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第九話 『闇の領域』

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「――……勢いで出てきたは良いが、ワシは空を飛べんからなぁ」


 カイディスブルム城を飛び出て。
 
 ゼナマ・クラインは無意識的に首都グランタリスに跳んでいた。

 だが、それではダメだ。

 そして、森を走って闇の領域を目指すのでは全く間に合わない。

 剣にまつわる物理スキルと、パッシブスキルしか習得していないゼナマは、魔法についてもさほど詳しくないわけで。空を飛んだり、移動速度を上げるスキルの思い付きも無く。悩んでいる間に、どんどん時間は過ぎていく。

 しまったなぁ。

 と思いながら、結局ゼナマは『ミミズクと猫・亭』に戻ってきてしまった。

 からんからん、とドアベルを響かせて、ゼナマは店に入る。
 特段何の用事も無いのだが、何かヒントは無いものかという一心だっただろう。

 しかし。
 当然そこには、数々のお客さんと、出入り口で出迎えてくれるローリエのNPCイチゴちゃんと、最近増員されたカフェメイドたちくらいしかいない。

 そんなところに。

 『猫ミミ』のマスターが、自分で料理を運んでくる姿がゼナマの視界に入る。
 と言うか、その人物マスターは、ゼナマを見つけると料理をテーブルに運んだその脚で、声をかけにやってくる。

 蝶ネクタイに、燕尾服という、執事コーデの黒髪ショートカットに、中性的な顔つき。

 その男性とも女性とも取れない声で。

「おや、ゼナマ・クライン殿? 今日はおひとりですか?」

 それに、フード付きの外套を纏った、剣士は応じる。

「うむ、ローリエ殿は今忙しいのでな」

 そんなマスターとゼナマは、ここ数日の間に何度かは面識があった。
 無論、ローリエといつも一緒に居るところを、マスターは何度も目撃している。

 だから珍しいと、声をかけたのだが。

 客の機微に敏感なマスターは、すぐに気づく。

「……そうですか。今日は皆さん多忙なようですね。ゼナマ殿も、アフタヌーンティーを御所望というわけではなさそうです」

 マスターも忙しい。
 でも、ただ立っているだけのゼナマの所作、雰囲気に焦りが滲んでいることを見逃さなかった。
 特に、いつも落ち着き払っている老人の焦りは、マスターからしてみれば目立っているともいえる。
 マスターは、続けて尋ねる。

「――何か別件ですか?」

 それに、救われたように。
 ゼナマは、口をついて尋ねた。
 ただし、冷静を装いながら。
 軽口のように言う。

「ああ、どこかに空を飛ぶ方法はないものかと思いましてな? ……そなたのペットに、そのようなものはおらぬでしょうな?」

 はっはっは。

 といつもより力のない笑い声。

 しかし、マスターは言う。
 お店の、天井から下がる照明に留まっている、シンボルであるベンガルワシミミズクを見つつ。

「残念ながら、私の友人たちは人を運ぶことはできませんね。ですが――」

 ですが?

 ゼナマの眼に光が点る。
 希望を吸い込むようなパンドラの一点の輝きが。
 ギラリと。

「――構ってもらえず、繋がれたまま退屈しているペットでしたら、裏庭に降りましたよ? アレならたぶん、乗って飛べるかと? 乗せてくれるかは解りませんが」
 

 それで。
 ゼナマは理解した。
 ああ……!

「……かたじけない!」

 そしてゼナマは、混雑する店内の客を、瞬く間にすり抜け。
 裏口から飛び出した。


 そこには、ほったらかしにされて忘れられている、漆黒の大型ペットが居た。
 
「そなた、確か、ヒューベリオンと言ったな?」

 そう。それは、ユナの騎乗ペット。
 インファントドラゴンゾンビである、ヒューベリオンだ。

 グロテスクな巨体が、ゼナマを見るなり、自分を繋いでいる魔法の鎖を口に咥えて。
 『こいつが邪魔なんだよ、解いてくれねぇか?』

 といったような所作を見せる。


 無論、そんな言葉は発しないし。
 ゼナマに理解は及ばないが。

「……今、そなたの主人が危機に瀕しておる。不本意であろうが、少しばかり、ワシに力を貸してくれぬか」

 そんなゼナマの言葉よりも。

 『いいから早くせんかい』と、ヒューベリオンは鎖を加えたまま頭をぶんぶんと振った。
 

「そうだな。まずはその、しがらみを断ち切るとしよう――」


 ゼナマはヒューベリオンに近づき、カタナを鞘から引き抜くと、武器のオプションスキルを起動する。


「『解式の闘気マナベイン・オーラ』!!」


 ゼナマが手にする愛刀のネームドオプション『解式の闘気マナベイン・オーラ』とは、ドグルスキルであり、スタミナを持続消費することで、この武器のダメージが及ぶ全範囲の魔法を、両断する効果を得るスキルだ。


 そうして、その効果のもと、魔法の鎖を、一刀のもとに断ち切った。


 きぃぃん、と魔法と金属が砕ける残響が轟き。


 ヒューベリオンが解放される。

 遠巻きに、見学に来ていた幾人かの客が、『おぉ!?』と驚きの声を上げる。
 

 ゼナマが、その巨体。
 体高約2メートル、頭部から尾の先まで、全長にして約6メートル。

 それに馬具と、装甲を取り付けた軍馬のような状態で。
 骨と皮だけのゾンビの。頭蓋骨を見上げるようにして。

 
「お主の主人、ユナは今、捕まって闇の領域に連れ去られてしまったらしい。ローリエ殿が先に向かったがワシもそれを追うつもりだ。だが、急がねばならない。……ヒューベリオン殿、どうか、空を飛べぬワシに力を貸してくれぬだろうか?」


