1 / 23
魂を震わせる愛
不可避な口火
しおりを挟む「ゆうせええええ!危ないっ!」
———ドオンッ
湿気と体温で蒸し上がった体育館。割れんばかりの声援が一瞬の静寂の後、響めきに変わる。つんざくような耳鳴りがいつまでも鳴り止まない、そんな気がした。
方々から甲高い悲鳴が散らばり、不本意にコートを揺らす。途端その場に存在しない筈の赤が突如しぶきを上げた。その場にいる誰もが騒めきの根源を探す。高揚と不安を孕んだ瞳は益々の恐怖を煽り、ざわめきが波のように笠を増してゆく。
何処かで軽快な音がする。感情と思考の間、まるで踊っているようだ、誰かが思った。小さな身体を容赦なく突き飛ばしたオレンジが、床を大きく跳ね上がり過分にその身を主張しながら客席へと逃げていく。しかし、それを追うものは誰一人として居ない。混乱の中、その場にいた殆どがある一点を見つめていた。
「いとしっ」
暑い。身体のどこもかしこもジンジンと凄く熱い。僕の思考に便乗して全身がアイスちょうだいって叫んでるみたいだ。半身から伝わるひんやりとした冷たさがとても心地良い。チカチカと瞬く視界、いつの間にか目線が傷だらけの床と同じ高さになっていた。目の前には先日発売になったばかりの、ずっと欲しかった限定バッシュが見える。何時間も並んでやっと整理券をもらって、当選したら買えるとっておきのやつ。僕はどうせ当たらないって諦めた少し苦いやつ。運動場へ向かうバスの中、うましかの友誠が鬱陶しいくらい自慢してきたそれは傷ひとつ無い新品ピカピカだった。
視界に入るエンブレムの輝きが、痛いくらいに眼球と心を刺激する。白と赤と黒。つんざくような新品の革の匂いが僕の欲を煽った。あぁやっぱり格好良い。あぁやっぱり欲しかった。ちゃんと欲しいって言えば良かった。それは数刻前、軽快にシュートを決めた友誠にとても良く似合っていた。
僕は、そのバッシュを見てやっと一瞬、意識が遠い場所にいっていた事に気が付いた。
「いとしっいとし!」
忙しない足音だけで最早、誰だか分かる。うましかだ。うんざりするくらい見慣れた小さな影が、狭まる視界に広がった。忙しなく心配そうな声と共に、集まる人がぎゅうぎゅうと重なり僕を覆う影が一層二層と黒を厚くする。
思わず呆気に取られた。下から横目に見える皆んなの顔がちょっと怖い。そして、ちょっとだけうるさい。ちょっとだけね。ボールがぶつかったくらいで大袈裟だ。どこもちっとも痛くないんだから。あと3ポイントで逆転できるのに。早く僕をコートから出して試合をはじめて欲しい。なんたって今日は特別なんだ。試合に勝ったら父さんが遊園地に連れて行ってくれるって約束したんだっ。
騒然とする中、ひとりの声だけが僕の心にずっと届いていた。
「いとしぃっ」
やっぱりうましかはうましかだ。何泣いてんだよ。男は泣くなって言ってたの友誠じゃんか。
「いとしっいとしぃ···」
何でそんな悲しそうな顔してるの。どっか痛いの。怪我したの。泣かないでよ。また一緒にアイス食おう。氷のグレープフルーツ味の旨いのか不味いのかよく分かんないやつ。だからお願い泣きやんで。僕の分まで···俺の分まで試合勝ってくれよ。
「···ぉ········?」
チームメイトや監督が青ざめた顔で見守る中、救護員の用意した担架にゆっくりと運び込まれる。騒然とする観衆とは裏腹に、僕は憧れていた水色のそれに乗れた事がちょっと、いやかなり嬉しかった。欲を言ってしまうとオレンジが良かったけど。この喜びを伝えられない事が何とも忍びない。声が出たら皆んなの顔もきっと晴れるのに。心配しなくても良い。寝ればすぐ治る。僕は大丈夫。
しかし意思に反して既に寝転んでいる筈の身体は、いつまで経ってもその寝心地を体感出来る事がなかった。チカチカと煌めく世界の中、きっと硬くて大した事はないんだろうなと僕は思った。
そして僕は少し焦った。
世界が輝き過ぎている。見える皆んなの表情とは裏腹に、その瞳はまるで少女漫画のようにキラキラと不自然なほど輝いていた。何もかもが眩しくて仕方がない。
声を掛けられながら手際よく腕や脚を固定されるも、何も感じなかった。窮屈さも快適さもない。無だ。圧迫感から解放された小さな身体は、まるで浮遊しているようにさえ思えた。痛みの限界を超えたのか、どこかの神経が切れているのか、その原因はまだ誰にも分からない。しかし僕に降り注ぐ見知った視線は段々と絶望や悲哀が濃くなっていくように感じた。案外、俺はまずい状態なのかもしれない。
「いとしいいいっ!」
涙を拭いてやりたいのに指の一本も動かせない。
お願い、泣かないでよ。そんな悲しそうな顔しないで。お願いだよ。良い加減、うましかが馬鹿になってしまうよ。僕はそんな顔が見たかったわけじゃないんだ。
吐き出される息は声にはなれず、口元で籠もって震えるだけだった。
しょっぱい、ばっちい。くすぐったいよ、ゆうせい。
どうやら首から上の感覚はあるらしい。口の中に友誠の涙が入り込み、黒色の硬い髪が乱暴に頬を擽った。余りの擽ったさに、漏れる息が益々震える。さっきまで汗が止まらないくらい暑かったのに、今は反対に酷く寒い。意図せず視界が揺れる、この感覚に既視感を覚えるも、思い出せる事は何もなかった。
眠くもないのにもう、引っ付こうとする瞼に抗えない。目が覚めたら友誠とアニメの続きを観よう。試合の結果も聞かなきゃな。俺は少しウキウキしながら薄れる意識をゆっくりと手放した。
『頼む、死んでくれ。俺を開放してくれよ』
かつて放たれた悲痛な友の叫びを微かに感じながら。
1
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら兄たちに溺愛されました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2:10分に予約投稿。
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸にクリスがひたすら愛され、大好きな兄と暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスは冤罪によって処刑されてしまう。
次に目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過保護な兄たちに可愛がられ、溺愛されていく。
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな気持ちで新たな人生を謳歌する、コミカル&シリアスなハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる