祭り旅

献残屋藤吉郎

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金無し、家無し、空の下で

金無し、家無し、空の下

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「家無し、金無し、空の下」筑波太郎



我輩の職業は「コソ泥棒」である、、、、

あはあはあは、、、家無し、金無し、旅の空だ。。



1)家無し、、金無し、、旅の空、、、

我輩は独り者、、何故か家族も居ない、、、高校までは両親と住んでいたが、ある日二人は交通事故で亡くなった。そして、運悪く轢き逃げであるために、何の保証も無かった。
両親は日々、一生懸命に働いたが貧乏だった、、、更に借家であるために、家を出て、「名無しの権兵衛」になった。親無し、家無しでは高校中退の「名無しの権兵衛」には仕事も無かった。
路頭に迷った、、寝る所も無く、金もない17歳の男は、真冬の寒空で震えった、、、何故か空腹を抱えて歩いているうちに、ホームレスのブルシートの幾つか点在する、ガード下にたどり着いた。
その中で燃える焚火に誘われて、手をかざした、、、
「兄ちゃん、、寒いから、もっと、火の傍に来いよ、、」と、、呼んでくれた。
そして、「腹、減ってるだろう、、この余り物ではあるがパンを食べな、、それに、飲み物もある、、」と、言って飲ませてくれた。
名無しの権兵衛は「うん、、ありがとう、、、旨い、旨い」と余り物のパンを貪り食った。
「兄ちゃん、、どうしたんだ、、家は無いのか、、、家族は、、」と、聞いてきたが、
只、黙って。パンを食べていた。。
聞いているうちに、まだ。子供だつたのか、、ポロリと光るものを落とした、冬空の寒さに震えながら、、焚火にあたっていた。
ホームレスの長老格の男が、、「もう、、いい、、今夜は俺の小屋で寝ろ、、、話は明日にしよう、、」と、迷い込んで来た子羊の男を諭した。
これが、我輩の金無し、家無し人生の始まりであった。




2)ホームレスから「コソ泥」への道

名無しの権兵衛さんは、ホームレス村に迷い込んでも、、親から貰った名前は名乗らなかった。
名前はと聞かれると「名無しの権兵衛」と云うので、、迷い込んだホームレス村では「権兵衛さん」で通る様になった。
彼は17歳と若かったので、ホームレス仲間からは「権兵衛」とか「ゴンちゃん」と、呼ばれるようになった。
ホームレス村の仲間たちは朝早くから、自転車リヤカーを引いて、雑踏の中に消えていった。
名無しの権兵衛は何か、不思議に見えた、、、
そのホームエス村の長老のような人が、、、「おい、、坊主、、俺に附いて来い、、」と言って、リヤカーを引く老人の後から付いて行った。
朝早く、、、午前3時ごろから、リヤカーを引いて、権兵衛に話しかけて来た。
「お前、、やることが無いなら、、暫く、ホームレスをするか、、、昔は乞食とか、お貰さんとか言っていたが、、今の時代では、俺たちのことをホームレスと、、呼んでいるよ、、、アはあは、、はだよ、、気楽なもんだぜ、、」
「それにな、、世間の人たちは、俺たちのことを無視しているから、、見向きもしないよ、、だから、、ゴミ集積場で物を漁っても、、泥棒ともいわないので、、いろいろなものを物色出来るんだから、、、面白い、、、」と、、云いながら、住宅街のごみ集積場に向かった。
そして、金属類や段ボールなどを集めた、、、時には家具類などもあるのだった。
それらの物を集めて、スクラップ業者や紙リサイクル工場に売って、小銭を稼いでいたのである、、、
家具類や調理台などのものはストックして、修理したり、手を加えて、リサイクル専門店に売却していた、、、ホームレスがやることで、リヤカー商なので、、取り締まる行政や警察も、鑑賞はして来なかった。場所の立ち退きがあれば、、別の場所を探して移動する、、「放牧民」と同じで、テント事に異動するのだから、、気楽な生活であった。
日本にはどんな規制が出来ても、、ホームレスは考えて移動するのであった。
「税金を払わない」「家賃や地代はタダで、、」いくらでも、探せばあるものだった。
日本の国は考えてみれば、、「贅沢」なのだ、、、空き家はいくらでもあるから、、、
雨、露、寒さを防ぐことには、少々、辛抱すればいくらでも、只の家があるのだった。
名無しの権兵衛はホームレス村の長老から、、いろいろ学んだ。
そして、少しづつではあるが「小銭」を貯めるようになった。
また、、住宅街を歩きながら、、留守にしている家もあり、、時には黙って侵入して、寝どまりすることも有った、、、コソ泥である。
住宅街の家が留守かどうかを調べるというか、確認する方法も、ホームレス村の長老から学んだ、、、その家の住所から電話を調て、留守を確認して、夜中に無断侵入をして、一晩だけ,その家で寝どまりして、入浴して、冷蔵庫の中身を食べて、次の朝には出るのであった。
早い話が「泥棒」であった。
しかし、金物は盗まない、、暖かい布団に寝て、、あれば「少しの現金」を貰って、帰るのである、、、
又、工場や事務所荒らしもしたのであった。昼間、下見をしてからの「コソ泥」であった。
ホームレスをしながら、、3年が経ち、、名無しの権兵衛は独り立ちをして、、本腰を入れて
「空き巣泥棒」に専念していった。
楽して金を稼ぎ、、昼間は「その金」でパチンコをしたり、、余計な臨時収入あがると、、「ソープランド」に行ったりして、、一人気楽に全国を旅した。
悪いことには違いないが、、ある時、覚悟をしたのである、、、人の力を借りて、生きようと、、
警察に捕まったら、それも仕方がない、、警察に捕まれば、、留置場、拘置所、刑務所と、、
三度の飯は食える、、そして、、今は冷暖房の部屋で、、暖かい布団にも寝れ、、風呂もあるのだから、、、と、、コソ泥人生に委ねたのである。
そんな無賃、宿無し人生をする中で、、名無しの権兵衛さんは人間模様を覘いてきたのであった。


