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第零話 紅雪(こうせつ)――狂い咲く梅の記憶
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「いやぁーーっ! お母さまぁーーっ!」
母――沈氏の身体がゆっくりと後ろに傾いでいく。
太刀の軌道に沿って、あたりに飛び散った真っ赤な血が、純白の雪と混ざり合う。
その光景は恐ろしくも美しく、まるで、狂い咲いた梅の花びらが舞い散る姿に似ていた。
そうして血と雪の花びらは花見客を酔わせるように、甘く爽やかな香りを撒き散らしながら、沈氏の命と共に散っていった。
――初雪が降った日。
第四公主――白蘭花の人生は谷底に落ちた。
――蘭花たちに悲劇が訪れる日の前日。
冬めく秋麗の青空を眺めながら、白露寺を訪れているのは、御年十五になる、金国白王朝第四公主――白蘭花である。
赤子を身ごもってから臥せることが多くなった母――沈氏のために、蘭花は写経を納めに来ていた。
「それではお気をつけてお帰りください」
女僧は両手を合わせて頭を下げる。
「ありがとうございます」と、蘭花も両手を合わせて頭を下げた。
蘭花は侍女の小菊を伴い、寺の階段を降りていく。その姿を見つけた宮女たちが頭を下げる。
「……ねぇ。あの見事な銀糸の髪って、第四公主の蘭花様じゃない?」
「あたし本物の玉って見たことないけど、黄玉っていうのは、公主様の瞳のように美しいんじゃないかしら」
「スラリとした伸びやかなお身体に小作りなお顔。蘭花様って、天女様のようにお美しい方なのねぇ」
蘭花の容姿について称賛の言葉を囁く者がいる一方。
「……でも、見た目だけ完璧でもねぇ」
「そうよ。王族は白虎様の姿に転変できなきゃ、いる意味ないもの」
「ちょっと、それは言い過ぎよ」
蘭花の欠陥について扱き下ろす者もいる。
十五年も同じ言葉を聞き続ければ馴れるもので、蘭花はどこ吹く風で宮女たちの前を通り過ぎていく。
しかし、小菊は不服だったらしく、宮女たちを睨みつけて威嚇しながら歩いた。
蘭花は、普段冷静で大人しい姉代わりの小菊がいきり立つ姿を一瞥し、ハァと物憂げなため息をついた。
「……小菊。いつものことなんだから、放っておきなさい」
「しかし、」
「私が何故、お前を連れてきたか分かる?」
言って、じっと小菊を見つめる。小菊は視線を彷徨わせたあと、しゅんと肩を落とした。
「……小梅だと、言い争いを起こす可能性があるからです」
「その通りよ」
「言いたい者には、好きに言わせておけばいいの」と、蘭花は言った。
小菊は納得いかなそうな表情を浮かべる。今にも泣き出してしまいそうな小菊を見て、蘭花はクスッと笑った。
「そんな顔をしないで、小菊! 私は平気よ!」
「蘭花様……」
目尻を赤くする小菊に、蘭花はにこっと笑って、晴れた空を笑顔で見上げた。
「そんなことより! そろそろ赤子の性別が分かるって太医が言ってたじゃない! 妹かしら? それとも弟? 結果を聞くのが楽しみだわ!」
「ねっ?」と、蘭花は小菊に微笑みかける。
小菊は蘭花の笑顔につられるように、表情を明るくして、こくりと頷いた。
元気を取り戻した小菊を見て、ホッとした蘭花は、小菊の腕に自分の腕を絡ませる。
「さあ、早く帰りましょう!」
二人は姉妹のように、仲良く小走りで朧月堂を目指したのだった。
「お帰りなさいませ! 蘭花お姉様! 小菊!」
元気よく二人を出迎えたのは、蘭花にとって弟のような存在である太監の阿明だった。
「ただいま、阿明」
蘭花は、また少し背の高くなった阿明の頭をよしよしとなでた。
「阿明。太医は来てる?」
くすぐったそうに笑っていた阿明が笑顔で口を開く。
「つい先程帰られました!」
「赤子の性別はっ?」
にこっと笑った阿明の顔を見て、蘭花はパアッと満面の笑顔を浮かべた。
「私、お母様にお会いしてくるっ」
ダッと駆け出した蘭花に、阿明は、あっ、と手を伸ばす。
「お姉様! 転ばないように気をつけてくださいねっ」
「分かってるー!」
蘭花は元気よく答えて、阿明に向かって片手を振った。
「お母様っ、ただいま戻りました!」
元気よく敷居を跨いだ蘭花を見て、寝台の上で上体を起こしていた沈氏は、あらあらと頬に手を当てた。
「蘭花は今日も元気いっぱいね~。でも、あまり大きな声を出すと、あなたの弟が驚いてしまうわよ?」
言って、沈氏は愛おしそうに膨らんだ腹をなでる。
