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【1day】

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光一と共に自宅に戻り、制服に着替えて登校した詩音が学校に着いたのは、昼休みが始まるチャイムとほとんど同時だった。

道中はお互いにほとんど話をしなかったが、並んで歩く二人の間にはやわらかな空気が流れ、話す必要を感じないほどであった。

師匠、理香子を襲ったおぞましい出来事を相談するのは流石に躊躇われたのでしていない。
と言うより、例え師匠であろうが、他の女の話など光一とはしたくなかった、と言うのが本音だった。

職員室で遅刻の理由を体調不良と説明し、短い言葉を交わして光一と別れ、自分の教室に入った。
昼休みの喧騒に包まれた教室の中、窓際最後尾の自分の席につこうとするが、詩音が来ないものと思っていた他の生徒たちが席の周りに島をつくって弁当を広げていた。

相変わらず光一以外の人間とは上手く付き合えない詩音は、教室でも浮いた存在だった。

詩音の事が新聞やメディアで取り上げられるようになると、関係は改善するどころかますます溝は深まり、いじめたり無視したりする者こそ居なかったものの、積極的に関わってくる者もまた居なかった。

詩音自信もそれでよいと思っている。
もとより人は苦手なのだ。

詩音は振り向いて教室を出ていった。

夏の屋上は日差しを遮るものほとんど無く、普段は賑わうこの場所もこの時期に好んでくる者は居ない。
給水塔の僅かばかりの影に持参のビニールシートを広げて腰を下ろし、昨晩のうちに母が用意してくれた弁当を開く。

今ごろ光一は友人達に囲まれて賑やかに弁当を食べているのだろう。
何時もならそれを考えると胸のなかを風が通りすぎていくのだが、今は違う。
朝の出来事で光一との間に、強い心の繋がりを感じることができた。

