霧と魔眼のファタ・モルガーナ

氷翠

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10話「変貌の鐘が鳴る」

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 朝、村の広場にはすでに異様な緊張が漂っていた。
 村長・バエルが中央の壇上に立ち、沈黙の中、名簿のようなものを手にしていた。
 周囲を囲む村人たちは皆、顔を強張らせ、目を合わせようとはしなかった。
 バエルがゆっくりと口を開いた。

「……ジブリール、サリエル。前へ出なさい」

 だが返事はなかった。二人の姿は、どこにもなかった。
 バエルの目がわずかに細められた。

「逃げたか。構わぬ……いずれ見つけ出す。だが、儀式は続けねばならん」

 彼が名を呼ぶたびに、列の中から一人、また一人と前に進まされる。
 目が虚ろで、何も抗おうとしない彼らに、村の術師たちが呪文を唱え、複雑な魔方陣がその体に刻まれていく。
 次の瞬間――。
 骨が砕ける音。皮膚が裂ける音。
 人の形を持っていたはずの者たちは、次々と異形の存在に“書き換えられて”いった。
 その姿は、ジブリールが猫の記憶で見たネビロスたちと同じ――
 異様なまでに膨れた体、左右非対称の手足、虚ろな瞳。叫び声も出ない。
 彼らは、もはや人ではなかった。
 ネビロスとナベリウスもまた、その異形の中にいた。
 意識はとうに失われ、自我は消え去り、ただ命令に従う“器”と化していた。
 バエルが指を鳴らす。

「では、始めよ。“浄化”の時だ」

 魔物たちは一斉に村人へと襲いかかった。
 悲鳴が広がる。逃げ惑う人々の中には、選別を免れた者たちもいた。
 広場は地獄と化した。
 その混乱のなか、バエルは冷たい声でつぶやいた。

「これは始まりに過ぎん。我らが“主”の降臨のため、さらなる器を準備せねば」

 村の中心、石畳の広場には異様な静寂が流れていた。
 人々は声を失い、ただ目の前の光景に立ち尽くしていた。叫びも、泣き声も、今はない。
 壇上に立つバエルの声だけが、冷たい空に染み入るように響いていた。

「これは、悲劇ではない。祝福なのだ」

 バエルの表情には、狂気と信仰がないまぜになっていた。

「人は弱い。だから神に祈る。ならば――神の胎となりて、祈りの先へ進めばよい!」

 彼は両腕を広げ、見上げるように天を仰いだ。

「この《神胎還元術》は、魂の原初へ還し、再構築する術。人の限界を超えた肉体と精神を得ることで、我らは《新しき器》となる」

 広場に集められた村人たちは顔を伏せ、恐怖と疑念の中に揺れていた。

「選ばれし者は“神胎”に。残りの者は、その力を支える“霊素”として役割を果たす。死ではない、変化だ。拒むな。これが我らの、次の世代だ」

 血で描かれた魔法陣が、じわじわと広場を包むように拡がっていく。
 その模様は、見る者の精神をじわじわと侵蝕するような禍々しさを帯びていた。



 一方、広場から少し離れた廃屋の奥。
 サンダルフォンに導かれ、身を潜めていたサリエルとジブリールは、その狂気の儀式を密かに見守っていた。

「……ジブリール、お前も見たな。あの“変化”」

 サリエルの声は低く、怒りを抑えるような震えが混じっていた。
 ジブリールは静かに頷く。

「ネビロスとナベリウス……あれは、もう人じゃなかった。声も、目も……呼びかけても、届かなかった」

「つまり、ああなったらもう、戻れないってことか……!」

 二人は目を逸らすことも、耳を塞ぐこともできなかった。
 恐怖と、無力感と、燃え上がる怒り。
 すると、サンダルフォンが静かに口を開いた。

「……あの術には、ひとつの“設計者”がいる。バエルは、それを部分的に模倣しているに過ぎぬ。神胎還元術の“根”は、もっと深く、もっと広い」
「バエルは組織の末端……ただの器に過ぎないのか?」とサリエル。

 サンダルフォンは静かに頷いた。

「彼は己が信じる理想にすがり、術を受け入れた。だが、術そのものに“善悪”はない。使う者と目的が、すべてを変える」

 ジブリールは震える手で自分の胸元を握りしめた。

「私たちが……最高の器、って言ってた……。私たちが狙われてる理由、少しわかった気がする」
「ジブリール……」

 サリエルが彼女を見つめる。その目は、不安と、決意とが交錯していた。

「このままでは村が――いや、この術がもっと広がったら……」

 サンダルフォンはふたりに向き直り、こう言った。

「選びなさい。見届けるのか。抗うのか。誰かの器で終わるのか、それとも……」

 二人の運命が、ここでひとつ、踏み出されようとしていた。
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