どうせ俺はNPCだから

枕崎 純之助

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最終章 桃炎の誓い

第10話 改造生物兵器

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「クソッ! 何なんだよ」

 漆黒しっこくやみの中でそう悪態をつくと俺は周囲を見回した。
 そこは俺とティナを飲み込んだ巨大クジラの胃袋の中だった。
 すえた臭いが鼻を突く。
 ある程度の暗視が出来る悪魔の俺の目に、周囲の様子が見えてくる。
 クジラがあまりにも巨大なため、その胃袋の中はまるで洞窟どうくつの中の地底湖のようだった。

 胃袋にたまった胃液の中には様々な物体が浮かんでいて、ティナを抱えた俺はそのうちの何かの上に乗っていた。
 俺はアイテム・ストックから松明たいまつを取り出し、指を鳴らして火花を散らすとそれに火をつけた。
 途端とたんに辺りの様子が克明こくめいに照らし出される。
 そこかしこに浮いていたのは木材やら、デカイ魚の骨やら何やらだ。

 忌々いまいましいクジラの野郎は俺たちを飲み込んだように、何でもかんでも構わずに飲み込んでいやがるんだろう。
 今、俺が乗っているのは大破した難破船の欠片かけらだった。
 とりあえずは安定していてすぐに壊れて胃液の中に落ちることはないだろう。
 俺はその難破船の上にティナの亡骸なきがらを横たえる。
 ティナは変わらずに息もせず眠ったままだ。

「まったくノンキな小娘だぜ。さっきのは一体何だったんだ」

 そう言うと俺は横たわるティナのとなりに腰を降ろし、右太ももに巻かれたレッグ・カバーを見つめた。
 ティナから手渡されたこのレッグ・カバーから伸びていった桃色の光を放つなわ
 それがさっき塔の上で俺とティナをつないだんだ。
 そして俺は【HARMONY】というティナの防御プログラムの二次解除パスワードを得た。

「パスワードなんざ俺にどうしろってんだ。おまえの体から防御プログラムを取り去って喜ぶのはグリフィンだけだぞ」

 俺はティナの顔を見下ろして1人そうつぶやく。
 そもそも防御プログラムを用意してまで修復術を盗まれないように備えていたのなら、その解除パスワードなんかをこのゲーム上に表示できる仕様にしたのはおかしな話だ。
 そういうのはゲームの外から管理者権限でのみ使えるようにするものだろう。
 何か……何か意味があるんだろうか。
 そうしたリスクをともなってでも、防御プログラム解除用のパスワードを残す意味が。

 防御プログラムを解除することで、ティナにとって、あるいはこのゲームにとってプラスの作用となることがあるのだとしたら……。
 そんなことを思い、俺はふとレッグ・カバーに触れてみた。
 すると小さなコマンド・ウインドウが表れる。

【You cannot connect her system.】

 接続不能?
 ティナは死んでいるわけだから、そりゃそうなんだろうが……。

「なら何でさっきはつながった?」
 
 俺がそんなことを考えていたその時、俺の両足の間にポツリと何かが落ちてきた。
 それは一滴のしずくだった。
 ふと上を見上げた俺は、クジラの胃壁から胃液が染み出してきているのを目の当たりにした。
 そして俺の両足の間に落ちた胃液は、すえた臭いとともに薄く煙を発して、今俺が座っている難破船の欠片かけらを少しずつ溶かし始める。

「やべえぞこりゃ……」

 まずいことになった。
 クジラの野郎、すぐにでも俺たちを消化するつもりだ。
 俺は右手に松明たいまつを持ち、左手で即座にティナを抱え上げる。
 そうこうしているうちに胃液の雨は徐々に本降りになっていく。

「くっ! こんなもん無理ゲーだぞ」

 俺は羽を広げて飛び上がり、クジラの胃液から逃れようとする。
 だが、胃液の雨の範囲は徐々に広がっていき、頭上の胃壁のほぼ全体から降り注ぐようになっていた。
 こ、これじゃあ逃げ場がねえ。
 俺は比較的大型な木材の上に降り立つと、右手に持つ松明たいまつをその場に置き、落ちている一枚の板を拾い上げた。
 そしてそれをかさ代わりに頭上にかかげて身を守る。
 
「こんなもんは一時しのぎだ。一か八かやるしかねえな」

 そう言うと俺は左手に抱えているティナを慎重に木材の上に起き、左手で頭上に向かって灼熱鴉バーン・クロウを放った。
 だが、灼熱鴉バーン・クロウしたたる胃液でれた胃壁を軽くがすだけで消えちまった。
 あんだけれてちゃ威力も半減以下になっちまう。
 くそっ!
 どうする?
 
 こうしている間にも胃壁から分泌ぶんぴつされる胃液はその量を増していく。
 かさ代わりに使っている板も溶け始め、足元に置いた松明たいまつも胃液を浴びて消えてしまう。
 ば、万事休すか……。
 断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーの呪いを受けている俺やティナは、体が溶かされてしまえば、もう本当に死体すらも残らずにこの世界から消えちまうのか?

