空が青ければそれでいい

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やっぱり電車乗って、あの事務所に向かう。
フルスモベンツで迎え来られんのもイヤやけど、事務所行くんは変な重みがあってイヤ。
見覚えのある会社入ると、こないだとは違う綺麗なネェちゃんが頭下げて挨拶してくる。
またこんなとこにガキが来よってオーラ醸し出されるんかと構えたら、“お帰りなさいませ”やて。一瞬、ご主人。って付け加えかけた。
龍大はやっぱりニコリともせんと、“梶原”とだけ短い言葉を発した。
龍大をよ~知らん奴なら偉そうにしよってみたいに思うやろけど、これが風間龍大やねん。ごめんなと心ん中で頭下げる。
暫くもせんうちにバタバタ忙しない足音とともに、上等なスーツ着た男が慌てて降りてきた。こないだのんとはちゃう、若い人。
「お疲れ様です!」
ここは応援団かと聞きたなるくらいデカい声で圧倒されて、思わず龍大の上着ぎゅっと掴んだ。
龍大も酷くウザそうな顔を見せて、自分よりも背の低いそいつを見下ろした。
「…誰や」
ほんま、あんた誰。元気よ過ぎなんですけど。
「あ、小沢いいます。昨日から、こちらの本部に上がらせてもらいました」
どう考えても年上やのに、龍大自身にビビってるんかその立場にビビってんのか、ガッチガッチに緊張してるんが俺から見ても嫌っていうくらい良く分かる。
「梶原おらんの」
「いらしてます!どうぞ!!!」
緊張したら声デカなるタイプか…。正直ウルサい…。
龍大が俺の手を掴んで、小沢いうのが前を歩いてるんに続く。また無機質な箱ん中にアンバランスな三人。
小沢…、さん…はチラチラ龍大を見て何か話したそう…。
まぁ、そうよな。この人等からしたら龍大はめちゃくちゃ高嶺の存在なんか…。何せ、風間組組長の息子。恐らく、時期組長。
何か、やっぱりこんなすごい奴が、俺みたいなんに固執したらあかんのやないやろうか。
龍大は普通の人間からしたら、あまり尊敬される立場やないかもしらん。でも、この世界の人間からしたら歴史に残る戦争した人の息子や。
俺はマイナスなんやないやろうか。
「…威乃?」
知らん間に目的の階についとって、動かん俺に龍大が首を傾げて繋いでた手を引っ張る。
「ああ、ごめん」
廊下を進むと、前に来た部屋のドアを小沢さんがノックして開ける。同時に心臓が、アホみたいに跳ね上がるんが分かった。
自分に害はないと言えど、相手はシャレにならんくらいの規模の極道や。それに緊張せん一般市民はおらん。ましてや、高校生みたいなガキは借りて来た猫以下。

ホテルのベルボーイみたいにドアを開けて頭を下げる小沢さんの横を、龍大に連れられて部屋に入っていく。
部屋の中に居た梶原さんは、極道とは思えんほどの優しい笑顔で俺等を迎えた。
この笑顔が曲者やと思うのは、俺だけか……。
「おはようございます。すんませんね、学校終わってからでも良かったのに」
龍大は“かまへん”と一言だけ言うて、ソファに座る。手を繋がれてた俺も必然的に引っ張られてソファに腰を下ろした。
俺は繋がれたまんまの手を離せと小さく訴えるが、龍大は聞く耳持たんのか、ぎゅっと握ったままで離さん。
それを梶原さんはクスクス笑った。やけど、すぐに梶原さんの目が、じっと俺を見た。
「…え」
「龍大さん、威乃さん食いもんやないですよ」
何の事か分からんくて、きょとんとする。でも梶原さんが笑顔で自分の首を指さして、ハッとした。
「ちゃう!何もしてへん!」
思わず首を押さえて、ブンブン首を振る。
昨日の龍大の噛み痕をご丁寧に見つけてくれてんやろうけど、やめて。カッコ悪過ぎやろ、俺。
あれ?もしかして、これってどこでも曝けて歩いてた!?
一階の、あの綺麗なネェちゃんにもばっちり見られてる!?
あかん、穴があったら埋まりたい。いっそコンクリ詰めにでもして大阪湾沈めてくれ。
「美味そうやってん」
「龍大!」
ぬけぬけと言い放つ龍大に、思わず飛びかかりそうなる。
俺の微かに残った世間体を済し崩しにしといて、何ほざいてんねん!
怒り狂う俺とは対照的に、龍大は素知らぬ顔や。オマエは俺の何もかもをズタボロにする天才か。俺の年上としてのプライドも、男としてのプライドもボロボロ。
だってキスマークならともかく、でっかい噛み痕。こないにデカイ口の女はそうはおらんし、女はここまでせんやろ。
「あー、ほんまや美味そう」
にっこり微笑んで、こっちを見る梶原さんに青くなる。
今は、男も貞操死守せなあかん世の中なんか!?
