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第九話 『闇の領域』

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 ギルド『ブラッドフォート』領の主城。
 カイディスブルム城の会食室で。


 ローリエ、フェルマータ、マナ、ジルシス、ゼナマの5人は、それぞれウィスタリアとユナを待っていた。

 会食室の長机。
 その上座に座るジルシスが口を開く。

「今、二人ともゼセいう村にいてるみたいやわ。たぶん、ウイスがNPCがリセットされとるか見に行ってるんやね」

 リセット。
 という表現をこの中で理解できるのは、地下の『食糧庫』を見に行ったローリエだけだ。
 吸血種になりかけだったNPCが正常な状態になり、またさらっても大丈夫になったか見に行ったという事だが。

 それは今重要な事ではない。
 
「……それは、まぁ、良いんだけど」

 5人の中では最後にやってきたフェルマータ。
 いつものウサ耳に甲冑姿の小柄ドワーフは、長机に座る人物から視線が外せない。

 リアル事情やら何やらで、各々の都合がある中、大人数が時間を合わせて会うというのは中々に難しく。
 予定通りいかない、なんてことは想像の範疇だ。

 だからフェルマータはそこは気にしない。
 
 でも。

 何食わぬ顔で混じっている見慣れない……否。
 見覚えのあるフードをかぶった老骨のことは、すこぶる気にかかる。

  
 会食室に入ってきたばかりで。
 まだ入り口に立ったまま。
 ドワーフは、平然と席に座っている老人に話しかける。
「あなた、確か……」

「おぉ、そなたが話に聞いた『ミミズクと猫』のリーダー、フェルマータ殿かね?」

「話に……?」

 フェルマータの視線は、その話をしたであろう、ローリエ、マナの二名に向けられる。
 ローリエは苦笑。
 マナはいつものすまし顔。

「ええ、私がフェルマータですけど。あなたはあの剣聖ゼナマ・クライン、ですよね? いったい……どうしたんですか? 何か、闘技場関係で我々に問題でも?」

 アシュバフの重要人物が会いに来ているという事は。
 闘技場関係でなにかあったのでは、という想像が働くのは無理もない事だ。

 しかし。

 奥の上座に座るジルシスは、くつくつと堪えるように笑うのだ。
 何がおかしいのだろうか。
 と不思議がるフェルマータ。

 いかにも、私の名はゼナマ・クラインだ、と名乗った男は、続けて応じる。

「何、そんなに畏まった話ではない。ただ、あの時ギルドマスターが言っていた『補償』の件でな。それを渡しに来たというだけの話だ」

「あぁ!」
 
 確かにそんなこと言っていたわ。
 と、フェルマータは合点がいったような声を上げるのだが。

 ローリエは、顔を伏せ明後日を向き。
 マナは呆れたように溜息を吐き。
 ジルシスは飲もうしていた緑茶の茶碗を持つ手がプルプルと震えている。
 そして、もう片方の手で口元を抑えている。
 絶対に笑っている。

 各々の反応がおかしい。

 フェルマータは一瞬胡乱な気分になるが。
 気を取り直して、ゼナマに聞き返す。

「……それで、『補償』って? どこにです?」

 各々の反応がさらに加速する中。

「ワシじゃよ、ワシ。このゼナマがその品だ」

「へ?」

 突然詐欺師のような口調になる老人に、フェルマータは怪訝になる。

「ま、今は、こちらのエルフ殿の世話になっておるがな」

 ゼナマの指し示す掌を追いかけ、フェルマータの視線はローリエに流れるのだが。

「えっ あっ、いえ……、そのっ……世話なんて何も……してないです、けど」

 眼を泳がせつつ、挙動不審に、尻すぼみな声量。
 言葉の最後は、霞んだように聞き取れない。

 そんなローリエに、説明を求めるのは酷だろう、とフェルマータは再びゼナマに問う。

「いったいどういう事です?」

 そうして告げられる。

「ワシの弟子……いや、アシュバフのギルドマスターがな。補償の品をどうするか悩んでおった故、ワシが申し出たのだ。『じゃ、ワシを保証の品にしようではないか』とな。――それで、アシュバフのギルドを抜けて、ここに来たというわけだ」

 簡単な話だろう?
 とゼナマは笑う。
 
 けど、冷静に考えるとかなりぶっ飛んだ話で。

「は、はぁ?」

 フェルマータはまだ理解の及ばない顔だ。


 一体何がどういうことなのか?

