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俺の運命は所詮、からあげクンの添え物ですが?
しおりを挟む「からあげクンを一つ頼む。それと俺の運命だ。番になってくれ」
「畏まりました。216円になります」
「ちょうどある」
「はい、ちょうどお預かり致します。こちらレシートになります。ありがとうございました」
「では、後日迎えに行く」
「ありがとうございました········································は?」
そんな感じでよくも分からない番とやらが出来てしまい。今、俺は全力で逃げ回っている。
ばん【番】[音]バン(慣)[訓]つがい つがう
1 交代に事を行うこと。「勤番・週番・順番・上番・先番・当番・非番・輪番」
2 順序や回数を示す語。「番外・番号」
3 番号。「番地/局番・欠番・連番」
4 見張り。「番犬・番人・番兵/交番・門番・玄関番・不寝番・留守番」
5 日常の。実用の。粗末な。「番茶」
[名のり]つぎ・つぐ・つら・ふさ
[難読]三番叟さんばそう・蝶番ちょうつがい
番、意味で検索を掛けてスクショもした。しかし、その結果は余計に俺を深い悩みに突き落とす。何度読んでも言葉の意味が分からない。
「そもそも番って一体、何なんだ?·····勤番、番地、番兵。いや、分からん。運命っつってたから、門番的なので永久雇用したいって話か??」
何故、話も聞かずに逃げているのかと聞かれれば、思考にこびり付いて剥がれないアイツの目がやばかったからだ。絶対あっち系の人間だと思う。まだ親父が町工場で働いてた時、あんな感じの人間が偶に工場のドラム缶を蹴飛ばして怒鳴り散らしていたの今でも鮮明に覚えている。
「はぁ」
俺が何かしてしまったんならともかく、要らぬ迷惑事はごめんだ。バイトはその日にバックれた。今月の給料を貰えなかったのは痛いが、命あっての物種だ。
アパートもろくな荷物もないし、何より怖いので必要最低限をまとめて帰らない事に決めた。お婆ちゃん大家さんには申し訳ないけど、少し色を付けて来月分の家賃を渡して、個人情報を目の前で燃やしてもらった。大家さんは俺の下の階に住んでいて、この町で唯一の気の許せた俺の茶飲み友達だった。
「干し柿ちょーうめぇ·······」
しんみりした時のこういう地味な食べ物って何でこんなに染みるんだろ。またパン耳ラスク食いに戻れるかな···。種をコロコロと口の中で転がしながら、大家さんとのあれやこれやに耽りながら信号を待つ。落ちかけた夕日に眩む通り過ぎてゆく車のライトが乱視で酷く歪む。光の点が線になり執拗に迫ってくる気がしてならなかった。こんなの、まるで罪人じゃねぇか。
「············っクソが」
自分で言うのもアホみたいだが、俺の逃げ足は半端ない。どうしようもない親をずっと見てきたからだろうか。実は親関係で来たのかもな。また金借りて返せなくなったとか。
番なんてよく分からん言葉で誘き寄せられて説明するなんつって、あれよあれよと囲い込まれて臓器剥がれるか鮪漁船にでも送られるかもしれない。なんやかんや難癖つけて連帯保証人にさせられてたりするかもな。借りてないのに借りた事にさせられてたり、大量にカード作らされたり·····。
「はぁぁ。つってもなー」
そう、容姿が全く思い出せないのだ。スマホのウイルス駆除を最強にしながら無心でSNSアプリを消していく。なんとなく鍵を付けただけじゃ駄目な気がした。本当はプログラムから消し去りたいが、生憎そんな技量は俺には無い。
ろくに学校にも行けず、友達という概念さえアニメで学んだ俺には繋がっている奴らなんて正直たかがしれている。しかし、それでも身を削がれたように鋭い痛みが心臓の奥を刺激した。もう、俺を俺でたらしめる物なんてパン屑ほどしか残っていない。本当に、俺は今まで何をしてたんだろうな。
生きるのに必死だった。
生きていくだけでいっぱいいっぱいだった。
食い物と寝場所を探したら一日が終わっている日々だった。
その中で、やっと辿り着けたのが、この街のあのボロアパートだ。
バリボリッ
砕いた干し柿の種が口の中で四方に刺さり、何とも言えない渋さが悔しさと切なさを誘う。あの場所は、俺の大切な場所だった。あの大家さんは俺に初めて優しくしてくれた人だった。
「········っ」
叫びたい衝動に駆られ、沈みかけた夕日が明かりを引っ提げて消えてゆく。途方に暮れ、頭をガシガシと掻いていたら指に色素の薄い髪が無数に絡まっていた。いや·······これさぁ。
「絶対、ストレスだろ」
右目が奥二重で、一重の左目尻には小さな傷。短めの逆さまつ毛が男なのに妙にエロくて、黒より黒い尖った瞳が、あの時のほんの数秒を俺の記憶に刻み付けた。白眼とのコントラストが余計に黒を余計に目立たせて、なんかのモンスターみたいに目が合った俺の身体は、微塵も動かなくなってしまった。
「駄目だ。あの目以外何も思い出せない」
コンビニの寂れたレンタル自転車に跨り、白とグレーと黒の車に気を付けながら、いやそんな事言っていたら当然として殆どになってしまうのだが····車道の自転車レーンを爆走する。取り敢えず、暗くなるまで無我夢中でペダルを漕ぎ続けた。電車やバスは確実だが駄目だと思う。これも警察密着ドキュメンタリーを見てのカンだ。全力で走らせて山手一周くらいは進めたんじゃないだろうか。なんとか一つ県を越す事が出来た。
「まずは寝床なんだがなぁ」
