幽刀星

氷翠

文字の大きさ
55 / 55

歩・五十五「迫」

しおりを挟む
その日は、朝から妙に静かだった。
音が消えたわけではない。ただ、街の音が揃いすぎている。
人の足音、荷車の軋み、遠くの呼び声――すべてが、決められた拍子で鳴っているように感じられた。
今日は、終わらせる日だ。
そう意識した瞬間、胸の奥が重く沈んだ。



宿を出ると、すでにベンが待っていた。
盾を背負い、鎧の留め具を確かめている。

「来たな」
「ああ」

それだけで十分だった。
余計な言葉は、剣の切れ味を鈍らせる。
少し歩いた先で、エンカイ子爵と合流する。
その背後には、見慣れない男がいた。

「王国より派遣されました。ペヌエル・ヤコブと申します」

年齢は四十を越えているだろう。
装いは質素だが、隙がない。
剣を持たない代わりに、言葉で人を縛る男だと直感した。
その後ろには、数名の兵士。
人間だけではない。
耳の尖った者、体格の大きな者、肌の色が異なる者。
王国が本気で動いている証だった。



歩き出す。
街の中心へ向かうにつれ、空気が変わる。
露店は半分以上が畳まれている。
人々は通りに立っているが、誰も声を上げない。
視線だけが、こちらに集まってくる。
恐れ。
期待。
好奇心。
そのすべてが混ざった視線を浴びながら、俺は歩いた。

――俺は、何をしに来た?

復讐か。
それとも、終わらせるためか。
答えは、まだはっきりしない。
だが一つだけ分かっている。
今日は、逃げ場がない。



ホド伯爵の邸宅が見えてきた。
高い塀。
重厚な門。
門は、固く閉ざされている。

「……閉めてやがるな」

ベンが低く呟く。
俺は、周囲に視線を走らせた。
窓の奥、人影が動いている。
兵でも使用人でもない。
慌ただしさが、壁越しに伝わってくる。
中では、何かが進んでいる。
次の一手を考えているのだろう。
あるいは、逃げ道を探しているのかもしれない。
だが、もう遅い。



「伯爵は、書斎にいるはずです」

ペヌエル・ヤコブが淡々と言う。

「現在も書類に目を通しているとのことでした。

 ――最後まで、状況を理解しようとしているのでしょう」

最後まで。
その言葉が、妙に引っかかった。
理解したところで、もう選べる道はない。
それでも人は、紙の上に答えを探す。
俺も、同じだ。



門の前に立つ。
兵士が合図を送り、扉が叩かれる。
重い音が、邸宅に響いた。
中から、慌てた足音。
使用人の声。
そして、伝令が走る気配。

「エンカイ子爵が来訪された、と伯爵に伝えろ!」

誰かの声が響いた。
俺は、深く息を吸う。
影身は、静かだ。
剣も、まだ抜いていない。
だが、心は確かに前へ進んでいる。



――これが、追い詰めるということか。

剣を振ることじゃない。
血を流すことでもない。
逃げ道を消し、時間を奪い、選択肢を一つに絞る。
そうして、相手に“決断”を強いる。



門が、ゆっくりと開いた。
邸宅の中へ、一歩踏み出す。
エンカイ子爵が先頭に立ち、その背後にペヌエル・ヤコブ。
ベンと俺は、半歩下がって続く。
廊下の奥。
書斎の扉。
その向こうに、ネツァク・ホド伯爵がいる。
書類に目を通し、次の策を考え、まだ、抗えると思っている男が。



扉の前で、足を止めた。
ここから先は、もう戻れない。

だが――

それでいい。

「……行こう」

エンカイ子爵が言う。
その声と同時に、扉が開かれた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います

ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。 懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?

【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜

KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。 ~あらすじ~ 世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。 そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。 しかし、その恩恵は平等ではなかった。 富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。 そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。 彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。 あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。 妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。 希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。 英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。 これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。 彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。 テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。 SF味が増してくるのは結構先の予定です。 スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。 良かったら読んでください!

生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。

水定ゆう
ファンタジー
 村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。  異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。  そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。  生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!  ※とりあえず、一時完結いたしました。  今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。  その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

蒼穹に溶けた約束 ―記憶を失った勇者と終焉の魔女―

usako
ファンタジー
目を覚ましたとき、名前も記憶も失っていた――。 少年は滅びゆく世界で、ただ一人の「魔女」に拾われる。 世界を救うと呼ばれた勇者は、なぜすべてを忘れたのか。 魔女が背負う「終焉の呪い」とは何か。 過去を思い出すたび、二人は哀しみの真実に近づいていく。 これは、滅びの運命に抗う二人の再生の物語。

悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業

ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...