何時もと変わらない光一の姿。
でも、ここに居ない彼と私は確かに繋がっている。
誰もその事を知らない。

その事が嬉しくて、くすぐったくて、何だかじっとしていられない。
知らず顔はにこにこと笑みを湛え、もじもじと身体を揉んでいた。

そんな時、スマホの着信が鳴った。
母からのSNSアプリ、Limeの着信音だ。

珍しい、と思った。
母は細かい操作が苦手で、SNSやメールを使うくらいなら電話を掛けて来る人なのだけれど。

師匠は大丈夫だったろうか。
別れ際の母の様子も、今思えば何だかおかしかったような気もする。
急いでスマホを取り出し、アプリのボタンを押す。

「・・・なに、これ・・・?」
画面には、細かく区切った文字列がいくつも並んで表示されていた。

「8」
「20」
「20」
「16」
「19」
「U+003A」
「(U+002F)×2」
「(23)×3」
「U+002E」

次々と送られて来る文字列。
全く意味が解らない。

・・・スマホが何かの拍子でSNSに切り替わって、何かが画面にでたらめに接触してる・・?
そんな事があるのだろうか。

訳が分からないまま画面を眺めていると、小さなファイルが送られてきてそれを最後に文字列は送られてこなくなった。

何だろう、♪マークが入っているので、音楽ファイルだと思われるが・・。
ファイルを押し、スマホを耳につけた。

「「お゛☆ッんぽォ○お゛△おオオオッ!!❤️❤️」」

「ひいっ!?」

音割れするほどの、あまりの大音量に思わずスマホを取り落とした詩音。

ビックリしすぎて何だかわからなかったが、二人の絶叫が重なっていたように思えた。

早鐘を打つ心臓を手で押さえ、恐る恐るスマホを拾う。
音声ファイルはごくごく短いもので、再生は先ほどの一瞬で終わっていた。

「何なのよ・・・」

不気味な感覚に思わず身震いを覚える。

母に電話をかけてみようと思うが、恐ろしい不安感が沸き上がってきて、何故か躊躇われた。

逡巡した挙げ句、光一にかけてしまった。
やっぱり切ろうかとおもったが、彼は間を置かず出てくれた。

「どうした?」

「えっと、あの・・・変な、連絡が来て、ちょっと、その、恐く、なって・・」

「直ぐ行く。屋上だな?電話はこのまま繋いでろ」

「うん、ありがと・・でもごめん、友達と一緒なのに、迷惑・・」

「二度と迷惑だなんて言うな。寂しいジャマイカ。昼飯はもう喰ったのか?」

「ううん、今から食べようと思ってたところ」

「よし、俺も昼持っていくからそこで食べよう。信乃さんの料理は美味いしな、弁当一つじゃ足りないと思ってたんだ」

「ええ!?あげないよ、私だって体育会系女子なんだから!それにアンタ、遠慮を知らないでしょ」

「遠慮と後悔と空気を読む力は、神様が持たせ忘れたんだ。あきらめろ」

そのセリフと同時に屋上の扉が開き、陽炎の向こうに揺らぐ光一の姿が見えた。
不安だった気持ちが、すう、と落ち着いていくのが解る。

ビニ-ルシ-トを半分譲り、横に座った光一は手に何も持っていなかった。

「あれ、光一、お弁当は?」

「ん?ああ、もう喰っちまったんだ。それより何があった?」

「あ、うん、母さんから変なメッセージが来てさ。なんか、不気味で恐くなって・・・」

詩音はメッセージ画面を光一に見せた。

「・・・ふむ、なるほど。ちょっとそれ、丸ごとこっちに転送してくれ」

暫く画面を見つめた光一は、自分のスマホを取り出して言った。
詩音は言われた通りにメッセージをコピーして光一のトークに貼り付けた。

「この、ファイルは?」

「解らないんだよ、音声ファイルなんだけど、凄い音割れしちゃって。何かを叫んでるような感じはするんだけど・・・」

光一は音量を落とし、スピ-カ-を耳に当ててファイルを再生してみる。
暫く黙って、彼がそのファイルを数度再生するのを詩音はじっと見守った。
光一がスマホを耳から離した。気のせいか、顔が険しい。