地図検索は掛けずマップだけをオフラインで見ながら新たな街を歩く。距離があるのに悠々と見えるシンボル的な駅直通のデパートに、信号を越えた先には大きめの商店街。とても栄えているようだ。なにより、人が多い。繁華街のような通りは避け、駅前の小規模チェーン店っぽい満喫に入る。人通りも申し分ないし、中に入ってる店もホットヨガスタジオやバレエ教室などしかなくて、なんと言うか····健全そうだ。
念には念を入れてビルの周りを一周しておく。ビル同士の間隔も俺が横向きでギリ通れるし、錆び付いているが外階段もあった。非常口の鍵は掛かっていなかったが、十二に勝る二十分の注意で、コンビニのレシートをドア端に挟めておく。
古びた独特な匂いを放つエレベータに乗り込む。
カシャ
ボタン近くにある掠れかけた緊急番号と会社名を写メで残し、ボタンの指紋を伸びきった袖の裾で拭き取る。
3F、フロアに着くと床一面にカラフルな絨毯が広がっていた。とっ散らかった、でもどこかで見た事があるような模様が、まるで俺のグチャグチャになった心情をそのまま表しているようだった。
足音がたたない絨毯を歩く。乾いた笑いを零しながら、狭い廊下を一周した。
「窓は全くねえな······」
18歩で男子トイレまで着き、中にはホコリを被った小窓がひとつ。これは鶏ガラの俺でも流石に通れない。その先、7歩で非常口まで行けた。当然のようにドアの間にレシートを挟んでおく。
受付の無害そうなお姉さんから袖の布越しに個室の札を貰う。まぁ定跡としては、こんななりの人間が一番怖いのだが····。
「···ありがとうございます」
物音しない室内。客が俺しかいない事がなんとも気味悪く感じた。個室に向かう前に、シャワー室に入り、硬貨を当て付けのようにガコンと入れた。熱湯を頭から思い切り被る。数刻で出来てしまった靴ズレが熱湯で地味に染み、じんわり痛い。
湯気で歪んだ鏡の中の俺は、相当疲れた顔をしていた。太めの眉の間を掻い潜って、湯が歪んで流れ落ち続けた。それは二重の溝に入り込み、長めのまつ毛をしならせる。髭でも生えたらもう少し男っぽく見えるんだろうか···。
喉仏もあまり目立たない俺は、普段性別を聞かれる事が多かった。色を含んだ質問に浮かれた時もあったが、そんな事に構う暇もないくらい俺は生きる事で精一杯だった。今日の水分不足を補うように、開けたままの口にがぷがぷと熱湯を流れ込む。口内はみるみる内に赤の彩度を上げていった。
「隈出来ちゃってんじゃん」
この数時間で冗談ぬきに滅茶苦茶老けた気がする。まだ成人したばっかなのに···。いや、成人式はバイトで行けなかったけど。体温が上がり急激に襲ってきた眠気に抗うようにして瞼をゴシゴシと擦りながら、深いため息をついた。
「いや、何してんの俺」
こんなんだったらまず、普通に銭湯に行けば良かった···。結局、シャワーを被りすぎて銭湯の倍近い料金になってしまった。安いシャンプーの人工香が全身からほのかに香る。ドライヤーも有料なので自然乾燥でプラマイを補った。
「307っ······30、7と」
液晶画面にキーボードのみが置かれた三畳ほどの個室。床は全てベッド仕様になっている。疲労で硬くなった足を沈ませながら、俺は柔らかめの床マットレスに倒れ込むようにして全身を沈ませた。壁に埋め込まれた二画面のスクリーンでスパイ映画と逃走バライティーを垂れ流しながら今後の作戦を練る。よく先人から学べって聞くし、これは当然フィクションだけど。
「株式会社日本エレベータ製造······まぁ、HP見ても繋がってるかなんて分からねえよなー。口コミ、会社概要、求人情報······」
満喫の親元もエレベータの製造会社もビルの所有者も思いつく限り検索をかけてみたが、当然としてよく分からなかった。しかし、俺の本命はこの情報では無いのだ。
「っふぅぅぅぅぅぅ」
回答が来るかは分からないが、深めに空気を吸い込み意を決し質問をしてみる。
『先日、怖い人にいきなり番だと言われたのですが、どのような意味か分かる方どなたかいらっしゃいませんか?』
ドキドキしながら意気込んでいた俺をよそに、答えは数分も待たずに返ってきてしまった。
『匂いが求める相手』『夫婦のような存在』『専用の性処理相手』
『他の方々が書いてらっしゃる事で大体全てですが、もし貴方が番についてイメージ出来なかったらボーイズラブもののコミックやラノベを読むことをお勧めします。オメガバースものや獣人などが出てくるお話がそれに当たると思われます。そして貴方がもしそれを望まないならば、全力で断る(一応、距離を取って人が多い喫茶店などで)か全力で逃げるかだと思います。どちらにせよ、頸は噛まれないように気をつけて下さい。ご武運をお祈り致します』←ベストアンサー
ポンポンと回答が返ってきて若干面食らう。しかし、どれも俺が望んでいるものではなかった。青い顔をしながら、ポツポツと人差し指でキーボードに文字を打ち込んでゆく。
『皆様、親身にありがとうございます。今から全力で勉強してきます』
いやいや。匂いって何なんだ?自身の服を手繰り寄せ匂いを嗅いでみるも満喫のボディーソープがほのかに香るだけだった。
「アイツから匂いなんてしなかったぞ」
つまりあの男だけが分かる、匂いとやらがもしGPSよりも強力に追跡される要因となってしかったら?······獣人。動物みたいな人間の事だよな?犬みたいにめちゃくちゃ鼻が利くって事か?じゃあ今、俺が必死で逃げてるのもとんだ茶番なのかもしれない。····なんて事だ。
いや、それより夫婦ってなんなの??俺、女だと思われてんの?いくら俺が鶏ガラだからって···確かにバイト先の名札には名字しか書いてなかったし、髪も長めだけど。今頃とっくに履歴書も回収されてるだろうし、男だとは分かっている筈だが···。という事は、もう帰っても良いのだろうか?
