オニカノZERO!

枕崎 純之助

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第三幕 雷奈と響詩郎 回り始めた運命の秒針

雷奈と響詩郎(前編・上の巻)

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 東京・鬼留おにどめ神社。
 約束通り午後4時前にチョウ香桃シャンタオと合流した響詩郎きょうしろうは、そのまま彼女に連れられてこの神社を訪れた。
 古くから存在する格式高い神社のようで、平日の昼間でも参拝客が少なくない。
 周囲をビルに囲まれた大都会にありながら、この場所だけは緑豊かで、まるで隔絶された別世界のようであった。
 広い敷地内を歩いて奥へと案内され、大きな木造家屋に通された響詩郎きょうしろう香桃シャンタオを待っていたのは2人の人物だった。

 老婆と、そして響詩郎きょうしろうと同じ年頃の少女。
 老婆が神社の正装で姿勢を正して座る様子が厳かに感じられ、響詩郎きょうしろうも思わず緊張の面持ちで背筋せすじを伸ばした。
 だが少女のほうは顔色が悪く、どこか覇気のない様子で座していた。
 互いに挨拶を済ませ、2人が祖母と孫娘であることを響詩郎きょうしろうも知った。

 老婆の名前は鬼ヶ崎雪花せつか
 鬼留おにどめ神社の最高責任者であり、彼女の息子が現当主として宮司の地位に就いていた。
 少女のほうは鬼ヶ崎雷奈らいな
 雪花せつかの孫娘にして鬼留おにどめ神社の第10代鬼巫女みことなったばかりの少女だった。
 年齢は響詩郎きょうしろうと同じく17歳。

「そちらのお嬢さんだね。うちの響詩郎きょうしろうが霊力分与を施せばいいのは」

 早速そう切り出したのは香桃シャンタオだった。
 彼女はどうやら雪花せつかと旧知の仲のようであり、互いに視線を交わし合っている。
 その雪花せつかが重々しくうなづいた。

「そうじゃ。事前に話した通り、この雷奈らいなが我が鬼留おにどめ神社に封じられし鬼・悪路王あくろおうを背負ってからずっと体調が思わしくなくてな。響詩郎きょうしろう殿のお力をお借りしたいんじゃ」

 響詩郎きょうしろう雷奈らいなと呼ばれた少女を見やる。
 彼女は静かに響詩郎きょうしろうの顔を見つめていた。
 目の下にクマを作り、ほおはこけ、すっかり憔悴しょうすいしていたが、その目だけは力強い光が宿っていて印象的だった。

(何だか気の強そうな女だな。ただ……)

 おそらく出来うる限り気丈にその場に座っているのだろうが、本当ならば床に伏していなければならないほど具合が悪いのだろう。
 彼女が相当に無理をしているのだと感じた響詩郎きょうしろうはすぐに申し出た。

「とりあえず契約条件とか細かい話は後にして、まずは霊力分与を始めましょう。話を聞いているのも辛いでしょうから。いいですよね? 先生」
 
 響詩郎きょうしろうがそう言うと香桃シャンタオ鷹揚おうよううなづいた。
 雷奈らいなは相変わらず辛そうに黙り込んでいたが、雪花せつかは顔色を変えずにうなづく。

「うむ。ありがたい。事は急を要するでな」

 そう言う雪花せつかに目礼すると響詩郎きょうしろう雷奈らいなに話しかけた。

「霊力分与って言っても別に難しいことはないから。君は落ち着いて座っていてくれれば……」

 そう言い掛けたところで響詩郎きょうしろうは言葉を止めた。
 ふいに喉を締め付けるような圧迫感を覚えて顔を上げる。
 すると雷奈らいなの背後に立つ巨大な影が視界に入った。

「あ、あれが……」

 そこには身の丈3メートルは超えるであろう漆黒の大鬼が姿を現していた。
 そのあまりに迫力ある姿と、その体から発せられる凶悪なまでのプレッシャーに響詩郎きょうしろうは息を飲んで動けなくなる。
 鬼ヶ崎雷奈らいながその身に背負う鬼・悪路王あくろおうは、およそ人ひとりが背負うにはあまりにも強大すぎる存在に思えた。

