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己を知らぬ大魔法使い

28、いつか知る彼らが愛した色の話をしよう

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夕日が沈み、蝋燭が灯され始める青の刻。

女性では珍しい、壁ぎっしりに並べられた本の山。この書斎の主である、マライヤ=リマインダーの穏やかで芯のある声が部屋中に響いた。

「{いるかしら}」

「{リマインダーと白に平穏と安らぎを}」

ここ数日マライヤの胃をキリキリさせている、リマインダー家当主への挨拶が室内の空気を重くさせる。

静まり返った書斎に今朝、庭で摘まれたばかりの大輪の花が生けられ、アールグレイの香りが辺りを優しく漂う。決まった時間に執事、カルドネが激選した紅茶と一口サイズのマカロンを二つ嗜む。この一時が、現在仮の舘主であるマライヤにとって唯一、気の休める時間となっていた。

「{白が純白であらんことを}」

慣れない言葉に銀朱が静かに震える。

「{カルドネ、旦那様はいつお戻りになるのかしら?}」

綺麗に陳列された本を背に、まるでその風景と同化するように佇み、主の動向を伺っていた執事、カルドネが訝しげに答える。

「{はい、奥様。既に魔導鳩を出してはおりますが、旦那様からの返答は未だなく。王都からお戻りになるには、早くても5日後になるかと···}」

「{······そう}」

マライヤの顔がまた『あの顔』になる。

今日はどの何度目の話を仰るのだろう、カルドネの憂いは紅茶の湯気と共に天高くへと上っていく。

チェスプリオ大陸、東部の約3割を占める大国、ワイトホープ王国。その中の四大公爵家として君臨し、王国の南部一帯を賜っているリマインダー公爵家。又の名を『白』の紋章を唯一許された者。

その紋章はあまりに抽象的で、かつ具体的である。歪な図形に白一色のそれはリマインダーの名の下『かの者』と寄り添う為だけに生まれた。それは同時に、王国から『白』が『魔法』が、そして『かの者』が消えた事を意味している。リマインダーは終わりに生まれ、はじまりに生まれた。故にリマインダーの歴史は王国の歴史と言っても過言ではない。

大陸が業火の戦乱に見舞われた先刻。国ならざる地に住まう人類は統率も取れず、なす術なく蹂躙された。言葉なき魔獣に溢れ、魔の者が闊歩した血の海。かつてそこには、色とりどりの花が咲いていた。空は毒をはらんだ涙を流し、赤黒く染まったその地は、色を、痛みを、そして感情を失った。最早、どんな花が咲いていたのか、思い出せる者は誰もいなかった。人が物と化した地。そこは昼も夜も公平に黒かった。

そんな中突如、矢面に立つ者が現れる。

魔法使い、イェルハルド。

彗星のごとく現れた、その名しか持たぬ魔法使いは、魔族を退け、他の大陸からの侵略を退けた。

言い伝えでは、共に戦った名もなき戦士の末裔がワイトホープ王国の現王、15代国王、シズレー=ベルベ=ワイトホープとされている。

その折り、ワイトホープ王国南部の広大な領地とフォーラナー、先駆者の称号を賜ったイェルハルドは、公爵の爵位を与えられたとされている。しかし真実を知る者は存在しない。現にどの文献を読み解いても、華々しい功績しか記されておらず、当時のイェルハルド=フォーラナーが突然、脈略もなく姿を眩ませた事が窺える。

その後何度、王や家臣が入れ替わろうと広大な土地の先頭に立ち、粛々とその役割を果たし続けてきたのが、消失のフォーラナーに変わり、南部を任された仮の主リマインダーである。同じく煌々とそびえるその城もまた、この地を今もなお守り、かの者を待ち続けている。

大魔法使いによってつくられた、最初で最後の作品。

『最後の白』人々は敬愛を込めてそう呼んだ。

元は天空より高い魔塔として生まれた『最後の白』は、大戦の終焉と、これより続く平和と繁栄の象徴としてつくられた。いや、正確に言えばつくり替えたと言えようか。魔法の消失と共に達磨落としの如く、なんの躊躇もなく輪切りにされた塔は、たちまち城へと変貌した。その悲痛で訴えかけるような地響きは、大戦で流れた沢山の赤を労うように、植物を芽生えさせ、海をもつくり、数多の生物を呼び寄せたとされている。

家紋の白く歪な図形は、その様を天空から覗いた姿を模していた。

そして『最後の白』後方に広がる広大な土地には、ナニカが広がっているとまことしやかに囁かれている。

ある者は森が、ある者は海が、またある者は数千、数万もの墓場があるという。

しかし、その正体を知る者はリマインダー公爵家の当主のみ。リマインダーは『最後の白』に寄り添い、今なおそのナニカを守り続ける。それ故、リマインダー公爵家は人々から『エクリュ』限りなく白に近い者と呼ばれてきた。

「{はぁ、旦那さ、ま、だ、んなさ、ま~}」

エクリュの貴婦人が、机に積まれた書類を機械的に捌いていく。段々とリズムに乗る指先。小刻みに揺れる頭の銀細工。銀朱の口元は楽しげに憂さを晴らしている。疲労が溜まると歌い出すのは、マライヤの癖だ。

