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32:黄金の卵を産むガチョウ

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アヒムはジークに会ってから逃げることもせずに、そのまま宿に戻った。

そうして世話係を労うように裸になって抱き合っていると、急に世話係の男が血を流して倒れた。

腕を斬られて血を流す男は悲鳴をあげながら横に倒れた。

「殺すのですか?」

アヒムは真っ暗な瞳を向けて抑揚のない静かな声で、王に、ランプレヒトに言った。

その言葉は、血を流す男に対してのようにも思えるし、アヒム自身に対してのようにも思える。

「その男を連れていけ。処罰は後で決める」

ランプレヒトがそういうと、宿屋の小さな扉から兵士が数人ぞろぞろと入ってきて世話係の男を連れていく。

「ア、アヒムさま。アヒムさま」

男はすがるようにアヒムの名前を呼んで手を伸ばした。

「バイバイ」

アヒムは男と手を絡めて笑みを浮かべた。組んだ手は開いていく距離によってするとほどけた。

手を振って見送るアヒムは状況を理解できているのかすらわからないと、ランプレヒトは思った。

「殺すのですか?」

アヒムは同じ質問を同じ顔をして言った。

「そなた次第だ。何故このようなことをした」

ランプレヒトは片手でおさまるアヒムの細い首を掴んだ。それなのに彼は臆することなく感情のない瞳を向けてわらっている。

「陛下は金の卵を産むガチョウの物語を知っていますか?」

アヒムはランプレヒトの返答をまたずに、首をおさえる腕に手を置いた。

「一日に一個ずつ黄金の卵を産むガチョウを農夫が見つけて飼ったんです。農夫はお金持ちになったけれど、一日に一個しか黄金を産まないことに物足りなさを覚えたんです。そうして愚かにもガチョウの腹の中に金塊が詰まっていると思った農夫はその腹を切り裂きました。しかしガチョウの腹の中に金塊などあるわけもなく、ガチョウも死んでしまいました」

何がいいたいのだと、ランプレヒトはアヒムをみるが、彼の表情は何も語らない。

「欲張りすぎては駄目なのです。いつか大切なものを失ってしまいますよ」

「余がその農夫だとでもいうのか」

怒気をはらんでもアヒムは脅えることもなく、微笑みを湛えるだけだ。

「陛下は僕に何を望んでいるのですか? 磁器は作りました。染付の命はただの口実にしか過ぎないでしょう」

「ただそなたを側に置くことが貪欲だとでもいうのか?」

「鳥を籠に入れて、その羽を折る。馬は歩けなくなると死ぬと聞きますが鳥はどうなのでしょうか。死にはせずとも、苦しみながら鳥籠の中で羽を折った飼い主のことを恨むのでしょうね。籠の中から見える自由な空に憧れながら。それならいっそ殺してくれればよかったのにと」

まるで自分は羽を失った哀れな鳥だとでも言いたげな言葉なのに、アヒムの顔はずっと笑みを浮かべたままだ。

「金糸雀が飼い主以外に鳴いて何がわるいのでしょうか? 鳥が自由に空を飛ぶことが道理にかなわないのでしょうか」

アヒムはまるで謡うように言葉をつむぐ。

その異様な雰囲気にのまれてしまいそうで、ランプレヒトはその手をはなした。

「そなたはあの男に拐かされた。男には厳罰をくだすが、そなたは被害者だ」

アヒムが自分の意思で城から脱出したことなどわかっているが、不問とすることを選んだ。彼が手もとに戻ってくるなら何でもいいのだ。

「城に帰るぞ」

ランプレヒトは裸のアヒムに自らの外套を着せて抱き上げた。

アヒムは抵抗することもなく、されるがままとなって、短くも大仰な墓参りは終わった。

これがアヒムの最後の逃亡であった。


「オスヴァルト。あの男は何とか供述した」

ランプレヒトはアヒムを城に連れ帰ると、世話係の男を牢に入れ尋問させていた。

「アヒム殿がフリートヘルム・ラウンハイド伯爵に会いたがっていたため協力したとのことです」

「フリートヘルムというと、死んだあの学者か」

「はい。アヒム殿は、墓まであばいて顔を見たあと、持参した壺とともにもう一度埋葬したようです」

フリートヘルムが死んだ時に会いに行かせてくれと懇願されたことを思い出す。にべもなく却下すると、泣き崩れていたが、すぐに普段通りに戻っていた。

「その壺とは何だ? 中身は?」

「世話係の男にもわからないようです。ただアヒム殿はその磁器の壺を自分の子だと呼んでいたようです。白い液体のようなものが入っていたとか」

ランプレヒトは恐ろしい想像をしてしまい言葉をのみこんだ。それと同時にアヒムのフリートヘルムへの関心が異常なことに気づく。

死んだのがジークだったら、わざわざ脱出劇を演じて、墓を暴き“子供”と称する壺を入れるだろうか。おそらく否だ。

「アヒムとフリートヘルムの間に何かあったのか?」

「いいえ。見た限りは何もありませんでした。年齢差もありますから、ラウンハイド伯爵は実の父子のように接していました。扱いはジークと同列であり、特別なものではありません」

実の父子。その言葉に引っ掛かりを覚える。

そう。普通、最も近い年上の男性と言えば、父や兄弟だろう。

だが、アヒムは叔父に似ていると言っていた。保護者のようだといっていたが、それならあげるべきは父親であって叔父ではない。

「以前、アヒムを調査させたな。もっと詳細なことに調べろ。特にこの国に前の家族関係や交友関係をだ」

「はい」

アヒムに関することはそれほど多くは知らない。隣国のテッヘド国の貴族の家系出身で、幼少期から国家錬金術師として活躍していたが、金の生成という無理難題を解決できずに追い出され、ラニス国に亡命するようにやってきた。そうして移住をすると薬師として街で過ごしていた。

なぜ貴族の子弟が幼少期から錬金術師などやっていたのか。

家族はまだ二十歳にもならない子供が他国に行くことをどう思ったのだろうか。

アヒムの口からテッヘド国での話は一切聞かなかった。聞こうともしなかった。しかし、彼の口から唯一でた叔父というものがパンドラの箱のようにのし掛かる。

ランプレヒトは鳥籠の中をのぞくように、疲れて眠るアヒムに会いに行った。

磁器のように滑らかで白い肌に、整った目鼻立ち、甘やかな金髪。彼を彩るパーツはすべて神が采配したように美しく配置されている。

閉じられた瞳はどのような色をしていたか親指で優しく撫でるが開くことはない。

ただ確かなのは。

「あれほど暗く淀んでいただろうか」

記憶にあるのは、神秘的に星を散らしたように輝く碧色の瞳であったが、最後に見たアヒムの瞳は全てを飲み込むかのように混沌の闇のようだった。

ランプレヒトはこの時、初めてアヒムをみようとした。

だが、すでに時は遅く、全て壊れてしまったあとであった。

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