上 下
7 / 17
第零章  リビングドール

目撃

しおりを挟む



 ある日。


 少し開いた扉の隙間から。

 メイドは見た。 


 その瞬間、メイドは我が目を疑い。

 驚きのあまり、顔を強張らせ。
 恐怖のあまり、震えだす。


 メイドは見た。
 自ら動き、
 確かに話し、
 屋敷のご息女と戯れる『人形』の姿を。



 メイドは、そんなはずはないと思い返す。

 

 ――普段。
 朝食、昼食、夕食を運ぶメイドはお嬢様の部屋には入らない。
 顔も見ないし、言葉も極力交わさない。
 
 特に朝は。

 お嬢様が起きるか起きないかの瞬間。
 つまり、人形を手にする前に。
 食事を所定の場所にさっさと置いたら。
 耳を手で押さえ。
 テスタの会話が聞こえないように、一目散に立ち去る。

 それが日課だった。

 メイドは怖かったのだ。

 人形の呪いに当てられたくは無いし。
 なにより気の狂っているテスタが不気味だったから。


 とはいえ、それもテスタが人形を失くしてからは暫く静かだった。
 

 しかしながら。
 最近はまた、扉の向こうから話声が聞こえていて。

 それどころか。
 以前よりも、悪化しているように思えていた。
 
 とても、ひとり、だとは思えないほどに。
 テスタは、人形の声まで真似て。
 流暢に会話をしていた。

 
 人形を失くしたことで、さらに狂ってしまったのだろうか。
 幾日かはそう思えていたのだが。


 また人形を目撃したという、同僚の申告を受けて。
 メイドは意を決して確かめたわけだ。



 そして今しがた。
 それが事実だと知った。



 目を疑った。

 そんなはずはないと。

 メイドは心底驚いた。 


 
 そのメイドの驚きは二つある。


 一つは、
 苦労して森の『穴』に放り込んだ筈の人形が、
 何事も無かったかのように戻ってきていること。

 二つは、
 それまで、お嬢様テスタの妄想、奇行と思われていただけのことが。
 今は事実であるということだ。


 数日前。

 メイドは確かに、『人形』を直に手に取った。
 震える手で、その小さな体を、一度鷲掴みにしたのだ。
 
 確かな感触は、間違いなく、ただの玩具だった。
 良くできた、美しいただの人形だった。

 勝手に動くような、そんな機能は。
 一つも見当たらず、手からクタリと垂れ下がるばかりだった。


 なのに――。


 動いている。
 声を発している。


 信じられなかった。

 そもそも、メイドが人形を捨てた『穴』は、
 森の奥深くにある、
 『古捧の大井戸』と呼ばれる、この近辺でいわく付きの大穴なのだ。

 井戸と名はついているが、その本性は大地の亀裂であり。
 地中奥深くまで続いているであろう、底なしの地面にあいた穴なのだ。

 その入り口が、井戸程の大きさで。
 村人は、道を整備し、祭壇を建て、祭り。
 術具や呪物の疑いのある、縁を断ち切りたい代物をその穴に放り投げ。
 供養に使ってきた。

 メイドはちゃんと手順を踏んで、人形を放り投げたはずだった。

 それなのに。

 逆に呪いが強くなって帰ってくるなんて……。

 
 そんな、ふとした一瞬。

 少女と戯れる人形。
 その、真っ青な輝くガラスの眼が。

 こちらを見たような気がして。 


 メイドは自分の口を押え。
 溢れそうになった悲鳴を抑え込み。
 後退あとじさる。
 
 精一杯の平常心で
「お、お、お嬢様・・・・・・! 朝食はここに置いておきますので!」

 運んできた朝食を、さっさと置いて立ち去った。



 まずいまずいまずいまずい。
 やばいやばいやばいやばい。


 廊下を足早に歩き、階段を駆け下りる。

 
 奥方に怒られる。
 その恐怖よりも。

 人形の呪詛の恐怖の方がはるかに勝る。
  

 メイドは、一階のリビングにいる奥方の元に急いだ。


 そうして、人形のことは瞬く間に屋敷の皆に知れ渡った。

 仕事から数日ぶりに帰った、旦那様にさえ――。 
 
 


 



しおりを挟む

処理中です...