「ボーイズラブ········」
俺は誰が誰を好きになるのかなんかに、なんの偏見も無い····ないんだが。
やはり、当事者になるかもしれない可能性が出てきた場合は話が別だ。同意があれば、それも話が別だが。俺、絶対に同意しないと思うぞ。
「オミ···オメ······オメガバースって何なの一体。はぁ、もう嫌なんですけど·····」
半ベソをかきながら、急いで棚に並べられた、っぽいボーイズラブコミックをブロックのようにまとめて運び込む。詰め込みすぎて、あっという間に寝転ぶスペースが無くなってしまった。
「····いや」
『逃げたいのにっ逃げられないっ』
『あぁんっ発情止まらないっ』
『あぁぁんっイクの止まらないよぉぉっ』
「せいやーーーーっ」
バサっ
余りの衝撃に、漫画を壁に叩きつけてしまった。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」
これ、漫画だよな?フィクションだよな?こんなん本当にあんの?簡単に要約すると、囲いの性処理道具になれって事だよな??
実際、なんの接触も無いままに逃げ回ってるから追われてる確証も無いんだが。最悪の最悪で捕まっても異国で肉体労働かなと····まぁ性処理も一種の肉体労働なんだろうが····。というか、俺が突くの?突かれるの?俺があの大男に突いてるイメージなんて出来ねえし、いやしたくもないんだが······俺が、ぶち···ブチ込まれるって事なの?
いや、ばっか。そんなんやれっか。しかもそんな俺にとっての一大事を「醤油取って?」くらいのノリで言ってたよな、あいつ。
「最悪だ」
本能で逃げて良かった。これからも頼んだぞ俺のカン。垂れ流していたスパイ映画に習って靴下の中に万札をぎちぎちと入れ込む。ガチな奴は飲み込むんだろうが、そんな度胸は流石にない。入れたところで出せなくなって泣くのがオチだ。
「はいはい、どうせズコバコですよねー」
捲るページ、捲るページ、滅茶苦茶、突っこんでるし突っ込まれてる········。ケツにこんなん入んの本当。ケツ、性行為で画像検索をかけ、出てきたコンマ1秒でページを消した。今後の人生で必要になるか分からない知識がどんどん蓄積されてゆく。堪らず毒を中和するように、先ほど自販機で買ったポタージュをズズズと啜った。口内に入ったコーンを噛み砕きながら、再び毒を放ったページを捲る。
「ないないないないないないないないないないないない」
すると突然、背後から冷たい空気が部屋に流れ込んだ。
「何がないって」
「え?この漫画········の···ぎゃあああああ”あ”あ”あ”あ”ん”ん”ぐぐゔゔッ!!」
振り向いた先には、葬式かってくらい禍々しい空気を帯びた全身黒尽くめのアイツが立っていた。
「この部屋、個室、鍵付き、防音。因みにもうこのフロア全部屋押さえてるから。エレベーターもこの階は止まらない。非常階段もドア開かねえよ。もう観念しろな」
「なっなななっな」
「観念しろよ」
目以外、印象に残っていなかった男はサングラスを乱暴に外すと長い黒髪を静かに耳に掛けた。額の血管をピキピキと動かしながら、片八重歯を光らせ、既に逃げ場のない俺をさらに追い詰めていく。丁寧にワックスの掛けられた革靴がギシギシと土禁のマットを踏み荒らす度、俺の心臓と身体が激しく上下に揺れた。
「へっ部屋っっかっ鍵、なっ何でっどうしてっ!?」
「もう何となく分かってんだろ」
そう、ここは鍵付きの部屋なのだ。しかも俺はさっき、ロック番号を自分で決めるタイプの個室をわざわざ追加料金を払って選んだ。それが開かれたのだ。
つまり俗にいう、この男のシマや息のかかった縄張りと言うやつか、それともピッキングをしたのか。それを考えて、適当な満喫を選んだっていうのに。俺は脳内で派手に舌打ちをした。
「ほーら。怖いお兄さんでちゅよー」
「ひい”い”い”いいいいいいぃぃぃぃぃ」
テーブルに置いてあったポタージュが振動で派手に溢れ、床をついていた手にまとわりつく。男は血管が浮かび上がったデカい手で、もう後ろに退がれぬ俺の髪の毛をグイッと乱暴に後ろに引っ張り、視線を無理矢理合わせた。
鋭くて尖った瞳。俺の自由を奪う瞳。
この目だ。しかし数刻前に見たそれとは違い、瞳の奥には怒りと苛立ちが渦まえている。
テーブの角がミシミシと腰に刺さり鈍い痛みが広がる。男は視線を外す事なく、ポタージュでベタついた俺の手に重みのある茶袋を無理やり握らされた。男のデカい手が俺の手を覆い、不本意に骨が軋む音がする。
「··········っいた」