3)親子心中の家に侵入した権兵衛さん、、、


いつものように、留守を確認した「名無しの権兵衛さん」は、住宅街の一軒家に裏口から侵入したのであった。
ドアを開けた途端に、ガス漏れの匂いがしたので、急いで中に入り、、リビングから始まって、窓を全て開けて、ガスを逃がす行動をした、、、
「名無しの権兵衛さん」は豪い家に入ってしまい、後悔したが、、全ての窓やドアを開けて、電気を点けようとした、、、然し、電気は付かず、切れていたのである。
「名無しの権兵衛」は参った、、、「なんだよ、、電気が止まっているのか、、これは不味いぞ、、」と、、思いながら暗闇の中の部屋を見回した。
寝室と思われる部屋に,三人が横になっていたので、、、「まさか、、心中では無いのか、、」
と、、慌てた。
しかし、根っからの悪人では無いので、、つい三人に近付き、声を掛けたしまったのである、、、自分が泥棒であることを忘れてしまい、、、
声を掛けたら、子供の方が「苦しい、、気持ち悪い、、ごほんごほん、、」と、言いながら目あを覚ました。
名無しの権兵衛はコップに水を入れて、持って来て、まず、目が覚めた男の子に飲ませた、
「大丈夫か、、しっかり、しろよ、、」と、、起こしながら、次に目が覚めた女の子を抱き起こ
して、背中を摩りながら、、咳き込んでいたので水を飲ませた。
もう一人の大人の女は母親だったが、、暫く、咳き込みながら苦しんだ、、、
しかし、名無しの権兵衛さんが、タイミングよく、侵入してきたので、運がいいのか悪いのか、命拾いしたのであった。
子供二人は泣き乍ら、、、母親に縋りついていた、、「お母さん、、お母さん、、」と、、
そして、、「お母さん、死なないで、、」と、、自分たちも苦しい筈なのに、母親の体をゆすりながら、泣きじゃくった。
名無しの権兵衛さんは、、「馬鹿野郎、、死ぬなよ、、死ぬほど苦しいかも知れないが、、子供を道連れにはするな、、死ぬなら、自分だけで死ねよ、、、子供は強いから、、、
でもよ、、死ななくてよかったよ、、、本当に良かった、、、」
権兵衛さんは三人が助かったことを喜んだ。
「良かった、、良かった、、なあ、、お母さんが生きてて、良かったな、、、」
名無しの権兵衛は親無しがどれほど、辛く、寂しいか、悲しいかをしているので、、、
自分がコソ泥に入ったことを忘れていたのであった。
気が付いた母親は、、「死なせてくれば良かったのに、、生きてても仕方がないのですから、、」
と、、恨みこそすれ、感謝はしないような、、言い方であった。
「馬鹿野郎、、子供は違うよ、、なあ、、死にたくないよな、、」と、、権兵衛がいうと、、
二人の子供たちは、涙をぬぐいながら、、小さく懐いた「うん、、、」と、、権兵衛は人ごとであるが、、涙が零れた。。
そして、、「お母さん、私も聡も新聞配達でも何でもするから、、貧乏でもいい、、お母さんと一緒がいい、、ねえ、、生きて、、」と、、姉の方が母親にすがる様に泣いていた、、権兵衛さんから見て、:姉の方はまだ、、小学校6年生くらいにしか見えなかった。
「それみな、、大人の勝手で殺すなよ、、子供は一人前なんだから、、生きろよ、、」
と、、」名無しの権兵衛は、ほとんど、、立派なことは言える立場ではないが、、強い子供たちが居るから安心したのであった。
自分が泥棒稼業の人間とは言えないが、、名無しの権兵衛さんは「なけ無しの金、80万円」を、その心中未遂の母親に渡して、、「親子三人で、、行政の福祉課で相談すれば、、必ず、相談に
乘って呉れるから、、」と、、消えたのであった。



4)自転車旅で日本全国行脚、、、野宿旅

名無しの権兵衛さんは小銭が溜まったので、中古のサイクルリング車と自転車で引く小型キャンピグを買い、、タダで拝借した布団、毛布を乗せて、、旅を始めた。
簡単な野営テントを用意し、、キャンプ用の炊事セットを積んで、野宿旅に出かけた。
東京から南に向かい、、最初の夜は箱根峠を超える途中の市営駐車場でキャンプをした、、、
夏前の涼しい季節なので、夜風も冷たく、清々しい夜を過ごした。
夜中に車やオートバイの音で目が覚めた、、、暴走苦族の集団がやって来て、、轟々と音を立て、やかましかった。。
「こんな駐車場で、、キャンプしてる奴がいるのか、、、おい、、少し、音を小さくしろや」
と、気づかってくれていたら、、、
「馬鹿野郎、、、暴走族から音をとったら、、何ものこらないよ、、ふざけるな、、煩かったら、、キャンプやめて、、出て行けや、、」とか、、勝手なことを言ってた。
名無しの権兵衛さんは、、口には出さなかったが「どっちが、、ふざけてんだよ、、勝手な自分
よがりな言い方しやがって、、」と、、思いながら、、自分も勝手に駐車場でキャンプしているので、なにも、、いいだせなかった。
しばらくすると、音が遠ざかっていった。
、、、これで、寝れると思ったら、、2台の乗用車が入って来た。権兵衛さんは寝たふりをしていたら。。。ごそごそと、、声は小さいが、嫌な話が聞こえて来た。
「この先の峠を降りたところの、、門構えの家を襲うぞ、、、良いな、、情報が入って、老夫婦だけだと、、言うから、、準備をしていけよ、、」と云いながら、、車を吹かして走り去った。
名無しの権兵衛さんは、、不味い話を聞いたと思いながら、、「あいつら、、今はやりの押し込み強盗か、、いやだな、、」と、、言いながら、、
少しばかり、お人好しの権兵衛さんは駐車場の中で、、休憩所になっているところの公衆電話を探して、電話をしたのであった。
自分がコソ泥でありながら、、押し込み強盗、、特に老夫婦を狙う、、無差別暴力を振るう、奴らを嫌いだった。
「110番」して、、情報を流してやった。
次の朝、、キャンプをたたんで、、自転車旅に出発した、、権兵衛さんは朝飯を食堂で食べながら、、御用となった強盗団のニュースを聞いて,、ほっと、したのであった。