 今度ばかりはデッド・エンドを避けられそうにない。
 ちくしょうめ。
 そう胸の内で呪詛じゅそを吐き出した時だった。

「オオオオオオオオオオオォォォォォン!」

 突然、クジラが大きくえやがった。
 すると唐突に頭上から一条の光が差し込んできた。
 見上げるとクジラの胃壁に大きなあなが開いている。
 そしてそこから1人の人物が顔を見せた。

「生きているか? 悪魔バレット」

 胃壁に開いたあなから顔を出したのは、海棲人マーマン首領キャプテンだった。
 何であいつがここに……?

 海棲人マーマン首領キャプテンはそのあなからこちらに向かって飛び降りてくると、身軽に俺の目の前に着地した。
 その手には大型の貝殻かいがらを持っていて、首領キャプテンはそれを頭の上にかざしてクジラの胃液から身を守っている。
 そしてその腰には何やら海草をり合わせて作られたなわが巻かれていて、そのなわは胃壁に開いたあなへと続いていた。
 命綱いのちづなか。

「借りを返しに来た」
「そうかよ。律儀りちぎなこった」

 俺はそう言ったがこの状況じゃ渡りに船なのは間違いない。
 俺はそれ以上四の五の言わずに左脇にティナを抱えると、首領キャプテンが差し出した右手を握る。
 そして首領キャプテンが口笛を鋭く響かせると、上から海草のなわがグイグイと引っ張られて俺たちを引き上げていく。

「羽は広げるな。胃液を浴びる」

 ぶっきらぼうな首領キャプテンの言葉に俺はうなづいた。
 脱出をあせって羽を広げて飛べば、胃液を羽に浴びる危険性が増す。
 奴のかかげるデカイ貝殻かいがらかさの下にいるほうが安全だ。

「あの海草は胃液で溶けねえのか?」
「あれは消化に悪い。簡単には溶けない。腹を壊すから食べてはいけない海草。我が一族はこうしてなわにして使う」

 なるほどな。
 それにしても危ないところだった。
 このままここにいたら俺とティナは遅かれ早かれ、溶かされてクジラの栄養分になっていたところだ。

「なぜこの場所に俺がいると知った?」
「おまえがクジラに飲み込まれるところを仲間が目撃した。すぐにクジラの腹にあなを開けて救出に向かうことにした」

 そうだったのか。
 まあ、この辺りの海はコイツらの縄張なわばりのようだから不思議ではない。
 それからほどなくして俺たちはクジラの胃袋から脱出した。
 クジラはすでに息絶えたのか、水面に横っ腹を向けたまま浮かんでいた。
 俺は外の空気を吸い込み、周囲を見渡す。

 そこかしこで様子のおかしくなった海の魔物どもと海棲人マーマンどもが小競こぜり合いを続けている。
 バグをその身に抱えた魔物どもは恐れを知らずに死ぬまで戦い続けていた。
 いや、よく見るとライフがゼロになった後も動き続けて牙をく奴らまでいる。
 まるで己の意思を持たぬ生物兵器のようだ。

「海は今、大混乱におちいっている。我が一族も例外ではない。何人もの仲間がバグでやられた。理性を保てず、狂ったけもののように暴れている」

 そう言うと首領キャプテンはフーシェ島にそびえ立つ石造りの塔を指差した。
 つい先ほどまで俺がいたその塔は、外から見ると一目で分かるほどひどいバグに揺らいでいる。
 そして塔の下層部にある排水口からは、バグで揺らいだ水が海に流れ込み続けていた。

「汚染水が海洋流出したせいで、我ら海の民は皆おかしくなってしまった。このクジラもその被害者だ」
「海の連中だけじゃねえ。空飛ぶ奴らもすっかりイカれちまってるぜ」
 
 塔の天辺からは絶えずバグに満ちた黒煙が噴き出し、空を鈍色にびいろに染めている。
 その煙を浴びた巨大翼竜どもが、さらに一回り大きくなっていく。
 ムチャクチャだ。
 グリフィンの野郎のせいで、この海域はとんだお祭り騒ぎになっちまった。

 そんな混乱の中、首領キャプテンの呼び掛けに応じて海棲人マーマンの女である人魚が2人、俺の前に現れた。
 男の海棲人マーマンと異なり、人魚たちは下半身が完全に魚で上半身は完全に人間だった。
 そんな人魚たちは海中で外敵から身を守るためか、目立たぬようあい色の衣服と帽子ぼうしを身に付けている。

「おまえの傷、治す」

 そう言う首領キャプテンに従って1人の人魚は俺に回復魔法をかけ、もう1人が俺の脇腹などの傷口に応急的な治療をほどこしていく。
 そのおかげで俺のライフはほぼ完全回復し、痛みも引いた。
 首領キャプテンは俺のかたわらで動かないティナを見下ろして言う。