「殺すぞ、梶原」
龍大がふんぞり返って俺の手をギュッと握るのを、梶原さんは笑顔で見る。
「あら、残念やなぁ」
もうどこまで本気なんか…ヤクザの冗談わからん。
「でも、あんまり乱暴なんは感心しませんねぇ。威乃さんは色白いから痣がよぉ目立つ」
「歯形は色白くなくても、目立つし」
そうや、分かってるんやったら噛むな。どんだけ痛かった思ってんねん。
心の中で悪態つきながら握られた手を離そうとするが、龍大は離す気は更々ないらしくもう無駄やと思って俺も諦めた。こないに落ち着かん部屋で、パワー使うんは身体に悪い。
「いえ、私が言っているのは手首です」
「…は」
梶原さんの言葉に、俺は目が点になった。手首ってなんやねん。手首なんか噛まれてへんし。
梶原さんの目線の先に目を向けると、手首にくっきりついた龍大の手の痕。
げっ、とか、うわっ、とか声を上げて、とっさに龍大の手を払いのけて手首を隠した。
朝よりも色が濃くなって目立ってる。もういやや…。
「威乃さんもイヤなときはイヤ言わないけませんよ」
フフッと子供の悪戯を宥める様な言い方で言うと、龍大を見た。
それに龍大が片眉を器用にあげて、梶原さんを睨みつける。
「梶原…」
低い声を出して龍大が、それこそ立派な立派な俺の家に置いたら床抜けそうなテーブルに乱暴に足を投げ出した。
お前…どこまで偉いさんやねん。
「ああ、そうでしたなぁ」
梶原さんはにっこり笑って立ち上がると、書棚から茶封筒を取り出した。
「山西明正、恐らくこの男が関与していると思われます」
「山西?」
龍大は渡された封筒から、何枚かに纏められた書類を取り出してパラパラ捲りだした。
俺は自分から振りほどいた手が行き場なくしたみたいになって、手遊び始めた。
「堅気か?」
「いえ、佐渡組の生き残りです。今は酒井組の傘下入ったみたいで、山西は組長として佐渡一家を築いていますね」
「佐渡組に生き残りおったんか、オヤジも詰めが甘いなぁ…酒井組か」
もうそこまで深い話になると、堅気の俺にはさっぱりや。
ちょっと盗み見た書類には、頭に白いもんが混じった悪どい事するために生まれてきましたみたいな、そんな面構えのオッサンが写ってた。
「関東のヤクザや…。まあ、ヤクザの中でも佐渡組と仲良しさんやったから、やり方も佐渡によぉ似とる。薬とか売春大好き組や」
俺が書類を覗き込んだんに気が付いて、龍大が説明を始める。
でも俺には何の事やらさっぱりや。関東のヤクザが、何でおかんに関係あんねん。
「佐渡肇が出所した時に、出迎えるんでしょうねぇ。地味に大きくしてますわ」
「コイツらが、何で威乃のおかんと関係あんねん」
「山西のコマの一人に、宮崎淳一いうんが居ます」
梶原さんがそう言って、俺の顔を見た。
宮崎…純一…。純一…。
「あ!!!!」
「純ちゃん…でしたよね。偽名やなかったみたいで、まだ写真入手出来てないんですけど、こっちには居てないみたいですわ。こっちの女攫って、関東に運んでるみたいで」
「心は知ってんの」
出た、鬼塚心。梶原さんは顎を撫でながら、うーんと首を傾げた。
「知ってるんやないですか。大した動きしてへんから、あんまり組としては動いてへんみたいやけど、心さんには相馬がついてますからぬかりはないかと」
「オヤジんとこ行くわ、威乃送ったって」
書類をテーブルに投げ出して、煙草を取り出した龍大がそう言った。
オヤジって!
