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2話「その声、誰のもの」
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午後の陽が村を傾けはじめた頃だった。
空気の密度が変わったような気がしたのは、その直前のことだった。
「ガウルが……ガウルが発狂してるぞ!」
叫び声に、ジブリールとサリエルは同時に走り出した。
村の広場。集まった人々の中、ただ一人、怒りに濡れた叫びを上げる少年がいた。
ガウル。
毎日陰気な顔で、うつむいていた彼が――今は別人だった。
「来るなッ……誰も、来るなァア!!」
干し草の束を散らし、木の棒を振り回す。
口の端から泡を飛ばし、何かに怯えるように後ずさる。
目は焦点を結ばず、誰の顔も映していない。
村人たちは口々に言う。
「魔物に取り憑かれた」
「あれは人じゃない」
誰も近づかない。ただ、ジブリールだけが一歩、足を出した。
「ガウル……あなた、本当にガウルなの?」
その瞬間。
――風が止んだように、音が消えた。
「……ガウル? ああ、あの腑抜けか……オレはガウロだよ」
それは、ガウルの口から出たとは思えないほど低く、濁った声だった。
視線が合った瞬間、ジブリールは本能で悟った。
(これ……彼の声じゃない)
次の瞬間、棒が振り下ろされる。
反射的に魔法で防ごうとしたジブリールの腕が鈍く震え――
そのときだ。
耳ではない、心の奥に届いた“叫び”があった。
《助けて……ボクじゃない……止めて……》
(……声? 誰の……誰が……?)
動きが止まった。
ジブリールの前に、誰かが割って入る。
「下がれジブリール。これは、俺がやる」
サリエルだった。
抜かれた剣の代わりに、その目が光っていた。
左の瞳に走る、妖しい光。
「サリエル、ダメ、それ以上は……!」
だがサリエルは踏み込む。
「こいつの中に、何がいるのか……確かめなきゃならないんだ!」
迫る二人。その瞬間、ガウロの身体が痙攣した。
「やめろやめろやめろやめろッ!! 俺じゃないんだ、俺じゃ……!」
絶叫と共に、少年の身体が崩れ落ちた。
泣きながら、震えながら、ただ謝るしかないガウルに戻っていた。
「……なんで……どうして、こんな……」
広場に重たい沈黙が落ちる。
誰かが呟いた。「もう……人間じゃねえよ、あれ」
別の誰かが続ける。「魔物が憑いたんだ、きっと……」
人々の視線が、冷たく離れていく。
ジブリールは拳を握った。
あのとき聞こえた“声”が、心にこびりついて離れない。
(あれは、彼の……本当の声だった。なのに、誰も聞いてない)
不安が、静かに広がっていった。
サリエルが剣を収めた音が、やけに遠くに響いた。
広場の空気は重く、誰も言葉を発しない。
その沈黙の中、ジブリールは周囲を見回した。
まず目に入ったのは、倒れた鶏小屋だった。
血を流した数羽の鶏が、羽を半ばもがれたまま地に転がっている。
その横では、ひとりの農夫が泣いていた。
可愛がっていたと話していた幼鳥を、胸に抱きしめて。
広場の端、井戸の周りでは、割れた水桶と、引きずられた跡があった。
誰かが腕を押さえ、唸るようにうずくまっている。
その腕は、変な角度に折れ曲がっていた。骨が、露出しかけている。
「ガウロが殴ったんだ……俺を、いきなり……なんの理由もなく……」
誰にともなく、呟くような声が聞こえた。
その人物の目は虚ろで、焦点を失っている。何かが壊れてしまったかのように。
近くの家の扉は、蝶番ごと破られ、壁の一部が裂けていた。
まだ幼い子どもが、中で震えている。
両親が必死に抱きしめているが、その震えは止まらない。
ジブリールは息を呑んだ。
(これが……たった一人の、暴走で……?)
