RED〜キズナノイロ〜(世界をとめて特別番外編)

makikasuga

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④少女は泣いて笑う

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 数学担当の赤崎が補習授業に来られなくなり、その代理を零がやることになった。生徒が教師の代わりをするなんて、普通ではありえないことだが、零なら誰も文句を言ったりしない。
 どんな経緯があったにしろ、授業が終わればすぐに帰ってしまう零が、側にいることが優衣は嬉しかった。補習授業(渡されたプリントを解くだけ)そっちのけで零を眺めてばかりいた。
「出来たのか、小学生」
 やっと目が合ったと思ったら、そっけない言葉が返ってきた。
「小学生じゃないよ、蓮見だってば、蓮見優衣」
 零は優衣を名前で呼ぶことはしない。小学生というばかりである。勢いでプリントを差し出せば、みるみるうちに零の表情が変わった。
「一問も解けてねえじゃねえか。さっさとやれ!」
 問題より零の顔を眺めている方が楽しかったから、とはさすがに口に出来ず、仕方なく問題に集中することにした。
「なあ、ここ聞いていいか?」
 優衣の隣では、一年のとき同じクラスだった柳が真面目にプリントをやっていた。わからないところはこうして零を頼る。見た目と違って、本当は素直な男である。
「これは上の公式を当てはめればいいだけだ。難しく考えんな」
「なるほど。やっぱ、あんたすげえな」
 零のアドバイスに納得して、柳は問題を解いていく。学校一の不良と呼ばれていた柳と、学校一の天才である零。対極にありながらも、ふたりはどこか似ているような気がした。
「出来た。これ提出したら終わりでいいんだよな?」
 柳はプリントを零に手渡すと、そそくさと帰る準備を始めた。
「採点しろとは言われてねえから」
「そっか。悪い、先帰るわ。蓮見、待たな」
「うん。バイバイ、柳君」
 気を利かせてくれたというよりは、単に急いでいるように見えた。人づてに聞いた話によれば、柳の父親が再婚して弟が出来たらしい。髪の色を変えたのも、こうして勉強するようになったのも、その影響だろうか。

「ヘラヘラすんな、小学生。早くやれ」
 ふたりきりになったからか、優衣の前の席に零が座った。
 椅子を反転させ、向かい合わせになる。隣の席よりも近い距離になって、優衣は勉強どころではなくなってしまった。
「安岡君はどんな食べ物が好きなの?」
 胸の高鳴りを悟られまいと、優衣は関係のない話題を口にした。
「関係のない質問をするな」
 当然のようにバッサリ切り捨てられたが、舞い上がっている優衣には聞こえなかった。
「いつも早く帰っちゃうけど、アルバイトとかしてるの?」
「俺は早く帰りたいんだ。無駄口叩かずやれ」
「どんなアルバイトなの? 安岡君のことだから家庭教師とか?」
 好きな人のことはなんでも知りたくなるというが、本当だった。もっともっと零のことを知りたいし、近づきたい。
「おまえに話す必要はねえ」
「確か、ウチの学校って親の許可がいるって話だったよね? お父さんやお母さん、反対しなかったの?」
 全て言い終わらないうちに、思い切り机を叩かれた。そこでようやく優衣は我に返った。
「聞こえなかったのか、無駄口叩かずにやれよ」
 零の醸し出す空気が一変していた。いつも以上に冷たく、恐怖すら感じた。
「ごめんなさい……」
 調子に乗りすぎたことを反省し、優衣はプリントに集中する。
 時折クラブ活動に勤しむ生徒の声が聞こえる以外は、優衣が問題を解くために走らせるシャープペンシルの音しか聞こえない。
 零は優衣の机に片肘をついたまま、微動だにしなかった。やはり怒らせてしまったのだろうか。だが、顔を上げることは出来ない。
 早くプリントを終わらせなくてはと必死になったが、わからないところが出てきた。適当な答えを書いて終わらせようかと思ったが、後で零の怒りを買いそうである。ひとまず出来るところをやってからと思ったが、それ以降の問題もわからなくなった。

 あーもう、わかんないよ、数学なんて大嫌い。

「基本が出来てんのに、なんで応用でつまづくんだよ」
 優衣の気持ちを悟ったのか、手が止まったことを気にしてか、零が言葉を発した。
「まんま当てはめんな。問題文、ちゃんと読め」
 零の人差し指がプリントの問題文を指し示す。優衣はおそるおそる顔を上げた。
 怒っているとばかり思っていたが、零は笑っていた。いつか見た子猫を抱いて笑っているときと同じ、あの表情で。