5)名無しの権兵衛さん、、大雨に降られて、、

箱根峠を超えて、静岡に入り、大雨に降られた、、、昔では無いが「大井川が大雨で渡れなくなった話が有るが、、、」それと同じで、権兵衛さんは自転車で走れなくなり、、「湯センター」に宿泊していた。
入浴するだけで、仮眠施設があり、、簡単に寝どまり出来るのであった、、その施設には併設して、食事処がいろいろあり、、便利で、、権兵衛さんは良く利用していた。
大きな湯センターには映画館やゲームセンターなどもあって、一人旅の権兵衛さんには都合がよかった。
雨の間はゆっくり、滞在が出来て、有意義でもあった。
今回の静岡の「湯センター」では、よく見かける二人組のおっさんと、、知り合いになった。
温泉に入り、、湯上りで食事をしているところへ、、その、おっさんが話しかけて来た。
「また、、会いましたね、、混んでいるんで、相席、いいですか、、」と、、言いながら座って来た。
一人で4人席を使っているので、、ダメだとも言えず、、「はい、、どうぞ、、」と、言うと、、髭面の強面するような、おっさんが座って、生ビールを頼んでいた。
「すいませんね、、、旅行中ですか、、、」と、、話しかけてきたので、、、
「ええ、、そうです、、」と、、言いながら、権兵衛は頼んだ定食を食べていた。
権兵衛さんは、、「面倒くせえーな、、俺には構うなよ、、」と、、腹の中で思いながら。飯を食べながら、、迷惑そうな顔をしたのだった。
権兵衛さんは飯は、黙って、食うから旨いんだよ、、とも、言いたかった。
二人の男はビールを飲んでいるので、声もでかく,、話したかったのか、、一人旅の権兵衛さんに話しかけて来た、、
腹の中では面倒臭い奴らだと思いながら、、相槌程度の返事をしていた、、、
2人は酔いが少し回って来たのか、、、「お客さんは、、ずっと、旅しているんですか、、」と、聞くから、、「ええ、、そうですよ、、写真を撮っているんすけど、、、」と、、説明すると、、、
「へえー、、写真家さんですか、、」とも訪ねて来たので、、面倒う臭いなと、思いながら、食事も終ったので、席を立った。
まったく、酒癖の悪い奴らだな、、と、思いながら温泉に入った。
風呂に入っていたら、、運転手風の男が、、湯舟の中で、隣にきて、、、「さっき、あんたの席にいた男たちは、、刑事だってよ、、なんか、箱根で事件が有ったみたいだよ、、」と、、教えてくれた。
世の中にはいろいろな人間がいるものだと、、権兵衛は思った。
そして、少しだけ「ひやっと、」したのだった。
自分も泥棒稼業なので、、、、



6)雨が降ると、、、休養日になる権兵衛さん、、、


名無しの権兵衛さんは雨が降ると、、湯センターなどを見つけて、お風呂に入り、のんびり過ごすことが多かった、、、コソ泥なりに、余裕を持って、少ない予算の中での「泥棒稼業」を続けていた。
泥棒が計画的な生活と言ってはおこがましいが、、、ちびちび生きている、、、だから「コソ泥」では無いのか、、、
今回も静岡の湯センターでは3日目にもなる、、秋の長雨なのか、、土砂降りが続いた、、そして、アチコとで川の氾濫、土佐崩れが起きている、、、まったく、嫌な世の中になったものだ、、
俗にいう「嫌な渡世だな、、」である、、、
そんなことを思いながら、温泉につかっていたら、、、
「また、会いましたな、、、あんたも、随分、ゆっくりな旅してますね、、、」と,湯けむりの中から、しゃがれた声がした、、「ああ、、どうも、、雨でしてね、、動けないんエスよ、、」と、、相槌をうちながら、権兵衛さんは洗い場に逃げた。
刑事と知ってから、、傍には寄りたくなく、、出来るだけ話をしたくなかった。
しかし、偶然というか、、権兵衛さんの隣が空いていたので、、その刑事が座って来たから、、いやだと思い、そそくさと洗いながして、、温泉に入った。
権兵衛さんは腹の中では「近づくな、、、俺に構うな、、」と、、怒鳴りたかった。
しかし、どういう訳か,、寄ってくるのであった、、、
権兵衛さんは「なんだよ、、泥棒の匂いでもするのかよ、、しーしー、、」と、、追い払いたかった。
その刑事は執拗に権兵衛さんに近付き、、
「兄さん、、あんたの撮影旅も、天気任せで、のんびりといいね、、、ところで、、旅をしていると、いろいろな人間と会と、思うが、、兄さんもニュースで知ってると思うが、、可笑しな人間や、不審に思う人間が居たら、、知らせて欲しい。。。」と、、言いながら、、着替え室であった時に、頼まれた。
その時、初めて名乗られた、、よれよれの背広のポケットから名刺を出したのであった。
「俺な、、刑事で、御手洗千治という、、万年平刑事の強硬犯係だから、、宜しくな。。それに、いつも一緒の刑事が、連川千之助と云うのでよろしく、、、なんか、兄さんとは縁がありそうなのでな、、」
と云いながら、、東京からずっと、連続強盗犯を追っている話をしていた。
人の噂では「すっぽんの千治」と云われて、狙った獲物は逃がさないと豪語していたので、、
名無しの権兵衛さんは、偉い奴に好かれてしまったらしい、、、
その晩も、その「湯センター」で夕食が一緒だったので、、その、トイレデカの「御手洗千治」が、、
「偶然と云えども、、よくよく、縁があるようだな、、、あはあはあは、、」と笑っていた。