 混乱気味で立ち尽くすフェルマータに、マナが声をかける。


「とりあえず、座ったら?」と。
 

「そ、そうね」

 フェルマータは促されるままに席に着き。
 
 暫くしてローリエがおずおずと。
 
「……今日は、次に目標にする大精霊を決めるんですよね?」

 マナが答える。
「そうね。メルクリエがロリにお勧めしていた、ヨーウィズを目指すのか、ロリと相性の良いサートゥルニーを目指すのか……」

 フェルマータが言う。

「ただ、ヨーウィズの神殿は、以前のアップデートの時に場所が移されたらしくて詳しい所在が不明になってるし、サートゥルニーは、神殿の存在する大陸がここじゃないってのが問題ね」

 スフェリカの世界は広い。
 それこそ星一個分ほどもある。

 その中に散らばる、『木風』、『火熱』、『土重』、『金雷』、『水冷』、『光聖命』、『闇邪死』の7つの神殿。

 『水冷』の神殿は首都グランタリスから一番近い神殿だったが。
 他の神殿は、石蛇王遺跡のある砂漠とは別の、もっと遠方の砂漠にあったり、火山地帯にあったり、高くそびえる塔の最上階にあったり。

 そして『猫ミミ』が所在の把握が出来ていないモノもいくつかあるのだ。

 アップデート等のマップ改変の際に、神殿の場所が移された、等のアナウンスは公式からされるのだが。
 基本的に、秘境探検の要素も持つスフェリカでは、運営は必要以上に秘密主義であって。
 どこに移したかという詳細は、あまりアナウンスがされないのだ。 
 そこは賛否両論の在る所だが。

 ただ大陸をまたいで移すようなことは無いのは確かで。

 つまり、
 
「いくつかは……闇の領域が作られたときに、そっちに移設されてるんじゃないかって話もあるものね」

「そうなると面倒だわ」

 マナとフェルマータがそんなことを言っている時。


「……どうやら来たみたいやけど」

 フレンドリストからの情報で。
 ジルシスが、そう告げる。

 
 バタバタと、城内のゲートクリスタルから猛ダッシュで駆けてくる足音。

 それがフロアに響き渡るのが、皆の耳に入る。

 そして。
 時間に遅れたから走ってきたのだろう。

 そんな皆の予想を裏切って――。


 会食室の入り口に駆け込んだ小柄は、叫ぶ。


「ユナが……!!」


 駆けこんできたのはウィスタリアただ一人で。
 息を切らせたような姿も。
 戦闘で傷ついたままの、ボロボロテクスチャのメイド服姿も。

 その言葉の剣幕も。


 尋常な様子ではなく。
 

「ユナが? どうしたんウイス?」

 何かの緊急事態であることを、場の皆は感じ取る。


「ウィスタリアを庇って、さらわれたちゃった! 別のギルドに!」

 
「えッ!?」

 皆は驚きの声を上げ。

 フェルマータは、ウィスタリアに駆け寄った。
 その両肩に手を置いて、尋ねる。

「別のギルド……って? どういうこと? ウイスちゃん、詳しく説明して」

 
 そうして聞いたウィスタリアからの説明。

 相手が闇領域のギルドである事。
 
 ウィスタリアが押し寄せるアンデッド軍討伐を行っていたのを気にしていたこと。

 あいてが、昆虫種族だったこと。

 そして、アンデッドの軍勢が押し寄せてきていた方角は、フェルマータが覚えている。

「……そういえば、あのアンデッドは私たちが討伐依頼を受けた時、北東の方からやってきてる気がしてたけど……」

 それから推察するに。

 マナは考えを口にする。

「……北東といえば、山一つ越えた所は闇の領域よね? 今まで、『ブラッドフォート』の領地に入ってきてたアンデッドが、全部闇の軍勢からの侵攻だと考えると、合点は行くけど?」

