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第13話:クロノスの真実――手帳に宿る神の想い
心も体も疲れ切っているというのに、その夜、わたくしは眠れずにいた。
手帳を胸に抱きしめたまま、天井を見つめる。
手帳がほのかに温かくなり、ふわりと光を放った。
不思議な感覚――わたくしの意識は、ゆっくりとどこかに落ちていく。
気づけば、わたくしは色とりどりの美しい花畑に立っていた。
なんて美しい光景だろうと目を奪われていると、
『エレノア……』
と、わたくしを呼ぶ声がした。
声の主は、クロノス様だった。
審議のときと同じ、白銀の髪と蒼い瞳。
けれど今のクロノス様は、どこか柔らかい雰囲気を纏っている。
「クロノス様……ここは……?」
『ここは、そなたの心の中の世界……そなたの心は、本当に美しい……』
「ここが、わたくしの心の中の世界……?」
『あぁ、そうだ。そなたに似合いの、美しい場所だ』
頷いたクロノス様は、ゆっくりと歩み寄り、わたくしが持つ手帳に触れる。
『この手帳の名は、クロノス・ダイアリー。我が宿りし手帳であり、代々クロノ公爵家に受け継がれてきたものだ』
「代々……?」
『そなたの祖母も、そのまた祖母も、この手帳を持っておった……。真実を記す者を、我はずっと見守ってきた。そして――そなたは、その中でも特別な存在だ』
「特別……? わたくしが、ですか?」
クロノス様は、わたくしを優しく見つめた。
『エレノア……そなたはこのクロノス・ダイアリーに、そなたの時を記し続けた。そなたの前の持ち主たちも、同じように時を記し続けていたが、皆途中でやめてしまった。だがそなたは、クロノス・ダイアリーを手にしてから、ずっと時を記し続けている……我はそんなそなたを好ましく思い、ずっと見守ってきたのだ』
この手帳――クロノス・ダイアリーは、わたくしが子供の頃、おばあ様から譲り受けたものだった。
あれは、字を覚えてすぐの頃……おばあ様がわたくしに、
『字を書くのが楽しいのなら、ここにあなたの予定や、思ったことを書くようにしたらどうかしら?』
と言って、プレゼントしてくれたのだ。
わたくしは嬉しくて、それから毎日、予定を、その日の出来事を記していった。
自分が好きで続けていただけのことなのに、それがクロノス様が評価してくださっていたなんて。
『エレノア。そなたは、我が選んだ愛しい乙女。そなたの心は澄み、強く、優しい。そなたには……幸せになってほしいと思っている』
胸が熱くなる。
神にそう言われるなど、思ってもみなかった。
「……わたくしは……幸せになれるのでしょうか」
『なれるとも。だが――』
クロノス様の瞳がわずかに曇る。
『そなたの疑いを晴らすため、我は姿を現した。我がそなたを気にかけていることが明らかになった今、この国は……王家は、そなたを手放すまい。そしてあのアレクシスという王子も、そなたを利用しようとするだろう』
「そんな……」
胸が締めつけられる。
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『エレノア……これから、様々な出来事が起こるだろう……。だが、此度の疑いを晴らそうとしたように、諦めずに立ち向かうのだ。我は、そなたを見守っている。そなたの家族もだ。そして――真にそなたを愛する者がいる……』
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その言葉に、ウイリアム殿下の顔が浮かんだ。
どうして……ウイリアム殿下の顔が思い浮かんだのだろう。
あの方にとってわたくしは、五つも年上の女であるというのに。
『エレノア……』
クロノス様が、優しく蒼の瞳を細めて微笑んだ。
『エレノア。そなたの未来は、まだ定まっておらぬ。だが、そなたが選ぶ道を、我は守ろう』
光が強まり、意識が遠のいていく。
『……幸せになれ、エレノア。我はそなたを、見守っている……』
その声を最後に、わたくしの意識はまた深く沈んでいった。
胸に抱いた手帳は温かく、わたくしを守ろうと寄り添ってくれているようだった――。
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