7)名無しの権兵衛さん、、捨て子に巡り合う。。。


名無しの権兵衛さんの雨宿りも終わり、、自転車旅が始まった。静岡を超えて、浜松湖のほとりのサイクリング道を走っていた、、、雨も上がり、さわやかに晴れ渡った秋空の下、、丁度、浜名湖に面した公園があったので、権兵衛さんは昼飯を兼ねて、休憩しようと立ちよった。
そして、、途中の売店で買った、「おにぎり弁当」を広げていたら、、一人の女の子が近づき、権兵衛さんが食べている握り飯を、じっと見つめていた。。。
権兵衛さんは「不味いな、、、見つめられては、、」と、思い、、
じっと見つめてる女の子に、、「食べる、、」と云いながら、握り飯を差し出したら、、、
「うん、、」と、、頷き、小さな手を出した。。
どう見ても、、、2,3歳ぐらいなので、、その女の子の親がいないかと、、周りをみたが、、誰も居なかった。。。
「ねえ、、お母さんはいないの、、」と、聞いたら、、、
その女の子は小さく、「頷いて、、」大きなお握りを頬張りながら、、「いないの、、」と、返事をして来た。
権兵衛さんは、更に「これは不味い、、」と、、思いながら話しかけた。
心配な権兵衛さんは、お握りを旨そうに食べている、女の子にゆっくり、、聞き出した。
結局、、聞きだした答えは「捨て子」だった。。捨てられた女の子だった。。
困った権兵衛さんは、、兎に角、、腹が空いているみたいなので、握り飯と卵焼きを食べさせた。。
そして、、ジュースも渡したら、旨そうに飲んで、、小さな頭を下げた。
なんとも可愛い仕草であった。
権兵衛さんは腹が立った、、「こんな可愛い子供捨てるとは、、まったく、ふざけている、、
馬鹿野郎、、」と、怒鳴りたかった。
その女の子は、、「ねえ、、おじちゃん、、あたいね、いつも一人なの、、一緒にいてくれる、、」
と、、権兵衛さんの足元に擦り寄って来た。。。
秋とはいえ、、半袖姿の女の子は寒そうだった。。
このままに、置いてく訳にはいかないので、、自転車で引いている、サイドカー的な車を引いているので、その女の子を乗せて、、近くの行政役所へ相談に行くことにした、、権兵衛さんであった。
女の子を乗せて走り出したが、、役所らしい建物は見つからず、、日が暮れて来た、、、
その小さな女の子が「おじちゃん、、夕焼けが綺麗、、お母さんは何処へ、いっちゃんだったんだろうね、、」と、、寂しげに呟きながら、、小さな声で鳴いていた、、一生懸命、小さな心で堪えながら、、
権兵衛さんは「馬鹿野郎、、」を呟きながら、ペタルを踏んだ。
「ところで、、名前は何ていうの、、、」と、、聞くと、、
「あたいね、、さくら、、、お母さんがつけてくれたんだって、、優しい、お母さんだよ、、」
「お母さん、、言ってたよ、、必ず、迎えに来るからと、、」と、言いながら、、
「早く、来てくれないかな、、、」、、「それまで、おじさんと一緒にいるようにって、、」
そんな話を聞かされた権兵衛さんは、困ってしまった。
何を見込まれたのか、、この「さくら」と言う、、捨て子の女の子と、、「もしかしたら、、旅をしないといけないのか、、」と、、錯覚を起こし、思うようになった。
夕暮れになり、、腹も空いただろうから、、と、、思いながら、湯センターが目に入ったので、今夜は立寄ることにした。