 フェルマータが反論する。 

「でも先生、そんなの余りに非効率じゃない? 山を越えるのも時間がかかるし、こんな散発的に侵攻しても領地は落とせないわよ」

「たぶん領地を手に入れるが目的じゃないんだわ」

「というと?」

「……闇の住人や、ギルドって、光のNPCや兵士を倒す方が、SP獲得の効率がいいっていうでしょ? だから……」

「……経験値稼ぎのために? でもそれなら、どうしてユナちゃんを……?」

 マナは再び考え込む。

「なにか、状況が変わったのね。たぶん……」

 マナがウィスタリアに歩み寄る。
 その瞳を見て。

 問う。

「たしか、ユナをさらったのは昆虫だって言ったわね?」

「そう。人型の甲殻人種インセクティアが、指揮してた」

「……ということはどこかのギルドと同盟でも結んだ? ユナは人質に……?」

 マナの呟きにフェルマータは問う。

「人質って、そんな意味あるのかしら? ゲームだから命を盾にするのは意味が薄いわよ?」



 そこに黙っていたゼナマが口を挟む。

「だが、簡単に出ることは出来ぬぞ? 闇の領地から……」


「そうか……」

 闇の領域と光の領域は、時空結晶ゲートクリスタルで行き来出来ない。
 絶対に陸続きで出入りする必要があるのだ。

 それはログアウトしても変わらない。

 だから、ユナが光の領域に戻るには、脱出することが必要になる。
 そこを実力で食い止め続けられるのなら。

 ユナは、領域に閉じ込められたままだ。

 そんなつまらない話があろうか。

「ユナちゃん……」

 ローリエは心配になる。
 掌を、胸の前でぎゅっと握りしめて。

 想像する。
 
 キャラクターの生命はまだしも。
 プレイヤーの気力が限界になってしまえば。
 ゲームを引退するという結果を招くかもしれない。

 

 

 それは――。

 絶対に阻止せねばならないことだ。

 少なくとも、ローリエにとっては……。


「……東北の方角ですよね? さらわれたのはいつですか?」
 
「え? つい、さっきだけど……? ウィスタリアに撃たれたスキルを庇って。蜘蛛型の魔物の網でぐるぐる巻きにされて、大きな虫に掴まれて、飛んで連れ去られていったけど」 
  

「つい、さっき……?」

 それならまだ追いつけるかもしれない、と思ったローリエは咄嗟に走り出す。 

「私!……ちょっと行ってみます!」

「えっ!?」 

 あっという間に、ローリエの姿が、会食室から走って出ていく。

「ちょっと、ロリちゃん!?」

 それを、フェルマータとゼナマが追いかける。

 だが。

 ローリエは瞬足だ。
 さらに、走りながら、数々の速度バフを施す。

 鈍足のフェルマータはもちろんの事。

 AGIにもかなりのポイントを割り振っているゼナマですら、追いつくことは適わなかった。

 ふたりが時空結晶ゲートクリスタルで場外に出た時には。
  

 猛吹雪の中。

飛行フライト】の魔法で、空を遠ざかる小柄なシルエットが見えるのみ。


 その上空を見上げる二人。

 視界を遮る程の真っ白な視界の中。
 その曇天を見上げるフェルマータは呆れたように言う。

「……はっや!」

 そしてゼナマ・クラインは笑った。
 
 はっはっは、と。

「何がおかしいのよ」

「可笑しいだろう? 今のあやつの目を見たか? いやはや……やはり面白いヤツだ」

「どういうことよ」

「……今のあやつの目は、いつもの腑抜けた様子とはかけ離れた、戦士の眼じゃった……。まるで、獲物を見つけた鷹のようにな」


 そこに、マナや、ウィスタリアも出て来て。

「ロリは?」


 フェルマータが、白い粒で染め上がる曇り空の指し示す。
 だが、そこにはもう何の影も無く。
「もう見えない、たぶん、北東の闇の領域に行ったんだわ」


「どうするんですか?」
 

「さぁ、どうしようかしら?」

 

 
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