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第一章
第一話 『主人公はじめました』
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「今日の授業も楽しかったわ。先生はどんな質問でも答えてくださるから、わたくし、学ぶことが楽しくてしかたがないの」
瞳をきらきらと輝かせ、エセル様が両手に胸を当てて微笑んだ。
「そのお言葉が、なににも勝る褒美ですわ。エセル様は飲み込みがお早くて、わたしも教え甲斐があります」
愛らしい笑顔を見つめながら、わたしは満ち足りた気持ちになった。
先日十二歳の誕生日を迎えたばかりの、王国一の美少女と名高いエセルバート様。
マティアス伯爵家のご息女として相応しい教養や学問を、日々学び、身につけようと努力なさっている。
今でこそこのような笑顔を浮かべてくださるが、わたしが家庭教師として伯爵家へやってくるまでは、美しいけれど氷のようだと言われていた。冷たく、傲慢で、いつも無表情な、――そう、まるで悪役令嬢のように。
「ねぇ先生、この後はエリスのお勉強を見てくださるのよね。わたくしもご一緒していいかしら?」
美しい花が描かれたカップを優雅に持ち上げ、エセル様は控えめに尋ねた。
髪と同じ金色の眉を下げ見つめてくるお姿は、なんていじらしいのだろう。控えている侍女たちがいなければ抱き締めたいくらいかわいらしい。
「ええ、もちろんです。エセル様はすでに学び終えているところですが、復習にもなるでしょう。それにエリス様も、お姉様がいらっしゃると喜びますもの」
「ありがとう先生! 嬉しいわ」
どんな花よりも綺麗に咲き誇った笑顔が眩しく映る。
ああ、あのときエセル様をお救いできて本当によかった。
この世界は『わたし』が知っている世界だけれど、今は違う道筋をたどっている。攻略方法なんてない、未知の世界。
エセル様が悪役令嬢として育って行かない世界。
今のわたしにできることは、ただエセル様たち姉妹が健やかに学び、育ってくださるよう力をお貸しすること。
エセル様がなにかを思いついたように、カップを置いてわたしへと向き直った。
「そう言えばわたくし、先生にお聞きしたかったことがあるのだけれど、まだ時間は大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。エリス様のダンスの練習は終わっていないようですし」
隣の部屋から僅かに聞こえてくる音楽に耳を澄ませる。曲が終わるまでもうしばらくかかるだろう。
「不躾な質問になってしまうかもしれないわ、お答えできないなら無理なさらないでね」
「あら、どんな質問でしょう?」
少し困ったように上目遣いになるエセル様がかわいらしい。うちのお嬢様たちは本当にかわいいなぁ、と微笑ましくなる。
「先生はどうして、魔法士様の弟子になったのに、こうして家庭教師をしていらっしゃるの?」
「お話ししたことありませんでしたか?」
「ええ。魔法士ルディ様に師事なさっていることは知っているのだけれど、それ以外お聞きしたことがないの」
「申し訳ありません。初めてお会いしたころに、すっかりお伝えしていたとばかり……」
「いいえ。あのころは、わたくしも必死でしたもの。先生たちが助けてくださらなかったら、どうなっていたか……」
エセル様の表情が陰る。どんなに笑顔を浮かべていても、あのとき受けた心の傷まではまだ癒されていないのだろう。そう思うと胸が苦しくなった。
「エセル様が立派にがんばっていらっしゃることは、皆が知っております。わたしはほんの少し、力をお貸ししただけですわ」
「先生……」
悲しみを湛えた微笑みが痛々しい。伯爵家令嬢としての重圧は、生涯エセル様の肩から下りることはない。早く大人にならなければならないと思い、必死に背伸びをし続ける姿は、いじらしく切なかった。
そんなエセル様に、僅かでも心豊かになれる時間を与えられたらいいと願う。
知識を得、世界を知ることは、とても楽しいことなのだと思ってもらえたのなら、わたしがここにいる意味があるのだと思えるから。