「これはまた強烈だね」

 悪路王あくろおうの姿を見た香桃シャンタオはわずかに目を見開いてそう言った。
 香桃シャンタオは特に動じた様子はなかったが、響詩郎きょうしろうは冷たい汗が額や背中に浮かぶのを感じて思わず肩を震わせた。
 明らかに黒鬼は響詩郎きょうしろうに注意を向けている。
 敵意とまで呼べるかどうかは分からなかったが、黒鬼の視線はそれだけで大砲の砲口を向けられているかのような苛烈なプレッシャーを響詩郎きょうしろうに与えてくる。
 そのせいで響詩郎きょうしろうは一歩も動けなくなってしまっていた。

「……フン。悪路王あくろおうにビビッて固まってるようなヘタレに何が出来るってのよ」

 そう言ったのは、それまで黙して語らなかった雷奈らいなだった。
 彼女は冷たい視線を響詩郎きょうしろうに向けている。
 祖母の雪花せつかが咳払いをして孫娘をたしなめようとするが、雷奈らいなはまったくこれに取り合わずに響詩郎きょうしろうにらみ続けた。
 
 雷奈らいなあざけるような言葉を聞いても響詩郎きょうしろうはすぐに動くことが出来ずにいた。
 まるで虎や熊などの猛獣のおりに足を踏み入れるかのような恐怖に響詩郎きょうしろうの体は凝り固まってしまう。
 そんな彼の様子を雷奈らいなは冷めた目で見据えていた。

 響詩郎きょうしろうくちびるを噛み締める。
 鬼を見ずに立ち上がり、雷奈らいなの元へ歩み寄って治療を開始する。
 ただそれだけのことだったが、立ち上がった途端に悪路王あくろおうの巨大な拳で頭を潰されるイメージが響詩郎きょうしろうの頭にこびりついて離れない。
 それが彼の腰をまるで重石のようにしてしまっている。
 膠着こうちゃくした状況の中、香桃シャンタオの目配せを受けて雪花せつかが重い口を開いた。

雷奈らいなはまだ悪路王あくろおうの制御が出来ぬ。悪路王あくろおうは今、自らの意思でそこに立っておる」
「なるほど。ってことは下手を打てばここにいる全員死ぬね」

 薄笑みを浮かべながらも神妙な口調でそう言う香桃シャンタオの言葉が本気なのか冗談なのかよく分からず、雪花せつかは戸惑った顔を見せた。
 彼女らも当然のように悪路王あくろおうからの重圧をその身に感じ取っている。
 だが直接的に悪路王あくろおうの視線を浴びている響詩郎きょうしろうは、鬼が自分という人間を見極めようとしていると感じていた。

「私らのことを警戒しているね」

 香桃シャンタオの言葉に雪花せつかうなづいた。

悪路王あくろおうは唯一、鬼巫女みこの言葉だけを聞く。そして鬼巫女みこに危害を加えようとするものを本能的に敵と見なすのじゃ。恐らく2人を見極めようとしておるんじゃろう」

 響詩郎きょうしろうは顔色の悪い雷奈らいなとその背後に動かざる山のように屹立きつりつする悪路王あくろおうとを交互に見やる。
 先ほどは自分に対して減らず口を叩いた雷奈らいなだったが、響詩郎きょうしろうは不思議と腹を立てることはなかった。
 真に困窮こんきゅうした彼女のその姿が物語っていたからだ。
 救いの手を必要としながらも、それを差し伸べる先が見えない者の胸の内を。

(……俺には桃先生がいた。彼女には誰がいる?)