8)名無しの権兵衛さんは,さくらに洋服を買う、、、

権兵衛さんは「湯センター」に入る前に、、併設してあるスーパーで子供服を買った。。
「さくら、、、お風呂入る前に、、着替えの洋服を買おうか、、、」と、、いうと、、、にこにこしながら「うん、、嬉しいな、、」と、いいながら、女の子らしい、、可愛い洋服を選び、はしゃいでいた、、
そんな時、本当に可愛いと思った、、、
何でこんな可愛い子を捨てたんだろうと、、腹も立ち、その母親を恨んだ。
しかし、権兵衛さんはさくらと温泉に入ったら、、さくらだけしか見えなかった、、、年を聞いたら「3歳、、」と、指を立てて、教えてくれた。
自分ではまだ、、良く、洗えなかったので、慣れない手つきで、権兵衛さんは「さくら」を洗い、、湯舟に入った、、、
「うわぁーー、気持ちいい、、暖かくて、、お風呂っていいね、、」と、、湯舟の中でお湯と遊んでいた、、、「あたいね、、お風呂に入ったのは、、ずっと前みたいだな、、気持ちいい、、」
さくらに話を聞くと、、お金が無くて、、お風呂も入らないで、、「お貰い」をしながら、歩いていたという、、、早い話が「乞食」をしていたのだと、権兵衛さんは理解して、、、
此の捨て子を母親が見つかるまで、、自分が面倒を見ようと考えたのだった。
湯上りに買ったばかりの洋服を着て、、嬉しそうに、飛び跳ねている「さくら」が純で無垢らしく、、可愛かった、、、我が子を捨てるには、理由もあり、、覚悟も有ったろうが、、余りにも残酷であった。
自分が身寄りも無く、一人ぽっちでもあるので、こんな[ちび」で、生きる方法も知らない「さくら」を放り投げることは出来なかった。
ましてや、、小さな「さくら」は、、権兵衛さんに見てもらいなさいと、、見放された母親にいわれたのであった。。見込まれた権兵衛さんは、必ず、「さくら」の母親を見つけてやると、、しがない無い泥棒稼業の男ではあるが、、心に云い聞かせた。
新しい洋服に着替えた「さくら」は、、「ありがとう、、」と、言って、小さな頭を下げた。
「さくら、、、ご飯を食べに行こうか、、、好きなものをたべていいよ、、」と、言いながら、いつの間にか、「さくら」は小さな手で、権兵衛さんの手を握っていた。
「そうだ、、さくら、、言えたらで良いけど、、おじさんは辞めよう、、、」と、、言うと、、、
さくらは「なんて、呼ぶの、、」と、、言うから、、、
権兵衛さんは取り合えずは「ゴン兄(ごんにい)がいいかな、、」と、、話したら、、、
さくらは、、、「ふふふっ、、キツネさんみたい、、、可笑しい、、よ、、ねえ、、パパって言っていい、、」と、言い出したので慌てた権兵衛さんだった。
そうか、、パパか、、、いいか、、暫くは「代理パパで、、」と、、権兵衛さんとさくらで決めたのだった。
ここから、「親娘旅」が始まった。
その日は夕食を済ませて、疲れも出たせいか、、権兵衛さんとさくらは仮眠室で、早めに寝てしまった。


9)交通事故に出会う、、、、

権兵衛さんとさくらが「湯センタ」を出発してから、愛知県に入り、、朝日を浴びながら海岸線を走っていた、、、権兵衛さんのペタルの踏む脚も軽やかに、、晩秋の風を受けて、心も軽やかだった。
何となく「さくら」との向きい方も決まり、覚悟を決めて、彼女の母親の行方を捜すことにしたのだった。
さくらの話を信じながら、、権兵衛さんと知り合う前の住んでいたところを聞き出しながら、、愛知県岡崎の町を訪ねた、、、その途中の交差点で、年老いた老婆が車に接触して、転んだのに、車は走り去ってしまった、、、
「あ、、危ない、、大丈夫かな、おばあちゃんは、、」と、、さくらが叫んだ。
権兵衛さんも自転車を止めて、、転んだ老婆の傍に駆け寄り、手を差し伸べ起こして、、、
「大丈夫ですか、、、怪我はありませんか、、、お祖母ちゃん、、」と、、声を掛けたら、、、
「いてて、、脚が少し痛いな、、、年よりなので、、尻餅をついて、、腰が痛い、、」と、、言いながら、立とうとしたが立てなかった。。。
「お祖母ちゃん、、朝もはやいから、、誰も歩いていないので、、逃げたな、、あの車は、
丁度、なんか病院が見えるので、、一緒に行きますから、、診て貰いましょう、、」と、、言いながら、、サイドカー部分に載せようとしたが、、さくらが居るのでそれは出来なかった。
「よし、、さくら、、降りて、、お前を背負うから、、」と、、紐を出して、さくらを負ぶった。
そして、転んだ老婆をそのサイドカー部分に載せて、病院に駆け込んだ。
「パパ、、凄い、、凄い、、」と、、言いながら、手を叩いていた、、、
病院に着いて、、看護婦さんたちが出て来て、其の老婆を処理室まで運び、治療をしてくれた、、、
その結果は「脚を骨折」していて、、腰も打撲しているので、動かない方が良いとなった。
権兵衛さんは事故の詳細を話して、看護を頼んで、帰ろうと思ったら、、その病院の医師に引き留められた、、
「あの、、すいません、、怪我をしたおばあさんから、、貴方にはお礼が言いたいので、返さないでください」と頼まれましたので、、、「待ってください、、、それに、交通事故なので警察の方にも、状況を説明した貰いたいので、、控室で待ってください、、、」と、、云われて、権兵衛さんは引き上げることが出来なかった。
負ぶってた「さくら」も降りて、、「お祖母ちゃん、、大丈夫だった、、」と、、心配そうに代理パパに聞いてきた。。。「さくら、、大丈夫だよ、、良かったね。」と、、二人で笑顔見せながら笑った。
権兵衛さんは、、さくらは優しい子だな、、本当にいい子だ、、なんで、こんな可愛い子供を捨てたんだと、、母親を恨めしく思った。