もう嫌だ。髪の毛痛いし、手も痛い。もう怖いしチビりそう。俺の髪を執拗に掴んだ男の手にシャンプーの人工香が伝染する。髪の先から滴る水分が高そうな黒いジャケットにシミをつくってしまった。怖い、けど自分の意思じゃ目を離せない。もうグチャグチャだ。
「まっまっ待ってくださいっ」
「······待てだと?逃げまわった挙げ句、まともに喋った言葉がそれか?」
更に髪を強く引っ張られ、押すも引くも叶わない距離に男の顔が迫る。既に逃げ道をこじ開ける事しか俺の選択肢は存在していなかった。
「おおっお願いしますっとっトイレに行かせて下さいっ」
「··············」
「おっお願いしますっ」
「·······ッチ······5分待ってやる。分かってるな」
「はっはい!分かってます!」
首がもげそうになるくらい頭を縦に振り、よろよろとトイレに向かう。しかし、俺の目をちゃんと見て欲しい。まだ全く希望を失っていないのだ。控えていた怖いお兄さんを掻き分け、廊下に辿り着く。フロントのお姉さんはやはり既に居なかった。クソが。
油断すると折れそうになる心を奮い立たせ、鋭い視線を感じながら廊下を歩く。勘ずかれないよう眼球だけをギョロギョロと動かし縋るようにあるモノを探した。
ここは3階。まあ死にはしないだろう。
ガシャンッガシャンッガシャンッ
結論を言えば俺は脱出に成功した。
避難用ハッチから飛び降りて、火事場の馬鹿力で梯子を引っこ抜く。夢中で飛び降りた勢いで、握り締めたままでいた茶袋の中身をぶち撒けてしまった。冷たいコンクリートの上には、消毒液に絆創膏、漢方薬に風邪薬。エナジードリンクにプロテインバー。予想もしていなかった光景に、数刻思考が止まってしまう。
しかし頭の上で大勢の罵声が聞こえ出し、ハッと我にかえる。目についたプロテインバーだけを咄嗟に握り締め、暗闇の方へとただ無我夢中で走った。
コンビニの駐車場で休憩しているトラックの荷台にGPSをONにしたスマホを投げ込み、防犯カメラの見当たらない場所を走り続ける。上がる息を整える間も無く、リバーシブルのトレーナーを逆に着直し、茂みの陰でデニムパンツを無理矢理裏返しに履き直した。
最近こんなパンツが流行ってた気がするし、お洒落上級者を気取る事にして無理矢理に自分のテンションを上げた。こんなくだらない事を考えて少しでも気分を上げないと情けなくも泣き出してしまいそうだった。
「何処だここ·····」
どのくらい走り続けただろうか。気が付けば、辺りは寂れた住宅地に替わっていた。点々と灯る街灯だけがただただ虫を誘っている。靴の中に鈍い痛みを感じ始めた頃、靴下の中に全財産を入れていた自分とスパイ映画に感謝した。暗がりの中、唯一見つけた自動販売機で買ったカップ酒をちびちび呑みながら暖をとる。ここまで来て自分が何をしているのか何処にいるのか、本当に分からなくなってしまった。
「本当に·····何で俺が逃げなきゃいけねぇの·····?」
大した量を呑んだ訳でもないのに溢れ出る愚痴が止まらない。夢中で走っていたせいで強く握り締めてしまったプロテインバーを見つめる。何で俺はこれを掴んでしまったんだろうか。手の中のそれは、パッケージがシワだらけになり、もう中身も粉々になってしまった。
乱れた息を整えながら、数刻前に地面にばら撒いてしまった薬局品を思い出す。わけの分からない罪悪感にも似た苦しさに駆られた。俺、全然悪くないのに····。モヤモヤを振り払うように頭を勢い良く振り、脳内からストックホルムを追い出す。もういっそ食ってしまおうか。でも、針で毒が入れられてるかも。それとも一回開けて毒漬けにした後、熱着し直してるかも。そもそも生産工場も薬局もアイツの配下なのかも。
「俺がっ····何したっていうんだよ·······」
体力と気力の限界で、か細く掠れた声が静かに夜道に響いた。
「柏木くーん、お昼そろそろ行って来なー」
「はーい、ありがとうございまーす」
俺は、移動し続けた先の銭湯と路上での寝泊りを繰り返し、柏木誠一郎という偽名でスナックや雑居ビルの清掃業務を流しで請け負うようになっていた。あれから約5ヶ月、逃げ続けられている事が奇跡のように感じる。公園の便所で髪を切り、唯一自分の容姿で気に入っていた明るい茶髪を断腸の思いで黒く染めた。アイプチなるもので二重の幅も変えて、ホクロまで擬似で描いている。気休めでしかないが、自分の心の平穏の為にはどれも必要不可欠な工程だった。
今日は、銭湯のオーナーからの紹介で駅前にあるオフィスビルの清掃を請け負っていた。本音を言うとあまり人が多い場所には行きたくはないが、萎みだしてしまった逃走資金の為に背に腹は変えられなかった。
昼食を促され、掃除用具の整理を始める。エメラルドグリーンの制服も、最初の抵抗感が懐かしい程に、今では着慣れたものになっていた。