 かつて幼い時分に香桃シャンタオに救われた時の事が思い起こされる。
 あの時、響詩郎きょうしろうがどこに差し伸べたらいいのか分からなかったその手は、香桃シャンタオが握り締めてくれた。
 その手の温もりを思い出した時、響詩郎きょうしろうは初めて悪路王あくろおうの重圧の中で体を動かすことが出来るようになっていた。
 そして彼は決意の表情を浮かべて香桃シャンタオ雪花せつかに声をかけた。

「すみませんが俺と彼女の2人だけにしてもらえますか? 話をしないといけないので」
「話……とな?」

 老婆は不安げに香桃シャンタオに視線を送るが、香桃シャンタオは彼に任せろというように笑顔でうなづいた。
 それを受けて雪花せつかは仕方なく腰を上げた。

「では響詩郎きょうしろう殿。お願いする」

 そう言って頭を下げると雪花せつか香桃シャンタオに伴われて部屋の外へ出た。
 広い和室には2人と1体の鬼のみが残される。

 響詩郎きょうしろうはあらためて雷奈の正面に座り直すと、一度ゆっくりと深呼吸をした。
 今もまだ悪路王あくろおうからの重圧は重くのしかかるが、それに負けないよう気を張って雷奈らいなに声をかけた。

「さて。始めるとしようか。鬼巫女みこさん。とにかく早く楽になりたいだろ」

 そう言って微笑む響詩郎きょうしろうだったが、一方の雷奈らいなは相変わらず冷たい眼差まなざしを彼に向けて言った。

「……無駄なことはやめなさい。悪路王あくろおうに殺される前にとっとと逃げ帰るのよ。今すぐね」

 にべもない言葉だが彼女のその口振りに響詩郎きょうしろうひるむことなく口の端を吊り上げて笑みを濃くした。

「へぇ。あんた根性あるな。そんなヘロヘロで死にそうな状態なのに初対面の俺の心配をしてくれるのか」

 響詩郎きょうしろうのそんな態度に苛立いらだったようで雷奈らいなは眉を吊り上げた。

悪路王あくろおうが暴走すれば私は無事でもあなたは死ぬわ。あなたの死体の後片付けをするのが嫌なだけよ」

 そう言う雷奈らいなの言葉が決して嘘や誇張ではないことは、彼女の目に宿る真剣な光から響詩郎きょうしろうにも分かった。
 響詩郎きょうしろうは静かに彼女を見つめ返すと、ここからの自分の取るべき対処法を頭の中で素早く整理する。
 目の前にいるのは鬼と契約した鬼巫女みこ
 だが彼女はまだ鬼を自分の意思で制御できない。
 響詩郎きょうしろうが少しでも不審な言動を見せれば鬼は飛びかかってくるだろうし、それを止めることは雷奈らいなにも出来ないだろう。
 そして響詩郎きょうしろうの命は鬼によってまたたく間に握り潰されてしまう。
 響詩郎きょうしろうは覚悟を持って嘘偽りのない言葉で雷奈らいなに接しなければならない。

雷奈らいなさんだったな。今、おそらくあんたと悪路王あくろおうとの契約は不完全な状態で交わされたままだ。だから常にあんたは悪路王あくろおうからの圧迫を受け続けているんだろう」

 そう言う響詩郎きょうしろう雷奈らいなは気だるそうな視線を向ける。

「何言ってるのよ。私はちゃんと悪路王あくろおうと契約したわ」

 だが響詩郎きょうしろうは首を横に振った。

憑物つきものと契約がきちんと成立していれば、そんな風に人間側に負担がかかることはないさ。あんたは霊力が少ないそうだが、それなら本来は悪路王あくろおうを動かせないだけで済む。そんな風に圧迫されて苦しむようなことにならないはずだ」

 響詩郎きょうしろうのその言葉に雷奈らいなは初めて身じろぎをした。
 その目が怒りではなく驚きによって大きく見開かれている。

「何ですって?」

 響詩郎きょうしろうはそんな彼女に告げた。
 端的かつ単刀直入に嘘偽りのない言葉で。

「今ある契約を破棄して新たに契約を結び直すんだ」
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