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白い追憶 野乃花のケース
君の本当の名前を
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「野乃花ちゃん、採血のお時間ですよ~」
「はーい」
寝巻きの袖を捲りあげ、阿瀬比さんに腕を差し出す。注射の針が私の肌を刺すと、チクリ、と鋭く短い痛みを感じた。慣れてはいても、やはり痛いものは痛い。
「野乃花ちゃん、この間は大変だったわね」
私の血液を採取しながら、阿瀬比さんは少し悲しげな表情でそう言った。
「はい、ご心配おかけしました」
「いいえ、また野乃花ちゃんの顔が見られて良かったわ」
阿瀬比さんは優しく微笑んだ後、ぱっと表情を変えいつも通り私に接してくれた。しかし、彼女の口からあの元気な笑い声を聞くことは、終ぞなかった。
それは、私が学校に行った日、遅くに帰ってきた事を母に叱られている最中に起こった。突如激しい発作に襲われた私は、呼吸が全く出来なくなりそのまま意識を失った。救急車で病院に運ばれ治療を受けるものの容態は回復せず、漸く意識が戻ったのは倒れた日から三日後、つまり昨日の事だった。
意識を取り戻した後、私は自分の容態を先生に聞いた。暫くは、体を動かすこともままならないだろう、と。流石にショックだった。でも、仕方がない。そう割り切ることが出来たのは、ある程度覚悟の上での事だったからだ。
あの日の放課後、既に私の体は限界を迎えていた。それでも動くことが出来たのは、奇跡としか言い様がなかった。その奇跡の反動でこうなったのなら、それはもう仕方ない。おかげで、夢のような体験をさせてもらえたのだから。
そういうわけで時間を潰すこともできず、私はただベットに体を預けて微睡んだ。
◇
……何だろう。妙に肌寒い。
病室では体感したことのない寒さに身を震わせながら、目を覚ます。部屋の中は真っ暗になっている。はっきりした時間は分からないが、夜なのだろうという事は理解できる。
ふわり
窓の方から部屋に向かって、冷えた空気が入ってきているのを感じる。窓が空いているのだろうか。こんな寒い日に一体誰が? すっかり眠気が削がれてしまった私は、ゆっくりと体を起こしながら窓の方へ視線を向けた。
開け放たれた窓からは、風と共に月明かりがしんしんと降り注いでいる。だが、その明かりを遮るように、何かが立っている。逆光で最初はよく見えなかったが、月が雲に隠れ暗闇が世界を支配した瞬間、私はそれが何か理解した。
それは、少年だった。暗闇に薄く輝くような白髪。髪の隙間から覗く漆黒の瞳。昼間に会った時とは随分様子が違うけど、見間違えようがない。シロちゃんだ。
私はその光景に疑問を覚える前に、思わず見蕩れてしまった。暗闇に白く輝くシロちゃんの姿は、妖しくも美しかった。ああ、私は夢を見ているのだろうか。
その様をぼんやり眺めていると、シロちゃんがその手に何か持っているのに気付き、はっとする。私はそれに見覚えがあった。普通の文庫とは異なるやや分厚めの本。幸世が私に貸してくれた、あの"都市伝説"について書かれた本だ。
そうだったんだ。シロちゃんは...。
「そっか、君がそうだったんだね」
私は、とうとうシロちゃんの正体を理解した。シロちゃんは人間ではない。あの本に書かれていた都市伝説に登場する、人の死を司る摩訶不思議な少年。そして、彼をここに呼び寄せたのは他でもない、この私だ。
ごめんね、気づいてあげられなくて。今までずっと待っててくれたんだね。思えばこの少年と初めて会ったのは、彼の都市伝説について知ったすぐ後からだった。私がその事に気付くまで、何も言わず待っていた少年の健気さに思わず口元が緩んでしまう。
「野乃花は、君のような存在を、ずっと待ってたの」
そう、私は待っていた。
「おねがい、シロちゃん」
自分を、この肉体という鳥籠から開放してくれる存在を。
「私を、死なせてちょうだい?」
思い残すことは、もう、無い。
少年は相変わらず私の言葉に答えなかったが、ゆっくりとこちらへ向かってきた。私の言葉の意図は、彼に伝わったようだ。
お父さん、お母さん、幸世、クラスメイトの皆も、ごめんなさい。私はもう、誰にも迷惑をかけたくないの。きっとこれから、もっともっと苦労をかけることになる。自分の体だから、分かるんだ。だから、どうせ死んじゃうなら今がいい。
幸せな思い出を抱えたまま、逝きたいんだ。
私の枕元に立ったシロちゃんは、ゆっくりと、静かに、私の頭を目掛けて小さな右手を伸ばしてきた。シロちゃんも、ごめんね。まだ子供なのに、こんな事をお願いして。シロちゃん...あれ、そういえば...。
「あ、待って!」
ぴた、と少年の手が止まる。意外にも、まだ一つ思い残すことがあった。
「ごめんね、一つ聞きたいことがあって」
「シロちゃんの本当の名前、教えて欲しいな?」
シロちゃん、というのは私が勝手に呼んでいる名前であって、もう忘れてしまったけどあの本にはシロちゃんの名前が書いてあったはずだ。それを、改めて教えてもらいたかった。私の望みを叶えてくれる少年の名前を、どうしても知りたくなったのだ。果たして答えてくれるだろうか?