「それでは、わたしが御師様――魔法士ルディ様に初めてお会いしたところから語りましょうか」
期待に輝く青い瞳を見つめながら、わたしは口を開いた。
*** *** ***
主人公、シャルティーナ・グランツ(デフォルト名・変更可能)。
ゲーム開始時年齢十八歳。
その三年前、魔法士ルディに師事し、僅かながらの魔法と様々な学問を修め、マティアス伯爵家令嬢の家庭教師を勤めることとなる。
それが乙女ゲーム『伯爵家の家庭教師~麗しのガヴァネス』、通称・伯ネスの基本設定だ。
家庭教師として令嬢を教え導きながら、その姉である悪役令嬢の嫌がらせや貴族社会の困難を乗り越え、美青年たちと愛を育んでいくという、スタンダードな乙女ゲームである。
美麗な絵と豪華なボイス、王道中の王道を行きながら僅かなスパイスを利かせたゲームということで話題となった。
わたしがプレイしたのは学生のころ。しかも最高難易度の第一王子ルートを終えたところで燃え尽きてしまい、全クリアする前にやめてしまったから、すべてのルートを知っているわけではない。
そんなわたしが、その伯ネスの主人公に転生することになるなんて、今考えても到底信じられるものではないのだけれど。
十五歳の誕生日までシャルティーナとして生きていたわたしは、その日の朝、ベッドの上で目覚めた瞬間前世を思い出した。
日本に生まれた記憶。学生時代にプレイした伯ネス。ビル群から離れた住宅地にある家。平凡な人生、平凡な両親と兄弟。今目の前に広がる場所とはまったく違う世界。
近世ヨーロッパに近い環境だが、魔法や魔物が存在する伯ネスの世界。
国は王家が治め、騎士がいて、魔法を扱える魔法士がいて、魔物の襲撃に備えて堅牢な砦を築いている。もちろん電化製品なんてない。多少の魔法道具があるだけだ。
これが異世界転生というものか。でも何故? 結構な年齢まで覚えているのに、どうして十五歳のシャルティーナとして今ここにいるの? 向こうのわたしは死んでいるの? それともこれは夢? そもそもわたしは誰? ――わたしはいったいだれなの?
怒涛のように溢れる記憶と疑問。剥離が大きすぎる周囲の状況。狂いそうになって悲鳴を上げたいのに、声を出すことも、瞬きすることすらできない。
視界の隅、窓に映ったシャルティーナの姿を見た瞬間、意識がふっつりと切れた。
瞳をきらきらと輝かせ、エセル様が両手に胸を当てて微笑んだ。
「そのお言葉が、なににも勝る褒美ですわ。エセル様は飲み込みがお早くて、わたしも教え甲斐があります」
愛らしい笑顔を見つめながら、わたしは満ち足りた気持ちになった。
先日十二歳の誕生日を迎えたばかりの、王国一の美少女と名高いエセルバート様。
マティアス伯爵家のご息女として相応しい教養や学問を、日々学び、身につけようと努力なさっている。
今でこそこのような笑顔を浮かべてくださるが、わたしが家庭教師として伯爵家へやってくるまでは、美しいけれど氷のようだと言われていた。冷たく、傲慢で、いつも無表情な、――そう、まるで悪役令嬢のように。
「ねぇ先生、この後はエリスのお勉強を見てくださるのよね。わたくしもご一緒していいかしら?」
美しい花が描かれたカップを優雅に持ち上げ、エセル様は控えめに尋ねた。
髪と同じ金色の眉を下げ見つめてくるお姿は、なんていじらしいのだろう。控えている侍女たちがいなければ抱き締めたいくらいかわいらしい。
「ええ、もちろんです。エセル様はすでに学び終えているところですが、復習にもなるでしょう。それにエリス様も、お姉様がいらっしゃると喜びますもの」
「ありがとう先生! 嬉しいわ」
どんな花よりも綺麗に咲き誇った笑顔が眩しく映る。
ああ、あのときエセル様をお救いできて本当によかった。
この世界は『わたし』が知っている世界だけれど、今は違う道筋をたどっている。攻略方法なんてない、未知の世界。
エセル様が悪役令嬢として育って行かない世界。
今のわたしにできることは、ただエセル様たち姉妹が健やかに学び、育ってくださるよう力をお貸しすること。
エセル様がなにかを思いついたように、カップを置いてわたしへと向き直った。
