蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第104話  探し人を追って

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 ジュードは1人、川下へと進み続けていた。
 谷底の川岸を歩き続けると、岩橋の下では砂利じゃりだらけだった川原がいつしかゴツゴツとした大きな岩が転がる無骨な道のりへと変貌へんぼうしていた。
 必然的にジュードの歩みは遅くなる。

「くそっ……ジャスティーナはどこまで流れていったんだ。まさか海まで流されたりしていないよな」

 岩橋でプリシラたちと別れてから、歩き始めてすでに2日目の夕方だ。
 負傷した左肩は痛むが、それでもジュードは足を止めなかった。
 月明かりの届かない谷底は、日が沈むと完全に暗くなってしまうため、足元が覚束おぼつかなくなる。
 松明たいまつを持って歩き続けるのも足場が悪過ぎるし、何より暗くてジャスティーナを見つけることも出来なくなる。
 日が暮れたらそこで足を止めて一晩明かすほかない。

「もうすぐ日没だ……今日もダメか」

 ジュードは日没ギリギリまで歩こうと思い、薄暗さの増した視界の中で懸命に足を動かした。
 少しでも早くジャスティーナを見つけてやりたいという意地がジュードにそうさせる。
 もうすでにジャスティーナの生存についてはなかばあきらめていた。
 彼女を見つけてきちんととむらってやりたいという一心でジュードは歩き続けているのだ。
 そんな彼の視界の前方、川の上にふいに人影が見えてきた。

「あれは……小船だ」

 この2日間はまったく誰とも出会わなかったためか、人の姿にジュードは興奮気味に駆け出していた。
 近付いていくと、それは川漁を終えて船着き場である簡易的な桟橋さんばしに向かっていく川漁師の姿だとすぐに分かった。
 若い川漁師だ。

「お~い!」

 ジュードが声を上げて走っていくと、川漁師はおどろいて警戒の表情を浮かべる。
 ジュードは相手を警戒させないよう両手を広げ、柔和にゅうわな笑みを浮かべて声をかけた。

「突然おどろかせて申し訳ない。人を探して上流から歩いてきたんだ。赤毛の女なんだが……」

 ジュードがそう言うと若い川漁師はハッとした顔で小船を桟橋さんばしに着けて下船する。

「ああ。あの流されてきた赤毛の女か。彼女なら師匠ししょうのところにいるよ」

 その言葉にジュードは思わず立ち尽くし、それから血相を変えて川漁師の若者に詰め寄った。

「い……いる? か、彼女は……」

 生きているのか死んでいるのか。
 その答えを聞くのが怖くなりジュードは何も言えなくなってしまう。
 そんな彼のただならぬ様子を察した若者は恐る恐るたずねた。

「一応聞くけど……あんたはあの女の身内か?」
「お、俺は彼女の……ジャスティーナの相棒で……」

 かわいた声でそう言ったきり言葉を失うジュードに、若者は意を決して言った。

「……案内するよ。付いてきな」

 そう言ってきびすを返す若者の背中を、ジュードはフラフラとした足取りで追うのだった。

☆☆☆☆☆☆ 

 若い川漁師が案内してくれたのは、谷の上にある川漁師たちの小さな集落だった。
 集落とは言っても10戸程度が集まる小さなものだ。
 その一番奥の家に若者はジュードを案内した。
 そこは彼の師匠ししょうであり、この集落の中で最も年嵩としかさの夫婦が住んでいる家だ。

 出てきた初老の川漁師は、弟子である若者から話を聞くと、すぐにジュードを招き入れた。
 家の中はせまく、玄関から入ってすぐに居間があり、その奥にもう一部屋、寝室がある。
 寝室には夫婦のものであるベッドが2つあり、そのうちの一つの脇には川漁師の妻とおぼしき初老の女性が椅子いすを置いて腰をかけていた。
 そしてベッドには……頭に包帯を巻かれた赤毛の女が寝かされていたのだ。
 
「ジャ……ジャスティーナ!」

 思わずジュードは声を上げてベッドの脇に駆け寄る。
 そこに横たわっていたのは……確かにジャスティーナだった。
 横たわる彼女は痛々しくあちこち傷を負っていて、目を閉じたまままるで死んでいるかのようだった。
 だが、その胸がわずかに上下している。