「えっ!龍大!」
「もしかしたら戦争なるかもしらんから、許可がいる」
「戦争て…」
思わず龍大の手を掴んだ。
「け、警察に…」
「御上は手ぇ出せませんよ。何でも司法と証拠の世界やしね」
梶原さんが言うけど、でも、戦争て…。
俺には全くわからん世界やから、島争いとか何や難しい事とか分からんけど、めちゃくちゃ危険や言うことはわかる。まさか、こんなことなるなんて…。
「今やらんでも、いつかやらなあかん」
そう言う龍大の目は、俺の知らん風間組風間龍大の顔やった。

緩やかに進む車は動いてるんか疑わしい位に静かで、最高級車と呼ばれる理由もわかる。
結局、龍大はあのまま風間龍一の所へ行ってしまい、俺は梶原さんの運転する車の後部座席に座ってた。
「怒ってはるんですか?」
ルームミラー越しに、梶原さんの優しげな瞳が俺を見つめた。
「…え?」
「龍大さんがあないな事言うて」
怒ってはない。それぞれ守るべきもんあって、龍大の守るべきもんは風間組。ただそれだけや。
でも…。
「俺、龍大に言うんやなかった…助けてくれて」
そうすれば、こんな事にならんで済んだ。
目の前の手に縋り付いてもうたんは取り返しは付かんけど、それさえなければ戦争なんかにならんで済んだかもしらん。
よう分からんけど、鬼塚組も手ぇ出してない様な極道なら戦争になる事もなかったかもしらん。
ヤンキーの世界にもある、放っておいても害がないのにわざわざ手ぇ出したりせん。それと同じやつや。
「自分は嬉しいですよ」
「え?」
「龍大さんがあないに動く事はあんまりない事でねぇ。学校もつまらんつまらん言うて初めはあんまり行かんくて、行っても喧嘩してケガさして。何か組の重圧があったみたいで、組を嫌って自分らとも距離おく事もありましてね。そんな龍大さんを無理矢理、組の下っ端の寮に放り込んだり…」
「鬼塚 心と会ったとこや」
「ご存知ですか?へぇ…よっぽど威乃さんを信用してるんですねぇ」
「え?」
「心さんは、フラフラしてた龍大さんを叩き直してくれた方ですからねぇ」
「唯一、怖い言うてた」
「ははっ…そうですねぇ、何やかんや言うて、極道の中で一番怖いかもしれませんねぇ」
極道の中で一番怖いって、風間組のあんたが言うたらシャレにもならんわ。
「梶原さんも?」
「んー、そうですねぇ。自分が怖いんは心さんについてる若頭の相馬ですね。何を考えよるんかさっぱりわかりません」
ケタケタ笑う梶原さんはどっか楽しそうやけど、俺は笑えんかった。
極道の中で一番おっかないて、名前通り鬼やん…。

また表通りに車止めてもろうて、ゆっくり家に戻る。
何もなかったみたいに、おかん帰ってへんかなとか小さい望みを持って二階を見上げたら、やっぱり腐って落ちそうな柵にはおかんはおらんで見慣れた顔。
「ハル…」
情けない顔しとったんか、ハルは俺の顔見たらニヤリと笑った。
「彰信が泣いてんで、寂しがって」
ハルは部屋に入るとビーズクッションに凭れて、コンビニで買ってきたジュースを袋から出した。
その袋の中のゴミを見て、いつから居たんかとか考えたら申し訳なくなる。
「学校は…」
「携帯」
単語クイズか…。俺は学校は?って聞きたかってん。
携帯て…携帯…。あ、電源入ってへん…。
「ごめん」
「風間に近づくな言うたのに、お前はいつからホモなってん」
「…はぁ?」
「お前、SMプレイ趣味やったんか」
言うてる意味が分からんで、きょとんとしたあとにハッとした。
何回目、この“あ…”。もう嫌や…、あの阿呆。ってか俺のお飾り程度の脳みそは、記憶力というもんがないのか。
風間組の事務所で梶原さんに散々弄られたのに、結局忘れてるって…。龍大が…傍におらんから…。
「ちゃう…えっと…」
それより目の前の難関や。これは龍大並みに違う意味で手強い。
千里眼みたいな目で俺の全てを見透かして来る。この難関、超えれるんかな。
自慢やないけど今まで女には困ったことない。今時の子いうんはファッションみたいにセックスしよるから、ヤりたいときに簡単に相手が捕まる。
やから今まで特定の彼女っておらんかったから、言い訳が…。いや、言い訳なんかせんでもええ。相手はハルや。
いやでも、SMは否定したい。
「でっかい犬にでも噛まれたか。名前はリュウダイ」
あんた…言葉って突き刺さるんやで。グサーッとかズバーッとか。
抉らんで、俺の繊細な心。
「いや、犬が…いや」
犬にマジで喉元噛み付かれたら、俺は今頃病院のベッドの上か棺桶やろ。
そんなんで言い訳なんか思いつく訳がない。
「俺も会うてみたいわ、名犬リュウダイ」
名犬ラッシー真っ青な駄犬やし…。待ても出来んし、すぐ人様に牙剥き出しよる。
何や居た堪れん…。首に歯形つけて手首に痣つけてハルが帰ってきたら、俺なら笑い飛ばす。どんだけマゾやねんと…。でも、俺はマゾやない。
「あー、違う…龍大は関係ない」
「はー、“龍大”、ふーん。えろう仲良しさんやねんなぁ」
もし言葉に刃が付いてたら、俺は間違いなく血塗れや。ハルの視線が痛すぎて泣きたなる。
こない心配してくれよるんに、俺は隠し事ばっかりや。隠し事、してる場合か?
「わかった。全部話す」
意を決したようにハルをグッと見た俺は、どんな顔してたんやろ…。
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