曰く、様子のおかしい攻略対象は学園乙女ゲームを抜本的に掻き回す

しもたんでんがな

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魂を震わせる愛

不可避な口火

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「ゆうせええええ!危ないっ!」



———ドオンッ

湿気と体温で蒸し上がった体育館。割れんばかりの声援が一瞬の静寂の後、響めきに変わる。つんざくような耳鳴りがいつまでも鳴り止まない、そんな気がした。

方々から甲高い悲鳴が散らばり、不本意にコートを揺らす。途端その場に存在しない筈の赤が突如しぶきを上げた。その場にいる誰もが騒めきの根源を探す。高揚と不安を孕んだ瞳は益々の恐怖を煽り、ざわめきが波のように笠を増してゆく。

何処かで軽快な音がする。感情と思考の間、まるで踊っているようだ、誰かが思った。小さな身体を容赦なく突き飛ばしたオレンジが、床を大きく跳ね上がり過分にその身を主張しながら客席へと逃げていく。しかし、それを追うものは誰一人として居ない。混乱の中、その場にいた殆どがある一点を見つめていた。


「いとしっ」


暑い。身体のどこもかしこもジンジンと凄く熱い。僕の思考に便乗して全身がアイスちょうだいって叫んでるみたいだ。半身から伝わるひんやりとした冷たさがとても心地良い。チカチカと瞬く視界、いつの間にか目線が傷だらけの床と同じ高さになっていた。目の前には先日発売になったばかりの、ずっと欲しかった限定バッシュが見える。何時間も並んでやっと整理券をもらって、当選したら買えるとっておきのやつ。僕はどうせ当たらないって諦めた少し苦いやつ。運動場へ向かうバスの中、うましかの友誠が鬱陶しいくらい自慢してきたそれは傷ひとつ無い新品ピカピカだった。

視界に入るエンブレムの輝きが、痛いくらいに眼球と心を刺激する。白と赤と黒。つんざくような新品の革の匂いが僕の欲を煽った。あぁやっぱり格好良い。あぁやっぱり欲しかった。ちゃんと欲しいって言えば良かった。それは数刻前、軽快にシュートを決めた友誠にとても良く似合っていた。

僕は、そのバッシュを見てやっと一瞬、意識が遠い場所にいっていた事に気が付いた。


「いとしっいとし!」


忙しない足音だけで最早、誰だか分かる。うましかだ。うんざりするくらい見慣れた小さな影が、狭まる視界に広がった。忙しなく心配そうな声と共に、集まる人がぎゅうぎゅうと重なり僕を覆う影が一層二層と黒を厚くする。

思わず呆気に取られた。下から横目に見える皆んなの顔がちょっと怖い。そして、ちょっとだけうるさい。ちょっとだけね。ボールがぶつかったくらいで大袈裟だ。どこもちっとも痛くないんだから。あと3ポイントで逆転できるのに。早く僕をコートから出して試合をはじめて欲しい。なんたって今日は特別なんだ。試合に勝ったら父さんが遊園地に連れて行ってくれるって約束したんだっ。

騒然とする中、ひとりの声だけが僕の心にずっと届いていた。


「いとしぃっ」


やっぱりうましかはうましかだ。何泣いてんだよ。男は泣くなって言ってたの友誠じゃんか。


「いとしっいとしぃ···」


何でそんな悲しそうな顔してるの。どっか痛いの。怪我したの。泣かないでよ。また一緒にアイス食おう。氷のグレープフルーツ味の旨いのか不味いのかよく分かんないやつ。だからお願い泣きやんで。僕の分まで···俺の分まで試合勝ってくれよ。

「···ぉ········?」

チームメイトや監督が青ざめた顔で見守る中、救護員の用意した担架にゆっくりと運び込まれる。騒然とする観衆とは裏腹に、僕は憧れていた水色のそれに乗れた事がちょっと、いやかなり嬉しかった。欲を言ってしまうとオレンジが良かったけど。この喜びを伝えられない事が何とも忍びない。声が出たら皆んなの顔もきっと晴れるのに。心配しなくても良い。寝ればすぐ治る。僕は大丈夫。

しかし意思に反して既に寝転んでいる筈の身体は、いつまで経ってもその寝心地を体感出来る事がなかった。チカチカと煌めく世界の中、きっと硬くて大した事はないんだろうなと僕は思った。

そして僕は少し焦った。

世界が輝き過ぎている。見える皆んなの表情とは裏腹に、その瞳はまるで少女漫画のようにキラキラと不自然なほど輝いていた。何もかもが眩しくて仕方がない。

声を掛けられながら手際よく腕や脚を固定されるも、何も感じなかった。窮屈さも快適さもない。無だ。圧迫感から解放された小さな身体は、まるで浮遊しているようにさえ思えた。痛みの限界を超えたのか、どこかの神経が切れているのか、その原因はまだ誰にも分からない。しかし僕に降り注ぐ見知った視線は段々と絶望や悲哀が濃くなっていくように感じた。案外、俺はまずい状態なのかもしれない。


「いとしいいいっ!」


涙を拭いてやりたいのに指の一本も動かせない。

お願い、泣かないでよ。そんな悲しそうな顔しないで。お願いだよ。良い加減、うましかが馬鹿になってしまうよ。僕はそんな顔が見たかったわけじゃないんだ。

吐き出される息は声にはなれず、口元で籠もって震えるだけだった。

しょっぱい、ばっちい。くすぐったいよ、ゆうせい。

どうやら首から上の感覚はあるらしい。口の中に友誠の涙が入り込み、黒色の硬い髪が乱暴に頬を擽った。余りの擽ったさに、漏れる息が益々震える。さっきまで汗が止まらないくらい暑かったのに、今は反対に酷く寒い。意図せず視界が揺れる、この感覚に既視感を覚えるも、思い出せる事は何もなかった。

眠くもないのにもう、引っ付こうとする瞼に抗えない。目が覚めたら友誠とアニメの続きを観よう。試合の結果も聞かなきゃな。俺は少しウキウキしながら薄れる意識をゆっくりと手放した。




『頼む、死んでくれ。俺を開放してくれよ』




かつて放たれた悲痛な友の叫びを微かに感じながら。










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