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第一章
(1)エステルライヒ事情
しおりを挟む神聖帝国の領袖、エステルライヒ王国の王都ヴィマー。
当代の国王ヨハン19世は神聖皇帝でもあり、エステルライヒ王国のみならず隣国ボヘギア王国とは同君連合を形成、複数の大公国、公国、さらには細々とした各国の公爵領や侯爵領、伯爵、子爵、男爵の爵位を有する。そのタイトルは三桁にも上り、エウロペイア大陸における一大権力者といえた。
むろんその行政は主に代官たる者たちが執り、彼はエステルライヒ王国の政治に主眼を置いているわけだが、西の大国ランセー王国が動乱真っただ中にあるのを静観するわけにはいかなかった。
直接に長い国境線を接し、なにより彼の妹が王妃として君臨していたのが、あろうことか晒し者にされた挙句に公開処刑されてしまった。ただ座して視ていることはできない。
救出に差し向けたはずのエステルライヒ貴族シュヴァルツ=ギリンク伯爵は、妹家族を国境付近までは逃亡させたが、途中で露見し連れ戻され、自身は命からがら逃亡という大失態を冒(おか)した。
妹との恋愛ごっこに現を抜かし、革命勢力を侮った結果なのか。遠く大洋を隔てたアムリア独立戦争の英雄などと持て囃され、洞察力を喪ったのか。
殺されてしまったものは生き返らない。どんなに悔やみ、誰を罰しても戻りはしない。
次善の策として生存していると思われる妹の娘たちだけでも、取り戻さなければならないと皇帝は考えた。
そうでなくても既に下の娘を奪われるという不手際が起きている。妹ヨハンナ・マグダレーナ(=ジャンヌ・マドレーヌ)が生んだ下の娘は表向き夭折したことになっており、葬儀も出された。しかしそれが偽装であり、実際には生きていること、ヴェルメイユ王宮から密かに落ち延びさせた皇妹の不義の子であることも皇帝と一握りの重鎮は承知している。
不義の相手は、長年外交官として送り込んでいたシュヴァルツ=ギリンク伯爵だ。妹とはヴィマー宮廷で面識があり、同い年であり、妹が十三歳でランセー王太子へと嫁いだ際には副使としてヴェルメイユへも従わせた。
それがいつの間にか王妃の愛人になどになっていた。
それもこれも、王太子ファラオン・セザール・オーギュストが性的に不能で正真正銘の夫婦にさえなっていなかったこと、それを母である『女帝』の意を請けたヨハン19世の兄ヨハン18世がヴェルメイユ宮殿にまで乗り込み、既に国王になっていた妹の夫に手術を受けさせた上で夜の営みの手法まで伝授したというから驚きだ。妹や国王の教育係はいったい何をしていたのか。
そんなこんながあった上でようやく授かった第一王女は間違いなく国王の子なので、ランセー王国もエステルライヒ王国ひいては神聖帝国も安堵した、まではよかった。
なのに、アムリア大陸から帰還したシュヴァルツ=ギリンク伯爵と不義の子を産んでしまうとは失態にもほどがある。
そもそも避妊技術が確立していて、仮に思わぬ妊娠をしてしまったとしても中絶するくらい、できたはずなのである。
そんなことさえさせなかった国王ファラオン26世が王妃をどれだけ大事にしていたか、わかる。王妃はただ国王の妻であるだけではない。大国同士の同盟の楔なのだ。中絶でうっかり死なせたり、国王の次の子を産めなくなるようなことをしたくなかったのかもしれないが、その次も不義の子だったのだから、妹にも相手の男にも情けない気持ちと怒りで皇帝は真っ赤になった。
だが、産んでしまったものは仕方がない。密かにこちらに引き取り、適当に新しい身分を与えればどうにでもなる、はずだった。
第一王子として生まれ、王太子にもなっていた子供は、やはり夭折したことにしてエステルライヒに引き取った。
当時はヨハン18世の時代であり、彼の庶子として爵位も与え、別人としての人生を歩み始めている。その王妃の不義の子を『実子として』育てることになったのは、前皇帝の『寵姫』ヴィッツベルク伯爵夫人マルグレーテ・フォン・レッツェンである。
婚礼時、新郎のヴィッツベルク伯爵のほうは既に六十越えの老人であり、新婦は十九歳の後妻である。前妻との間に五人の子女がおり、後継者はそちらで確定している。
ヴィッツベルクが自分の子供よりも年下どころか孫のような年齢のマルグレーテと再婚したのは、しがない騎士爵の娘の彼女に高い身分を与え、皇帝の側に置くためだった。この結婚は皇帝の要請で行われたもので、形式上の妻にはむろん指一本触れずに帝室へと送り込んだ。子供たちもそれは承知で、皇帝の寵愛とヴィッツベルク家への待遇向上に満足した。
実際の寵愛もあっただろうが『寵姫』の懐妊は巧妙に偽装され、ヴィマー郊外の離宮で皇帝から送り込まれた僅かな側近と主治医、厳重な警備のもと工作された。皇帝の妹が男子を出産したと速報を受けると直ちに特徴の似通った男児が探し出され、寵姫の子として披露された。
そしてランセーで王太子が逝去したことになってすぐ、子供は秘密裡にエステルライヒ宮廷へと届けられた。
皇帝の男子を産んだことになったヴィッツベルク伯爵夫人は宮廷で尊重され、帝位が代替わりした今も潤沢な予算を与えられて暮らしている。皇帝の実子ではないが皇妹の男子であり皇室の血を継いでいることに変わりはない。秘密の幼児は皇帝の庶子ノイエンシュテルン伯爵ユリウス・ツェーザーとして用意されていた男児とすり替わり、皇族に加えられた。