「すみません、この会社って何階に入ってますか?」
そんな事、受付の綺麗なお姉ちゃん達に聞けよと思いつつ、声のした方を辿る。
「·····すいません、何です···········か」
「分かってるよな」
俺は完全に油断していたんだ。
朝の騒がしいエントランスに一瞬の静寂が訪れる。突然の余りある衝撃に、エメラルドグリーンの作業着の襟が一気に伸び上がり容赦無く俺の首を絞め上げた。バケツは水飛沫を上げながら派手に転がり、たった今磨いたばかりの大理石に溢れた汚水が呪のようにどくどくと広がる。投げ飛ばされたモップは大袈裟な音を立て、壁にぶつかり折れ曲がる。反転して見えたそれらの光景は、悪夢以外の何者でもなかった。
「分かってるよなって俺言ったよなあ」
「········っ」
「言ったんだよ。分かってるよなってなあ」
「········っ」
「なあ。柏木誠一郎さん。いや村島正輝さんよお。お前頷いたんだよなあ。あれ分かってるって事だろお」
「ひい”い”い”いいいぃぃぃぃぃ」
以前と変わらぬ黒いスーツで肩に抱え上げられ、ジタバタもがくも全くびくともしない。非力な清掃員が怖いお兄さんに連れ去れてゆく光景を、エントランスにいるサラリーマン達はお得意の見てみぬフリで凌ぎ切るつもりのようだった。俺は世の中の世知辛さを突然叩きつけられ、筋肉質な腕で腰を締め上げられながらも乾いた苦笑いを男の肩に溢した。
エントランスの自動ドアがこの世との分岐点のような気がしてならず、妙な冷や汗が止まらない。人工的に黒く焼けた腕が腰骨に食い込み、同調するかのようにギシギシと鈍い音を上げた。
「暴れるな。脚引っこ抜くぞ。いつかの梯子みてえに」
男の腕をジャケットごと抓り、不意打ちを誘うも怖い声で一気に抵抗する気力を持っていかれた。
「············ッ」
高そうな黒光りが下品に輝く外車の助手席に思い切り押し込まれる。車内は隅々まで真っ黒で、くたびれたエメラルドグリーンが異質な彩色を放った。チラチラと視界に入る自身の作業着に目がくらむ。鋭い視線は無言のままシートベルトをキツめに締め、いつかの日のように俺の髪を引っ張り上げた。ブチブチと耳を掠める音と痛みに耐えられず、逃げるように身体が縮こまる。コイツ、甘噛み出来ねえのかよ。何本俺の髪を葬るつもりだよ。この握力ゴリラが。もう全部黒いしデカし力強いからゴリラて呼んだろ。
「髪も替えちゃってよー何これ?目もいじっちゃってんのかよ」
「·······うぅ······」
「俺、お前の綺麗な髪好きだったんだぜ?」
「·······ぅるっ······」
「お洒落に目覚めたの?」
「············ぅるさぃっ······」
「こんなんで見つけられなくなっちゃうと思ったの?」
「············うるさいっ!!」
俺の擬似ホクロを骨張った長い指で摩りながら、目の前のゴリラは何処か楽しそうに笑みをこぼしていた。さっきから降ってくる馬鹿にしたようなゴリラの口調に、どろどろと悔しさがつのる。それにしてもコイツ、細かいところまでよく気が付くゴリラだ。後ろ手にガチャガチャとドアのレバーや窓をこじ開けようとするも、見透かしたような冷酷な視線が返ってくるばかりだった。
「うっ···ゔうぅ······」
「ロック掛けたから簡単には逃げれねえぞ」
「ゔうっうぅぅ····ぉれがおれが何したっていうんだっ」
「ああ?」
「おっ俺が何したって言うんだよっ!!」
「ああ?」
訳のわからない理不尽な恐怖と悔しさに半ギレになりながら、俺は溢れて止まらなくなった涙を拭い、もうどうにでもなれと思った。ゲシゲシとゴリラ含めて色んな物を無我夢中で蹴り上げる。当て付けのように起こった振動はサドルレバーをしならせ、ガムボトルを勢い良く落とした。
ジャラジャラと漆黒の床に着色された人工グリーンが散りばめられる。暴れる俺と阻止しようとするゴリラの足元で、ブチブチと潰れたガム粒がミントの香りを不自然に飛ばし、ゴリラの舌打ちと共に、無造作に置かれた灰皿からは舞い上がった灰屑が黒い車内にトーンの数段低い黒を上塗りした。
「逃げちゃ悪いかっ。あんた顔が怖いんだよ!!」
「あ”?」
「もうどっか行けよっこのっストーキングゴリラっ!!」
「あ”?」
「俺はあんたの性処理道具なんざならんっ絶対にだっ!!」
「あ”?」
港、倉庫、コンクリ。俺の脳内は三つの単語で埋め尽くされ、発狂寸前だった。
「アンタ、いつも"あ"で意思の疎通取ってんのかよっ本当何なんだよっ!」
「あ”あ”?」
「あああ?」
「あ”あ”あ”?」
「あああああ?」