蘭花は大きな金色の瞳をキラキラ輝かせて、寝台に駆け寄った。
「おとうと!? 弟だったの? お母様っ」
蘭花が息巻いて訊ねると、沈氏はおっとり微笑みながら頷いた。
「『大変元気な王子殿下です』って言われたのよ~」
「どうりで、胎動が激しくて眠れないはずだわ~」と、沈氏はウフフと頬に手を当てた。
蘭花は寝台の足元に座り込んで、沈氏の丸々とした腹を擦った。
「そっか~、弟かぁ~」
「早く会いたい?」
「ええ! もちろんよ!」
「会えるのが楽しみねぇ~」と、沈氏と蘭花は笑い合う。そこに、蓋碗と点心を乗せた盆を持った、侍女の小梅と女官の玉容が現れた。
「蘭花様っ。王子殿下がお生まれになっても、あたしや小菊、阿明のことを忘れないでくださいねっ」
そう言いながら、卓子に蓋碗を置く小梅の脇を、玉容が肘で小突いた。
「主に向かってなんですか、その言い方は」
「玉容さん。……だって、なんだか寂しい気持ちになるんですもん」
いつも自分の思いを正直に口に出す小梅に向かって、蘭花は笑顔で手招きした。
「なに言ってるの! 小梅は私のお姉さん分なんだから、私の弟は小梅の弟でもあるのよ?」
そう言いながら、蘭花は小梅の手首を掴んで、沈氏の腹に触れさせる。すると――
「けっ、けけけ、蹴りましたっ」
初めての感覚に驚いた小梅が、両目をキラキラさせながら左手を見せてくる姿を見て、蘭花たちはプッと吹き出して笑った。
「な、なんで笑うんですかー」と、顔を真っ赤にしていた小梅も、最後は皆につられて笑顔で笑った。
「さあ、さあ。お腹の中の王子殿下を飢えさせてはいけませんからね。お茶と点心を用意しました。沈婕妤こちらにどうぞ」
「ありがとう、玉容」
沈氏は蘭花に支えられながら、ゆっくり歩いて卓子の元まで来ると、蘭花が引いた椅子の上に座った。
「……なんだかお母様。後ろにひっくり返りそうで怖いわ。――この背もたれのある椅子に座りましょうよ。小梅、座布団を持って来てくれる?」
「かしこまりました」
「やわらかいものをお願いね!」
「はーい!」
きびきびと指示を出す蘭花を、沈氏と玉容は温かい眼差しで見つめた。
「……蘭花様は、良いお姉様になりますわね」
「そうねぇ~、わたくしより、蘭花の方がしっかりしているから、弟ちゃんも安心ね~」
昼下がりの午後。
朧月堂は、温かで幸せな気運に満ちていた。
――はず、だった。
母――沈氏の身体がゆっくりと後ろに傾いでいく。
太刀の軌道に沿って、あたりに飛び散った真っ赤な血が、純白の雪と混ざり合う。
その光景は恐ろしくも美しく、まるで、狂い咲いた梅の花びらが舞い散る姿に似ていた。
そうして血と雪の花びらは花見客を酔わせるように、甘く爽やかな香りを撒き散らしながら、沈氏の命と共に散っていった。
――初雪が降った日。
第四公主――白蘭花の人生は谷底に落ちた。
――蘭花たちに悲劇が訪れる日の前日。
冬めく秋麗の青空を眺めながら、白露寺を訪れているのは、御年十五になる、金国白王朝第四公主――白蘭花である。
赤子を身ごもってから臥せることが多くなった母――沈氏のために、蘭花は写経を納めに来ていた。
「それではお気をつけてお帰りください」
女僧は両手を合わせて頭を下げる。
「ありがとうございます」と、蘭花も両手を合わせて頭を下げた。
蘭花は侍女の小菊を伴い、寺の階段を降りていく。その姿を見つけた宮女たちが頭を下げる。
「……ねぇ。あの見事な銀糸の髪って、第四公主の蘭花様じゃない?」
「あたし本物の玉って見たことないけど、黄玉っていうのは、公主様の瞳のように美しいんじゃないかしら」
「スラリとした伸びやかなお身体に小作りなお顔。蘭花様って、天女様のようにお美しい方なのねぇ」
蘭花の容姿について称賛の言葉を囁く者がいる一方。
「……でも、見た目だけ完璧でもねぇ」
「そうよ。王族は白虎様の姿に転変できなきゃ、いる意味ないもの」
「ちょっと、それは言い過ぎよ」
蘭花の欠陥について扱き下ろす者もいる。
十五年も同じ言葉を聞き続ければ馴れるもので、蘭花はどこ吹く風で宮女たちの前を通り過ぎていく。
しかし、小菊は不服だったらしく、宮女たちを睨みつけて威嚇しながら歩いた。
蘭花は、普段冷静で大人しい姉代わりの小菊がいきり立つ姿を一瞥し、ハァと物憂げなため息をついた。
「……小菊。いつものことなんだから、放っておきなさい」
「しかし、」
「私が何故、お前を連れてきたか分かる?」