暫くして、交通事故担当の警察官が来たので、権兵衛さんは状況事情を説明した、、其の聴衆が終わって、権兵衛さんは担当医師が来て、、病室に案内された。
そして、手当てがすんだ、其の老婆から、権兵衛さんは丁寧なお礼を言われた、、、
「本当にありがとうございました、、命拾いしましたよ、、本当にありがとう、、私は岡崎に住んでいる、榊原りくと言います、、ここにきているのは私の息子の浩一郎と言います、、お礼と言っては何ですが、、どうか、、私の気持ちを受け取って欲しいのです、、少しだけ、時間を割いていただけませんか、、」と、、腰が痛いのに、ベットの上に座って、頭を下げられたのである。。。
そして、、大したお礼は出来ないが、、是非、お礼をさせて欲しいと頼まれた、、、
「パパ、、お祖母ちゃんが可哀そうだから、、痛いのが治るまで、いてあげようよ、、」と、、分かっているのか、知らないのか、、さくらに引き込まれてしまった。
権兵衛さんは「さくらは不思議な子」だと思った。
さくらの優しさが、権兵衛さんにも伝わり、、榊原りくのお礼を受けることになった。
取り合えず、、息子の境原浩一郎に連れられて、榊原家の門を潜った。。。そして、怪我した榊原りくも一緒にもどったのである。
さくらは大きな家を見て、部屋に通されて、、、「うわぁ、、凄いな、、まるでお城みたいだな、、
」と、、まるで、我が家の様に跳ね回った。
権兵衛さんが「さくら、、走っては駄目だよ、、、」と、、言いながら、止めたが、、さくらは余りにも凄く、嬉しかったので。止まらなかった。
その様子を見てた、榊原りくは、、「いいよ、、思いっきり、飛んでいいから、、」と、、にこにこ志ながら、、さくらを眺めていた。


10)さくらお守りの袋、、、

榊原家に宿泊して、、2日目に、、、権兵衛さんは聞かれた。助けた榊原りくから、、、
「権兵衛さんは、、これから、見も知らない人から預かられた「さくら」をどうするんですか、、」
と、、尋ねられたので、、「出来れば母親を探して、戻してやりたいと思っています、、」
と、、言いながら「さくら」の持っていたお守りを見せた。
権兵衛さんも、榊原りくを見て、、人を見てきているので見る目はあった、、それで、さくらのお守りの中を見せることにして、話をしたのだった。
名前は「榊原さくら、、生まれは愛知県豊田市松平1943番地、生年月日は令和5年4月日、母、あかね」と、、書かれていた。
このお守りをさくらに持たせたのは、、いずれ迎えに来るという暗号のような気がした権兵衛さんであり、、それまでは預かろうと決めたのだった。。。
そして、お守りを見た「榊原りく」は、偶然でも苗字が同じであり、、生まれたところが豊田市松平だったので、驚いたのだった。
権兵衛さんに話をしたのだった、、、偶然でも苗字が同じで、生まれが豊田市松平だったので、、仔細を述べながら、、何か神か先祖が巡り合わしたような気がしたと。。。
今回、助けた榊原家は徳川家の四天王の独りである「榊原康正」の末裔であると、、、そして、豊田市松平は「徳川家発祥の地」であり、、豊田市松平には徳川家ゆかりの史跡が数多く残っていると観光案内もしてくれた。
そんな訳で、これからさくらの出生地を訪ねるのに、大に参考になったのである。
榊原りくは自分の先祖に触れたので、、徳川松平街の話を更に、詳しく話してくれた。現在の松平街は
町全体が史跡公園の体を成しており、、松平郷と呼ばれている、、自然豊かな、街であり、、春には桜が夏には花しょうぶやあじさいが、、秋には萩の花や紅葉が美しい。。と、云われている。
松平街は巴川の川沿いで、、どちらかと云えば、豊田市の外れ、山間部に位置していた。
徳川家ゆかりの街なので4月には「松平東照宮例祭」が、、2月には「天下祭り」が勇壮に行われて、、
裸の厄男たちが「練り込み」とか「玉競り」が行われているので、、一度、見たらいいと勧められた。
権兵衛さんは、豊田市松平郷の様子を聞いたので、、静かな山村で、空気の綺麗なところで、、、「さくら」は生まれたんだと想像しながら、、探すことにした。
そして、今回、助けた榊原りくも、、知らないとこでは無いので、探してくれることになった。
権兵衛さんは春でもあり、、陽気もポカポカしてきたので、、「さくら」を連れて、豊田市松平郷に向かった、、、
世話に成った、榊原りく婆さんにはお礼を言って、、豊田市松平郷の帰りを約束して、、、
「さくらちゃん、、また来てね、、元気でね、、、」と、、言いながら、さくらには、一杯の洋服と靴を買ってくれた、、、
さくらは喜んで、、「おばちゃん、、また来るね、、ありがとう,、ばいばい」自転車の後方のサイドカーから手を振っていた。
榊原りくは念を押した、、必ず、寄る様にと、、、「待っているからね、、、さくら、、」と、手を振りながら、何かさくらに縁を感じていた。
権兵衛さんとさくらは春の風そよぐ、岡崎から豊田市松平郷に走り出した。