何これ。もういい加減にしてよ。脳内で悪態をつきまくっていると突然、ゴリラに胸ぐらを掴まれ、強引に生温かいものを唇に押し付けられた。突然の衝撃でドアに後頭部を派手に打つけ、痛いくらいにグリグリと打つけられるそれに、覚悟をして瞼を固く瞑る。こんなのタチの悪い当たり屋だ。
しかし、待てど暮らせどその先の追撃が起こらない。俺は恐々としながらも片目をゆっくりと開いた。
「····························は?」
そして思わず、呆けた声が漏れる。そこには、予想を反した生娘のように真っ赤に頬を染めたゴリラの姿があった。しかも、限界まで離れた場所に。
「·················いや、は?」
え?何これ??何でこんなに距離開いてんの??俺、数秒キス待ちしてたの??そんな顔、ずっと見せてたの??だからコイツの顔こんな赤いの??というか何で俺ちょっと残念がってんの????
「こんな筈じゃ···」
「···あん、た········」
真意を確かめようとゴリラに顔を近づけると、連動したようにゴリラとの間隔が離れてゆく。本当に何なの!?
「ファーストキスだったのに······」
「···················は?」
バサバサバサ
ゴリラが勢いよく逃げた反動で、ダッシュボードから角ばった何かが痛いくらい膝に向かって落ちてきた。視線を下ろすとそこには『絶対堕とせるデートプラン』『デートスポット特集』『最強デート服』『誘いたくなる店』『プロポーズ特集』『結婚情報』微塵も予想していなかった、折込みや付箋が付けられた大量の雑誌が目に入る。
「·····いや···············は?」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」
俺の呆けた声と同時に、鈍い獣のような唸り声が車内に響いた。
足元に散乱するピンク色の雑誌が、黒に慣れ過ぎた目を刺すように刺激した。無意識に膝に乗った一冊を開く。『デートからお持ち帰りまで絶対持っていく完全攻略法』赤線が引かれまくってるそのページを俺は無意識に凝視していた。
「トーク····を交え軽いボディタッチ·······から徐々に段階を上げていく····」
「っおい···ッ」
「····は?俺、軽いボディタッチ····で頭にタンコブ出来て···唇擦り潰されそうになったの········?」
こんな、経験を削がれまくった中卒の俺でさえ学生時代の初デートでこの類の禁書は読まなかった。訝しげな表情で下を見やる俺に対し、バツが悪そうにゴリラは長い脚を組み、既に手遅れでしかない、あからさまな隠蔽を試みているようだった。
「下着は程よいブランドでアピール······」
男のシャツを捲ると、雑誌に載っている赤丸で印が付けられたものと、全く同じボクサーパンツを履いている。
「っお···おいっ」
「ちょっとは自分で捻った方が良いんじゃね?」
どうやら俺は、思考を手放してしまったようだ。確実に感じた事がそのまま口から垂れ流れている。
「おっ·····お前は何処の履いてて欲しいんだ···?」
「俺は····無印かなぁ」
「あ?」
数刻前の恐怖が嘘かのように、俺はゴリラと普通に会話をしていた。
「全然この雑誌合ってねえじゃねえか潰す」
「いやっ俺が完全にシンプルイズベスト派なだけだし。安けりゃ良い派なだけだからっ」
鬼の形相で目を見開き、何処かに電話を始める目の前の荒ぶったゴリラ。やばっこいつが怖いお兄さんなの完全に忘れてた···。あたふたしながらも事の顛末を見守り、俺は心の中で、出版社に黙祷を捧げた。
「本当は····もっ、とロマンチックにする筈···だった、んだ····」
信じられないくらい儚げな声が頭上を掠める。ロマンチック?さっきから一体なんなんだ?取り繕うと意気込んだ瞬間、予想外の言葉が俺を素に引き戻す。
「ロマ·······あんた、最強にその言葉似合わねえな····」
俺の微かに動いたちっぽけな思考は、疑問と否定を繰り返し、やがて一つのしょうもない結論に辿り着いた。
「あんた、童貞かっ!!!!」
思ったよりデカい声を出してしまった。俺のなんの気遣いのない言葉に、見る見るうちに茹で蛸に成り果てる目の前のゴリラ。やはりゴリラは本家同様、その見てくれによらず繊細な生き物らしい。
こんな奴から死にもの狂いで逃げ回っていたのかと思うとやるせなさがつのる。「大家さん、明日にでもラスク食べに行くからな」ほっとしすぎて心の底から安堵と茫然の笑いが込み上げた。もう、俺は逃げまわなくての良いのか····。
