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さよなら全回転
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花梨の病状は急降下していた。面会出来る時間も限られるようになり、話すのもひどく辛そうだった。食事を取るのもままならず、どんどん痩せていった。本当は心配でたまらなかったけれど、花梨はどんなときでも笑っていたので、麻百合も彼女の前では笑うことにした。そんなことをぼんやりと考えていると、ノックの音がした。
「俺だけど、今いいか?」
柳だった。少し緊張しながら、麻百合は扉を開けに行った。
「花梨に何かあった?」
「そういうことじゃねえよ。おまえを呼んでくれって花梨に言われた。なんか話があるんだと」
「そっか。わかった」
柳は花梨の側を離れなくなった。部屋に入れてもらえないときは、外でずっと待っている。丸一日廊下に座り込んでいたこともあったらしいと聞いた。
「今更なんだけどさ、色々迷惑かけて、悪かったな」
麻百合が何の気なしにカーディガンを着ていると、唐突に柳が言った。
「なんのこと?」
「高橋が教えてくれた。俺がおかしくなったとき、麻百合がみててくれたって」
高校の先輩だというレイが浅田家にやってきた日、柳はおかしくなった。殺意をむき出しにしてレイに殴りかかったり、体を震わせながら涙を流したり。あまりに痛々しい柳の姿を見て、麻百合は彼の側を離れられなくなってしまった。
「あ、いや、その……」
あの日、柳は麻百合を抱きしめ、キスをした。キスというよりは言葉を塞ぐだけの行為に過ぎなかったのかもしれない。そのまま柳は眠ってしまい、高橋によれば、翌日の夕方まで目を覚まさなかったらしい。
花梨の恋人である柳とキスをしてしまった罪悪感から、麻百合は彼を避けるようになっていた。花梨の具合が悪くなった時期と重なったこともあり、誰にも気づかれずに済んでいた。だから、面と向かって話すのはあのとき以来になる。
「よく覚えてねえんだけど、本当悪かったな。すげえ遅くなったけど、ありがとう」
この様子では柳は何も覚えてなさそうである。内心ほっと胸をなで下ろす麻百合であった。
「別に何もしてないから」
「だとしても、花梨に黙っててくれたろ。それだけでも有り難いよ」
そう言って柳は笑う。久しぶりに顔を見たせいだろうか、ひどくやつれているように見えた。花梨の状態を考えれば当然かもしれないが。
「少し、休んだ方がいいんじゃないの?」
「ああ。そういや、さっきから頭がぼんやりして……」
ぐらりと柳の体が揺れ、その場に崩れ落ちる。
「ちょっと、大丈夫!?」
麻百合が駆け寄ると同時にノックの音がして、高橋が入室してきた。
「麻百合様、失礼いたします」
「あの、急に柳が倒れて」
「驚かせて申し訳ございません。柳君に薬を盛ったのは私ですので」
「……は?」
聞き間違えでなければ、高橋は薬を盛ったと言った。
「ただの睡眠薬ですよ。こうでもしないと、柳君は花梨様の側を離れようとしませんからね」
いつも通りの冷静さで、高橋は柳を抱え上げる。何が起きたのかよくわからない麻百合は、呆然とふたりを見つめた。
「ここのところ、柳君は睡眠も食事もほとんど取られません。このままでは命の危険があると判断しました。花梨様も承知しておられますし、薬は相次郎様に処方していただきましたから、問題ありませんよ」
こんな近くで話していると言うのに、柳は目を覚まさない。力無く垂れ下がった手も、痛々しさを感じてしまう。柳と顔を会わせることを避けていたからこそ、麻百合は全く気づかずにいた。
「麻百合様、出来る範囲でかまいませんから、今みたいに柳君と話してあげてくれませんか?」
「話すって、でも柳は花梨と」
「花梨様の前では笑っていますがね。離れたときの彼、とても見ていられませんよ。勿論、無理にとは申しません。この間も私のわがままで、柳君のことをお願いしたばかりですから」
「柳は、過去に何かあったんですよね。よかったら、教えてもらえませんか?」