11)豊田市松平郷について


豊田市松平郷は巴川沿岸の町はずれの静かな山間部に位置し、、町全体が史跡公園の体を成し、其の町内には78所帯、人口299人の街並みであった。
そんな静か街で「さくら」は生まれたのだと思いながら、街並みを走った。今は櫻の花が咲き誇り、これから始まる「松平東照宮の例祭」で、少ない街に人が集まっていた。
朝早く岡崎を出たが、、すでに午後3時を過ぎていたので、お洒落な「茶屋」に入り、、さくらと二人で、食事を執り、、その店の店員に宿屋を紹介して貰った。
今夜は「松平東照宮の例祭」の初日であったが、、夕方に成ったら見物客が増えて来た。
権兵衛さんは、例祭は明日見物することにして、日本風の旅館に入った。
「さくら」と二人で温泉に入り、寛いだ頃に夕食が運ばれた、、
綺麗に並んだ料理の数々をみながら、、さくらははしゃいだ、、「綺麗だね、、食べるのがもったいないよ、、パパ、、」と、、子供用の浴衣に着替えて、、笑みを浮かべながら、、「パパ、、ママにも食べさせたいな、、ママは何処へ行っちゃったのかな、、」と、、少し目頭を赤くしていた。
始めてママと云った、さくらは意地らしかった、、
「さくら、、これからはお母さんじゃなく、、ママって、呼べば良い。。」と、権兵衛さんは思い、伝えた、、
さくらは「うん、、ママって呼ぶね、、」と、、なんか、、3歳の女の子に戻ったような気がした。
二人での楽しい食事が済み、、自転車旅が疲れたのか、さくらは「眠い、、あたい、寝るね。。」と、言いながらふわふわした布団に潜り込んだ。
その後で,「仲居さん」がお茶を運んできてくれた時に、権兵衛さんは尋ねた。
さくらの生まれた土地がどのへんか聞いて、其の付近を歩いてみようと思った、、小さな街並みなので「交番」も聞いておいた。
話をしていたら、偶然、其の仲居さんが、さくらの産まれた町内で近く、、さくらの母親を知っていたのだった、、、
それで、、仕事が終わったら、、改めて聞くことにした。
その晩に、親切な仲居さんが来てくれて、さくらの母親のことを聞かしてくれた。
本人は事件を起こして、今は、何処かは知らないが「刑務所」に居ることが分かったのである。
事件はさくらの母親の亭主「政五郎」は、地元の極道で、組の為に事件を起こしたが、殺されてしまったという。。そして、組織の理不尽さに、怒りが爆発して、女伊達らに亭主の仇討をしたのだったが、、傷害事件で終わってしまい。その後、子供連れて逃亡したが、逮捕されたという噂までの話をしてくれた。
その話を聞いて、権兵衛さんは理解できた。
「さくら」との出会いが、、
明日は「さくら」が生まれた地域に行き、、最終的には地元交番で聞こうと考えていた。
権兵衛さんは「さくら」母親の拘留されている「刑務所」まで、、会いに行こうと決めたのだった。


12)さくらの生まれた町で、、、

翌朝、松平郷の「松平東照宮例祭」が行われて、、武将姿の行列祭りがあったので、「さくら」
と二人で見物をしながら、松平郷を歩いた、、田舎の静かな町であるが、見物客は多かった。
昔と違い「的屋」ので店は無かったが、地元の商店街の出店が出ていたので、、天気も良く、暑かったので、「さくら」が欲しがった、アイスクリームを買い、、食べながら、長閑な人並みの流れに、行列を見ていた。
「さくら」が生まれて、育った松平郷は静かないい街だった。
行列を見てから、、さくらが育った町内に行ってみたが、、知っている人がいる訳では無かったが、、自転車サイドカーを転がしながら、、歩いてみた。
住んでた住所の近くで、老婆が縁側に座って、日向ぼっこをしていたので、、、
「こんにちわ、、いい天気ですね、、」と、声を掛けたら、、、「こんにちわ、、、東照宮例祭の見物ですか、、、」と、聞いてきた、、、
「ええ、、凄い行列ですね、、初めて観ましたよ、、、」と、話したら、、
「どこから、、来なすったね、、大変だね、、、子供連れでは、、、」と、、自分がお茶を飲みながら食べていた、、お菓子をさくらにくれた、、、
さくらは「ありがとう、、おばあちゃん、、」と笑顔を見せながら受け取っていた。
「可愛子だね、、挨拶が出来て、、お利巧さんだ、、この近所に親戚でもあるのかね、、」
と、、聞きながら、、「見たことがあるがね、、、いくつになるの、、」すると、、さくらは指を折って、答えた。
権兵衛さんは、、「そうですか、、1年ぐらい前に、この近くに住んでたことがあるみたいなんで
すよ、、」少しだけ事情を話した。
「ああ、、思い出したよ、、榊原さんの娘さんかね。。」と、、覚えていてくれた。
「そうかね、、母親を探しているのかね、、、こんな小さいのに、、可愛そうだ、、」
と、、言いながら、家の中に戻った老婆は「はい、、ジュースがあるから、、飲みなさい、、」と、、余計に袋に入れてくれたのだった。
「あんたが、、今は親代わりで、、大変だね、、細かいことは分からないが、、この先に駐在所があるから、、細かいことは聞くと良い、、」と、、場所を教えて呉れた。
そして、、さくらたちが住んでいた家も教えて呉れたので行ってみた。
田舎町の暖かい温情に触れた権兵衛さんだった。
その家の前に着いたら、、「パパ、、此処があたいの家だよ、、ママと一緒にいたの、、」
と、言いながら、今にも泣き出しそうであった。
「分かった、、さくら、、ママを探しに行こうか、、、」と、、頷くさくらを連れて、松平郷を出た、、、桜吹雪に送られながら、祭囃子の音を聞きながら岡崎に向かった。


