【完結】絶望のユートピア

MIA

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ー午前9時 タイムリミットはあと12時間ー

富蔵の場合・1

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岡田富蔵〈オカダ トミゾウ〉は空を見上げて考える。
時刻は午前11時半。
外は案外、静かであった。

みんな家の中にいるのだろうか。
富蔵は、こんな時でも毎日の日課である朝の散歩を楽しんでいた。

(そういえば。先程スレ違った自転車の少年は物凄い形相だったな。何やら急いでいたが…。まぁ私には関係ないな。)

富蔵は78歳にして全てを悟ったかの様に生きている。
富蔵は昔からずっと、そうであった。
人生にどんな波があろうとも動じず、焦ったりもしない。
ただその波に、上手に揺られて前に進んで行くのだ。
周りの人間はそんな富蔵を『変人』と称して、一人、また一人と気付けば友人の数も減っていった。

だが、どんなに孤独になろうが富蔵は変わらなかった。なぜ自分が他人の為に心を乱される必要があるのか。
人は産まれて死ぬまで、出会いこそあるが結局は独りであるというのに。
なぜ、他人を求めて共に生きようとするのか。それが理解出来ない。
今だって、地球が終わるという現実に、納得以外の何があるというのか。

愛や思いやりといった心が無いわけではない。
人を好きになったこともあれば、悲しい経験をしたこともある。
しかし富蔵は、その時が過ぎてしまえば、それはもう過去の出来事として振り返らない。
それだけだった。

『人生は神様たちのサイコロゲーム』である。
富蔵はそう思いながら今日まで生きてきた。正確に言うならば…、生かされてきた。
自分という駒が盤上に有り続けている。老いた尚、今でも。
今日は何のマスか、明日は何のマスか。神様たちは、それぞれの駒をサイコロの目に従って動かす。
それを想像すると愉快であった。
我々人間ごときが抗えるわけもない、大きな力で進んでいく未来。

だから、地球が滅亡すると言われたところで、それは特別驚くことでもないのだ。
きっと繰り返される、このサイコロゲームに神様たちが飽きてしまったのだろう。
神話などで語られる神々の怒りや、信仰心への不満で引き起こされる終末のとき?
そんな俗世なものではない。
富蔵は宗教を信じない。しかし神は存在していると思っている。
ただし自分たちが届くような場所にはいないし、全ての偶然は神の気まぐれのみで起きている。という感覚。
人の生き死にさえも、まるで『この駒もういらない』くらいのものではないだろうか。
ならば、我々人間も。今日はどうなるのか。明日はどうなるのか。
一体どんなマスに止まるのか。
そう考えて楽しめば良いのである。
人生とは何が起こるのかはわからない。
全ては神のみぞ知るところなのだから。

そんな富蔵が、興味を引く女性と出会ったのは。まさに地獄の様なマスに止まっている時だった。
富蔵は70歳を手前に本当の無一文となっていた。一年前は普通に持っていた家も、仕事も、財産も。手品の様に消えてしまった。
自分がこの年になってホームレスになろうとは。

全てを失った富蔵は、模範的なほどに悲惨な目にあっていたにも関わらず悲観する事も絶望する事もなかった。
人生を共にする家族は最初から持っていないし、誰にも気兼ねする事もなく過ごせば良かった。

彼女との出会いはそんな時に訪れた。
富蔵が寝所にしている公園に、たまに散歩に来ている女性。
彼女は今まで出会ってきた女性とは、何かが違って見えた。
これまで他人に対して特別に強く関心を持つことがなかった富蔵だったが、彼女は無性に気になってしまう。
それほどまでに不思議な雰囲気を纏っていたのである。
そんな時に、声をかけてきたのは彼女だった。

「良かったら、ご一緒に食べませんか?」

サンドイッチを作ったものの、量が多くて食べきれない。といった理由だったが。
きっと、自分を憐れんで恵んでくれたのが正解であろう。
それでも富蔵は良かった。
彼女と話してみたかった。

それから二人は、公園で会うたびに話すようになり、彼女は何かしらを作っては持ってきてくれるようになっていた。
そんな日常は、彼女の不意に漏らした秘密が引き金で一変することとなる。
彼女の人生さえも…。

富蔵のマスはホームレスから大富豪へと止まった。たまたま拾った宝くじが当選したという、漫画の様な事が起きたのだ。
まぁ、有り得ない事ではないだろう。
これも神さまのサイコロが、偶然そのラッキーマスに進んだ。それだけの事だ。
何も無かった男が、一夜にして大金持ちとなる。
この逆転劇を見事に言い当てた彼女は、今となっては有名人である。
もう会うことも無くなってしまった。

富蔵はこの巨額な財産を、一体どう使うべきか考えた。
そうして見つけた使い道は、人に配り歩くという、なかなか奇特なものだった。
ボランティア団体。事業投資。ストリートミュージシャン。のちに面白いものでは宗教団体の起ち上げ資金というものもあった。

ただし、深入りはしない。
富蔵は必要な金額だけを預け、何も言わずに去っていく。

そんな中でも一番有意義だったのは彼女の力になれた事だった。
彼女がテレビから姿を消してどれくらいたった時だったか。その理由となった、だいそれた願いを叶えるべくして。
そうして二人は再会を果たした。
彼女はもう、あの不思議な力は使っていないと言った。
それは、富蔵の心を一層踊らせてくれる話であった。

物思いにふけりながら歩いていると、不意に若い男と肩がぶつかる。
男は俯き、何か独り言を呟いていた。
富蔵が謝ると、男は小さく舌打ちをして足早にこの場を去っていく。

(やれやれ。最近の若いものは。まぁ良い。私には関係ない。おお、そうだ。後で酒屋にでも行ってみよう。金はまだまだ残っている。今まで飲んだことも無いような高いシャンパンでも買ってみるか。うむ。楽しみじゃないか。)

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