寵姫の子として最初に偽装された男児は、ノイエンシュテルン伯爵の乳母の一人ベルク男爵夫人の養子として貴族に列せられたので、子供を手放した実の母親は感激したらしい。なにぶんヴィマーの下町に暮らす、ごく貧しい平民で、しかも夫を戦争で失った寡婦だったのだから。
戦争寡婦としての年金は受けていたが、子供六人を抱え働きに出ることもままならず貧しい暮らしを余儀なくされた。そこへ理由は知らされなかったが生まれたばかりの男子が欲しいという男へ渡し、差し出した報酬として新たに年金が賦与され、末子は貴族の家族として迎えられた。
これで自身や娘の身売りなどという恐ろしいことを考えずとも、六人を養っていける。夫の忘れ形見が戻らなかったのは悲しいが、彼女が泣いたことで我が子は貴族になったのだ。彼が実母のことを知らなくとも、まだ彼女には子供が六人もいる。神と皇帝へ感謝を。報告書はそう伝えていた。
エウロペイアの各王国では、そのほとんどが庶子の継承権を認めない。それは古代から続く聖秘蹟教の習慣であり、神の祝福を受けられるのは正式な婚姻により結びついた男女の間に生まれた嫡子だけと法で決まっているからだ。
稀に庶子あるいは庶系子孫が正嫡の絶えた王座を受け継ぐことはある。しかしそれは新たな別の王朝と見做されたり、新たな王国の初代と数えることもある。小国が同君連合で成るアングリア、スクダリアなどの大陸北方の島国国家ではそれぞれの王国での名称で首長を名乗り数えたし、それとは別に大内海から東のアーシュ大陸に広大な版図を擁する強大な異教国、オルドス帝国から『奪還』した領邦は古代からの王統ではない男が新たな国の王を名乗ったが、大国からは蛮族としてかなり下に見られることになるのは当然の成り行きだ。
ヨハン19世が統治するボヘギア王国も住民の多くは東方から移住した非白人の子孫であり、エウロペイア在来の住民との混血が進んだ結果、姿形も言語も多様だ。そのため同君連合ではあっても自治が進んでいる。
系統の異なる血の結びつきは、時に非常に稀な美貌を生み出す。そうしたボヘギアの民はエウロペイアの伝説となり、非白人国家としての蔑視だけではない、過去にアーシュ大陸のほぼ全土からエウロペイア中央までをも席巻した大帝国の末裔であり、一種の神話的憧れの存在でもあった。
そしてボヘギア王国の貴族たちは、軍人や文官となりエステルライヒ宮廷にも多く仕えた。レッツェン騎士爵もその一人である。騎士爵本人も相当な美貌だが、彼の長女はさらにとんでもなかった。
女神を描くならばマルグレーテ・フォン・レッツェンをモデルにしたいと画家たちから絶賛され、貴族は自身の肖像以外のモデルになどならないところを熱烈に乞われ、いやいやながらもモデルを務めれば、宮殿のみならず市庁舎や博物館といった公共の施設にも巨大な絵画が掲げられ、マルグレーテの人気を不動のものにした。
その稀にみる美貌に生まれたマルグレーテが皇帝に見初められ、その子を産んだ。たとえ帝位につくことはない庶子であっても、美貌の皇族が増えたに違いない。大衆は実際には生涯見ることはないであろう新たな皇子の姿絵を競って買い求め、帝室の求心力を支え、軍資金を増やす一助となっていったのである。
ヨハンナ・マグダレーナの不始末の尻ぬぐいのために用意された『寵姫』だが、ここに来ていい仕事をしてくれた。ここは兄の寵姫を慰めるという呈で弟が接近し、実際に寵姫にしてもいいかもしれない。むしろ大衆はそれを望んでいるという声も届いていた。そして美貌の皇族が増えて姿絵が売れるのなら、濡れ手に粟という寸法だ。
実際のユリウス・ツェーザーが美貌で大助かりである。
そういえば長らく見ないシュヴァルツ=ギリンク伯爵もかなりの美貌で、そのために王妃から熱愛されたのだろう。皇帝の妹ヨハンナ・マグダレーナもそれなりの美貌だったのは間違いないし、そこでも系統の違う美貌同士の混じり合いで新たな美貌が誕生したのだろうか。
それならば行方不明の第二王女も美貌の確率は高いわけで、いずれはエステルライヒに迎える心づもりでいる第一王女も美貌の可能性が高くなる。
そして皇帝はふと、ひとつの不都合を思い出した。
ランセー王国の第一王女ファリア・ジャンヌ・ガブリエルは、帝国語に直すとファリア・ヨハンナ・ガブリエラとなる。これは王妃が『女帝』ヨハンナ・ガブリエラの名を娘の名として戴いたからであり、当然のことながら偉大な『女帝』の名を受け継いだ孫は多いのだ。
『女帝』の十七人の子供たちのうちの成人し結婚した十一人が、生まれた我が子にこぞって母の名を付けたので、エウロペイア中にその国の名による『ヨハンナ・ガブリエラ』がいる。
現にヴィマー宮廷には『女帝』の娘で結婚しなかった二女、ヨハン18世の皇后で『女帝』の姪、その長女で未婚の皇女、こちらも姪の19世の皇后、孫である皇太子妃という五人のヨハンナ・ガブリエラがいた。そこへ新しく孫が来ると、呼び分けが難しいかもしれない。
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