スイッチが入ってしまった、カルドネは眼球に溜まった疲労を感じつつ無意識に鼻をヒクつかせた。

「{本日はチャチャチャでしょうか?}」

マライヤの疲労は鼻歌の種類でその度合いが容易に測れる。今日はチャチャチャ。8段階中の3だ。細かく分けるとジャイブ<クイックステップ<チャチャチャ<ルンバ<スローフォックストロット<サンバ<タンゴ<ワルツ。カルドネの脳内ではここから更に細分化されている。何故なら最高ランクのワルツを歌い出したら、三日は手が付けられなくなるからだ。

しかし21年仕えてきたカルドネでさえ、それを体験したのは2回だけ。1度目は旦那様こと某当主がどこぞの自称オリヴィアなる娘に入れ込み、私産と金属鉱山を含む領地を巻き上げられそうになった時。その時は、数名のメイドも絡んでおり、その後芋づる式に様々な事が発覚した。最終的に、裏には敵対する北西部の貴族が絡んでいた事が発覚し、同時に精神洗脳の魔導具が使われていた事が判明した。しかし例え魔導具が使われていたからと言って簡単に許す公爵夫人ではない。勿論、その恐ろしさは公爵家七不思議の一つとされている。

2度目は正に先日。白い青年の発見と、タイミングを見計らったかのような、突然王都から送られてきた貝紫色の招待状。お陰でここ数日、屋敷中がてんてこ舞いだ。

「{そ、そ、そっそうよっ}」

肩を撫で下ろし、カルドネは労わるようにそっと紅茶を注ぎ直す。

リマインダー公爵家が大陸全土で名を馳せる理由はそれだけではなかった。

この世には『白』が存在しない。

その余りある衝撃は『かの者』が消えた日からはじまる。チェスプリオ大陸、どの場所、どの時間、誰が空を見上げても、白い雲を見る事は最早、叶わない。白い花も、白い生き物も、鉱物も雪も、並み立つ飛沫や歯でさえ、いつの間にか他色に差し代わってしまった。その日を境にこの世界は、公平に『白』を失ったのだ。

そんな中、ある賢者は消失したのではなく、人類が『白』を認識できなくなったと解いた。

そもそも一般的に、人類は人族やドワーフ族は3色型色覚、エルフ族は4色型色覚、巨人族やオーク、オーガなどの亜種族は2色型色覚を持つと言われている。単眼族は5色型色覚を持つとされるが、繁栄期より見えすぎる目を持つ単眼族は、老化と共に失明してしまう者が多く、近年では解決の急務が取り沙汰されている。また人工生命体のホムンクルスに至っては、設計者が色覚を与えない限り、色を見る事は叶わない。勿論、環境や生活習慣、性別での誤差や、種族が混ざり合う事での 恩恵や弊害など、例外は間々ある。

獣人族の中には、進化する過程で錐体視物質、通称タンパク質が変化し、暗がりでも色が識別できる者も存在する。しかしその者の多くは弱視に近い。生まれつき瞳が紫外線に弱く、光を取り込み像へと変換する網膜形成が不十分なため、魔導師による専用の矯正用レンズなどでの視力矯正が不可能に近い。

また、稀に長寿種であるハイエルフの中には、文字に色を見る者が存在し、学術的な総称を『シナスタジア』という。彼らは独自の文化と言語を持ち、その最たるものが色彩語だ。しかし色彩語は、秩序と規律を重んじた同種族、元老サロメア=ハウエバーによって、如何なる情報の一切を秘匿とされている。

数年前、情勢ゴシップを専門に扱うベリーファニーではワイトホープ王国、宮廷魔道士を生前退位した隠者、フタレイン=グラスホッパーによって説かれた『脳が色を生む』を題材にしたセンセーショナルな独占インタビューが約120ページにものぼり取り上げられ、飛ぶように売れた。これまでの常識とされていた『目で色を見る』を真っ向から否定した、そのインタビュー記事は王国のみならず大陸全土まで瞬く間に轟き、人類を震撼させた。

その後、二番煎じのように『色は心で見る』と鼓吹した哲学者や『この世に色は存在しない』と解いた数学者、『光が人類に色を与える』と訴える活動家、しまいには『この世には赤・緑・青しか存在しない』などと表明する科学者まで現れ、一時その論争は暴動にまで発展した。結果的に、それは多くの波紋を呼び、国が動かざる負えない大事に至ってしまった。

以降、ベリーファニーには現王、シズレー=ベルベ=ワイトホープによる言論弾圧を目的とした重税を課せられた。風の噂によると、その額は雑誌一冊に対して、羊一頭を買うのと大差ない額だと囁かれている。しかし企業努力と運、そして国民の意地も味方し、紆余曲折を経た現在では、そのしぶとさを讃えられワッツベリーファニーの名で一部の富裕層やアンダーグラウンドを中心に、高級月刊誌としてオカルト的な根強い人気を誇っている。

そんな数多の文化、生物、見え方が存在するチェスプリオ大陸で、唯一普遍に共通する事があった。

それは『無彩色は公平に等しく認識できる』という事だ。いや、正しく直せば『無彩色は公平に等しく認識できた』という事だ。いつの間にか過去形になってしまったその大事は、理由は分かっているが、原因は未だ謎に包まれている。

リマインダー公爵家は、その大陸を揺るがす凶変に、今なお寄り添い続けているのだ。

「{奥様、新しいマカロンをお持ちしましょうか?}」

「{そうね。リーヌとナンシー、あとココを3つ頂こうかしら}」

「{畏まりました}」

口元が微かに綻ぶカルドネ。公爵領、貴族居住地区、第二区通称リングベル内、商業地区に隣接した飲食街の奥路、知る人ぞ知る名店、パティスリー・リニャエスカのマカロンココはカルドネの大好物だ。




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