ってきた依頼は終了だ。問題や疑問は、無いな」
「はい。篠懸さん」
「ん?」
「本当に、ありがとうございました!!!」
私は、立ち上がって精一杯頭を下げた。篠懸さんには、どれだけ感謝をしてもし切れない。彼がいたから、私は想代香の死の理由を知ることができたし、何より、この世界で私はちっぽけな存在で、だからこそ色々な人を頼っていかなければならないのだと、身をもって知ることができた。
「気にするな。俺は俺の仕事をしたまでだからな」
そう言って私に背を向ける篠懸さん。私も大人になったら、彼のように困っている人を助けられるような仕事をしたいな。
私も篠懸さんに背を向けて、事務所のドアへ歩を進める。
今回の事は、きっと一生忘れることはないだろう。この切なくも儚い思い出を胸に、私はこれからの人生を...
「ちょっと待て」
生きていこうと...うん? 〆のエピローグの最中、篠懸さんが私を呼び止めてきた。
「何ですか? 」
「そういえば、お前に渡し忘れていたものがあった。これだ」
「はぁ、なんでしょう」
手渡されたそれは先程のものより小さい、小切手なんかが入るサイズの封筒だった。中には、長方形の紙が入っている。これは……領収書?
「ごじゅうななまんにしぇんえん...」
「お前から受けた依頼の料金だ。必ず支払ってもらうからな」
「…こんな大金、持ち合わせていません!!」
「これでも割引を効かせた方だぞ! 大体、いくらでも払うって言ったのはお前だからな! 契約書にもちゃんと書いてあるぞ!」
「う゛っ...。卑怯です。大人のやり口は汚いです」
「ひどい言われ様だな...」
高校二年生にしてとんでもない借金をこしらえてしまった私の未来は、決して明るいとは言えなさそうだ。バイト、増やさなきゃ...。アハハ...。
「わ、わたしはこれにて失礼します!」
「あっ、おい!」
このままここにいたら、何を言われるか分からない。今日のところは退散するとしよう。
「篠懸さん!!」
「何だ、モモヒキ」
「また、ここに来てもいいですよね?」
篠懸さんは、一瞬困ったような表情を見せたあと、「やれやれ」と言って薄く微笑んだ。
「当然だ。来なかったらこっちから引っ捕まえに行くぞ」
私もにっこり微笑むと、ドアを開けて事務所を後にした。
今回の事は、きっと一生忘れることはないだろう。この切なくも儚い思い出を胸に、私はこれからの人生を精一杯生きていこうと思う。
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