本当はずっと気になっていた。あんな泣き方をする柳は何を抱え込んでいるのか。柳本人から話を聞くべきだとは思うが、彼が口を割るとは思えない。
「それは、これから花梨様がお話しなさると思いますよ」
「俺だけど、今いいか?」
柳だった。少し緊張しながら、麻百合は扉を開けに行った。
「花梨に何かあった?」
「そういうことじゃねえよ。おまえを呼んでくれって花梨に言われた。なんか話があるんだと」
「そっか。わかった」
柳は花梨の側を離れなくなった。部屋に入れてもらえないときは、外でずっと待っている。丸一日廊下に座り込んでいたこともあったらしいと聞いた。
「今更なんだけどさ、色々迷惑かけて、悪かったな」
麻百合が何の気なしにカーディガンを着ていると、唐突に柳が言った。
「なんのこと?」
「高橋が教えてくれた。俺がおかしくなったとき、麻百合がみててくれたって」
高校の先輩だというレイが浅田家にやってきた日、柳はおかしくなった。殺意をむき出しにしてレイに殴りかかったり、体を震わせながら涙を流したり。あまりに痛々しい柳の姿を見て、麻百合は彼の側を離れられなくなってしまった。
「あ、いや、その……」
あの日、柳は麻百合を抱きしめ、キスをした。キスというよりは言葉を塞ぐだけの行為に過ぎなかったのかもしれない。そのまま柳は眠ってしまい、高橋によれば、翌日の夕方まで目を覚まさなかったらしい。
花梨の恋人である柳とキスをしてしまった罪悪感から、麻百合は彼を避けるようになっていた。花梨の具合が悪くなった時期と重なったこともあり、誰にも気づかれずに済んでいた。だから、面と向かって話すのはあのとき以来になる。
「よく覚えてねえんだけど、本当悪かったな。すげえ遅くなったけど、ありがとう」
この様子では柳は何も覚えてなさそうである。内心ほっと胸をなで下ろす麻百合であった。
「別に何もしてないから」
「だとしても、花梨に黙っててくれたろ。それだけでも有り難いよ」
そう言って柳は笑う。久しぶりに顔を見たせいだろうか、ひどくやつれているように見えた。花梨の状態を考えれば当然かもしれないが。
「少し、休んだ方がいいんじゃないの?」
「ああ。そういや、さっきから頭がぼんやりして……」
ぐらりと柳の体が揺れ、その場に崩れ落ちる。
「ちょっと、大丈夫!?」
麻百合が駆け寄ると同時にノックの音がして、高橋が入室してきた。
「麻百合様、失礼いたします」
「あの、急に柳が倒れて」
「驚かせて申し訳ございません。柳君に薬を盛ったのは私ですので」
「……は?」
聞き間違えでなければ、高橋は薬を盛ったと言った。
「ただの睡眠薬ですよ。こうでもしないと、柳君は花梨様の側を離れようとしませんからね」
いつも通りの冷静さで、高橋は柳を抱え上げる。何が起きたのかよくわからない麻百合は、呆然とふたりを見つめた。
「ここのところ、柳君は睡眠も食事もほとんど取られません。このままでは命の危険があると判断しました。花梨様も承知しておられますし、薬は相次郎様に処方していただきましたから、問題ありませんよ」
こんな近くで話していると言うのに、柳は目を覚まさない。力無く垂れ下がった手も、痛々しさを感じてしまう。柳と顔を会わせることを避けていたからこそ、麻百合は全く気づかずにいた。
「麻百合様、出来る範囲でかまいませんから、今みたいに柳君と話してあげてくれませんか?」
「話すって、でも柳は花梨と」
「花梨様の前では笑っていますがね。離れたときの彼、とても見ていられませんよ。勿論、無理にとは申しません。この間も私のわがままで、柳君のことをお願いしたばかりですから」
「柳は、過去に何かあったんですよね。よかったら、教えてもらえませんか?」
本当はずっと気になっていた。あんな泣き方をする柳は何を抱え込んでいるのか。柳本人から話を聞くべきだとは思うが、彼が口を割るとは思えない。
「それは、これから花梨様がお話しなさると思いますよ」
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