「その天使、治せない」
「だろうな。こいつはもう死んでるんだ」

 ティナを復活させる方法があるとすれば、グリフィンの野郎が持っている断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーを天樹の天使どもに分析させて、その解呪プログラムを作ることくらいだろう。
 今のままじゃどうしようもない。

 そんなことを考えていたその時、フーシェ島の方角から大きな物音が唐突に響き渡る。
 弾かれたようにそちらを見ると、塔の天井が大きく吹き飛び、噴出されている黒煙の勢いが留まる事を知らずに強くなっていた。
 そして……黒煙の中から一体の化け物が姿を表した。

 現れた化け物のその姿に俺は思わず目を見張る。
 俺でなくとも、誰もがその姿から目を離すことは出来なかっただろう。
 それは全長5メートルはあろうかという巨大なとらだった。
 その毛並みはまばゆいばかりの黄金色にかがやき、背中からは大きな翼が雄々しく生えていて、とらでありながら宙を自在に飛び回っている。

「……チャンパワットだ」
「なにっ?」

 首領キャプテンの言葉に俺はまゆひそめた。
 話には聞いたことのある魔物だが、はるか北の寒冷地にしか生息していないため、実際にこの目で見るのは初めてだった。
 伝説の人喰いとら
 チャンパワット。
 この地獄の谷ヘル・バレーにおける北方最強のボスキャラだ。

「昔……北方の近縁種である海棲人マーマンの元へ向かうために大遠征を行ったことがある。その時に一度だけ見た。恐ろしい魔物だ」

 首領キャプテンは緊張の面持おももちでそう言う。
 そんな奴がこの温暖な地域に現れたってことは、あのグリフィンが用意していた転移のかがみのせいとしか思えねえ。
 そして俺は見た。
 人喰い虎チャンパワットの口に何者かがくわえられているのを。

「あれは……グリフィンじゃねえか」

 そう。
 とらの大きな口にくわえられているのは、燃えて黒ずんだむくろと化したマーカスの姿をしたグリフィンだった。
 人食い虎チャンパワットはフーシェ島の砂浜に着地すると、その場でグリフィンのむくろを丸飲みにする。

「く、食いやがった……」

 どうなってやがる?
 そう瞠目どうもくする俺の視線の先で、人食い虎チャンパワットは急に体をブルブル震わせたかと思うと、声を上げてもだえ苦しみ始めた。
 まるで毒物でも食らったかのようなその反応は徐々に激しさを増し、やがてとらは断末魔の悲鳴にも似た咆哮ほうこうを上げて、砂浜の上に腹をつける格好で倒れ込む。
 そして幾度いくどかの痙攣けいれんを経て、動かなくなった。

「死んだのか?」

 俺が我が目を疑ったその時、とらの背中が揺らぎ始めたかと思うと、その揺らぎの中から1人の人物が姿を現した。
 まるでとらの背中から生まれ出たかのようなその人物には上半身のみしかなく、腹から下はとらの背中へと埋まっている。
 人ととらが結合された一体の生物のようだ。

 俺と海棲人マーマン首領キャプテンがアホみたいに並んで目を見開いているその視線の先で、死んだように動かなくなっていたとらがビクンと再び動き出した。
 そしてとらが再び目を見開いて起き上がると同時に、その背中から現れた不審な人物も目を開けて動き出した。
 遠めからなので人相までは分からないが、そいつは自分の体を確かめるように見回し、両手でとらの毛並みをでている。

 一体何が起きやがった?
 俺がそう息を飲んでいる間、とらの上の人物は何やら2本の槍らしき武器を左右の手に装備した。
 その下ではとらが牙をき、周囲を威嚇いかくするようにえる。
 そんな人虎一体の生き物に対して、巨大翼竜や牙亀きばがめどもが襲いかかっていく。

 だが頭上から襲いかかる翼竜は一瞬にして槍で引き裂かれ、牙亀きばがめの甲羅はとら易々やすやすみ砕かれた。
 そうして人虎一体の魔物は躍動しながら殺戮さつりくを開始した。
 自分の周囲を動く者を容赦ようしゃなく殺していく。
 遠めから見るだけでもその戦闘能力の高さが伝わってきた。
 その様子を見た海棲人マーマン首領キャプテンは険しい顔で懸念を口にする。
 
「あの魔物は危険。我々ゲーム世界の住人の禁忌きんきに触れている。戦うべき相手ではない」
 
 そう言うと首領キャプテンは海面にドボンと飛び込んだ。
 その途端とたんに、周囲で戦いを繰り広げていた手下どもがサッと動きを止め、撤退を始める。
 首領キャプテンが海中で何らかの方法を用いて、仲間たちに撤退を命じたのだと俺は理解した。
 そして首領キャプテンはすぐに海面から顔を出し、俺を見上げてこう言う。

「おまえも撤退すべき。その天使を連れてすぐに逃げろ」

 そう言った首領キャプテンの表情は深刻な危機を俺にうったえかけていた。
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