しかし、それも一瞬で焦りに変わった。大声で言い過ぎたせいかゴリラのスマホから「ブフッ」派手に噴き出す声が聞こえる。その瞬間、冷気と共に、般若のような形相がバキバキとスマホを握り潰そうとした。俺は、再びの焦りと恐怖で追撃のような言葉を吐いてしまう。
「ちょっとっ!!電話の向こうの貴方っ!!死んじゃう!消されますよ!!今すぐこの国から出てった方が良いですよ!!」
「あ?」
「········ぁ」
「お前、こいつの心配してんのか?」
「あぁいやっ······はっ···はははっはは········」
我に返り、乾いた笑いを腹の底から絞り出す。口をつぐもうとした瞬間、急に視界を埋めたゴリラの口が片八重歯を光らせ、俺のカサついた唇にガブリと喰いついた。文字通り、本当に本気で喰いつかれた。
上唇をしゃぶりつかれ、下唇をガリガリと噛み潰される。今までとは比べ物にならない痛みに、喉奥がヒクヒクとしゃくり上がる。押し退けようともがくも、厚い胸板は見かけ通りびくともしない。
「っい、痛い···いった、いぃ、痛いっ!!」
暴れる俺を無視して、噛み切らんとばかりに、ゴリラは俺の舌をぐにゅぐにゅと咀嚼する。相当苛ついているのか、カチカチと歯噛みする音が車内に酷く響いた。スマホを踏み潰す鈍い音が俺の行末と重なり、一気に血の気が引く。掴まれた腕がゴキゴキと愉快な音を鳴らし、可笑しな方向を向いた。
隙を見て一瞬離れた瞬間、バックミラーに写った自分の無残な顔に思わず口が半開きになる。数刻の拷問で口の周りは血が滲み、歯形と鬱血痕だらけになっていた。
「····ふっ筆下ろし、してやろうかっ!!」
恐怖を押し退け、唯一かもしれない生き残る道をとっさに選ぶ。返答を待たず、命を繋ぐように下顎を引き寄せ自分から唇を重ねていた。俺も経験が多い訳ではない。しかし、こんなに痛い接吻など経験も聞いた事もない。
どうせ逃げられないのだったら、痛みが少ない方が良い。最早ヤケクソで、そのままシートベルトを乱雑に剥ぎ取り、ゴリラの四方を固めるように覆い被さる。上唇をべろりと舐め上げ、硬直をみせる狭間を焦らすようにしこじ上げる。僅かに開いた間から舌を捻じ込み、歯を一本一本を必死で舐め上げた。
何故かゴリラはその先に進ませまいとしているのか、ガタガタと小刻みに震える歯列を決して開かない。しかし、行動とは反し歯の隙間からは焦ったような荒い息が漏れ始めた。
「んふぅ、·······ぅふ····っん········」
下顎に指をグイッと押し込み、上を向かせる。寝坊で出勤前に剃れなかったジョリ髭をゴリラの下唇に押し付けた。片眉を上げ、痛がるゴリラの姿に胸の中の何かが疼くのを感じる。軽く鼻を摘むと空気を求めた口が、ほのかな煙草の香りと共にぷはっと派手に開かれた。すかさず口内に舌を潜り込ませると、ビクりとゴリラの肩が踊り、尚も逃げようとする。
どうやら、コイツも俺と同じように往生際が悪いらしい。フッと溢れる笑いを込め、温度の高い舌を絡めとる。舌の裏付け根をグリグリと執拗に愛撫すると、口を引き剥がそうともがかれた。
「正輝」
「·····っはぁ···あ?···知って、る·····ぞっ」
「俺はあんたの事何も知らない」
「きぃ、霧·····島礼、司··········」
「ははっ。っぽい名前してんなー」
「うるっ、せえぇ、っ·····」
礼司が苦しみ溺れる顔をもっと見たい。もっともっと。何かに取り憑かれたように心臓の疼きが治らない。苦しくなったのか、なんだか小さく見える礼司の眉間には深いシワが刻まれていた。
「礼司」
「···············っ」
下唇に噛みつき、ぶるんっとあからさまな音を立てゆっくりと離す。混ざり合った唾液が飛び散り、礼司の黒シャツを下品に汚した。
「なあ、こっち向けよ」
一向に目を合わせようとしない礼司に苛立ちが募る。舌打ちを含んだ口づけで頬骨に指を捻じ込みながら、無理矢理に閉じた歯をこじ開けた。息を整える間など与えず、くらった拷問を真似て喰らい付くように唇を奪った。唾液と微かな鮮血が混ざり過分な痛みを伴うそれは、どうやら礼司の好みらしい。指圧で赤く染まった頬には、熱を発し愛欲の期待が含まれていた。
「礼司、こっち向け」
潜り込ませた舌で内頬の肉を削りとってゆく。過分に分泌された涎が礼司の納まりの効かない口角から、どくどくと溢れ続けた。青痣の出来始めた手で礼司の耳に指を突っ込み耳穴をほじくり犯す。ぐにぐにと粘りのある粘膜を愛撫すると、風貌からは想像の出来ない甘い声がくぐもり始めた。質量のあるものに触れられる経験のない不快さと、脳に直接響くぬちゃぬちゃとした卑猥な音が礼司の肩を上下に揺らし、喉がヒクヒクと過敏な悲鳴を上げている。
「顔赤くなりすぎ」