少年は少しの間硬直した後、右手をゆっくりと降ろし、俯いてしまった。何度か声をかけるも、全然反応しない。もしかしたら、あまり聞かれたくないことだったのかも。
「ごめん、余計なこと聞いちゃ………きゃっ!」
私の言葉を遮るように、開け放たれた窓から一際強い風が吹き抜けた。その風は、部屋の花瓶に活けてあった花の花弁をぱっと舞い上がせる。
そして、不思議な事が起こった。ひらひらと舞う花びら達が、私の手元の辺りにひとつ、またひとつと落ちていく。それは少しずつ、でも確かな形になっていき、やがて1つの文字を象った。
「これが、シロちゃんの本当の名前...」
_ちゃんは相変わらず喋りもしなければ、表情も変えない。それでも、ちゃんと答えてくれた。本当に、健気な子だ。
「ふふ、素敵な名前だね。それじゃあ、改めてお願いね」
私は目を瞑り、_ちゃんに顔を差し出す。少しして、凄まじい睡魔が襲ってきた。その睡魔に抗うことなく、ただただその身を預ける。ああ、_ちゃん。最後まで、あなたは優しいね___。
「はーい」
寝巻きの袖を捲りあげ、阿瀬比さんに腕を差し出す。注射の針が私の肌を刺すと、チクリ、と鋭く短い痛みを感じた。慣れてはいても、やはり痛いものは痛い。
「野乃花ちゃん、この間は大変だったわね」
私の血液を採取しながら、阿瀬比さんは少し悲しげな表情でそう言った。
「はい、ご心配おかけしました」
「いいえ、また野乃花ちゃんの顔が見られて良かったわ」
阿瀬比さんは優しく微笑んだ後、ぱっと表情を変えいつも通り私に接してくれた。しかし、彼女の口からあの元気な笑い声を聞くことは、終ぞなかった。
それは、私が学校に行った日、遅くに帰ってきた事を母に叱られている最中に起こった。突如激しい発作に襲われた私は、呼吸が全く出来なくなりそのまま意識を失った。救急車で病院に運ばれ治療を受けるものの容態は回復せず、漸く意識が戻ったのは倒れた日から三日後、つまり昨日の事だった。
意識を取り戻した後、私は自分の容態を先生に聞いた。暫くは、体を動かすこともままならないだろう、と。流石にショックだった。でも、仕方がない。そう割り切ることが出来たのは、ある程度覚悟の上での事だったからだ。
あの日の放課後、既に私の体は限界を迎えていた。それでも動くことが出来たのは、奇跡としか言い様がなかった。その奇跡の反動でこうなったのなら、それはもう仕方ない。おかげで、夢のような体験をさせてもらえたのだから。
そういうわけで時間を潰すこともできず、私はただベットに体を預けて微睡んだ。
◇
……何だろう。妙に肌寒い。
病室では体感したことのない寒さに身を震わせながら、目を覚ます。部屋の中は真っ暗になっている。はっきりした時間は分からないが、夜なのだろうという事は理解できる。
ふわり
窓の方から部屋に向かって、冷えた空気が入ってきているのを感じる。窓が空いているのだろうか。こんな寒い日に一体誰が? すっかり眠気が削がれてしまった私は、ゆっくりと体を起こしながら窓の方へ視線を向けた。
開け放たれた窓からは、風と共に月明かりがしんしんと降り注いでいる。だが、その明かりを遮るように、何かが立っている。逆光で最初はよく見えなかったが、月が雲に隠れ暗闇が世界を支配した瞬間、私はそれが何か理解した。
それは、少年だった。暗闇に薄く輝くような白髪。髪の隙間から覗く漆黒の瞳。昼間に会った時とは随分様子が違うけど、見間違えようがない。シロちゃんだ。
私はその光景に疑問を覚える前に、思わず見蕩れてしまった。暗闇に白く輝くシロちゃんの姿は、妖しくも美しかった。ああ、私は夢を見ているのだろうか。