13)岡崎に向かうと途中に駐在所が有ったので立ちよった。


権兵衛さんと「さくら」はさくらの生まれ故郷を訪ねた帰り道、松平郷の「駐在所」に立ち寄った。
田舎の駐在所なので、暇そうであった、、、そして、駐在警察官の「大久保巡査」が話を聞いてくれた。
話好きなお巡りさんだったのか、、「さくら」の母親の事件を良く覚えてくれていて、その事件を話してくれた、、、「そうですか、、この子の母親ですか、、、まだ、小さいのに可哀そうに、、、」と、、気づかいをしてくれて、、もう一人の駐在警察官が女性だったもので、駐在所の前の広場へ連れて行ってくれて、遊んでくれた。
その間に、権兵衛さんが事情を話して、細かい事件の内容を聞いたのであった。
自分の亭主がやくざの組織に騙され、利用されて、殺されたのであったと、、、その仇討を「女伊達らに」しての、傷害事件であり、、当時はその「美談」の噂でも持ちっきりであったとも話してくれた。
今は栃木刑務所に服役していると教えて呉れた、、
「確か、5年の実刑だったと思います、、、」と、、聞かされた権兵衛さんは、栃木刑務所の住所を教えてもらい、、その、駐在警察官「大久保巡査たち」にお礼を述べて、、さくらと、榊原りくの待つ、岡崎へ向かったのであった。
権兵衛さんは「さくら」の事が少し分かった、、4月の「さくら」の誕生日も過ぎて、さくらも4歳になった春爛漫な季節に、新たに言い聞かせた、、、「さくら、、お前のママに、、会わせるからな、、それまでは俺が、何が何でも守るからな、、」と、、思いながら岡崎に着いた。
境原りくの家の前に着いた、、玄関に入った途端に、、りくおばあさんが出迎えてくれた。
「お帰り、、さくら、、ちょつと合わない間に、大きくなったみたい、、」と、、言いながら、さくらを抱き締めた。
「お祖母ちゃん、、痛いよ、、、でも、ただいま、、さくらも会いたかった、、、」と、、言いながら抱き着いていった。
他人が見たら孫と祖母の様に見えた。。。
「権兵衛さん、、疲れたでしょう、、まずは二人でお風呂に入ってください、、旅の疲れを癒して、、、
それから、、夕食にしましょう、、」と、、優しく接してくれた。
夕食には祖父の榊原浩一郎さんも一緒になり、、「さくら、、4歳の誕生日、おめでとう、、」と、、誕生日ケーキまで用意してくれた、プレゼントは「可愛い洋服」だった、、、
権兵衛さんも、このサプライズには嬉しくて、目頭が熱くなった。
「さくら、、、良かったな、、、ありがとうございます、、」と、感謝したのだった。
「お祖母ちゃん、、お爺ちゃん、ありがとう、、」と、、言いながら、、小さな口で4本の蠟燭を消したのであった。
権兵衛さんは本当に感謝した、、、
そして、、権兵衛さんに「後で、、話が有りますので、、さくらと一緒に寝てしまわないでください、、」と、告げられた。
楽しい誕生日お祝いの夕げであった。


15)栃木女囚刑務所で、、、

栃木女囚刑務所はわが国最大の女囚刑務所で入所者が約500人収容されている。
所在地は栃木県栃木市惣社町にあって、交通機関はJR両毛線・東部日光線「栃木駅」から、車で15分。
JR宇都宮線「小金井駅」から車で20分の所にある。
罪状の多くは窃盗が「47%」覚せい剤が「33%」で。殺人未遂や障害は少ない。
収容されると、、服役後の為に、「洋裁」「金属」「その他」の職業訓練がある。
そんな「女囚刑務所」に服役している、さくらの母親の榊原早美に面会を求めて、会いに行くことにしたのであった。
今回は権兵衛さんが一人で行くことにしての、栃木までの旅であり、、さくらは榊原りくに預かって貰うことにしたのだった。。
「さくら、、パパは仕事で東京へ行かなくてはならないので、、今回は留守番をしていてな、、」
と、、榊原りくに頼んで、出かけることにした。。。
「うん、、良いよ、、りくおばあちゃんと留守番しているから、、パパ、、お土産を買って着てね、、」
と、、聞き分けてくれた。
「2,3日だからね、、、帰ったら、さくらと一緒に居るから、、、」と、、権兵衛さは出かけた。
東京から、JR線で小金井駅に出て、車で「栃木女囚刑務所」へ向かった。
栃木女囚刑務所も田園地帯を抜けた、田舎町にあった。
権兵衛さんは東京に一泊してから、翌日に栃木女囚刑務所に着いた、、、夏の暑い昼下がりだった。。田舎町の木々からは蝉の鳴き声が聞こえ、、権兵衛さんの額から汗が滲んでいた。
待合室で待って、暫くしてから、、面会室に通された。
さくらの面影を思わせるような、素敵な女性だった。
「初めまして、、権兵衛です、、ああ、、さくらは元気ですよ、、」と云いながら、面会室のガラス越しに「さくら」の写真を見せた。。
その写真を見た、榊原早美は目頭に光るものを貯め乍ら、、、「本当に、ご迷惑をお掛けして、ごめんなさい。。本当に御免なさい、、」と、、泣き崩れた。
「いえ、、、最初は面食らいましたけで、、さくらがいい子なので、私としては楽しいひと時を凄さて頂きました、、、私こそ、お礼がいいたいです、、、」
と、、挨拶をしてから、、さくらと出会ってからの、、経緯を説明した権兵衛さんでした。
面会の時間にも制限があったので、出所が決まったら、必ず、迎えに来ますので連絡をしてください、、、と、、伝えて、、、
詳細については手紙を渡して、、権兵衛さんは栃木女囚刑務所を後にした。
権兵衛さんは、なんかほっとした気持ちと、いずれは「さくら」と別れが来ることに、寂しさを覚えた、、、帰りの車中で、、何故か涙が込み上げて来た。
早く岡崎に帰って。嬉しい喜びを「さくら」と「榊原りく」に伝えたかったが、、意気幕の哀しさがこみ上げてきたのであった、、、、何もない権兵衛さんが、、心の支えを得たことの喜びを失うことの恐ろしさを、、空の下で、しみじみ感じた帰り道であった。




































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