世界をとめて

makikasuga

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次回予告「再会」

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 麻百合はマキと一緒にデパートのアクセサリー売場に行き、マキの恋人に渡すプレゼントのアドバイスをした。指輪のサイズはなんとなくわかるということだったので、気になったものを麻百合がつけて、マキがそれを見て判断するという作業を繰り返した。他人の物ではあったが意外に楽しく、マキが必死に考えている様はとても微笑ましかった。

「金田さん、今日はつき合ってくれて本当にありがとう」
「私も楽しかったです。彼女さん、きっと喜んでくれますよ」
「お礼しなきゃだね。てゆーか、なんかもうレイが話しちゃったみたいだからさ、僕も言っちゃうね」
 デパートを出ると、マキは車を走らせた。いつのまにか日は落ち、辺りは暗くなってきていた。
「君が知ってる柳広哲は死んじゃったけど、コウという人間なら生きてるよ」
 はっとして、麻百合はマキを見つめる。彼は前方を見据えたまま、淡々と語り始めた。
「明日にはわかることだけど、君は浅田花梨の財産を全て受け継ぐことになっている」
「私が、花梨の財産を?」
「そこにはね、僕達を自由に出来る権利も含まれているんだよ。ちなみに僕がやってることはね、人を殺すこと」
 人を殺すと言ったとき、マキの声のトーンが変わった。
「依頼を請けて人を殺すのが仕事。勿論それなりの報酬も貰うよ。世の中には悪い人達がいっぱいいるし、どんなに悪いことをしても、絶対バレなかったりするけど、あまり度が過ぎるとね、疎まれるんだよ。そういうときに、僕の出番になるわけ。普通は殺しちゃったら警察に連絡がいって殺人事件になっちゃうでしょ? でもそうはならない。死体は掃除屋が片づけるし、ターゲットの情報は情報屋によって書き換えられる。その人が死んだことすら、無かったようにね」
 そんな世界はドラマや映画だけだと思っていた。実在していたとしても、麻百合とは一生縁がないはずだった。
「僕達のボスは花村謙三っていうんだけど、浅田家の直系に当たるんだ。昔から裏稼業に従事していて、浅田の繁栄の裏に蔓延る闇を全て引き受けてきた。だから浅田はハナムラには手を出せない。その唯一の例外ともいえるのが、ハナムラコーポレーションの株主特権さ。株主の命令には問答無用で従うことになっていて、代々浅田の当主が三分の二の株を取得するようになっている。それだけあれば、会社の実権を握れるからね。ところが現当主の浅田相次郎は、娘の花梨にもその株を分配した。つまり、相次郎と花梨のふたりがハナムラコーポレーションの実権を握ってたってわけ」
「それが、どうして私に?」
 話が難しすぎて、麻百合はうまく消化し切れていなかった。
「浅田花梨が持ってる財産は、そっくりそのまま、金田麻百合に受け渡すって遺言書に書いてあるの。よって君は、ハナムラコーポレーションの株主なわけ」
「そんな、どうして私が? それに、遺言書の報告会は明日だって、高橋さんが」
『……その遺言書を作成したのが、俺だからだよ』
 そこに割り込んできたのはレイだった。どうやら車内の会話は聞かれていたらしい。
『浅田家と関わりのない人間には酷だからと言って止めたんだが、どうしてもと言い張ってな。とんだお嬢様だぜ、実の姉すら利用して、愛する男を生かそうとするんだから』
「やっぱり柳は、生きてるんですね」
 改めてレイに問いかける。彼の言葉を信用したせいで、麻百合はどん底にいたのだから。
『柳広哲という人間が死んだことは嘘じゃない。既に事故死で処理されている』
「会わせてください、柳に」
『何度も言ってるが、柳広哲は死んでいる。これから君が会うのはコウという男で、我々と同じハナムラの人間だ』
 何を言われても、麻百合にとって柳はひとりしかいない。
「だって、柳は柳でしょ? 死んでるって、彼は生きてるのに!」
 レイもマキも口を揃えて柳は死んだという。そのことが悲しくて仕方ない麻百合だった。
「レイ、何を言っても無駄だよ。コウに会わせなきゃわかんないって」
 マキが呆れたように言った。
『そうだな。駐車場に待機させてる。後のことも話してあるから』
「了解。五分で着くって言っといて」
 レイの声はそこで途切れた。いつしか涙が溢れ、麻百合はハンカチで必死に拭っていた。
「泣かせちゃってごめんね、金田さん。混乱してるよね。今夜は彼と過ごすといいよ。部屋も取ってあるからさ」
 車はある高級ホテルの地下駐車場へと滑り込む。少しばかり走ったところに、黒いスーツを着た男がぽつんと立っているのが見えた。男の姿はだんだん大きくなり、やがて全身が露わになる。麻百合の涙は止まらず、嗚咽が激しくなっていく。
 そして男のすぐ近くで車は停まった。マキはサイドブレーキを引いて、エンジンを止め、扉を開け放ち、先に降り立った。

「誕プレのために、車一台ぶっ壊すとかおかしいだろ」
 聞き覚えのある懐かしい声色。
「すごい形相で追ってくるから、怖かったんだってば」
「散々煽ったのはそっちだろ」
 早く顔が見たかったけど、涙で滲んで前がよく見えない。
「おい、なんで麻百合が泣いてんだよ!?」
「泣かせたのは僕じゃなくてレイだよ。君に会えて嬉しいってのも混ざってると思うけど」

 泣き止まなきゃ、泣き止まなきゃ。

 そう思えば思うほど、麻百合の涙は止まらなくなっていく。

 声が聞けた。顔が見れた。何より生きてた。

「金田さん、今日は本当にありがとう。じゃあ、またいつかね」
 そう言って、マキが扉を閉めた。ひとりになって、麻百合はまた激しく泣いた。
「……いい加減、泣き止めよ」
 再び扉が開くと同時に、誰かが乗り込んできた。扉が閉まった途端、ふわりと抱きしめられる。
「俺が泣かせたみたいだろ」
 そういえば、前もこんな風に抱きしめられた。その時泣いていたのは麻百合ではなく、柳だったけれど。
「なんで、なんで、いなくなったりしたの?」
 髪の色が黒い。少し痩せたのか、黒いスーツを着ているせいなのか、華奢になったように見える。
「ごめんな」
 トクン、トクンと鼓動が聞こえてくる。涙がシャツに染みついてはいないだろうか。そんなことがふと気になって、離れようとすれば、強く抱きしめられた。更に密着したせいで体温を直に感じた。筋肉は落ちておらず、むしろたくましくなったのかもしれない。
「花梨の後を追って、死んじゃったのかと思った」
「うん」
「ひとりになったと思った」
「うん」
「もう、死んじゃいたかっ──!?」
 全て言い終わらないうちに、唇が塞がれた。あの時と同じ、しょっぱい涙の味がする。
「死ねばいいとか言うなって、言ったろ」
 初めて会ったときにもそう言われたが、あのときと違い、ひどく苛立っているように見えた。
「それ、花梨の前で、言うなって」
「俺の前でもだ」
 そう言うと、もう一度唇に触れる。
 啄むように、愛おしむように、優しく何度も触れた後、激しく口内をかき回していく。静かな車内にふたりの息遣いだけが響き渡る。
 苦しくて切なくて、でも離れたくなくて、いつしか麻百合からも求めるようになっていた。

 好きだ、たまらなく好きだ。
 離したくない、離れたくない。

「麻百合、話を聞いてくれ。包み隠さず話すから」

 今ここで、世界が止まればいいのに。
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