「い……生きていてくれたのか」

 そう言ったきり、ジュードは腰を抜かしたようにベッドの脇にへたり込んでしまった。
 ここに来るまでの間、ジュードはずっと覚悟していたのだ。
 川辺に打ち上げられたジャスティーナの無残な遺体を発見することになるのだと。
 もちろんどこかで生きていてくれるのではないかという、一縷いちるの希望も胸の奥底にはあったが、それは現実には起き得ないだろうと頭では分かっていた。
 だが、それでもこうして実際に生きているジャスティーナを見ると、彼女の幸運やしぶとさに思わずあきれ混じりでジュードは笑ってしまう。

「ハ、ハハハ……君って奴は本当に……簡単にはくたばらない女だな」

 そんな自分の様子を気遣きづかわしげに見つめていた川漁師の夫婦と弟子の視線に気付き、ジュードは立ち上がって彼らに礼を言った。

「突然お邪魔してすみません。俺はジュードと言います。このジャスティーナは一緒に旅をしていた相棒なんです。川の上流で……ぞくに襲われて必死に逃げたんですが、彼女がやられて川に落ちて……それからずっと彼女を探して川岸を歩いてきたんです」

 その話に川漁師らは同情の眼差まなざしを向けてくる。

「そうだったんかい。この人が下の川に流れ着いたのは昨日の夕方のことでの。今朝、となり村の医者を呼んできててもらったんだべ。あっちこっち細かい骨が折れとるらしいんだが、大きな骨は折れとらんらしい。けど、昨日から一度も目を覚まさねえ」
「……そうですか」
「医者が言うには出血が多くて血が足りてねえんだと。回復するのにしばらくかかるかも知れねえべ」

 川漁師の話にハッとしてジュードはジャスティーナを見た。
 そうだ。
 生きていたと喜んだが、おそらく予断を許さない状態なのだろう。
 ここで出来る限りのことをしなければジャスティーナを助けられないかもしれない。
 ジュードは川漁師たちに深く頭を下げた。

「見ず知らずの彼女を救って、治療までしていただき、ありがとうございました。この御恩は決して忘れません」

 そう言うとジュードはふところから路銀の詰まった小袋こぶくろを取り出し、そこから銀貨を10枚出してそれを別の小袋こぶくろに包むと、漁師に手渡した。

「これは御礼です」
「こ、こんなにもらえねえよ」

 漁師は思わず仰天する。
 彼らの暮らしぶりならば銀貨1枚あれば半月は暮らせるのだ。
 だがジュードは再度深く頭を下げた。

「彼女が回復して歩けるようになるまで、ここに置いていただけませんか。俺は軒下のきしたでも納屋でもどこでも寝られるんで。これで彼女に出来るだけのことをしてあげたいんです。お願いします」

 困惑する川漁師に彼の妻が立ち上がった。
 彼女はジュードにやわらかな笑みを向ける。

「ジュードさん。では、そのお金はありがたく頂戴ちょうだいするわ。出来るだけ手厚く彼女を治療するために使わせてもらうわね。それとあんたもここで彼女と一緒に眠ってあげてよ」
「え? い、いえ俺は……」
「あんたを軒先のきさきで寝かせたりしたら、客人にひどい扱いをする家だと周りから白い目で見られるでねえの」

 そう言って快活に笑うと、川漁師の妻はジャスティーナをチラリと見る。
 そして母親のような優しげな表情を浮かべて言った。

「大丈夫。彼女きっと良くなるわ。ちゃんと治るまで放り出したりしないから、心配しなさんな」

 妻の言葉に川漁師もほがらかな笑みを浮かべてうなづく。
 これまでジュードが幾度いくども見たことのある笑顔だ。
 かつてジュードを善意で助けてくれた人たちは、皆ああした笑顔を見せてくれた。
 時が変わっても、場所が変わっても、善意で人を助けてくれる人はいる。
 ジュードは温かな気持ちを覚え、ジャスティーナを見下ろした。

(ジャスティーナ。俺たちはまだ運命に見放されていなかったぞ。早く良くなってくれ)

 弱々しい寝息を立てるジャスティーナの顔を見ながら、ジュードはその回復を心からいのるのだった。
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