 それに、ヒューベリオンは、座り込み。
 いいから乗れよ、とゼナマのほうによる。

「……かたじけない」

 そう言って、ゼナマがヒューベリオンに騎乗する。
 騎乗用スキルはないため、単に乗っているだけだが。


「ユナ殿は、北東だそうだ。行ってくれるか」
 
 
 声なき声で、是を嘶き。

 ヒューベリオンが、ボロ布のような翼で、舞い上がる。


 そうして、今にも飛び立とうかと言う所。


「――師匠!? おまちください!」

 ゼナマに、聞き覚えのある声がかけられた。
 
 宙に浮き羽ばたく屍竜。
 それにまたがる剣聖を見上げ、声をかけたのは。
 背中に大斧を背負った、ガタイのいい長身だった。

「なんだ、アシュバフのマスターではないか?」


「何がマスターですか? わざとらしく他人行儀な言い方をして! 探しましたよ師匠!? 暇を見て何度尋ねても、師匠は不在だと宿に言われて……。やっと見つけたのに」

 
「お前がきたら、門前払いしてくれ、と言ってあったからな、当然だろう?」

「なぜそんなことを?」

「ワシには戻る気も無ければ、アシュバフに戻る意味もないからだ。ワシが育てたギルド兵士がおれば、お前のギルドも、暫くは安泰じゃろう?」

「……せめて、理由を聞かせてくれませんか!?」

「ワシは、もういちど一人の剣客としてこの世界で生きたいのだ。現実では成し得ない『試合ではない戦』の中にもっと身を置きたいのだ。元々ワシはそのために、この世界に来た。ワシが『真の剣の心』を得るために、始めたことだ。――それを、思い出しただけよ」
 
「もう、引き留めることはできないのですね?」

 ゼナマは頷く。

「アシュバフのワシは確かに責任ある役割を得て、大名の臣下のようなとても楽しいロールプレイだった。――だが、いつまでも太平の中に身を置くわけにもいかぬ。だから、ワシをもう一度、風来坊に戻らせてくれ、我が弟子よ」

 絶対に連れ戻すことはできない。
 
 アシュバフのマスターは悟った。
 
 だが、と食い下がる。
 まだ弱小だった時から。
 エスペクンダという大都市の領主となり、ギルドとして大成するまで。

 戦力として大きな働きをしてきた剣士に。

 弟子は問う。


「ではせめて……我々に恩義を返す暇を与えてくださいませんか!?」


 恩義?

 その言葉に。

 急いているゼナマは、よく考えずに言った。

「……それならば、今『闇の領域』から『ブラッドフォート』が侵略を受けている。もし、助力が必要そうならば、ワシの代わりに助けてやってくれ。――ワシの自慢の剣客部隊の実力を持ってな」


 そうして、

「すまぬが、ワシには今時間が無い。一時的にフレンドリストを開放しておく、続きはそちらにしてもらおう」


 首都から飛び立ったゼナマとヒューベリオンは、空から闇の領域を目指し、高空へと去っていった。


 言うだけ言って、行ってしまったそんなゼナマを。
 ポツンと残されたギルマスは見つめていた。

 そして、なぜメッセージもウィスパーも繋がらないのかを知った。

 現に。
 ゼナマは、アシュバフのギルドマスターをフレンドリスト上でブラックリストに入れて着信拒否にしていた。
 だから、なんのメッセージもウィスパーも受け付けなかったのだ。
 
 故に、実際に会うしか、連絡の取りようが無かったのだ。
 

 
 残されたマスターは思う。

(まさか、私を迷惑な奴等ブラックリストに入れていたのですか、師匠!? ひどッ!)







 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 


 北東に連なる山脈。


 それを境にして、現在は光の領域である『ブラッドフォート』と闇の領域である『ギムダル』は存在する。

 本来ならば、山のふもとに軍勢を準備し集結させ、何日もかけてアンデッドの軍勢に登山、下山させて『ブラッドフォート』領に攻め入る、という段取りだったが。

 ほんの少し前。


 『ギムダル』が所有する鉱山の坑道を掘り進み、トンネルと言う抜け道が開通した。

 それにより、軍勢は以前とは比較にならないほどスムーズに攻め入ることが可能になった。



 さらに――。


 北東に布陣するアンデッド軍。

 その近辺に到着したフェルマータ達は驚く。


「……なんて数なの……!?」


 雪原で真っ白だったはずの一帯は、今は真黒く染め上がっている。
 しかも、地上だけでなく、空をも。

 なぜなら、今回の軍勢はアンデッドだけでなく、昆虫軍も混じっているからで。
 さらに昆虫軍のほうはスペックが劣る代わりに生産性がすこぶる高いため。
 その数も尋常ではない。

 蜘蛛、ワーム、ムカデ、サソリ、そして一番の数を誇るアントとハチ。

 特に、ハチ型やトンボ型など、飛行タイプの昆虫兵が数的には多く充実している様子だ。


 クマの着ぐるみ状態で出陣しているジルシスも、深刻につぶやく。

「――……これは、相手さん、いつになく本気かもわからへんね」 

 



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