 なんでかな、胸が痛い。

 言葉にして表すならば、既視感、デジャヴ。
「泣くほどわからねえのかよ」
 零は困惑していた。彼が言うように、優衣は泣いていた。どうしてだかわからないけれど、後から後から涙が溢れ出て止まらない。プリントにもポタポタと落ち、あっという間に濡らしてしまう。
 
 なんで泣いているんだろう、早く泣き止まなきゃ、嫌われちゃう。

 考えれば考えるほど、涙は止まるどころか激しくなっていくばかり。優衣が嗚咽を堪えるのに必死になっているうちに、零が不機嫌になっていくのがわかる。やがて、失望したと言わんばかりの大きな息を吐き出して、立ち上がる。
「あ、あの……!?」
 ごめんなさいと謝るのもおかしいような気がして、優衣は何も言えなくなった。そうこうするうちに、零は教室を出て行った。
 近づきたいのに、困らせることばかりをしている。こんなことになるのなら、話しかけたりしないで、隣の席で見ていればよかった。認識してもらえなくても、名前を覚えてもらえなくても、片思いなら、迷惑をかけることはなかったのに。
 優衣は制服のポケットに入れていたハンカチを取り出し、両目に当てた。

 なんで泣くのよ、私のバカ。

 それでも、屈託のない零の笑顔を思い出すと胸が痛くなる。まるでこの笑顔を知っているかのように。

「新しいプリント、持ってきたから」
 どれくらいそうしていたのかはわからない。少なくとも、涙は止まっていた。はっとして顔を上げれば、前の席に零が座っていた。先程と同様、片肘をついており、視線はプリントしか見ていない。
「こっちに書き直せ」
「あ、うん」
 帰らないでいてくれたことは嬉しかった。これ以上煩わせたくなくて、優衣は回答を書き写していった。そうこうするうちに、わからなくなった問題にぶち当たってしまう。
「この公式を当てはめるんだよ。そしたらこうなる。そこから導き出される答えがこれだ」
 零の右手にはシャープペンシルが握られており、涙で濡れたプリントの端に回答を書き込んでいく。読みやすい、とてもきれいな字だった。
「このまま書き写せ」
「で、でも」
「聞きたかったことに、答えただけだ。ほら、書けよ」
 言われるがまま、優衣は零の答えを書き写した。次の問題も、その次の問題も、零が要点を説明して答えを書いてくれた。そんな感じで半分以上手伝ってもらって、ようやくプリントが終わった。
「よし、終わったな。そっちのプリント、後で処分しとけよ」
 零は優衣が書き終えたプリントを手にすると、立ち上がった。別の席に置いてあった透明のファイルにしまい込み、鞄の中に入れる。
「ぼんやりするな。さっさと準備しろ」
 先に帰るものだとばかり思っていたのに、零は動かない。まるで優衣を待っていてくれるかのように。
「ここで一晩中勉強したいんなら止めねえけど、俺は帰るぜ」
「一緒に帰っていいの!?」
 突然のサプライズに、すぐさま優衣は立ち上がった。
「誰かさんのせいで、こんな時間になったからな」
 零が視線で窓際を示す。いつの間にかどっぷり日が暮れていた。
 そんなに時間が経っていたことに全く気づかず、優衣は呆然としたが、あることに気づいて驚愕した。
「大変!? 安岡君、早く帰らなきゃ、アルバイトの時間が!?」
「は?」
 零は優衣の言わんとすることをすぐ理解出来なかった。
「遅刻したらクビになっちゃうよ」
 遅刻という言葉に反応し、零は声を上げて笑い出した。
「笑ってる場合じゃないって、ほら、早く!」
 教室ではほとんど話さず、違う世界の住人だと思っていた零が、屈託のない表情で笑っている。彼もまた、優衣と同じ高校生なのだと実感せずにはいられなかった。
「確かに、早く帰りたいとは言ったがな、今日がバイトだなんて一言もいってねえけど」
 なんとか笑いを堪え、零が言葉を発する。
「そうなの?」
「笑いすぎて腹いてえ。とにかく、帰るぞ、蓮見」
「うん」
 返事をしてから優衣は気づいた、零に初めて名前を呼ばれたことを。
「今、蓮見って言った!?」
「なんだ、小学生呼びがいいのかよ」
 当然とでもいうように零が言った。優衣は首が痛くなるくらい、横に振って否定した。
「ううん、蓮見がいい、そっちがいい! ありがとう、安岡君」
 ついに名前を呼ばれた。覚えてもらえた。それだけで優衣は飛び上がるくらい嬉しかった。
「泣いたり笑ったり、おまえって変な奴だよな」
 やれやれといったように、零は肩をすくめた。
 変でもなんでもいい。零に少しでも気にしてもらえるのなら、笑われたってかまわない。
 優衣はますます零が好きになっていた。やがて訪れる哀しい結末を知らずに。
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