「ね、なんだったの・・・?」

「・・・良く解らないが、ファイルはウィルスが入ってるかも知れない。その文字列も、ファイルも消した方が良い」

「ええ?お母さんのスマホからウィルス?」

「たぶん、なりすまし、だ。誰かが信乃さんのアカウントを乗っ取ったんだろう。信乃さんは、こういうのに疎いからな」

その直後、詩音のスマホに、信乃からのLime経由の電話が鳴った。
出ようとする詩音からスマホをひったくり、光一が立ち上がる。

「ちょ、ちょっと光一!」

「タイミングが怪しすぎる。コイツはきっと信乃さんじゃない。もし本物なら変わるから、俺に出させてくれ」

そう言って光一はスマホを持ったまま詩音から離れ、屋上の中程で立ち止まると、応答ボタンを押して耳に当てる。

・・自分に聞かせないように離れたのだろうか。解らないが、とにかく光一に任せることにした。

灼熱の太陽が照り付ける屋上のど真ん中は、ゆらゆらと陽炎が立ち昇って光一を包んでいる。

長い。と言うか、時間の感覚が解らない。

彼の影は殆ど真下に落ちて、音も無い真っ白い世界に二人だけ取り残されたような不思議な感覚を覚えながら、詩音はじっとりと汗ばんだ額をハンカチで拭う。

やがて、光一は耳に当てていたスマホを降ろし、こちらへと歩いて来た。
詩音が新しいハンカチを差し出すと、光一もスマホを差し出してお互いに交換した。

「母さんじゃなかったの?」

「・・・・」

「光一?」

「ああ、すまん。その、何て言うか・・・、酷いいたずら電話だった」

「いたずらだったの?」

「・・・ああ。なあ詩音、信乃さんって、お前に電話するときLime使って掛けてくるのか?」

「あ、そう言えば、Lime電話使ったこと無いね。そもそも母さんLime嫌いだし、掛けるときは普通の電話だよ」

「・・・そうか」

光一は貰ったハンカチで汗を拭くでもなく、手の中で弄びながら何かを考えている。
いつになく真剣な表情に、詩音も声をかけられなかった。

「詩音、もしこれから先信乃さんからLime電話が来ても出るなよ。それから、メッセージも無視して、来たやつは全部俺に送れ。良いな?」

「う、うん、わかったよ。・・・ねえ、母さん変なことに巻き込まれてないよね?」

不安で声が上ずる詩音の頭に、光一の大きな手がふわりと被された。

「心配するな、こう言うの良くあるんだよ。アカウント乗っ取って、金券送らせようとしたり嫌がらせしたり、ってね。それに、信乃さんならしっかりしてるから大丈夫。おっちょこちょいのお前と違ってな」

「おっちょこちょいは余計だよ・・・。でも、ありがと。光一がそう言うなら、きっと大丈夫よね。お礼に、私の少し食べる?」

「お、いいね。いただこう。なあ、お前は料理作らないの?」

「え、あたし?うーん、母さんとは生活サイクル合わないから、手伝いもしたこと無いしなあ。・・あ!でもね、サッポロ八番塩ラーメンなら、めっちゃ色んなバージョン作れるよ!味噌味とか!」

「・・・うーむ、我が幼馴染みながら手強い。どうツっこむべきか」

苦笑いをしながら、先ほどの電話の内容を思い出す光一。
信乃さんの事は、よく知っている。
あんなものは偽者だ。

『い、家に帰った・・あンッ!かしら・・ぁ、母さんッ・・ちょっと!や、あッ!あッ!あッ!んむむむ・・・っ!ひいぃ、あ゛あ゛ンッ!❤️・・・!・・オ゛ッ!❤️・・・!・・っはンッ、ひぃ、ひいぃ❤️、あはぁ、はぁ、き、今日、はぁ、ああっ、そこイヤぁ!きっ、急な仕事で帰れないごめんなさ、あ゛ーッ!!❤️』

そこで通話は一方的に途切れた。
何となく信乃さんっぽい声ではあるが、恐らく何処かのAVから抜き出してきたモノにエフェクターを通したものだろう。
現実味が無さすぎる。

全く、とんだ嫌がらせだ。
詩音には、絶対聞かせたくないな。
こいつには、いつも笑っていて欲しい。
そして、その笑顔の元が俺なら、こんな嬉しいことはない。

「それでね、味噌味にしたら、間違ってバター落っことしちゃってさ、それがね、もうね、すっごく美味しかったの!信じられる?味噌にバターだって!」

「それって、もとは」

「うん、塩ラーメン!あたしって、天才かも!」

「ある意味、そうだな」

味噌バター、なんてポピュラーなものだか、こいつはコンビニやラーメン屋には気軽に行かない。教えてやるのも野暮だろう。
いつか一緒に味噌バター味の塩ラーメンを食べて、笑い合えればそれでいい。

~♪

「あ、また・・」

そうこう話していると、また着信音が鳴る。
信乃さんのLimeのようだ。
一応、二人でメッセージを確認する。

『急な仕事でこのままいかいます今日はひ帰れないかもしません新はいしなおで』

「・・・なんか、慌てて打った感じだな」

「うん、でも、母さんのメッセージって毎回テキトーだから、こんな感じかも。新はいしなおで、は、良くあるよ。心配しないで、ってこと」

「ふむ、そっか。まあ、これは本人からかもなぁ。だとしたら、やっぱり心配無いんじゃないか?帰ってきたら、アカウント作り直してあげると良いよ。それまで変なメッセージは無視、Lime電話は出ない様にする」

「うん、そうする。光一、ありがとね!」
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