言って、じっと小菊を見つめる。小菊は視線を彷徨わせたあと、しゅんと肩を落とした。
「……小梅だと、言い争いを起こす可能性があるからです」
「その通りよ」
「言いたい者には、好きに言わせておけばいいの」と、蘭花は言った。
小菊は納得いかなそうな表情を浮かべる。今にも泣き出してしまいそうな小菊を見て、蘭花はクスッと笑った。
「そんな顔をしないで、小菊! 私は平気よ!」
「蘭花様……」
目尻を赤くする小菊に、蘭花はにこっと笑って、晴れた空を笑顔で見上げた。
「そんなことより! そろそろ赤子の性別が分かるって太医が言ってたじゃない! 妹かしら? それとも弟? 結果を聞くのが楽しみだわ!」
「ねっ?」と、蘭花は小菊に微笑みかける。
小菊は蘭花の笑顔につられるように、表情を明るくして、こくりと頷いた。
元気を取り戻した小菊を見て、ホッとした蘭花は、小菊の腕に自分の腕を絡ませる。
「さあ、早く帰りましょう!」
二人は姉妹のように、仲良く小走りで朧月堂を目指したのだった。
「お帰りなさいませ! 蘭花お姉様! 小菊!」
元気よく二人を出迎えたのは、蘭花にとって弟のような存在である太監の阿明だった。
「ただいま、阿明」
蘭花は、また少し背の高くなった阿明の頭をよしよしとなでた。
「阿明。太医は来てる?」
くすぐったそうに笑っていた阿明が笑顔で口を開く。
「つい先程帰られました!」
「赤子の性別はっ?」
にこっと笑った阿明の顔を見て、蘭花はパアッと満面の笑顔を浮かべた。
「私、お母様にお会いしてくるっ」
ダッと駆け出した蘭花に、阿明は、あっ、と手を伸ばす。
「お姉様! 転ばないように気をつけてくださいねっ」
「分かってるー!」
蘭花は元気よく答えて、阿明に向かって片手を振った。
「お母様っ、ただいま戻りました!」
元気よく敷居を跨いだ蘭花を見て、寝台の上で上体を起こしていた沈氏は、あらあらと頬に手を当てた。
「蘭花は今日も元気いっぱいね~。でも、あまり大きな声を出すと、あなたの弟が驚いてしまうわよ?」
言って、沈氏は愛おしそうに膨らんだ腹をなでる。
蘭花は大きな金色の瞳をキラキラ輝かせて、寝台に駆け寄った。
「おとうと!? 弟だったの? お母様っ」
蘭花が息巻いて訊ねると、沈氏はおっとり微笑みながら頷いた。
「『大変元気な王子殿下です』って言われたのよ~」
「どうりで、胎動が激しくて眠れないはずだわ~」と、沈氏はウフフと頬に手を当てた。
蘭花は寝台の足元に座り込んで、沈氏の丸々とした腹を擦った。
「そっか~、弟かぁ~」
「早く会いたい?」
「ええ! もちろんよ!」
「会えるのが楽しみねぇ~」と、沈氏と蘭花は笑い合う。そこに、蓋碗と点心を乗せた盆を持った、侍女の小梅と女官の玉容が現れた。
「蘭花様っ。王子殿下がお生まれになっても、あたしや小菊、阿明のことを忘れないでくださいねっ」
そう言いながら、卓子に蓋碗を置く小梅の脇を、玉容が肘で小突いた。
「主に向かってなんですか、その言い方は」
「玉容さん。……だって、なんだか寂しい気持ちになるんですもん」
いつも自分の思いを正直に口に出す小梅に向かって、蘭花は笑顔で手招きした。
「なに言ってるの! 小梅は私のお姉さん分なんだから、私の弟は小梅の弟でもあるのよ?」
そう言いながら、蘭花は小梅の手首を掴んで、沈氏の腹に触れさせる。すると――
「けっ、けけけ、蹴りましたっ」
初めての感覚に驚いた小梅が、両目をキラキラさせながら左手を見せてくる姿を見て、蘭花たちはプッと吹き出して笑った。
「な、なんで笑うんですかー」と、顔を真っ赤にしていた小梅も、最後は皆につられて笑顔で笑った。
「さあ、さあ。お腹の中の王子殿下を飢えさせてはいけませんからね。お茶と点心を用意しました。沈婕妤こちらにどうぞ」
「ありがとう、玉容」
沈氏は蘭花に支えられながら、ゆっくり歩いて卓子の元まで来ると、蘭花が引いた椅子の上に座った。
「……なんだかお母様。後ろにひっくり返りそうで怖いわ。――この背もたれのある椅子に座りましょうよ。小梅、座布団を持って来てくれる?」
「かしこまりました」
「やわらかいものをお願いね!」
「はーい!」
きびきびと指示を出す蘭花を、沈氏と玉容は温かい眼差しで見つめた。
「……蘭花様は、良いお姉様になりますわね」
「そうねぇ~、わたくしより、蘭花の方がしっかりしているから、弟ちゃんも安心ね~」
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