「そう言えばわたくし、先生にお聞きしたかったことがあるのだけれど、まだ時間は大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。エリス様のダンスの練習は終わっていないようですし」
隣の部屋から僅かに聞こえてくる音楽に耳を澄ませる。曲が終わるまでもうしばらくかかるだろう。
「不躾な質問になってしまうかもしれないわ、お答えできないなら無理なさらないでね」
「あら、どんな質問でしょう?」
少し困ったように上目遣いになるエセル様がかわいらしい。うちのお嬢様たちは本当にかわいいなぁ、と微笑ましくなる。
「先生はどうして、魔法士様の弟子になったのに、こうして家庭教師をしていらっしゃるの?」
「お話ししたことありませんでしたか?」
「ええ。魔法士ルディ様に師事なさっていることは知っているのだけれど、それ以外お聞きしたことがないの」
「申し訳ありません。初めてお会いしたころに、すっかりお伝えしていたとばかり……」
「いいえ。あのころは、わたくしも必死でしたもの。先生たちが助けてくださらなかったら、どうなっていたか……」
エセル様の表情が陰る。どんなに笑顔を浮かべていても、あのとき受けた心の傷まではまだ癒されていないのだろう。そう思うと胸が苦しくなった。
「エセル様が立派にがんばっていらっしゃることは、皆が知っております。わたしはほんの少し、力をお貸ししただけですわ」
「先生……」
悲しみを湛えた微笑みが痛々しい。伯爵家令嬢としての重圧は、生涯エセル様の肩から下りることはない。早く大人にならなければならないと思い、必死に背伸びをし続ける姿は、いじらしく切なかった。
そんなエセル様に、僅かでも心豊かになれる時間を与えられたらいいと願う。
知識を得、世界を知ることは、とても楽しいことなのだと思ってもらえたのなら、わたしがここにいる意味があるのだと思えるから。
「それでは、わたしが御師様――魔法士ルディ様に初めてお会いしたところから語りましょうか」
期待に輝く青い瞳を見つめながら、わたしは口を開いた。
*** *** ***
主人公、シャルティーナ・グランツ(デフォルト名・変更可能)。
ゲーム開始時年齢十八歳。
その三年前、魔法士ルディに師事し、僅かながらの魔法と様々な学問を修め、マティアス伯爵家令嬢の家庭教師を勤めることとなる。
それが乙女ゲーム『伯爵家の家庭教師~麗しのガヴァネス』、通称・伯ネスの基本設定だ。
家庭教師として令嬢を教え導きながら、その姉である悪役令嬢の嫌がらせや貴族社会の困難を乗り越え、美青年たちと愛を育んでいくという、スタンダードな乙女ゲームである。
美麗な絵と豪華なボイス、王道中の王道を行きながら僅かなスパイスを利かせたゲームということで話題となった。
わたしがプレイしたのは学生のころ。しかも最高難易度の第一王子ルートを終えたところで燃え尽きてしまい、全クリアする前にやめてしまったから、すべてのルートを知っているわけではない。
そんなわたしが、その伯ネスの主人公に転生することになるなんて、今考えても到底信じられるものではないのだけれど。
十五歳の誕生日までシャルティーナとして生きていたわたしは、その日の朝、ベッドの上で目覚めた瞬間前世を思い出した。
日本に生まれた記憶。学生時代にプレイした伯ネス。ビル群から離れた住宅地にある家。平凡な人生、平凡な両親と兄弟。今目の前に広がる場所とはまったく違う世界。
近世ヨーロッパに近い環境だが、魔法や魔物が存在する伯ネスの世界。
国は王家が治め、騎士がいて、魔法を扱える魔法士がいて、魔物の襲撃に備えて堅牢な砦を築いている。もちろん電化製品なんてない。多少の魔法道具があるだけだ。
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怒涛のように溢れる記憶と疑問。剥離が大きすぎる周囲の状況。狂いそうになって悲鳴を上げたいのに、声を出すことも、瞬きすることすらできない。
視界の隅、窓に映ったシャルティーナの姿を見た瞬間、意識がふっつりと切れた。
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