世界をとめて

makikasuga

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死神は告知する

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 浅田家の通信設備が不通に陥った。それは冷静沈着な高橋を慌てさせる程の事態だったらしく、午後にはひとまず復旧したものの、新しいシステムを立ち上げる工事が必要という話だった。
「花梨様、本日はご不便をおかけして申し訳ございませんでした」
 夜になって、夕食を下げにきた高橋が何度目かの謝罪を口にする。
「どうしてそんなに謝るの? 高橋が何かしたわけじゃないでしょう」
「勿論でございます! ですが、その……修理に来た者が、花梨様への面会を申し出ておりまして」
 こんなしどろもどろな高橋を見るのは初めてで、花梨は笑ってしまった。
「高橋がこんなに慌てるなんて、お父様のお知り合いはとても面白い方なのね」
「ご存知だったのですか」
「こんなことになれば想像がつくわ。お通しして。私も会いたいと思っていたから」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
 花梨の部屋にやってきた麻百合は柳を呼び出し、ふたりで何か話したようだった。以降、柳は麻百合を見なくなり、彼女はひとりで考え込むようになっていた。ふたりの様子や高橋の慌てぶりからして、男は相当の切れ者なのだろう。

「初めまして、お嬢様。カネモトレイと申します」
 短く刈った黒髪。笑ってはいるが、黒縁眼鏡の奥の瞳には冷酷な光が見え隠れする。人を寄せ付けないオーラを発する様は、彼が別世界の人間であることを物語っているようだった。
「浅田花梨です。こんな状態でご挨拶してごめんなさい」
 花梨はベッドから上半身を起こした状態でレイと向き合っている。今日は、椅子に座って話をすることも苦痛だったから。
「私が無理におしかけたようなものですから。どうかご無理なさらず」
「ありがとう。お言葉に甘えさせていただくわ。高橋、席を外して」
 側にいた高橋は、花梨の申し出に驚き、レイを睨みつける。視線を感じていないはずはないのに、レイは無反応だった。
「心配しないで。彼は私に危害を加えたりしないから」
「ですが」
「命令よ、高橋。下がって」
「かしこまりました」
 花梨は最終手段を使って高橋を下がらせた。どうしてもふたりきりで話をしたかったから。
「噂通りの優秀な方ですね。苦手なもので助かりましたよ」
 レイは高橋を知っていたようだが、苦手なようには見えなかった。むしろ高橋の方がレイに圧倒されていた。詮索したところで、この男が答えるはずもない。花梨はすぐ話題を切り替えた。
「あなた、コウちゃんの高校の先輩だそうね」
 柳とレイが知り合いだという話は、高橋から聞いていた。花梨は敢えて「高校」という言葉を付け足した。
「向こうは忘れていたようですが」
 否定も肯定もせず、レイは淡々と答える。
「コウちゃん、高校のときは喧嘩ばかりで、友達なんてひとりもいなかったって言っていたわ」
 花梨が揺さぶりをかけても、レイは朗らかに笑うだけだった。
「あなたがここへやってきたのは、私に用があったからでしょう?」
 レイは苦笑した後、眼鏡を外した。発するオーラがよりいっそう強くなる。それはこの男が死神であることを示しているかのようだった。
「肝が座ってるな。さすがは浅田のお嬢様ってところか」
 話し方が変わり、ネクタイを緩め、不敵に笑う。これが本来の姿だと言わんばかりに。
「頼まれものを届けにきた。望みのものは全て揃えてあるぜ」
 レイは鞄の中から透明のファイルを取り出し、花梨に手渡した。
「ありがとう。少し気が楽になったわ」
 高橋に頼んであったものが、レイから手渡されるとは思いもしなかった。おそらく相次郎が手を回したのだろう。
「金田麻百合は確かにあんたの姉ではあるが、浅田家とは何の関わりもない。嵐の中にひとりで放り出すようなものだぞ」
 麻百合に迷惑をかける事態になることはわかっていた。それでも、彼女に残したかった。
「麻百合はひとりじゃない。コウちゃんがいるもの」
 麻百合に関わることであれば、柳は絶対見捨てたりしない。後々ふたりのためになる。これで彼らの世界は変わるはず。
「柳は表舞台に立てる人間じゃない。お嬢様もよく知っているはずだ」
「コウちゃんが警察を辞めるきっかけになった事件に、あなたも関わっているのね」
 警察庁のデータベースが何者かによってクラッキングされ、未成年の逮捕者リストや個人情報がネット上に拡散した。当時所轄署の刑事だった柳が、クラッカーではないかという疑惑がかけられる。理由は実に単純で、使用されたIDが柳のものだったからだ。だが柳は否定も肯定もせず、疑惑をかけられたまま警察官を辞めてしまう。
「あれは、あなたがやらせたことじゃないの?」
 同じ頃、柳の家族は何者かによって殺害されていた。捜査は難航していたが、皮肉にも流出したクラッキングデータによって、被疑者が未成年者であることが判明する。捜査員は被疑者確保のため、立ち寄り先へ踏み込んだが、既に命を絶った後だった。柳の家族が殺害された理由はわからないまま、事件は終息した。
「俺がやらせたわけじゃない。柳が望んだことだ」
「犯人はあなた達が殺したの?」
「それはお嬢様でも話せねえな。おっと、そんな怖い顔しないでくれよ。俺はあんたの願いを叶えるために呼ばれたんだぜ」
「私の願いを叶えるというのなら、コウちゃんを自由にして」
 初めて出会ったとき、柳の心は死んでいた。何があったのか、今も話そうとしないけれど、花梨と呼んで笑ってくれるまでに多くの時間を費やした。これから先も側で柳の笑顔をみていたいのに、花梨に残された時間はわずかしかない。
「それは無理だ。あいつは知りすぎている。どうしてもって言うのなら、殺すしかねえ」
「あなたにコウちゃんは殺せない」
 本当なら柳はとっくに消されていたはず。だが、傷を負いながらも柳は花梨の前に現れた。
「私にはわかる。コウちゃんを助けてくれたもの」
 死神は人の生死を司る存在。ならば、その死神によって生かされた柳は、簡単に死んだりしない。
「上が柳を殺せと言えば、俺は命令に従うぜ」
 花梨の希望を打ち砕くように、レイは容赦ない言葉を吐き出した。空気がピンと張り詰める、脅しではないとでも言うように。
「そうならないようにすることが、あなたには出来るはずよ」
 レイの冷たい瞳の奥には哀しい色が見え隠れする。初めて会った柳にどこか似ている気がした。
「俺はあんたが思ってるような人間じゃねえ。あいつを生かしたのは、利用価値があると思ったからさ」
 レイの口角が上がる。よりいっそう冷酷さが増した。まるで死神に微笑まれたかのように思えて、花梨の背中は震えた。
「おっと、邪魔が入ったようだ。じゃあな、お嬢様、残り少ない時間をせいぜい楽しむことだ」
 レイは嬉しそうにしながら眼鏡をかけると、ネクタイを結び直した。話はこれで終わりと言わんばかりだった。
「待って、話はまだ──」
 訴えかける花梨を無視して、レイは部屋を出て行った。
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