その様をぼんやり眺めていると、シロちゃんがその手に何か持っているのに気付き、はっとする。私はそれに見覚えがあった。普通の文庫とは異なるやや分厚めの本。幸世が私に貸してくれた、あの"都市伝説"について書かれた本だ。
そうだったんだ。シロちゃんは...。
「そっか、君がそうだったんだね」
私は、とうとうシロちゃんの正体を理解した。シロちゃんは人間ではない。あの本に書かれていた都市伝説に登場する、人の死を司る摩訶不思議な少年。そして、彼をここに呼び寄せたのは他でもない、この私だ。
ごめんね、気づいてあげられなくて。今までずっと待っててくれたんだね。思えばこの少年と初めて会ったのは、彼の都市伝説について知ったすぐ後からだった。私がその事に気付くまで、何も言わず待っていた少年の健気さに思わず口元が緩んでしまう。
「野乃花は、君のような存在を、ずっと待ってたの」
そう、私は待っていた。
「おねがい、シロちゃん」
自分を、この肉体という鳥籠から開放してくれる存在を。
「私を、死なせてちょうだい?」
思い残すことは、もう、無い。
少年は相変わらず私の言葉に答えなかったが、ゆっくりとこちらへ向かってきた。私の言葉の意図は、彼に伝わったようだ。
お父さん、お母さん、幸世、クラスメイトの皆も、ごめんなさい。私はもう、誰にも迷惑をかけたくないの。きっとこれから、もっともっと苦労をかけることになる。自分の体だから、分かるんだ。だから、どうせ死んじゃうなら今がいい。
幸せな思い出を抱えたまま、逝きたいんだ。
私の枕元に立ったシロちゃんは、ゆっくりと、静かに、私の頭を目掛けて小さな右手を伸ばしてきた。シロちゃんも、ごめんね。まだ子供なのに、こんな事をお願いして。シロちゃん...あれ、そういえば...。
「あ、待って!」
ぴた、と少年の手が止まる。意外にも、まだ一つ思い残すことがあった。
「ごめんね、一つ聞きたいことがあって」
「シロちゃんの本当の名前、教えて欲しいな?」
シロちゃん、というのは私が勝手に呼んでいる名前であって、もう忘れてしまったけどあの本にはシロちゃんの名前が書いてあったはずだ。それを、改めて教えてもらいたかった。私の望みを叶えてくれる少年の名前を、どうしても知りたくなったのだ。果たして答えてくれるだろうか?
少年は少しの間硬直した後、右手をゆっくりと降ろし、俯いてしまった。何度か声をかけるも、全然反応しない。もしかしたら、あまり聞かれたくないことだったのかも。
「ごめん、余計なこと聞いちゃ………きゃっ!」
私の言葉を遮るように、開け放たれた窓から一際強い風が吹き抜けた。その風は、部屋の花瓶に活けてあった花の花弁をぱっと舞い上がせる。
そして、不思議な事が起こった。ひらひらと舞う花びら達が、私の手元の辺りにひとつ、またひとつと落ちていく。それは少しずつ、でも確かな形になっていき、やがて1つの文字を象った。
「これが、シロちゃんの本当の名前...」
_ちゃんは相変わらず喋りもしなければ、表情も変えない。それでも、ちゃんと答えてくれた。本当に、健気な子だ。
「ふふ、素敵な名前だね。それじゃあ、改めてお願いね」
私は目を瞑り、_ちゃんに顔を差し出す。少しして、凄まじい睡魔が襲ってきた。その睡魔に抗うことなく、ただただその身を預ける。ああ、_ちゃん。最後まで、あなたは優しいね___。
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