「··········おっ俺、夜景が綺麗なレストランで告白し、てデカいデザートな、んか出し、て貰って·······指輪渡そうとっ········っんん」
礼司がそれ以上の言葉を発す事はなかった。無防備に開いた学ばない口に、舌を捻じ込むと喉奥にゴリゴリと舌先を擦り付ける。かわいそうに、本当に礼司はそういった経験が無いのだろう。ほくそ笑むような安い同情が俺の脳を静かに掠めた。
高価そうな黒の襟元に粘度の高いシミを止め処なくつくる。苦しみ悶えふるふると震える手が、エメラルドグリーンの作業着の生地を必死に何かを訴えるように伸ばしてゆく。当然そんな事でやめるわけもなく、全身から絞り出したぬるい唾液を流し込み、礼司の拒絶し続ける欲を煽る。その内に嗚咽を含んだ甘い息が傷だらけの口内にまで届き、俺の今まで硬く蓋をしていたサディズムに静かに火を灯した。
「最高に似合わないな」
耳元でボソッと呟くと、舌を耳穴に突き刺し犯す。ほのかな苦味が、口内に染み渡り、礼司の無様な喘ぎを誘った。
「·······ッ············ふぁあッ」
耳まで真っ赤に染め上げ、完全に誘っているようにしか見えない出来上がった礼司がそこにはいた。その姿は、怯え震える小動物のそれを模している。まるで、さっきまでの俺だ。滑稽じゃないか。
もっともっと見たい。もっと。
初めて経験する追う側の愉しさを噛み締め、歯止めが効かなくなった加虐に無意識に笑んでいた。
「·····もっうや、めろっお、俺は·····免疫がぁ、無い、んっだ」
「知ってる。いや、さっき知ったんだけど」
口を固く結び、嫌々と首を振って逃げる礼司を、眉ひとつ動かさずに骨張った鼻を思い切り摘み上げる。次第に、体内の空気がなくなったのか黒い瞳が涙で潤み始めた。もっと欲しい。もっと。苦しさでブハッと開かれた礼司の口を息する間も無く無理矢理に舌でねじ伏せる。すると黒い瞳に写る俺が一瞬にして酷く歪み、途端に原型を失った。
「舌出せ」
「·····もっ、もう無、りぃ、だ」
「早くしろ。捕まえねえとまた逃げ出すぞ」
「·····何な、ん···っだ·····ふぁっ」
小刻みに震える唇から、おずおずと差し出された舌の先に待ちきれんとばかりにガブりと噛み付き、根元まで勢い良く引き出す。血が薄く滲んだそこを執拗に舐め上げ、更にキツく噛み付いた。歯の間に挟めた舌は小刻みに震え、鉄の味を伝える。鈍くくぐもった声が舌の先から口内に届く。痛みと苦しさで礼司は顔を歪ませるも、それは俺を益々煽るだけだった。
「礼司、良い匂いするな」
「·········なっ···」
「俺の匂いで引き寄せられたんじゃねえの?」
「·····なっ、なに、言っ、てんだ」
「名前」
「·····ま、さきぃ···んんっ」
「足りない」
どうやら、あの回答は違っていたらしい。なんでも真に受けすぎるのも考えものだな。そんな事を思いながら、俺は自身の欲に抗えずにいた。礼司の顎に垂れ流れた唾液を指の腹で刮ぎ取り、シャツの中へ潜り込ませる。既に色気だつ期待で自身を主張している胸の尖りをグリグリと刺激し、制御の敵わない舌で貪るように熱が籠る口内をぐぢゅぐぢゅと掻き回した。刺激を強くする度に、礼司はビクッビクッと全身を跳ね上がらせ、必死に与えられ続ける苦甘に争っているようだった。
「··············っん、んんッ····」
口内で逃げ続ける礼司を下目に、俺はそれを許す気など既に微塵も存在しなかった。口角を不自然にひん曲げながら、一瞬のアメにもならない暇を与える。礼司は甘い涙を滲ませた目をギュッと瞑り、骨張った大きな手を自身の口に押さえ付けながらブルブルと声を出すのを堪えていた。
「かわいそうにな」
この大きな手で俺をねじ伏せるのなんて訳ないだろう。俺は、不自然に目を細め微笑み、笑みを含めた息を、悶える礼司にムチのような熱に変え再び送り込み続けた。強めの圧で既に限界が見えている礼司の恥部をぐぐっと撫で上げると、たちまち俺には、値段も到底分からないパンツスーツの中心に落ちないシミを浮かび上がる。
「んんあ”ッ·····こうい、うエロい事は結婚してから、って·····ちょっ」
「ちゃんと分かってるよ、礼司の番なんだろ俺?」
「あっ…あれは、逃さな、いよう、に言っと、けって···んんっ言われてっ····」
「分かってるよ、俺」
「·······ひっ……も、まぁ、んんっ·····」
「分かってんだろ礼司も」
「ちょっ··········ふぅん、んッ」
「俺も礼司も言ったもんなあ」
「「わかってる」」
それは鬼が変わった瞬間。
ちゃんちゃん
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