人ひとりが狂っただけで、村はここまで壊れるのか。
人の心も、家も、秩序も、誰かの平穏な日常も――全部。
「ジブリール……」
サリエルの声に振り向くと、彼もまた、唇を噛みしめていた。
誰にも言えない感情を、剣の鞘に押し込めるように。
「これ以上……こんなことが起きたら、どうなるんだろうな、この村」
ジブリールは答えられなかった。
胸の奥に、あの“声”が再び蘇る。
《助けて……ボクじゃない……止めて……》
この村に何が起きたのか。
本当に恐ろしいのは、狂った少年か。
それとも、それを魔物と断じる、村人たちのほうなのか。
夜の帳が下りてゆく中で、誰もが何かを見ないふりしていた。
空気の密度が変わったような気がしたのは、その直前のことだった。
「ガウルが……ガウルが発狂してるぞ!」
叫び声に、ジブリールとサリエルは同時に走り出した。
村の広場。集まった人々の中、ただ一人、怒りに濡れた叫びを上げる少年がいた。
ガウル。
毎日陰気な顔で、うつむいていた彼が――今は別人だった。
「来るなッ……誰も、来るなァア!!」
干し草の束を散らし、木の棒を振り回す。
口の端から泡を飛ばし、何かに怯えるように後ずさる。
目は焦点を結ばず、誰の顔も映していない。
村人たちは口々に言う。
「魔物に取り憑かれた」
「あれは人じゃない」
誰も近づかない。ただ、ジブリールだけが一歩、足を出した。
「ガウル……あなた、本当にガウルなの?」
その瞬間。
――風が止んだように、音が消えた。
「……ガウル? ああ、あの腑抜けか……オレはガウロだよ」
それは、ガウルの口から出たとは思えないほど低く、濁った声だった。
視線が合った瞬間、ジブリールは本能で悟った。
(これ……彼の声じゃない)
次の瞬間、棒が振り下ろされる。
反射的に魔法で防ごうとしたジブリールの腕が鈍く震え――
そのときだ。
耳ではない、心の奥に届いた“叫び”があった。
《助けて……ボクじゃない……止めて……》
(……声? 誰の……誰が……?)
動きが止まった。
ジブリールの前に、誰かが割って入る。
「下がれジブリール。これは、俺がやる」
サリエルだった。
抜かれた剣の代わりに、その目が光っていた。
左の瞳に走る、妖しい光。
「サリエル、ダメ、それ以上は……!」
だがサリエルは踏み込む。
「こいつの中に、何がいるのか……確かめなきゃならないんだ!」
迫る二人。その瞬間、ガウロの身体が痙攣した。
「やめろやめろやめろやめろッ!! 俺じゃないんだ、俺じゃ……!」
絶叫と共に、少年の身体が崩れ落ちた。
泣きながら、震えながら、ただ謝るしかないガウルに戻っていた。
「……なんで……どうして、こんな……」
広場に重たい沈黙が落ちる。
誰かが呟いた。「もう……人間じゃねえよ、あれ」
別の誰かが続ける。「魔物が憑いたんだ、きっと……」
人々の視線が、冷たく離れていく。
ジブリールは拳を握った。
あのとき聞こえた“声”が、心にこびりついて離れない。
(あれは、彼の……本当の声だった。なのに、誰も聞いてない)
不安が、静かに広がっていった。
サリエルが剣を収めた音が、やけに遠くに響いた。
広場の空気は重く、誰も言葉を発しない。
その沈黙の中、ジブリールは周囲を見回した。
まず目に入ったのは、倒れた鶏小屋だった。
血を流した数羽の鶏が、羽を半ばもがれたまま地に転がっている。
その横では、ひとりの農夫が泣いていた。
可愛がっていたと話していた幼鳥を、胸に抱きしめて。
広場の端、井戸の周りでは、割れた水桶と、引きずられた跡があった。
誰かが腕を押さえ、唸るようにうずくまっている。
その腕は、変な角度に折れ曲がっていた。骨が、露出しかけている。
「ガウロが殴ったんだ……俺を、いきなり……なんの理由もなく……」
誰にともなく、呟くような声が聞こえた。
その人物の目は虚ろで、焦点を失っている。何かが壊れてしまったかのように。
近くの家の扉は、蝶番ごと破られ、壁の一部が裂けていた。
まだ幼い子どもが、中で震えている。
両親が必死に抱きしめているが、その震えは止まらない。
ジブリールは息を呑んだ。
(これが……たった一人の、暴走で……?)
人ひとりが狂っただけで、村はここまで壊れるのか。
人の心も、家も、秩序も、誰かの平穏な日常も――全部。
「ジブリール……」
サリエルの声に振り向くと、彼もまた、唇を噛みしめていた。
誰にも言えない感情を、剣の鞘に押し込めるように。
「これ以上……こんなことが起きたら、どうなるんだろうな、この村」
ジブリールは答えられなかった。
胸の奥に、あの“声”が再び蘇る。
《助けて……ボクじゃない……止めて……》
この村に何が起きたのか。
本当に恐ろしいのは、狂った少年か。
それとも、それを魔物と断じる、村人たちのほうなのか。
夜の帳が下りてゆく中で、誰もが何かを見ないふりしていた。
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